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  • 『神の全きみこころ』を行うために自由の身となれ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
塔59 7/1 243–248ページ

『神の全きみこころ』を行うために自由の身となれ

『この世の組織制度に従うのをやめなさい。むしろ,神の善にして御旨にかなう全きみこころをわきまえ知るために,あなた方の思いをかえて変化しなさい。』― ロマ 12:2,新世。

1 どんな勝利の宣明は,いまなされていますか。そして,どこで?

ヱホバは次のいましめを与えました,『国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。』(レビ記 25:10,新口)くらやみは地をおおい,核時代のこい暗黒は諸国民の上にたれふさがつていますが,自由は地の果までも宣明されています。どのように?『この世の国は,われらの主(ヱホバ)とそのキリストとの国となつた。主は世々かぎりなく支配なさるであろう。』ということを堂々たる勝利を得た仕方で宣明することによるのです。(黙示 11:15-18,新口)神と人類のすべての敵どもは滅びを受けます。間もない中に全地は『水の海をおおえるごとく,ヱホバを知るの知識』がみち,そして善意者は一致したひとつの人間家族として永遠の自由と幸福の中に入り,その創造者にして大いなる恩恵者を賛美する,ということを宣明します。―イザヤ 11:1-9。

2 どこだけにこの良いたよりは見出されますか。

2 なんとすばらしい良いたよりなのでしよう! 人種,国家,種族がなんであろうと,又住んでいるところがアフリカ,アメリカ,アジア,欧州又は海洋の島々であろうと,正直な心を持つすべての人の心をあたためるなんと良いたよりなのでしよう! この自由を告げるよろこびのたよりは,神の自由の本,聖書の中だけに見出されます。この聖書について,神の子イエスは『あなたの御言葉は真理であります。』と言いました。―ヨハネ 17:17,新口。

3 (イ)どんな面でこの世は牢獄の家ですか。(ロ)イエスは言伝えの罠をどのように識別しましたか。

3 聖書は捕われている人類に自由を告げています。そして又,現在のこの世を大きな牢獄の家に変えた命取りの罠をも明白に示しています。この世が牢獄の家? そうです,牢獄の家です。そして,キリスト教国と異教国の両方ともがんじがらめの宗教的な言伝えにより,この牢獄の家の中に束縛されているのです。今から19世紀以上のむかし,偉大なる自由の戦士イエス・キリストはユダヤの国民の牢獄管理人たちを非難して次のように言いました,『なぜ,あなたがたも自分たちの言伝えによつて,神のいましめを破つているのか。……あなた方は自分たちの言伝えによつて,神の言葉を無にしている。偽善者たちよ。』(マタイ 15:3,6,7,新口)彼らは偽善にも表向きの敬意を神に払いましたが,しかしその間サタンに束縛されている崇拝の形式という言伝えを教えたり,また言伝えに従う生活をしました。しかし,言伝えの罠はパリサイ人の時代に限られていたのではありません。言伝えと習慣の束縛は,今日の地上にいる全国民をいま抑制しているのです。

4 神のみこころを行うために,人はどのように束縛を絶ち切つて自由になれますか。

4 人は,この束縛をどのように絶ち切つて自由の身になれますか。偉大なる自由の戦士イエスの言葉に注意を払うことにより自由の身になることができます。このイエスは,『柔和な人々に良いたよりを告げ,……捕われ人に自由を告げ,縛られている者の目を大きく開く』ために,ヱホバより油を注がれました。(イザヤ 61:1,新世)彼は真理すなわち聖書の真理を教えることにより,理解の目を開きます。彼の教えを信ずる者に向かつて,彼は次のように言つています,『もし私の言葉のうちにとどまつておるなら,あなた方は,ほんとうに私の弟子なのである。また真理を知るであろう。そして,真理は,あなた方に自由を得させるであろう。』(ヨハネ 8:31,32,新口)真理は言伝えから人を自由にします。それで人は『神の善にして御旨にかなう全きみこころ』を証明して行うことができます。―ロマ 12:2,新世。

