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灯台の話目ざめよ! 1971 | 2月8日
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わたしの無線信号音を54海里かなたで探知できる。そうした符号を調べたり,他の符号と比較したりして,半海里内外の精度で現在位置を測定できるのである。わたしは自分の無線の信号音を20秒ごとに発信しているが,悪天候の際には,5秒置きに発信して,たいへん感謝されている。
献身的に働く灯台職員
われわれ灯台の多くは,万事を自分ひとりで行なえるわけではない。われわれのめんどうを見,海難救助の務めをわれわれがいつでも遂行できるように尽くしてくれる灯台職員に深く感謝しないわけにはゆかない。それら職員は,静かな無言の海原に輝く,真紅の太陽を背景にして,神の手のわざの美を観賞したり,海岸の岩に容しゃなく打ち寄せては砕ける,怒とうの力を目のあたりにする,すぐれた機会に恵まれている。灯台もりの孤独な生活と常務に順応できるのは,灯台もりに生まれついた人か,船乗りの血筋を引く人だけだとされているが,そうであろうか。そうではない。なぜなら,灯台職員の生活環境はさまざまに異なるからである。
その生活は灯台の立地条件によって大きく左右される。ここケープ・ロックの灯台は,リスボンから車でわずか1時間の所にある。したがって,わたしを世話してくれる灯台職員9人は,決して孤立しているわけではない。しかし,物資補給船の定期的な巡回による,外界との交渉が,わずかに月1回,あるいはそれ以下の灯台もりも多数いる。しかし今では,孤立した土地にある古い灯台の仕事は,自動装置に切り替えられ,本土からの遠隔操作で行なわれつつある。
それにしても,灯台職員の生活は決してたいくつなものではない。日中は一定の時間に,気象通報に貢献する種々の観測が行なわれる。海上の状況,風力および風向,気圧,雲の状態などに関する情報が定期的にまとめられ,気象予報の資料とされるのである。われわれの仕事は航空機にも寄与している。なぜなら,わたしの発する信号灯火は,ヨーロッパ大陸が近いことを飛行機のパイロットに知らせるものとなるからである。
終わりに,わたしはまた,観光名所の一つにされていることもつけ加えておこう。それで,この次に何か趣の異なった教育的な見学をしたいと考えておられるなら,灯台を訪れてはどうであろうか。おそらく読者はポルトガルを訪れることはできないが,海岸の近くに住んでいる人であれば,わたしの親族にあたるどれかの灯台を尋ねることができよう。そうすれば,読者はご家族といっしょに,われわれの仲間の灯台を実際に楽しく見学して,さらに多くを学び,そのうえ,たいてい灯台の周囲に見られる,ありのままの自然の美を味わえるに違いない。また,灯台を管理する職員は幸福で,むつまじく暮らしていることを知るであろうし,職員は,わたしのしている貴重な仕事について,もっと多くを喜んで教えてくれるだろう。もっとも,わたしが実際に話せるものなら,それらのことを自分で話してあげたいのだが。
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「十二偶の…牛とともにありて耕しいたり」目ざめよ! 1971 | 2月8日
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「十二偶の…牛とともにありて耕しいたり」
◆ 聖書の列王紀略上 19章19節の記録を読むと,預言者エリシャは12くびきの雄牛を用いて耕作をしていたと結論し,どうしてそんなことができたのだろうかと疑問に思う人がいるかもしれません。しかし,聖書の土地を旅行した人々から,その地方の耕作方法に関する,いくつかの興味深い事実が報告されています。そうした報告を考慮すると,エリシャが当時,どのように耕作をしていたかを明白に理解できるでしょう。
中東の農民が使っているすきは小型で,土をあまり深く掘り起こさないので,農民は仲間と共同で耕作をする取り決めを設けています。ある旅行者によると,同一の畑の中で,12以上のすきが同時に使用されているのを見たとのことです。そして,それらのすきには,各,耕作者が手を貸し,また,その前を一団の牛が進んでいました。つまり,エリシャは,24頭の牛をくびきにつないで,一つのすきを引かせながら,耕作をしていたのではなく,12のすきのうちの最後のすきを受け持っていたことがわかります。
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