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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 10/1 584–590ページ

勉強によって円熟することは喜び

「知恵に(は)……益がある,…これを持つ者に生命を保たせる」― 伝道 7:11,12

1 どうしたら円熟することができますか。

円熟を目ざして進むことはクリスチャンにとってきわめて大きな喜びです。円熟は生まれつきそなわるものではなく,成長し,全き人となることを目ざして自分をととのえ,訓練することの結果ですから,エペソ人への手紙 4章12,13節にあるパウロのことばがあてはまります。「ととのえて……キリストのからだを建て……神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」。このような目標に到達するには,知識を得ることが必要であり,そのためには勉強が必要です。個人的な勉強は円熟への確実な道であると言っても過言ではありません。そして勉強は喜びであり,人の心を満たします。

2 (イ)円熟性はどんな資質にあらわれますか。(ロ)進歩して円熟することは人にどんな影響を与えますか。

2 わたしたちはキリストに似る者となるべきですから,自分の心を霊の食物で十分に養い,献身,愛,平衡,信仰,信頼性,霊的な判断力など,円熟の資質をつちかうべきです。円熟性をつちかうには知的能力の鍛練が必要ですから,自分を訓練する一定の過程を設けねばなりません。正しい心の態度をもち,クリスチャンとしての成功を絶えず心に描いているなら,勉強は楽しいものとなります。

3 (イ)勉強をどのようにみなす人がいますか。(ロ)努力して勉強することは価値がありますか。

3 勉強は退屈で,めんどうだと言う人がいます。もしそうなら,勉強が骨折り仕事でなく,食事のように生活の一部となり,楽しいものとなるよう,何らかの工夫をすべきです。『わたしは勉強がきらいで,読んだり書いたりすることは性に合わない』と言う人もいます。これは実際には怠惰なためではありませんか。しかし,たとえば食事がものうく思われる場合でも,人は健康のことを考え,努力して食事をとるのではありませんか。価値のある仕事には努力が必要です。まして永遠の命に関することなら多くの努力をしなければなりません。しかし,その努力には大きな喜びがあり,心の満足と平安があるのです。

4 どんな考え方をすれば勉強の時間はあまりありませんか。

4 『わたしには勉強の時間がない』と言う人は多くいます。ほかの多くの事を先に計画し,ひまがあったら勉強をと考えている人には,確かに時間がないでしょう。食事も同じように扱いますか。食事は時間を決めてきちんととってはいませんか。きっとそうしておられるでしょう。そして食事は楽しいものです。良い食事をゆっくり味わうのと同じく,計画を立てて勉強し,それを楽しむように自分を訓練しなければなりません。

成功は勉強から

5 (イ)クリスチャンはどうしたら成功できますか。(ロ)箴言 7章1,2節,1章5,6節に従い,神のことばを理解することについてどんな態度を取るべきですか。

5 何を行なう場合でも,人は成功を願います。ヨシュアは,「律法の書」について,「昼も夜もそれを思い,そのうちにしるされていることを,ことごとく守って行わなければならない。そうするならば,あなたの道は栄え,あなたは勝利を得るであろう」とさとされました。(ヨシュア 1:8)人は神のみ心にかなった生活をするときにクリスチャンとして成功します。それゆえ,規則的に知識を取り入れる人には,深い喜びを伴う,あの内面的な満足感があるでしょう。それで,なにより大切なのは,エホバの戒めを深く心におさめることです。『わたしたちはエホバの戒めを心にたくわえ,命を得るべきである』。この聖書のことばをゆっくり考えると,わたしたちの心は再び神のことばの勉強に帰ります。「賢い者は……聞いて学に進み,さとい者は指導を得る。人はこれによって箴言……を悟る」。聞くとは,人の声を耳で聞き,聴覚を通して知識を入れることだけではありません。書物に印刷されたことばを読み,それを考えることによっても,すなわち視覚をとおしても,耳で聞くと同じく知識を得られます。書物を読む時,わたしたちは著者のことばを「聞き」,その教えを受けているのです。こうして,しだいにさとりを得,円熟に進みます。―箴言 7:1,2; 1:5,6。