5 自由の身になるため,どんな種類の戦いが必要ですか。自由の身を保つためには? それをするだけの価値がありますか。

5 イエスの弟子たちは,彼らの主と同じように,全世界にわたる束縛と,自由になる為に必要な戦いについて語りました。弟子たちのひとりである使徒パウロは,次のように述べています,『私は主にあつておごそかにすすめる。あなた方は今後,異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり,その内なる無知と心の硬化とにより,神のいのちから遠く離れ,』(エペソ 4:17,18,新口)しかし,諸国民と共に歩くことを止めるため,善意者たちは『すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ』ねばなりません。(コリント後 10:3-5,新口)彼らは,神を知らないこの世の混乱している無益な考えとか,習慣を断ち切つて自由の身になるため,戦わねばなりません。そうです,いつしようけんめいに戦わねばなりません。そして,自由の身になつてからは,彼らはこの自由を保つために戦いつづけねばなりません。それは努力と大きな犠牲を意味するでしよう。しかし,神の与えたもう報いは,その犠牲を100倍以上もつぐのうものです! ―マルコ 10:28-30。

6,7 (イ)全世界にわたりどんな因襲の型が見出されますか。(ロ)偶像崇拝は,どの程度まで罠となりましたか。

6 『あなた方の思いをかえて変化しなさい。』とパウロは言つています。何から変化するのですか。この世の因襲の型からです。これは,国によつてはすこしくちがうでしよう。しかし,一般的な型は同じです。それは,真理や愛にもとづいておらず,迷信,偽り,そして利己主義にもとづいています。ソロモンは,この大きな世を『最大の空虚』『風のために労する』ものと語りました。―伝道之書 12:8; 5:16,新世。

7 全世界にわたるこの型の大きな部分は,宗教的な形式主義のきずなです。キリスト教国でも異教の国でも,聖なる行列,ろうそく,香をささげること,偶像そして『聖徒』があります。いわゆる『クリスチャン聖徒』を良く知つている人々は,東洋の国々を訪問したとき,後光や珠数を持つ仏陀の偶像を見つけても驚きの言葉を言い表わす必要はありません。それはみな,この世の型の一部です。パウロの助言は,全世界にいて真理を求める人々に良いものです。『愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。』(コリント前 10:14,新口)偶像崇拝は罠であつて,唯一つの真の神の崇拝について人々をめくらにしています。―コリント後 4:3,4。

8,9 (イ)『クリスマス』や類似の祝祭は『キリスト教国』に限定されていますか。(ロ)そのような祭り騒ぎについてペテロは何と言いますか。

8 しかし,偶像崇拝や他の形式主義的な儀式から自由になつた多数の者たちは,一層巧妙な偶像崇拝の形式に対して警戒しなければなりません。全世界にわたり,神の御言葉に反対な宗教の習慣や国家的な習慣が深く染みこんでいます。もし神の新しい世で生命を見出したいなら,これらのものからも自由にならねばなりません。これらの習慣の多くは,一般的なものになり,キリスト教国や異教国の両方ともそれを行つています。例えば,『クリスマス』のばか騒ぎがあります。キリスト教国は,『クリスマス』を異教国から借用しました。a ところが,いまはいわゆる異教国も『クリスマス』を取りもどしているのです。仏教の国,日本の東京からの次の新聞報告にこう示されています,『クリスマス・イブ ― この夜の人出は延べ370万(警視庁25日朝までの調べ)という戦後最高のにぎわいだつた。』b

9 『クリスマス』の型は,全世界にわたつて同じです。しかし,それはキリスト教のものですか。絶対に否!であります。世界中で行われている新年の祝い,春の祭り,収獲の感謝祭は,聖書の教えと一致していますか。それとも,それらはこの世的な『逃避主義』ですか。「心を変えている」人々に向かつて,ペテロは次のように言つています,『過ぎ去つた時代には,あなた方は,異邦人の好みにまかせて,好色,欲情,酔酒,宴楽,暴飲,気ままな偶像礼拝などにふけつてきたが,もうそれで十分であろう。』(ペテロ前 4:3,新口)この世的な事がらを避けなさい!

