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  • 申命記 ― 愛のこもったモーセの訣別の辞
    ものみの塔 1977 | 12月1日
    • 鳥や動物でさえ見過ごされることはありませんでした。イスラエル人は巣の上に留まっている鳥を見つけた場合,ひなを取ることはできましたが母鳥は逃がしてやらねばなりませんでした。農夫は脱穀をしている牛にくつこをつけてはなりませんでした。畑を耕す際には,ろばと牛を同じくびきにつけてはなりませんでした。力が釣り合わないために,力の弱いろばの方に負担がかかることになるからです。―申命 22:6-10; 25:4。

      この話の中でモーセはまた,繁栄したからといって物質主義的にならないよう,また自分を義とする罪に陥らないようイスラエル人に警告しました。背教の罪に陥らないようにするため,イスラエル人は異邦人と結婚してはならないことになっていました。(申命 7:3,4)適切にもモーセはイスラエル人の前に,彼らの追い求める道に応じて祝福とのろいを置きました。モーセは,自分のような預言者が到来し,人々はその預言者に聴き従わねばならず,もし聴き従わないなら死刑に処されるとも予告しました。使徒ペテロはこの預言をイエス・キリストに当てはめています。―申命 18:15-19。使徒 3:22,23。

      三番目および四番目の話

      三番目の話の中で,モーセは,約束の地に入る際,レビ人が公に宣言する祝福とのろいに関する指示を与えています。ゲリジム山の前に場所を占めた六部族の者たちは,エホバに忠実に仕え,その律法に従う人々の上にレビ人がエホバの祝福を宣言するとき,「アーメン」と言うことになっていました。そして他の六部族はエバル山の前に立ち,崇拝と道徳に関する神の律法を破る者たちの上にレビ人がのろいを宣言するとき,「アーメン」と言うことになっていました。モーセはそこに列挙した事柄に飽き足らず,正しい行ないに対する祝福,および不従順に対するのろいという主題をさらに発展させます。―申命 27:1–28:68。

      荒野における,モーセの四番目の魅力的な話(29章と30章)は,イスラエル人のためにエホバの行なわれた奇跡を再び数え上げることから始まっています。その中には,「あなた方の身に着けた衣はすり切れず,あなた方の足のサンダルはすり減らなかった」という奇跡も含まれていました(申命 29:5,新)次いでモーセは,エホバ神とそこに集まった民との間に一つの契約を結び,不従順のもたらす悲惨な結果について警告します。しかし,彼らが悔い改めるときに,エホバ神が再び彼らに恵みを示してくださることをも述べ,その預言に基づいてイスラエル人の前に次のような選択の機会を与えます。「わたしは今日天と地をあなた方に対する証人とするのですが,わたしはあなたの前に命と死,祝福と呪いを置きました。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も生き続けるようにしなければなりません。あなたの神エホバを愛し,その声に聴き従い,神に堅く付くのです。彼はあなたの命,あなたの日数(だからです)」― 申命 30:19,20,新。

      モーセの最後の言葉

      そのとき120歳になっていたモーセは,ヨルダン川を渡って約束の地を手に入れるよう民を励まします。「勇気を持ち,強くありなさい。彼らを前にして恐れたり,びっくりしたりしてはなりません。あなたの神エホバがあなたと共に進み行かれるからです」。モーセは同様の言葉をもってヨシュアを励ました後,次の命令を与えています。つまり七年目ごとに大きな集まりを開き,男や女や幼い者が聴いている中で,神の律法を復唱するようにという命令です。それから,イスラエルの反抗を予告する次の預言が続きます。それは彼らが荒野で反抗したときのことを踏まえて与えられたものです。「このわたしは,あなたの反逆的傾向と固いうなじとをよく知っているのです。わたしが今日生きてまだ共にいる間にあなた方がエホバに対して反逆的な振る舞いをしているのであれば,わたしの死後にはどれほどそうなるでしょう」。この預言から考えれば,メシアであるより偉大なモーセ,イエス・キリストを一般のユダヤ人が受け入れなかったことは,どのユダヤ人にとっても何ら不思議ではないはずです。―申命 31:1-30,新。