6 (イ)知識を得るためにどんな努力を払うべきですか。(ロ)イエスがご自身に関する聖句を説明された時,弟子たちはどう感じましたか。

6 知識を求めることについては,探鉱師の金に対するような熱意をもつべきです。そのことを箴言はこう述べています。「銀を求めるように,これを求め,かくれた宝を尋ねるように,これを尋ねるならば,あなたは〔エホバ〕を恐れることを悟り,神を知ることができるようになる」。一つのダイアモンドにたくさんの小さな面があると同じように,神のことばから学べることは多くあります。イエスは,エマオまで11キロほどの道を行く時,「聖書全体にわたり,ご自身についてしるしてある事どもを」弟子たちに説きあかされました。わたしたちはその話を聞いた時の弟子たちと同じような心をもつべきです。弟子たちは,「道々お話しになったとき,また聖書を説き明してくださったとき,お互の心が内に燃えたではないか」と言わずにはいられなかったのです。勉強によって神の会衆との一致にはいるにつれ,わたしたちもこの燃えるような心をもつことができます。そして,神を喜ばすことをいつも意識しているなら,わたしたちの喜びは大きくなります。―箴言 2:4,5,〔新世訳〕。ルカ 24:13,27,32。ローマ 11:33。

黙想

7 (イ)黙想とは何ですか。どのように黙想できますか。(ロ)どんな場合には,これが霊の健康を守る唯一の方法となりますか。

7 黙想は考えの進歩になります。「なんじ心を傾けてこれらのことをもっぱらつとめよ。なんじの進歩の明かならんためなり。なんぢ己とおのれの教とを慎みてこれらのことに怠るな」という使徒パウロのことばはこれにあてはまります。(テモテ第一 4:15,16)黙想とは空想にふけり,あるいはあてどもなくものを考えることではありません。黙想とは心を統御しつつ,特定の問題について考えることです。たとえば,大切な年である1914年について聖書の預言を考えるとすれば,それに関連する聖句を頭の中で一つ一つあげてゆくことができるでしょう。これは価値があり,考えの刺激になり,ひとりでする勉強の一つです。ダビデはこのことをこう言い表わしました。「わたしは,あなたのすべてのみわざを思い,あなたの力あるみわざを深く思う」。(詩 77:12)時によっては,これがただ一つの勉強法になります。投獄され,聖書を持つことや他の人との交信を禁じられた場合です。そうした環境下で霊的な健康を保つに肝要なのは黙想であり,それによって人は円熟に進むでしょう。

心の中の妨げを除く

8 効果的に勉強するためには何が必要ですか。

8 勉強をする時には,頭の中からほかの考えを除き,心を一つにして当座の主題に心を集中することが大切です。そして,神のことばである聖書を読む時には,「よく考え」るべきです。そうすれば,「主は,それを十分に理解する力をあなたに賜わる」でしょう。霊的な理解力を身につけることによって人はしだいに円熟します。こうしてエホバは,人が「確かな知恵をたくわえ」るのを助け,「誠実に歩む者の盾」となられます。それゆえわたしたちは,運動家がからだを鍛えるように,心をいつも機敏に,旺盛に,また活発にして,霊的な成人となることを求めねばなりません。―テモテ第二 2:7。箴言 2:7,8。

9 読んだり勉強したりする時,わたしたちの心はどんなものに奪われやすいですか。

9 しかし,勉強のつもりですわっているのに,頭はまだ1日のいろいろな活動を追いまわしているということが何度もあるでしょう。職場での問題を思い出し,あるいはその日のできごとに心を乱されていることもあります。「ものみの塔」を勉強するために机に向かいます。しばらく読んでから考えます。『わたしはこの節で何を読んだだろう』。一つの問題について勉強する時には,ほかの事柄を心から出さねばなりません。わたしたちの心がその日の大きな活動に脱線しやすいのは確かですが,それは勉強を妨げ,勉強の喜びを奪います。他方,一節読んで眠くなるほどたるんだ気分で勉強したくはありません。