10,11 (イ)不滅性という一般的な教理は,人々にどんな大きな重荷をかけましたか。(ロ)死人についての聖書の真理は,どのように慰めをもたらしますか。

10 ヨハネはこう言いました,『全世界は悪しき者の配下にある。』(ヨハネ第一書 5:19,新口)人類の先祖たちにむかつて,『あなた方は決して死ぬことはないでしよう』と語つたのは,その『悪しき者』サタンでした。これは,いつわりの父から出た最初の嘘であつて,その中には人の魂は生まれながらに不滅という後日のいつわりも含まれます。(創世 3:4。ヨハネ 8:44,新口)神の言葉は『罪を犯せる魂は死ぬべし』と明白に述べています。しかしその神の言葉とは反対にこの世の宗教はサタンの教えにかたくしたがつています。(エゼキエル 18:4)魂は不滅であるという信仰に従つて,自称『クリスチャン』も『異教徒』も,『死んだ者』の霊のために長い祈りをささげ,特定な季節には家族の社か墓に詣でます。西洋の国々では,葬式はしばしば非常に値の高いもので,故人のための祈りは極めて高いものです。ところが,ある東洋の国では,それはもつと高い費用です。中国人は一生涯の働きを貯金して,自分の葬式をいちばん豪華なものにしようとします。子供たち,孫たち,甥たち,そして他の親族は,生者および死者に服従し,死後の幾年間はいろいろの色の喪服を着るよう期待されています。

11 しかしながら,神の完全なみこころを知るために「その心を変える」人々は,そのような宗教的な束縛を絶ち切つて自由の身になることができます。さらに,聖書の真理を持つている彼らは,『正しい者も正しくない者も,やがてよみがえるとの希望を,神を仰いでいだいている』と告げることにより,遺族たちを慰めることができます。(使行 24:15,新口)『神を仰いで希望』をいだいている人々は,死んだ人々を崇めるというこの世の仕方に従う行いをいたしません。むしろ,彼らはヱホバを崇め,死人についての神の愛ある目的を知らせます。―ヨハネ 5:28。

12 どんな生命の力は,物質主義と抑制の働きをなす封建的な言伝えを克服することができますか。

12 この世の束縛の形式は,生活のあらゆる活動に食いこみます。西洋の国々で,『富むことを願い求める者』は,致命的な物質主義という束縛に落ちこみます。(テモテ前 6:9,10)東洋の国々では,人々は習慣や義理につよくしばりつけられているため,明瞭に考えるとか自分自身で考究することは非常にむずかしいものです。それらの人々は,封建主義社会内で屈従の地位を保たねばならぬと,すくなくとも考えます。タイ国の仏教徒たちは,クリスチャンの奉仕者たちに向かつて,タイ人に聖書を説明することなどは,丁度水牛にバイオリンを奏でるのと同じく無益なものだと言います。ところが,このことは必ずしも正しいことではありません。というのは,仏教徒でさえ,自由になり,『全国民の貴重なもの』の一部になつて,ヱホバ神を崇拝しているのです。このことはヱホバの御言葉,聖書の中にある力強い,生命の力を真実に証明するものです。―ハガイ 2:7。ヘブル4:12。

