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  • 列王記の2冊の書から得られる洞察
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 5/1 23–26ページ

列王記の2冊の書から得られる洞察

イエスがご自分の郷里の町ナザレで話をした時に,驚くほど激しい反応を引き起こす話をされたことがありました。ナザレの住民は,イエスが他の町々で行なったほど多くの奇跡をナザレで行なわないのはなぜか疑問に思っていたようです。その理由を人々に告げるに当たって,イエスは聖書から二つの例を引き合いに出し,次のように言われました。

「あなた方に真実に言いますが,預言者はだれも自分の郷里では受け入れられないものです。例えば,あなた方にほんとうに言いますが,エリヤの日に,イスラエルには多くのやもめがいました。その時,天は三年六か月のあいだ閉ざされ,そのため大飢きんが全土を襲いました。それでも,エリヤはそれら女たちのだれのもとにも遣わされず,ただシドンの地のザレパテにいた一人のやもめのもとに遣わされました。また,預言者エリシャの時に,イスラエルには多くのらい病人がいましたが,そのうち一人も清められず,ただシリアの人ナアマンが清められたのです」。(ルカ 4:24-27)この言葉を聞いて,耳を傾けていた人々は怒りでいっぱいになり,イエスを殺そうとしました。人々はどうしてそういう暴力的な反応を示したのでしょうか。

その答えを得るには,ヘブライ語聖書を開いて,エリヤとエリシャに関する歴史の記述を読まなければなりません。1世紀のクリスチャンはこれらの書物に十分精通しており,聴衆のユダヤ人も同じでした。クリスチャンの聖書筆者たちは,イエスがこの時にされたように,ある点を例証するためにこれら昔の書物に出てくる出来事や人物に,折に触れて言及しました。そして聴衆は言及された事柄をすぐに思い出し,話を理解しました。イエスの教えの要点を完全に把握するには,わたしたちも,例として言及されているそうした事柄をすぐに思い出せるようでなければなりません。

実際のところ,ヘブライ語聖書に精通していない限り,クリスチャン・ギリシャ語聖書を十分に理解することは不可能です。イエスが言及されたエリヤとエリシャという預言者に関する歴史は列王記の2冊の書の中に収められています。ヘブライ語聖書に精通している必要を示す例として,この2冊の書を取り上げ,これらの書に関する知識があると,クリスチャン・ギリシャ語聖書に対する理解がどのように深まり,より鮮明なものになるかを実際に見てみましょう。

好ましくないものと同列に置く

まず,エリヤとエリシャが900年以上も前に行なった二つの奇跡にイエスが言及した時,ナザレの住民はなぜひどく腹を立てたのでしょうか。イエスがナザレ人を,エリヤとエリシャの時代のイスラエルの北の王国に住んでいたイスラエル人と同列に置いておられたことは明らかです。列王記の2冊の書によれば,当時,イスラエルは霊的に良い状態にはありませんでした。イスラエル人はバアル崇拝の深みにはまり込み,エホバの預言者たちを迫害していました。他国の地ザレパテのやもめがエリヤを迎え入れ,食物を与えた時,実際にエリヤは自分の国の人々から逃れて来ていたのです。その時,エリヤはイエスが言及された奇跡を行ないました。(列王第一 17:17-24)エリシャがシリアの軍の長であるナアマンのらい病をいやした時,イスラエルには依然としてバアル崇拝が満ちていました。―列王第二 5:8-14。

ナザレの住民は当時の異教化したユダヤ人と同列に置かれたことを快く思いませんでした。イエスがナザレ人をそのようにご覧になったのは妥当なことと言えたでしょうか。確かにそう言えたようです。イスラエルでエリヤの命が危険にさらされていたのと同様,この時イエスの命は危険にさらされていました。記録はこう述べています。「会堂でこれらのことを聞いていた者はみな怒りでいっぱいになった。そして,立ち上がって彼を市の外へせき立て,彼らの都市が建てられた山のがけ端に連れて行った。彼をさかさに投げ落とそうとしてであった」。しかし,エホバはかつてエリヤを守られたように,イエスを守られました。―ルカ 4:28-30。

ソロモン王の栄光

以上は列王記の2冊の書が,イエスや初期クリスチャンの言葉にいわば肉付けをすることになる一つの例です。別の例を考えてみましょう。イエスは山上の垂訓の中で,物質の必要物に関してエホバに依り頼むよう聴衆を励ましました。その中でイエスは次のようにも言われました。「また,衣服のことで,なぜ思い煩っているのですか。野のゆりから,それがどのように育っているか,教訓を得なさい。労したり,紡いだりはしません。しかしあなた方に言いますが,栄光を極めたソロモンでさえ,これらの一つほどにも装ってはいませんでした」。(マタイ 6:28,29)イエスはなぜここでソロモンのことを持ち出されたのでしょうか。