勉強の材料

10 勉強の材料としてどんなものがありますか。それらをどう使うべきですか。

10 円熟を目ざす人々に役だつ勉強の材料はたくさんあります。そのおもなものとして毎号の「ものみの塔」の研究記事があります。しかしこのほかに,短かい記事や読者からの質問があり,これらもきわめて貴重です。わたしたちはそれを読まずにおきますか。うわべだけを読みますか。それとも,主題の意味をよく考えますか。一つの記事を勉強したあとに,その要点を覚え,問題となった聖句を思い出すことができますか。記事の中にクリスチャン奉仕者への助言があれば,それを受け入れ,自分にあてはめますか。「ものみの塔」に表わされる神のお考えは将来に対するあなの確信を強くしますか。詩篇記者は,「あなたはいのちの道をわたしに示される」と述べました。(詩 16:11)あなたの態度はこれと同じですか。もしそうなら,あなたの考えは神のお考えによって形づくられています。「目ざめよ!」誌についてはどうですか。「目ざめよ!」を読んで,その多様な記事から益を得ていますか。ものみの塔協会のほかの出版物を勉強しますか。「年鑑」や新しい本は? ほかの聖書研究の手引きを調べてみますか。神権的な理解を加えて見るなら,そうした手引きは物事の背景を知るのに大いに役だち,自分でする勉強の助けになります。聖書の語句索引も,調べもの特に語句を中心にした調べものに有益です。1930年以降のものみの塔協会の全出版物に関する項目索引は,ひとりでする勉強の資料を探すのに非常に便利です。項目ごとに調べることはきわめて有益です。たとえば,索引を使って「復習」ということについて調べるなら,1962年「ものみの塔」の499頁と527頁(日本文,63年81,204頁)にそれに関連した説明のあることがわかるでしょう。知識を身につけることを考え,勉強における記憶の大切さについてさらに調べる人もいるでしょう。その項目の資料欄には「奉仕者になる資格」の151,152頁があげられています。

11 (イ)どうすれば勉強は効果的になりますか。(ロ)どれほど聖書を勉強すべきですか。どうすれば効果的にできますか。

11 勉強によってどれだけの知識を身につけるかは,勉強に払う努力と費やす時間によって決まります。この世の学校に9年行き,そこで数学を勤勉に学ぶ生徒は,数学の知識をたくさん修得するでしょう。数学の授業の間,心を傾けてそれを学ぶことによって,頭を“漫歩”させる生徒よりずっと資格のある者になります。聖書の勉強についても同じことが言えます。惜しみなくまく生徒は霊の富を豊かに刈ります。それゆえ,聖書の勉強のために時間を作ることは明らかに有益です。このために1番よいのは勉強のための時間をきちんと決めることです。エホバの証人は神のことば聖書を毎日読むことに努めており,他の人にもそれをすすめています。

神のことばの価値

12 (イ)聖書がきわめて貴重であるのはなぜですか。(ロ)コロサイ人への助言を読んでパウロに「聞く」ことにはどんな益がありますか。

12 聖書を読む時,わたしたちは誠実さで知られる賢い人々の考えに従うことになります。その人々の知識にあずかることは有益です。しかしこれは単に人の教えを受けることではありません。聖書はエホバ神の霊感によるものであり,聖書を読む者は実際にはエホバに「聞いて」いるのです。これ以上に有益な時間の使い方がありますか。このことは直ちに,受動的な考え方に警戒すべきことを悟らせます。「彼〔キリスト〕にあって歩きなさい。また,彼に根ざし,彼に建てられ,そして教えられたように,信仰が確立されて,あふれるばかり感謝しなさい」。このことは,神の目には愚かなこの世の洪水のような宣伝,また時間を浪費させるに過ぎない欺きの知識に対する強い防壁となります。コロサイ人にあてたパウロの助言はさらに続いています。「あなたがたは,むなしいだましごとの哲学で,人のとりこにされないように,気をつけなさい。それはキリストに従わず,世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない」。このことばのとおり,世の中にはだましごとの知識があふれています。世の人々が心を養っているのはそれです。そして聖書の勉強は,悲しみと悩みと災に至るそうした流れに巻き込まれないようにわたしたちを守ります。同じ手紙の中で,パウロは他の人々が正確な知識に満たされることを祈っています。1章9,10節にあるその祈りを読んで,パウロが語るのを聞いてください。「わたしたち(が)絶えずあなたがたのために祈り求めているのは,あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって,神の御旨を深く知り,主のみこころにかなった生活をして真に〔エホバ〕を喜ばせ,あらゆる良いわざを行って実を結び,神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである」― コロサイ 2:6-10,〔新世訳〕。