13 この世的な知恵の束縛について,パウロはどんな警告を与えていますか。

13 それからこの世的な知恵の足かせがあります。西洋と東洋の両方でも,多数の人々は人間の哲学に束縛されているのです。孔子は頭の学問である知恵を強調しました。今日に至るまで,いわゆる知者という人々がいて学問を祭り上げ,ひとつの種類の学問から別の種類の学問にと移り動いて行きます。彼らは,文化を求めるのだと言います。そのような者について,パウロは次のごとく戒めています,『哲学や空しい欺きで,あなた方をとりこにしようとする人のいることに注意しなさい。それらは人の言伝えや,この世の初歩の事柄に従うのであつて,キリストに従うものではない。』― コロサイ 2:8,新世。

自由を得る為に全く絶ち切る

14 (イ)いま何がぜひ肝要ですか。(ロ)いま真の幸福をどのように得ることがきますか。

14 古い世に束縛されている人々にとつて,いまや自由の身になるために古い世から離れるすばらしい機会,自由を得る機会が来ました。いまこのように離れさることは,是非とも肝要なものです。この世は『終りの日』だからです。(テモテ後 3:1)今日,正確な知識はなんと必要なのでしよう!『ヱホバを畏るるは,知識の本なり。』(シンゲン 1:7)自然界の畏怖すべき業や,創造の美しい変化を見るとき,善意者はみなヱホバの居られることを認識するにちがいありません! しかし,聖書の神は名前のない抽象とはちがいます。彼は最高の御方で『世々の支配者,不朽にして見えざる唯一の神』です。(テモテ前 1:17,新口)彼はあらゆる生命と力の源です。彼は偉大なる目的を立てる方,ヱホバです。ヱホバの考えと道は,人間の知恵よりずつと高いものです。(イザヤ 55:8-11)ヱホバのことを学び,真の知恵を得る人は幸いです。(シンゲン 3:13-18)ヱホバを知るためと,「すべての心をこめ,すべての魂をこめ,そしてすべての思いをこめて」ヱホバを愛するために研究する人は,本当に幸福です。この者は『いつさいの知恵と霊的な分別において,神のみこころの正確な知識でみち,ヱホバにふさわしい者として歩く』でしよう。(コロサイ 1:9,10,新世)その者は,ヱホバが御子イエス・キリストを通して備えられたすばらしい御準備を真実に認識します。その御準備は,『神の全きみこころ』を行い,世の終りに生き残るため,自由の身にさせるものです。

15 自由になつた者たちについてどんな良い例が引用されますか。

15 聖書の頁は,神のまつたきみこころをするために自由になつた人々の例でいつぱいです。これらの人々は,神の全きみこころを行うため一生涯を戦い通して忠実を守つた人々です。その生涯は,よろこびと満足の生涯でした。バビロンに捕われていた3人の忠実なヘブル人たちがいました。彼らは群衆と共に偶像崇拝をすることを拒絶したのです。ひとりで立つことは,勇気を要することでした。丁度,いま自称クリスチャンや仏教徒たちが,先祖代々伝えられてきた偶像崇拝から離れる際に勇気を要するのと同じです。エレミヤがいました。彼は国家的な背教から離れ,ヱホバの言葉を宣明しました。それは勇気を必要としました。丁度,ヒンズー教徒やアフリカ人が国家的な宗教や種族の宗教から離れてヱホバの証言をすることに勇気を要するのと同じです。モーセがいました。彼はエジプトの上流社会の物質主義を捨てて神の民の下賤な社会を選びました。それは勇気を必要としました。しかし,彼が見出した豊かな霊的な富を考えてごらんなさい。それは,この現代の世のあらゆる物質的な恩恵をはるかに凌駕するものです。―ダニエル 3:13-18。エレミヤ 1:4-10。ヘブル 11:24-27。

