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読者よりの質問ものみの塔 1964 | 12月1日
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● 歴代志略上 2章13節から15節は,エッサイの7人のむすこについて述べ,サムエル書はダビデのことを8人目のむすことして述べているのはなぜですか。
歴代志略上 2章13節から15節は次の通りです。「エッサイは長子エリアブ,次にアミナダブ,第三にシメア,第四にネタンエル,第五にラダイ,第六にオゼム,第七にダビデを生んだ」。サムエル前書 16章10,11節は次のとおりです。「エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせたが,サムエルはエッサイに言った,『主(エホバ)が選ばれたのはこの人たちではない』。サムエルはエッサイに言った,『あなたのむすこたちは皆ここにいますか』。彼は言った,『まだ末の子が残っていますが羊を飼っています』」。サムエル前書の次の章の12節にはこのように書かれています。「さて,ダビデはユダのベツレヘムにいたエフラタびとエッサイという名の人の子で,この人に八人の子があった」。
これらの記録から見ると,サムエルが見たむすこたちのうちのひとりは,結婚して子供をもつようになるまで生きていなかったようであり,その結果,歴代志略上 2章 ― エッサイその他の系図がかかげられている ― に彼の名が省かれているようです。サムエル前書は,サムエル,ガド,ナタンによって書かれ,西暦前1077年に完成しましたが,歴代志略は西暦前460年頃に祭司エズラによって書かれたことを記憶しておくとよいでしょう。エズラは歴代志略上 2章の13-15節を書いたとき,すでに子なくして死んでいた,エッサイのむすこの名前をのせなかったのです。
● マタイ伝 2章23節は,イエスの「ナザレ人と呼ばれる」ことが預言されていたことを示していますが,その預言はヘブル語聖書のどこにありますか。
ヨセフとマリヤと幼いイエスは,エジプトでしばらく過ごしたのち,パレスチナに戻り,ナザレに住みました。マタイはそのことをこう述べています。「そこでヨセフは立って,幼な子とその母とを連れて,イスラエルの地に帰った。しかし,アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので,そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので,ガリラヤの地方に退き,ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって,『彼はナザレ人と呼ばれるであろう』と言われたことが,成就するためである」。―マタイ 2:19-23。
イエスがナザレ人と呼ばれた事は,明らかに,ヘブル語「ネスター」と関係があります。この語の意味は「枝」または「芽」であり,イザヤ書 11章1節のイエスに関する預言中に用いられています。その部分は次の通りです。「エッサイの株から一つの芽が出,その根から一つの若枝〔ネスター〕が生えて実を結び」。注目すべきは,イエスの住んだ町の名ナザレの語源がこのヘブル語「ネスター」にあることであり,その名の意味は「枝の町」です。
それゆえ,メシヤがナザレ人と呼ばれることになっていたことを示す明白な一文はヘブル語聖書中に見出されませんが,イザヤ書 11章1節の「若枝」に関する預言がイエス・キリストに成就したのであり,ナザレという名に意味がありました。これらの要素がイエスの「ナザレ人と呼ばれる」ことに関する霊感によるマタイの記述の根拠となっています。
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発表ものみの塔 1964 | 12月1日
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発表
野外奉仕
「永遠の福音」をのせる本,聖書は,まさに神のみたまに満たされており,誠実な考量に耐える本です。聖書は永遠の生命に至る道を明示し,同時に,その道に進む事を妨げる者をあばきます。12月の間,エホバの証者は,永遠の生命への道の一助として,「神を真とすべし」の本を1冊の小冊子と共に200円の寄付で広くすすめます。
みたまの実
神のみたまが結ぶ実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制です。いかにしたら,これらの良い実を私たちのものとできますか。この事は,今年の夏に開かれたエホバの証者の「みたまの実」大会におけるプログラムの中心になりました。大会の重要な話のすじがきが,毎号の「ものみの塔」誌上に掲載されます。「ものみの塔」誌の購読を予約し,自らの生活に神のみたまの導きを得て下さい。
「ものみの塔」の研究
12月27日: 国々の民はエホバの家に来て祈る,712頁。
1月3日: どんな時でも御霊によって祈りなさい,719頁。
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