ユダヤ人の聴衆にはその理由が分かったことでしょう。ソロモンの栄光についてよく知っていたからです。ソロモンの栄光については列王記第一(および歴代誌第二)の中にかなり詳しく説明されています。人々は,ソロモンの家の者のための日ごとの食物が,「上等の麦粉三十コル,麦粉六十コル,肥えた牛十頭,放牧した牛二十頭,羊百頭,そのほか幾頭かの雄鹿,ガゼル,雄のろじかと,肥育されたかっこうであった」というような記述を思い出したことでしょう。(列王第一 4:22,23)それはかなりの量の食物でした。

それに加えて,1年間にソロモンのところに入ってきた金の重さは,「金六百六十六タラント」にも達しました。これは現在の金相場で,優に2億5,000万㌦(約650億円)を上回ります。そして,ソロモンの家の装飾品はいずれも金でできていました。「銀のものは何もなかった。銀はソロモンの時代には,全く取るに足りないものとみなされていた」と述べられています。(列王第一 10:14,21)イエスの言葉に促されて聴衆はこうした事柄を思い起こし,イエスが述べておられる事柄の要点をすぐにのみ込みました。

イエスは別の文脈でもソロモンに言及しました。幾人かの書士とパリサイ人がイエスにしるしを見せるようにと求めた時,イエスはこうお答えになりました。「南の女王は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ,この世代を罪に定めるでしょう。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですが,見よ,ソロモン以上のものがここにいるのです」。(マタイ 12:42)この出来事に言及したことが,話を聴いている宗教指導者たちにとって強い叱責となったのはなぜですか。

列王記第一に通じていれば,「南の女王」とは「シェバの女王」であることが分かります。この女王は明らかに偉大な女性で,裕福な王国の女王でした。ソロモンのところを訪問した時,女王は「非常に見事な随行員」を伴い,高価な油と「非常に多くの金および宝石」を携えてやって来ました。(列王第一 10:1,2)国の支配者同士の平和的な対話は通常大使を通して行なわれるものです。ですから,一国に君臨する君主であるシェバの女王がソロモン王に会うためにわざわざエルサレムまで自ら赴くのは尋常なことではありませんでした。なぜそのようなことをしたのでしょうか。

ソロモン王は非常に裕福でしたが,それはシェバの女王とて同じことでした。単に裕福な君主を見ることだけが目的なら,シェバの女王はそのような旅行をしなかったことでしょう。しかし,ソロモンは裕福であっただけでなく,「富と知恵とにおいて,地のほかのどんな王よりも偉大」だったのです。(列王第一 10:23)その賢明な支配のもとで,「ユダとイスラエルはソロモンの時代中ずっと,ダンからベエル・シェバに至るまで,皆おのおの自分のぶどうの木の下や,いちじくの木の下で安らかに住んでいた」のです。―列王第一 4:25。

シェバの女王を引き付けたのはソロモンの知恵でした。シェバの女王は,「エホバのみ名に関連してソロモンのうわさを聞いていた。それで彼女は難問で彼を試そうとしてやって来た」と記録されています。エルサレムに着くと,「彼女はソロモンのところに来て,その心に掛かっていたすべてのことを彼に話しだした。一方,ソロモンは彼女にそのすべての事柄を語り続けた。王に隠されていて,彼女に語らなかった事柄はひとつもなかった」と記されています。―列王第一 10:1-3。

イエスも,「エホバのみ名に関連して」際立った知恵を備えておられました。事実,イエスは「ソロモン以上のもの」でした。(ルカ 11:31)ユダヤ人の女でなかったシェバの女王が,自分の目でソロモンを見,その知恵から益を受けるだけのために,不自由の多い長旅をして来たのです。そうであれば,書士とパリサイ人は『ソロモンより偉大な』方が自分たちの目の前におられたときに,当然感謝の念を抱いてその方に耳を傾けるべきでした。しかし,彼らはそうしなかったのです。「南の女王」は,神から与えられる知恵を書士やパリサイ人たちよりもはるかに高く評価していました。