16 自由になるため,どんな報いを持つことができますか。

16 今日のキリスト教国と異教の国の中で,幾十万という人々は真実の自由のために束縛を断ち切りました。それらの人々は『自分たちの神を知る民』です。そして,神とキリスト・イエスに信仰を持つことにより,彼らは全地にわたる一つの新しい世の社会として強くなりました。(ダニエル 11:32)親族や以前の友たちは,嘲けり笑つて『そんなことをして,何の得があるか』と言います。それらの人々は,どんな得をしますか。神の完全なみこころの知識の富,栄光に輝く新しい世における永遠の生命という確かな希望,そしてヱホバの新しい世の社会内で現在および永久にわたつてえられる真実の友のすばらしい愛です! 現在の世はその愛を決して理解しないでしよう。彼らはその愛を見ておどろきますが,この社会の一部にならないかぎり,その愛を理解しないでしよう。(ヨハネ 13:34,35)ヱホバの証者は,宇宙の主権支配者に心からの献身をささげることにより,心ののぞむすべてのものを得ることができます!

17 自由になるためどんな積極的な行いは要求されますか。このことにおいて,どのように多数の人は失敗しましたか。

17 献身?そうです,ヱホバへの献身は『神の全き御心』をするために自由の身となる際の最終の段階です。しかしながら,自由の身になるため積極的な行いは必要です。そして,献身に達するまでのすべての段階で積極的な行いが必要です。この世とちがつた考えをもつための積極的な努力,神の考え,聖書の仕方を考えるための積極的な研究,そして新しい世の社会内にあつて神の民と共になす積極的な交わりです。(コロサイ 3:23,24)ヱホバへの献身にまで達するために積極性は必要です。ここの段階でたくさんの人々は失敗しました。それらの人々は心を全く変えておらず,また決心もしていないのです。それらの人々は,全き献身をしていません。彼らは平和の新しい世で生活することは『すばらしい』と考えます。そして,時折りには神の奉仕に行くかも知れません。しかし,そこの段階で止まつてしまい,献身しようとはしないのです。それらの人々は新しい世の社会にみちる真実のよろこび,そして彼らにもみちる真実の愛を持つていません。心のごくわずかな部分をヱホバにささげて,残りを利己的な目的のために保つことは,十分でありません。『あなたは心をこめ,魂をこめ,力をこめて,あなたの神ヱホバを愛さねばならない,……あなたの神ヱホバは,専心の献身を求める神であられる。』(申命 6:5,15,新世)これは献身の点にいたるまで心を全く変えるという意味です。

18 ルツはその献身という点で,どのように顕著な例でしたか。

18 キリスト教国内に住もうと,異教の国に住もうと,モアブ人ルツの精神と同じ精神でもつて自由の身にならねばなりません。ルツは異教宗教の背景の下に訓育を受けました。しかし,ヱホバの崇拝者であるナオミは,真の神ヱホバについて教えました。ルツは古い交わりや自分の民を捨てるのにすこしもためらわず,新しい国に向かつて,新しい仕方の崇拝をするために出発しました。その道に出発しただけでなく,終りまで行い通し,神の民イスラエルに全く同化しました。自分の故郷に戻る機会が与えられても,ルツはそんなことをすこしも考えませんでした! ナオミに向かつて,彼女はこう言いました,『私はあなたの行かれる所へ行き,またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民は私の民,あなたの神は私の神です。』彼女の心はヱホバ神に全く献身していました。彼女は,死以外の何ものも,自分をヱホバとその民から離れさせないと断言したのです。神の民イスラエルの地で彼女の報いはなんと豊かなものだつたのでしよう! 彼女の忠実に対する報いは,復活のときになんと豊かなものでしよう! 死でさえも,彼女をそれから離すことができません! 今日の献身した忠実なヱホバの僕に,ヱホバが約束されている復活の際の祝福は,死でさえも引き離すことができません。―ルツ 1:16,17,新口; 4:13-15。

