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  • 勇気のある女性ヤエル
    ものみの塔 1978 | 12月15日
    • になってしまいました。これによって,イスラエルの民は決定的な勝利を収めることができました。シセラは徒歩で逃げ,ケニ人ヘベルが天幕を張っていたケデシに向かいました。ヘベルとヤビン王は交戦状態になかったため,シセラはそこに安全を求めたのです。―士師 4:10-17。

      当時の習慣では,男が既婚の婦人の天幕に入ることはありませんでした。しかし,ヘベルの妻ヤエルが喜んでシセラをかくまう意志を表明すると,シセラはためらうことなく彼女の天幕に入り,そこに身を隠しました。苦しい逃走に疲れ果てたシセラは身を横たえ,ヤエルはその上に毛布を掛けます。その後,シセラが飲み水を求めると,ヤエルはミルクを与えました。このミルクはおそらく,洗っていない皮袋の中で揺すって発酵させたものですから,袋の内側にこびりついている酸敗したミルクと混ざり合っていたに違いありません。シセラがミルクを飲んだ後,ヤエルは彼を再び毛布で覆います。(士師 4:18,19; 5:25)それから,シセラはヤエルにこう指示しました。「天幕の入口に立っていてくれ。だれかが来て,『ここに男がいるか』と聞いたら『いない』というのだ」― 士師 4:20,新。

      シセラは,ヤエルの厚遇を受けて,安心感を抱いたに違いありません。すぐに,深い眠りに就きました。こうして,この軍の長はヤエルの手の中に身をゆだねてしまったのです。ところで,ヤエルはシセラの側に立って神の民に敵するでしょうか。それとも,彼女はシセラに敵して行動する者となるでしょうか。

      ヤエルは,イスラエルと共に行動する機会を逃すことなく,果敢に行動しました。天幕に住んでいた彼女は,天幕の留め針をつちでたたいて地面に打ち込むことに慣れていました。そこで,片手に天幕の留め針を持ち,別の手につちを握りしめて,ヤエルはシセラのそばに忍び寄ります。シセラは横向きになって熟睡しています。頭の骨のいちばん弱い部分をねらって留め針の位置を定め,ヤエルはつちでそれを頭に打ち込みました。後ほど,そこにやって来たバラクに,ヤエルは自分のしたことを見せます。バラクの前にはこめかみを留め針で打ち抜かれたシセラが,息絶えて横たわっていました。勇敢なヤエルは,デボラを通して語られたエホバの言葉の成就にあずかったのです。後に,この勝利を記念する歌が作られた時,デボラとバラクはこう歌いました。「ケニ人ヘベルの妻ヤエルは,女のうち最もほめられる者となる。天幕の中の女のうち最もほめられる者となる」。―士師 4:21,22; 5:24-27,新。

      そうです,神の民を虐げた敵に対するその勇気ある行動ゆえに,ヤエルの名は聖書にとどめられたのです。今日,神のしもべである「大群衆」は,こうした肉体的な戦いをするよう求められてはいませんが,エホバの敵に対する霊的な戦いにおいて,クリスチャンである「神のイスラエル」の側に立って積極的に行動する際,同様の勇気の求められることが少なくありません。(エフェソス 6:11-13。ガラテア 6:16)また,エホバに信頼を置き,エホバの是認なさる事柄を支持するのは正しいとの確信を持つならば,忠実な男女は,今日,ヤエルと同じように勇敢であることができるでしょう。

  • 忠実なしもべはその地上の生涯を終える
    ものみの塔 1978 | 12月15日
    • 忠実なしもべはその地上の生涯を終える

      1895年6月12日生まれのA・プライス・ヒューズ兄弟は,1913年4月1日に,バプテスマを受けた,イエス・キリストの弟子になったときには,十代の少年でした。それ以来ずっと,同兄弟は天的な相続物をしっかりととらえるために精力的に励んできました。(テモテ第二 4:7,8)ヒューズ兄弟は,55年に及ぶ歳月を全時間奉仕に,そしてその大半をロンドンのベテル家族の一員として費やし,1978年7月19日に,ロンドンでその地上における生涯を終えました。同兄弟はまた,国際聖書研究者協会の副会長でもありました。ヒューズ兄弟の忍耐は確かに,クリスチャンの忍耐の優れた模範です。

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