13 理解することからどんな満足を得られますか。

13 理解することは楽しみです。それはクリスチャンの喜びであり,青草を潤す水のように心を新鮮にします。申命記 32章2節はそのことを,「若草の上に降る小雨のように,青草の上にくだる夕立のように」と述べています。これは大いに成長を促します。喜びと共にあるのは満足と心の平安です。これらはすべての人が強く求めているものです。ほかのことばで言えば,この世の不安や緊張から解放されるのです。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら……真理を知るであろう。そして真理は,あなたがたに自由を得させるであろう」と述べたイエスはこのことをよく言い表わされました。(ヨハネ 8:31,32)これはクリスチャンとしてしだいに円熟することによってだけ得られる幸福です。

聖書の勉強の仕方

14 聖書の勉強法の一つは何ですか。

14 「聖書を勉強しなさい」と言われて当惑する人がいるかもしれません。「どこから始めようか」と考えるのです。聖書を通読していないなら,まずそれから始めることも賢明でしょう。それによって聖書中のできごとについてより広範囲な理解を得ることができます。

15,16 (イ)題目ごとの勉強はなぜ有益ですか。(ロ)場面を想像することはなぜ記憶に役だちますか。例をあげて示しなさい。

15 しかし,もっとも有益な聖書の勉強法は題目別の,つまり特定の主題を追うものでしょう。わたしたちは聖書のあるできごとを読み進むにつれ,自分をその場に置いてみることができます。それによって,その場の情況をより容易に理解できます。情景を頭に描くことは事件を深く理解するのに役だちます。紀元前1513年ニサン14日のあの決定的な晩のことを想像してごらんなさい。空に雲はなく,月は輝くような満月です。イスラエル人の父親が傷のない,1歳未満の小羊を殺しています。家族がそれを助けます。流れる血を鉢に取り,戸口の柱とかもいに塗ります。街路に人影はなく,戸は堅くとざされています。この晩に,死んだように静かなゴセンの町を通りかかるエジプト人の気持ちも想像してごらんなさい。戸口の柱からは血がしたたっているのです。家の中ではイスラエル人の家族が小羊と苦菜と種なしのパンを食べています。この時,人々は食卓にもたれているのではありません。まっすぐに立ち,腰に帯をしめ,手に杖を持ち,足にはくつをしっかりつけて,知らせがあればいつでも動ける用意をしています。真夜中が近づきます。戸外に出ることは危険です。やがて,国中のエジプト人の家からは狂乱したような叫び声が聞こえるではありませんか。長子が殺されています。王子も含めた人間と家畜のうい子,エジプトの誇りのすべてが殺されているのです。

16 夜半すぎに,イスラエル人は足ばやに旅だちます。想像してごらんなさい! 数百万のイスラエル人が整然とゴセンを出て行きます。野蛮な叫び声は聞こえません。押されたり,踏まれたりする者はいません。年とった男,若い男,年とった女,若い女,そして幼い子供や腕に抱かれた赤子もいます。たいへんな光景ではありませんか。大勢の人々が行進しています。その人々はエジプトの苦役から解放され,エホバのみ手により自由な民になろうとしているのです。出エジプト記の11章から15章を読む時には,こうしたことを現実のものとして感じ取ってごらんなさい。当時の情景を生き生きとつかむことができるでしょう。

17 ダニエル書 5章のバビロンの滅びを記憶するのにどんなことが助けになりますか。

17 王が浮かれた酒宴を開いた晩の,あのバビロンの滅びについても同じように読み取ることができるでしょう。ダニエルが壁に書かれた文字を説き,さし迫った滅びを告げた時の,一座の恐怖を想像できますか。メデアとペルシャの軍勢が開かれた城門から町にはいり,走りまわって町を占領します。(ダニエル書 5章)バビロンの滅びについて勉強する時には,こうした場面をありありと思い浮かべることが非常に役だつでしょう。