19 神の献身した僕たちは,価値についてのどんな認識を持つていますか。

19 自由の身に全くなる人々の生涯は,なんと幸福なものでしよう! それらの人々は価値を正しく評価する人々,ヱホバとそのめぐみを認識する人々,そして次のように言う人々です,『われ一つの事をヱホバに請えり我これをもとむ。われヱホバの美わしきを仰ぎ,その宮をみんがために,わが世にあらん限りはヱホバの家に住まんとこそ願うなれ。』(詩 27:4)『ヱホバよ,我なんじのまします家となんじが栄光のとどまる処とをいつくしむ。』(詩 26:8)献身した幸福な僕はその献身にそむかぬ生活をなし,昼も夜も宮で仕えて,神の民との交わりにいつもよろこんでいます! ―黙示 7:9-17。

自由の奴隷

20 (イ)自由になる者が『奴隷』になると言うのは,矛盾ですか。(ロ)どんな面で彼らは奴隷ですか。

20 なんとすばらしい自由なのでしよう! それは永久につづく自由です。しかし,自由にされた神の人は『奴隷』とも言われています。言葉は矛盾していませんか。心から進んで奉仕して幸福のよろこびに満ちるヱホバの奴隷たちは,そのように見なしません。彼らは献身の誓を果して行きます。肝心な点はこうです,すなわち彼らの自由は相対的なものであつて,いつでもヱホバ神のみこころに従うということです。彼らがその御こころをよろこんで行うとき,ヱホバ神はすばらしいよろこびと自由で彼らを祝福します。しかし,その自由はいつの時でも御自分の神権的な取極めの正しい境界内のもです。それで,彼らは奴隷です,つまりヱホバの奴隷です。(黙示 19:4,5)彼らは又イエス・キリストの奴隷です,なぜならイエスは御自身の血で彼らを買われたからです。『あなた方のよく知つているとおり,あなた方が先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは,銀や金のような朽ちるものによつたのではなく,きずも,しみもない小羊のようなキリストの尊い血によつたのである。』(ペテロ前 1:18,19,新口)それで,彼らは『キリストの僕として心から神の御旨を行う者』になりました。―エペソ 6:6,新口。

21 ヱホバの奴隷たちと,古い世の奴隷とは,どのような対照となりますか。

21 しかしながら,ヱホバに献身しない人たちもちがつた種類の奴隷です。彼らはサタンとその世界の不幸な奴隷です。今日この地上にいる人は,誰でもこのみじめな世界の零落した奴隷になるか,又はかせを破つて自由の身となり,よろこびに満ちるヱホバの奴隷にならねばなりません。各人が決定しなければならないのです。(ヨシュア 24:15)イエスは次のように言われました,『だれも,ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し,あるいは,一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は,神と富とに兼ね仕えることはできない。』(マタイ 6:24,新口)賢明な者は次のように言います,『人われに向いていざヱホバの家に行かんと言えるとき我よろこべり。』(詩 122:1)献身の段階を断乎として取り,それからその献身をしつかり守るすべての人は,永遠のよろこびを得ることができます。

22,23 ヱホバに献身する者たちには,どんな家族の問題が生じますか。そのような問題を取り扱うためにどんな助言が与えられていますか。

22 しかし,古い世の事がらは献身する人々にたくさんの問題を投げかけます。多くの国で妻は夫の奴隷で,またある場所では夫は妻の奴隷です。このことは献身の問題にどのような影響を及ぼしますか。コリント前書 7章24節(新口)は,次のようにしるしています,『兄弟たちよ。各自は,その召されたままの状態で,神のみまえにいるべきである。』新しく献身した妻は,不信者の夫と共に生活しますが,しかし自分が『キリストの奴隷』となり『神のみまえにいる』ということを認めねばなりません。(コリント前 7:22-24,新口)別の言葉で言えば,その妻はクリスチャン崇拝を妨げるような卑屈な隷従を夫に捧げることはできません。しかし,自分の夫を去るという意味ではないのです。彼女はヱホバの崇拝にかたく立つと共に,家庭内で自分に要求されていることをもいつしようけんめいにいたします。(シンゲン 31:27,30)彼女は夫と自分の子供たちを愛しています,そして家族の福利のために働きます。クリスチャン原則に一致する彼女の新しい生活は,彼女の夫に大きな印象を与えることでしよう。―ペテロ前 3:1-4。

