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  • 聖書は単なる人知の所産ですか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 6/1 325–328ページ

聖書は単なる人知の所産ですか

多くの人々にとって聖書は単に昔の賢人が書き著わした書物にすぎません。しかし,それは聖書そのものが述べる事柄ではありません。聖書は神による霊感を受けて書き著わされた書物であることをはっきりと述べています。(サムエル後 23:2。テモテ第二 3:16。ペテロ第二 1:20,21)もしその主張が真実であれば,聖書は当時の賢人の単なる創作ではあり得ないことを納得させるに足る証拠が聖書の随所に見いだされてしかるべきでしょう。

そのような証拠がありますか。聖書に収められている知識は,古代の他の文献が同様の問題に関して述べている事柄と比べて勝っていますか。聖書はそのさまざまの部分が書き記された時代に支配的であった間違った見解の影響を免れているでしょうか。現代の知識に照らして調べるなら,聖書はどのように持ちこたえるでしょうか。

地球に関する知識

今日,わたしたちは地球が何ら物理的支えのない所に置かれていることを事実として知っています。しかし,聖書のより古い箇所が書かれていた当時の一般の人々は,このようなことを信じてはいませんでした。当時一般に受け入れられていたある考え方によれば,地球は巨大な海ガメの上に立っている四頭の象に支えられた円盤状のものとして描写されています。

聖書はそのような考え方の影響を受けましたか。いいえ,受けませんでした。ヨブ記 26章7節にはこう書かれています。「[神は]北の天を虚空に張り 地を物なき所に懸けたまふ」。この正確な陳述は,長いあいだ聖書学者たちに感銘を与えてきました。そのような学者の一人であるF・C・クックは19世紀に次のように書きました。「聖書はあらゆる異教徒の間に広く行き渡っている迷信に対して異様なまでに強力な抗議を行なっている……ヨブは広大な地球を支えている堅固な土台については何も知らない。ヨブが天文学によって証明された真理,つまり地球が無の空間に自然に釣合いを保ってかかっていることをどのようにして知り得たかは,聖書が霊感の所産であることを否定する人々にとって容易には解けない疑問である」。

聖書に収められている地球に関するこのような情報は,総合的な音信からすればごく付随的なものにすぎません。聖書のおもな目的は,神のご意志と調和した生活をするための健全な導きを与えることです。ですから,論理的に言って,聖書の述べる事柄は,聖書に従わない不完全な人間が指針としてこれまでに勧めてきた,また今後も勧めてゆく事柄よりはるかに優れているはずです。

医学的にも健全な事柄

一例として,約3,500年前にモーセを通してイスラエル国民に与えられた律法を取り上げてみましょう。その律法の目的の一つは,イスラエル国民の健康と福祉を守ることでした。律法を従順に守るなら,イスラエル国民は健康の面でも無事に過ごせることが約束されていました。(出エジプト 15:26,レビ 26:14-16と比較してください。)それは根拠のない約束でしたか。それとも,モーセの律法の定める処置は確かにその点で寄与するものでしたか。

律法がイスラエル民族に与えられた後でさえ,医学上の種々の概念に関しては当時の大文明国と言えどもさほど進歩してはいませんでした。フランスの医師で学者でもあるジョージ・ルーは,次のように書いています。「メソポタミアの医者の診断と予後は,迷信と正確な観察とを折衷させたものであった」。エジプトの医者とその治療法についてはこう記されています。「現存する古代医学に関するパピルス写本の最大のものはエベルズ写本であるが,それらの写本によれば,当時の医者の医学知識は純粋に経験に基づくもので,おおむね魔術的で,全く非科学的なものであることがわかる。十分の機会があったにもかかわらず,人体解剖学については無知同然であった」― 国際標準聖書百科事典,第4巻2393ページ。

エベルズ写本に収められている処方のほとんどが無価値であるばかりか,その多くはかなり危険なものです。人間や動物の排泄物の使用が関係する治療法については特にそう言えます。かさぶたがとれたのちの傷口を治療するのに,人間,それも写字生のふん便を新鮮な牛乳とよく混ぜ合わせたものが湿布剤として用いられました。とげを抜く手当ての一つとしてはこう記されています。「虫の血,それを煮て,油を入れてつぶす。モグラ,それを殺して煮て,その汁をこして油と混ぜる。ロバの糞,それを新鮮な牛乳と混ぜ合わせて傷口に塗る」。こうした糞の使用は,傷をいやすどころか,破傷風あるいは咬痙を含め,さまざまの危険な伝染病を引き起こす恐れがありました。

モーセの律法の規定は,エベルズ写本に見られるようなまちがった概念の影響を受けてはいません。たとえば,モーセの律法によると,人間の排泄物は汚れたもので,人の目につかないように埋めるよう指示されていました。軍隊の野営地に関する規定は次のように明確に述べています。「あなたはまた陣営の外に一つの所を設けておいて,用をたす時,そこに出て行かなければならない。また武器と共に,くわを備え,外に出て,かがむ時,それをもって土を掘り,向きをかえて,出た物をおおわなければならない」。(申命 23:12,13,口語)神はモーセを通して律法をイスラエル人にお与えになりましたが,そのモーセが「エジプト人の知恵をことごとく教授された」ことを考えると,モーセの律法とエジプト人の行なっていた事柄との相違には実に驚くべきものがあります。―使徒 7:22。

