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私たちは,ためらわずに行動したものみの塔 1977 | 4月15日
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武術を学ぶという問題があります。こうした問題についても,アイバンが今までと同じように正しい決定を下すものと私たちは確信しています。
この点に関して,「偉大な教え手に聞き従う」という本が大いに役立ったと私たちは考えています。原則を学び,それを子供たちが実際に直面する問題に当てはめる,というこの本で採用されている教え方は非常に実際的です。この時宜にかなった備えに対して,私たちはエホバの組織に深く感謝しています。
報いの多い生活
ダフニの抱える問題の一つはホームシックです。妻は,日本にとどまれば多くの良い事柄が成し遂げられるのをよく知ってはいますが,それでもそうするためには常に自分自身と闘わねばなりませんでした。幾年もの間その解消法を探してきた私たちは,ついに解消法と思われるものを見いだしました。聖書の真理を学ぶよう他の人を助けるという今までの喜ばしい業に加えて,ダフニは週に一度,午前中の時間に日本画を習うことにしたのです。このように生活のリズムを周期的に変え,わずかな時間を用いて非常に楽しみとなる事柄に熱中することにより,ホームシックという問題は最小限にとどめられています。
一方,名古屋市にある14の会衆のうちの一会衆の長老として,また巡回大会の大会監督として,その上一家の稼ぎ手としての私には,満足のゆく仕事が十分にあります。私は,未信者のご主人たちとの聖書研究から喜びを得ています。同じ実業界であらゆる種類の人々と付き合って行かねばならなくなった今,私は研究をしているご主人たちの直面する諸問題をよりよく理解できるようになりました。エホバに神聖な奉仕をささげる新たな機会が与えられるたびに,その機会を捕らえ,それを最大限に活用した結果,私たちは何と大きな喜びを味わってきたのでしょう。ためらってはなりません,と私たちは他の人々にも勧めます。というのは,明日という日がどんな祝福をもたらすか,一体だれに分かると言うのでしょうか。
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エリヤは「雨が降らないようにと祈りました」ものみの塔 1977 | 4月15日
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エリヤは「雨が降らないようにと祈りました」
義にかなった人,すなわちエホバ神の前で是認された立場を保っている人の祈りには力があります。そのような祈りは確かに聞き届けられます。(ヤコブ 5:16)弟子ヤコブが手紙を書いた際に示したのはこの点でした。「エリヤはわたしたちと同様の感情を持つ人でしたが,祈りの中で,雨が降らないようにと祈りました。すると,その地には三年六か月のあいだ雨が降りませんでした。そして,彼が再び祈ったところ,天は雨を降らせ,地はその実を生じさせました」― ヤコブ 5:17,18。
エリヤは預言者でしたが,人間としては他の義にかなった人々と少しも異なっていませんでした。エリヤにも,他の人々と同じような感情や弱点や不完全さがありました。それでも,神はエリヤの祈りに答えてくださったのです。神は,ご自分のしもべたちがご意志にかなった祈願をするとき,同じように答えてくださることでしょう。
ヤコブの述べたような事柄をエリヤが「祈った」という記録は,ヘブライ語聖書の中に特に見あたらないという点に気付かれるかもしれません。しかし,エリヤがそうしたに相違ないことを示す証拠があります。長期にわたるかんばつが終わる直前のエリヤの行動について次のように記されています。「エリヤはカルメルの頂に登り,地に伏して顔をひざの間に入れていた」。(列王上 18:42,口)そうです,エリヤは,祈りによって神に近付いていることを暗示するような姿勢を取りました。それで,論理的に言ってエリヤはそこで祈り,それよりも前にアハブに対して述べた次の宣言に関して,祈願をしていたに違いありません。「わたしがまさしくその前に立っているイスラエルの神エホバは生きておられる。わたしの言葉の命令によらなければ,ここ何年間かは露も雨も生じないであろう!」―列王上 17:1,新。
もちろん,弟子ヤコブは霊感の下でその手紙を書いていましたから,ヘブライ語聖書の中で明確に言及されていない事柄について述べることができました。しかし,その内容は,ヘブライ語聖書の記述と少しも矛盾するものではありません。エリヤが祈ったことに関する記述はその良い例です。
エリヤに関するヤコブの記述は,たゆまず祈るようわたしたちを励ますはずです。わたしたちは,自分の祈りが神のご意志にかなったものである限り,求めるものを与えていただけるとの確信を抱くことができます。―ヨハネ 14:13,14。
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