預言者たちに触れる

列王記第一および第二の中で扱われている歴史の期間中,12部族の王国,および後代にはイスラエルとユダに分裂した王国において,支配者として治めていたのは王たちでした。当時,エホバの預言者たちは神の民の間で大いに活躍していました。その中でも際立っていたのは,先に述べたエリヤとエリシャでした。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でこの二人のことが取り上げられているのは,ナザレでイエスが彼らに言及した時だけではありませんでした。

使徒パウロはヘブライ人のクリスチャンにあてた手紙の中で,古代の神の僕たちの信仰について書き,その一例として,「女たちはその死者を復活によって再び受けました」と述べています。(ヘブライ 11:35)パウロはエリヤとエリシャのことを念頭に置いていたに違いありません。二人とも復活の奇跡を行なうために用いられたことがありました。(列王第一 17:17-24。列王第二 4:32-37)イエスの使徒たちのうち3人が,変ぼうの幻の際に『イエスの荘厳さの目撃証人』になった時,3人はイエスがモーセとエリヤと話しておられるのを見ました。(ペテロ第二 1:16-18。マタイ 17:1-9)イエスについて証しをした,キリスト教以前の預言者たちの系譜を代表する人物としてエリヤが選ばれたのはなぜでしょうか。列王記第一の記述を読み,その偉大な信仰とエリヤがエホバにより力強い仕方で用いられたことを知れば,その答えが理解できるでしょう。

それでも,エリヤは実際のところわたしたちと変わらない普通の人間にすぎませんでした。ヤコブは列王記第一に記されている別の出来事に言及して,次のように書きました。「義にかなった人の祈願は,それが働くとき,大きな力があります。エリヤはわたしたちと同様の感情を持つ人でしたが,祈りの中で,雨が降らないようにと祈りました。すると,その地には三年六か月のあいだ雨が降りませんでした。そして彼が再び祈ったところ,天は雨を降らせ,地はその実を生じさせました」― ヤコブ 5:16-18。列王第一 17:1; 18:41-46。

列王記を思い起こさせるさらに多くの記述

クリスチャン・ギリシャ語聖書の中には,列王記の2冊の書を思い起こさせる記述がほかにも数多くあります。ステファノは,ソロモンがエルサレムにエホバのための家を建てたことをユダヤ人のサンヘドリンに思い起こさせました。(使徒 7:47)その建築の仕事の詳細の多くは列王記第一に収められています。(列王第一 6:1-38)イエスがサマリアで一人の女に話された時,その女は驚きの色を見せてイエスにこう言いました。「『ユダヤ人のあなたが,サマリア人の女であるわたしに,水を飲ませてほしいとおっしゃるのはどうしてですか』(ユダヤ人はサマリア人と交渉を持たないのである。)」。(ヨハネ 4:9)ユダヤ人はなぜサマリア人と交渉を持たなかったのでしょうか。サマリア人の由来に関する列王記第二の記述はこの問題に光を投げ掛けています。―列王第二 17:24-34。

啓示の書の中にある,テアテラ会衆あての手紙には次のような厳しい助言が収められています。「とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる」。(啓示 2:20)イゼベルとはだれのことですか。ティルスのバアルの祭司の娘でした。列王記第一が述べるとおり,彼女はイスラエルのアハブ王と結婚し,イスラエルの王妃になりました。夫を自分の言うなりにさせたこの女は,すでに背教していたイスラエルにバアル崇拝を導入し,その地に大勢のバアルの祭司たちを連れて来て,エホバの預言者を迫害しました。そして結局,悲惨な最期を遂げました。―列王第一 16:30-33; 18:13。列王第二 9:30-34。

テアテラ会衆でイゼベルの精神を示していた女は,不道徳を習わしにすること,また神の律法を犯すことを会衆に教えようとしていたものと思われます。そのような精神は会衆の中から一掃されなければなりません。イゼベルの家族がイスラエルの国から一掃されなければならなかったのと同じです。

確かに,クリスチャン・ギリシャ語聖書を理解するためにはヘブライ語聖書が必要とされます。ヘブライ語聖書の提供する背景的な知識なしには,数々の詳細が無意味なものになってしまうでしょう。イエスと初期のクリスチャンたち,そして彼らが話をしたユダヤ人たちは,ヘブライ語聖書に十分精通していました。時間をさいて,ヘブライ語聖書に同じほど精通するようにしてみてはいかがですか。そうすれば,「神の霊感を受けたもので,教え……るのに有益」な「聖書全体」から十二分に益を受けることができるでしょう。―テモテ第二 3:16。

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