23 ときどき『私の夫は反対です』という言葉を聞きます。しかし,夫はほんとうに反対していますか。自分の結婚配偶者と献身の事柄を一度も話しあつたことのない人がいます。不信者の配偶者が留守のとき,いくらか奉仕すればけつこう大丈夫であるなどと考えてはなりません。献身の意味を包みかくさずに説明する方がどれほど良いでしよう。ヱホバに新しく献身する人は,献身によつて家族の事柄は前よりもずつと良くなると結婚配偶者に知らせることができます。聖書もそうなると述べています。(テモテ前 5:8; 3:11)しかし霊的な事柄については,集会に出席したり,神に聖なる奉仕をささげる野外奉仕をしなければなりません。(ロマ 12:1)これらの事柄は,しばしば巧みにそして快い仕方で話しあうことができます。そして何時でも協力したいという心からの願いを明白にしなければなりません。妻は家庭の事柄における夫の頭の地位を尊敬しつづけねばなりません。夫が真理に答え応ずるなら,それはなんというよろこびでしよう! しかし,もし夫が聞かないなら,妻の謙遜な行動はしばしば多くのことを語り,彼女が良い妻であることを無言の中にも証明します。―テモテ前 2:8-10。

24 世俗の仕事に対するクリスチャンの態度は,どんなものでなければなりませんか。

24 多くの人々は自分の雇主または仕事に隷属していて,こんな風に感じます,すなわち自分たちの責任は勤務時間外にもあるのであつて,会社の従業員のために設けられている社会活動やスポーツの活動にも参加しなければならない,という具合に感じます。別の人は,自分の世俗の仕事に熱中するあまり昼も夜も一週の7日間を働きます。物質的な利益がどのようなものであろうと,また昇進がどのようなものであろうと,その一つとして神の新しい世における永遠の奉仕というすばらしい見込とはとうていくらべることのできないものです。賢い人は世俗の事柄を正しく抑制します。『兵役に服している者は,日常生活の事に煩わされてはいない。ただ,兵を募つた司令官を喜ばせようと努める。』― テモテ後 2:4,新口。

25,26 (イ)重い荷となつている言伝えについて,パウロはどのように助言していますか。(ロ)神の奉仕者たちは,どんな一致した進歩的な状態を示していますか。

25 ほんとうに牢獄である古い世のきずなはたくさんあります。このゆえにパウロは次のように諭しているのです,『いつさいの重荷とからみつく罪(信仰の不足)とをかなぐり捨てて,私たちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ,走ろうではないか。』(ヘブル 12:1,2,新口)この悪い世の重荷を捨てさりなさい!

26 新しい世の活動に交わり,没頭しなさい! これはなんと貴重な交わりなのでしよう! 神の奉仕者たちは,たくさんの異なつた宗教的な背景から,たくさんの異つた生活層から,たくさんの異つた国籍から来ます。しかし,真理は彼らを一つにしました。(ヨハネ 17:20-23)兄弟愛の中に彼らはお互いどうしにあたたかい愛を持ちます。すべての者は御霊で燃えています。すべての者は心から進んで従うヱホバの奴隷であり,前途にある希望によろこび,患難に耐え,倦まず祈りをします。新しい世の活動のわざで怠ける者はひとりもいません。(ロマ 12:10-12)真実にかせを断ち切つて自由になるすべての者は,『神の全きみこころ』をよろこんでいたします。そのようにして行くとき,彼らの日々の生活は長いよろこびの日,多くの日となり,全く永遠にまで延長するのです!

[脚注]

a 異教ローマのサタナリアから出たもの,1957年12月15日号の『ものみの塔』464頁を見なさい。

b 1956年12月25日,東京新聞。

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