時間と力を有効に使う

18 (イ)勉強の時間からより多くのものを得るためにどんなことが助けになりますか。(ロ)最大の満足と喜びは何から得られますか。

18 時間については多くのことができます。そして,時間を無駄にせず,注意して有効に使うことは大切です。また,大切な事柄をしめ出すことがないよう時間の予定を立てることも大切です。家族を養うため1週間に40時間働くクリスチャン奉仕者を例にとって考えましょう。雇い主のために1日8時間,1週5日間ずつきちんと働くことはこの人の毎週の予定です。ひとりでする勉強のための時間についてはどうですか。規則的に聖書を勉強して絶えず霊の栄養を取り入れることは同じように大切ではありませんか。この規則的な勉強は完全な律法を一心に見つめるために特に必要です。ヤコブはこう述べました。「完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は,聞いて忘れてしまう人ではなくて,実際に行う人である。こういう人は,その行いによって祝福される」。(ヤコブ 1:25)聞いて忘れてしまう人でないなら,絶えず知識を取り入れることによって真実の満足と喜びを得るでしょう。そして,それによって円熟に進みます。しかし幸福は知識を得ることだけにあるのではありません。他の人も同じ喜びに与るよう得た知識を人に伝えることにも幸福があります。喜びを他の人と分つことにはさらに大きな喜びがあります。クリスチャン奉仕者の良い働きに対する報いがさらに多くの仕事と責任であるのと同じです。

円熟 ― 生涯の目標

19 (イ)円熟への進歩を助けるものは何ですか。(ロ)円熟性をつちかうのにどんなことが役だつか例をあげて説明しなさい。

19 個人勉強という規則正しい食事によって物事を明確に理解する能力は高まり,人は円熟に進みます。時間の予定を立てる際には,真理を人に伝えることをも組み入れねばなりません。パウロはエペソ人への手紙4章15節で真理を伝えることについて述べていますが,そのことばに注目してください。「愛にあって真理を語り,あらゆる点において成長し,かしらなるキリストに達するのである」。他の人に真理を語り,神のことばを説明する時,その事柄に対する話す人自身の理解と認識が深まるのは注目すべきことです。研究の際,討議に参加した「ものみの塔」の記事の内容はほかよりずっとよく覚えていることに気づいておられますか。ただ他の人の注解を聞いているより,自分自身が討議に加わることによって,記事の考えを心に深く収めることができます。もとより,人の注解を聞いているだけでも大きな益があります。しかし,問題について語り,自分の考えを述べる時にはさらに大きな益があるのです。このことは,円熟した奉仕者が神権宣教学校で聖書のある本について話す場合を例に見ても理解できます。話は聴衆にとって大きな益になります。しかし,十分な下調べをし,何度も練習して話を自分のものとした話し手自身は,聴衆以上に話の要点を銘記しているのです。そうした話のあとに,『自分が話した本だけでなく,聖書のすべての本について同じほどに知りたい』と言う人はたくさんいます。勉強と練習,また他の人に知識を分けるために余分の努力を払うならそれも円熟のための貴重な踏み石となるのです。

20 (イ)目標を目ざしての自分の進歩をパウロはどう見ましたか。(ロ)年の経過とともに人はどのように円熟に進めますか。どんな結果がありますか。

20 わたしたちすべては使徒パウロが円熟したクリスチャンであったことをすぐに認めます。しかし,ピリピ人にあてたパウロのことばは,パウロがさらに円熟の絶頂を目ざしていたことを物語っています。パウロは,円熟が不断の進歩の過程であることを示してこう述べています。「わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち,後のものを忘れ,前のものに向かってからだを伸ばしつつ,目標を目ざして走り,キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めている。だから,わたしたちの中で全き人たちは,そのように考えるべきである。しかし,あなたがたが違った考えを持っているなら,神はそのことをも示して下さるであろう。ただ,わたしたちは,達し得たところに従って進むべきである」。(ピリピ 3:13-16)円熟は生涯の課題です。一例として,若い時代を勤勉にすごし,30歳になるまで注意深く神のことばを学んだ人のことを考えましょう。この時までの個人的な勉強によって,その人は多くの知識を得ているでしょう。そして,円熟した人とみなしてもよいでしょう。巡回区,また地域の監督,あるいはどこかの支部における監督の仕事をゆだねることができるかもしれません。しかし,この人にあと10年間勉強を続けさせ,40歳になるまでにどれだけのものを得るか見てごらんなさい。この人が同じことを10年間続けるなら,50歳になるまでにどれだけの進歩を遂げているでしょう。そして60歳の時にはどうですか。円熟は生涯の仕事であり,その道を進むに従って喜びは大きく,感謝と満足は深くなるのです。そして同じことは怠らずに勤勉に勉強する人すべてに約束されています。その者は「全き人」となり得るのです。

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