もしモーセの律法のある種の規定の背後にある優れた知恵が,もっと最近の何世紀間かに認められていたなら,一命を取り留め得た人は少なくなかったでしょう。わずか百年前のことですが,ヨーロッパの医学には健全な衛生水準が何もなかったため,死亡率は恐るべきものでした。多くの産科病棟では4人につきおよそ1人の産婦が産褥熱のために死亡しました。なぜですか。それは医学生たちが解剖室で死体を取り扱ったのち,手を洗わずにそのまま産科病棟に行き,種々の検査を行なったためでした。死体の病菌が生きている人に伝染したのです。この点に気づいたオーストリア,ウィーンの産科診療所のゼンメルワイス博士は,種々の検査を行なう学生に漂白粉の溶液で手を洗うよう指示したところ,産科病棟の死亡者は著しく減少し,4人につきおよそ1人であった死亡率が,80人につきおよそ1人の割合になりました。

後日,ゼンメルワイス博士は生まれ故郷のハンガリーで仕事をし,その消毒方法は政府によって認められました。とはいえ,全体としてヨーロッパ医学界は手を洗うことに反対でした。ウィーンの医学雑誌の編集者は,「漂白粉の溶液で手を洗うなどというこんなばかげたことはやめるべき」時が来たとまで酷評しました。1861年,ゼンメルワイス博士は自分が発見した事柄や消毒方法に関する記録を出版し,後にその書物を著名な産科医や医学協会に送りましたが,医学界は好意的な反応を示しませんでした。ドイツの医師や自然科学者の会議では大抵の講演者はゼンメルワイスの健全な医学上の意見を退けました。

19世紀のヨーロッパの医者や科学者たちは自らを学識ある者と考えていました。ところが,確かにそれとは気づかずに,何千年も前にモーセの律法の衛生に関する規定に明らかに示されている,優れた知恵を退けていたのです。その律法によれば,死人に触れた者はだれでも汚れた者となるので,その人は体や衣服を洗うことを含め,清めの処置を講じてもらわなければなりませんでした。汚れた状態の期間は七日間と定められており,その期間中汚れた人は他の人との身体的接触を避けなければなりませんでした。はからずもだれかに触ったなら,相手の人はその日の晩まで汚れた者とされました。こうした処置は,危険な病菌が死人から生きている人へ,またある人から別の人へと伝染するのを防ぐのに役立ちました。―民数 19:11-22。

もし前世紀の医学界がモーセの律法を神からのものと見なしていたなら,どれほど多くの人の命を救い得たかを考えてみてください。もしそのように見なしていたなら,生きている人や死んだ人を扱う際,医師ははるかに大きな注意を払っていたに違いありません。

ある分野では,聖書の述べる事柄の背後にある知恵が最近になってやっと認められるようになりました。その適例は,アブラハムに与えられ,後にモーセの律法の中で再び繰り返された割礼に関する命令です。それによると,生後八日目になるまでは男の赤子には割礼を施してはなりませんでした。(創世 17:12。レビ 12:2,3)しかし,八日目というのはどういうわけですか。

今では,八日目を最適とする医学上の確かな根拠のあることが知られています。生後五日ないし七日目になるまでは,赤子の体内では「ビタミンK」として知られる凝血素は正常な量に達しません。また,血液凝固に不可欠なもう一つの要素であるプロトロンビンの濃度が八日目には幼児期中のどの時期よりも高まるようです。こうした証拠に基づいて,ある大学の医師であるS・I・マクミランは,「割礼を施す理想的な日は八日目である」と結論しています。―「こんな病気はもうたくさん」,22,23ページ。

そのような理想的な日が選ばれたのは,単なる偶然ですか。他の民族も長いあいだ割礼を施してきましたが,聖書の影響を受けた人たちだけが男子の赤子に生後八日目に割礼を施したことで確かに知られているということは注目に価します。であってみれば,人間の創造者がその日を定められたとする聖書の説明を受け入れるのは理にかなったことではないでしょうか。それこそ,その律法を従順に守れば健康を維持するのに役立つと言われた方に期待してしかるべき事ではありませんか。

確かに聖書には目ざましい知恵の言葉が収められているということは否定できません。聖書が単なる人知の所産ではあり得ないことを示す明らかな証拠が確かにあります。聖書には,それが書かれた時代の世の賢人のあずかり知らない知恵を示す言葉が収められているのです。しかもなお,聖書が神からの書物であることを明らかにする,さらに強力な要素があります。それは何ですか。

[325ページの図版]

人間が宇宙空間から地球を眺めるよりもはるかに遠い昔に聖書は,『地は物なき所にかけられた』と述べていた

[327ページの図版]

医学界が聖書を信じていたなら,多数の母親は命を失わずにすんだであろう

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