      次いでモーセは,極めて美しい歌によってエホバの偉大さをたたえています。「岩なる方,そのみ業は完全,その道は公正であるゆえに。忠実の神であり,不正なところは少しもない。義にして方正であられる」。モーセは自分の民の移り気な歩みについて長々と述べ,復しゅうがエホバに属することを民に思い起こさせてから,「諸国民よ,彼の民と共に喜べ」と叫びます。そして,最後に,シメオンを除くすべての部族の上に祝福の言葉を与えて話を終えます。―申命 32:1–33:29,新。

      申命記の結びには,モーセの死に関する詳細が記されています。この部分は,多分ヨシュアか大祭司エレアザルの筆になるものと思われます。モーセの「目はかすんでおらず,その活力は失われていなかった」と言われています。その民はモーセのために30日のあいだ大いに嘆き悲しみました。その理由として,「モーセのような預言者はイスラエルにいまだ起こっていない。エホバは顔と顔を向かい合わせて彼を知ったのであ(る)」と記されています。―申命 34:1-12,新。

      今日,エホバに献身した民は,モアブの平野にいたときのイスラエル人に似た立場にあります。ですからわたしたちは,モーセがイスラエルに語った真理と勧めの言葉を深く心に刻むと良いでしょう。まず,人はパンのみによって生きるのではなく,エホバの口から出るすべての言葉によって生きるということを常に認識していたいものです。わたしたちは,自分たちの神エホバがただひとりのエホバであり,自分たちの心と魂と活力のすべてをもってその方を愛さねばならないことを知っています。エホバは,専心の献身を求められるからです。その上エホバは焼き尽くす火の神であり,エホバだけが復しゅうをする正当な権利を持たれる方です。わたしたちはまた,神の業すべてが完全で義にかなっていることに慰めを得たいと思います。確かに,神の定めを守ることは命を意味し,不従順は死を意味します。

      エホバの善良さゆえに,わたしたちは自らの業すべてに喜び,またわたしたちと共に喜ぶようあらゆる国の人々に呼びかけるのは特にうれしいことです。「20世紀の人間が生活のあらゆる分野で自分を神の主権の下に置いてみるなら,申命記の趣旨が分かるようになるであろう」とはまさに至言です。

  • 信仰を実践する人々を見分ける
    ものみの塔 1977 | 12月1日
    • 信仰を実践する人々を見分ける

      韓国の一雑誌記者は一人のエホバの証人に出会いました。証人は,楽園の希望について,また人々が病気にかかることや死ぬことのなくなる時代についてその記者に語りました。その雑誌記者は,「この人は別に異常とも思えないが,理性のある人々にどうしてこんな事が信じられるのだろう」と内心思ったそうです。そこで,誠実な人々がどのようにして宗教にだまされるのかを暴露する雑誌の記事を書くことにしました。そのために彼は集会に出席し,証人たちと研究をするようになりました。また,証人たちが信仰をどのように行動に表わしているかを調べ,本当にそうしているのを知って驚きました。証人たちが熱心に信仰を実践し互いに愛を示し合っていることはすぐに分かりました。それからというもの記者は真剣に研究するようになりました。そして「とこしえの命に導く真理」という本の研究を23日間で終えてしまいました。それから彼は最後の雑誌の記事を書きました。それは,創造者であるエホバと,人類に対する神のすばらしい目的に関するものでした。それから一か月もたたないうちに彼は喫煙をやめ,また雑誌の編集部員としての仕事もやめました。二か月目からエホバの証人と共に神の王国を戸別に宣明するようになり,三か月目からはその業のために一か月に百時間以上をささげました。そのすぐ後に彼はバプテスマを受け,引き続き神への奉仕に全時間をささげており,関心のある人々との家庭聖書研究を10件自分で司会しています。そして今,自分自身も生きた信仰を持っていることを喜んでいます。

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