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  • エズラは公正と憐れみを強調する
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
塔79 5/1 28–31ページ

エズラは公正と憐れみを強調する

自らの目的が完全に成し遂げられるよう,公正と憐れみという特質を全き平衡を保ちながら働かせることができるのは,あらゆる力,あらゆる知恵,そして創造物の特徴すべてに関する完ぺきな知識を持たれる創造者だけです。神に仕える人々の上にこれらの特質が示された結果,人々は,神によって前もって決定された事柄を,関係するすべての人々に益となるような仕方で正確に行ないたいと願うようになります。

聖書のエズラ書は,物事を正しく調整するエホバのみ業を強調しています。そのみ業は常に神の聖なる属性に調和して行なわれ,その良い目的と優れた特質とからそれることはありません。神の方法を理解していた使徒パウロは次のような保証を与えています。『神を愛する者たち……の益のために,神はそのすべてのみ業をともに働かせておられる』― ローマ 8:28。

エズラはアロン,エレアザル,ピネハスの子孫であり,それゆえに祭司でしたが,代々長子に引き継がれる職であった大祭司の家系の者ではありませんでした。(エズラ 7:1-6)大祭司の職に就いていた,エズラの先祖の最後の人は,エルサレム略奪の際にネブカデネザルに殺されたセラヤ(恐らくエズラの曾祖父)でした。エズラは奴隷を含む4万9,000人ほどのユダヤ人が,ユダ族のゼルバベル(またの名をセシバザル)に率いられてバビロンから帰還してから69年後,つまり西暦前468年に,エルサレムに戻ってきました。(ネヘミヤ 7:66,67)しかし,エズラは,自分が後に戻ってきたときの事柄を詳細に述べる前に,まず,ゼルバベルに率いられた最初の帰還について述べています。

後に来るメシアのために再建された神殿

神は,ご自分の民がその罪と反逆のゆえにバビロンによって流刑とされ,神殿が滅ぼされてエルサレムの町が荒廃することを許されましたが,それでも神殿と町が再建されることを意図しておられました。それはなぜでしたか。真の崇拝を地上で存続させるためです。そして,さらに重要なこととして,メシアはまだ到来していませんでした。メシアの到来に関する神の目的が成し遂げられるために,エルサレムは,その中央にエホバの神殿を持つ(その後,それはヘロデによる第三番目の建物により取って代わられましたが)人の住む都市でなければなりませんでした。さらに,メシアが到来するときには,神の律法がその国で施行されていることも必要でした。そのようにしてメシアが再建された都市シオン(エルサレム)に到来することは預言者たちによって予告されていました。―ダニエル 9:25。

神の予知されたところによると,バビロンで流刑の状態にありながらなお神を愛し,清い崇拝を復興するためにできる限りのことを行ないたいと願う人が少数ながらいるはずでした。神は彼らをご自分の目的のために用いることができました。流刑となる前に,人々がはなはだしい罪を犯したため公正の神は彼らをその土地から追放しなければなりませんでしたが,それら少数の者たちには神の憐れみが差し伸べられました。神がこのように物事を運ばれるということは,それよりおよそ200年前,つまり預言者イザヤが,クロスと呼ばれる一人の王,一人の解放者の到来について語ったときに明らかにされました。―イザヤ 44:28; 45:1。

クロスがエホバについて知るようになったということに疑問の余地はありません。ダニエルは,クロスの統治期間の初期に人々の尊敬を集める高い地位についていました。(ダニエル 6:28)イザヤの預言の中で預言的に語られているその名について,ダニエルはクロスに説き明かしたに違いありません。一聖書学者は次のように述べています。

「聖書は,ダニエル書 5章28,30節の中でバビロニア帝国の君主制崩壊の際にダニエルが果たした役割について述べ,クロスに好印象を与えたものが何であったかを示している。この預言を成就した者が,それを語った預言者に引き付けられ,その夜ベルシャザルが冒とくの罪を犯してしまった器を喜んで取り戻したというのは実に不可思議なことである」。a

神は憐れみと援助を差し伸べられる

クロスは,他の神々の存在を認めていたので,エホバを唯一の神,それも真の神,偉大な神,そして自ら述べたように「地のすべての王国」を与えてくださった方とみなすのは容易なことだったでしょう。―エズラ 1:2,新。

神の大いなる憐れみと力,また,ご自分の目的を必ず果たされるということは,ごく少数の忠実な者たちに祝福を与えられたことに表われています。バビロンにいた大半のユダヤ人は,バビロンの仕事に溶け込んでしまい,真の崇拝の復興にはほとんど,あるいは全く関心がありませんでした。しかし,神の憐れみは忠実な少数の者たちに示されました。彼らは清い崇拝を推し進めるという目的をもってバビロンを出発し,不毛の荒野を横断するという危険な旅の間中エホバの保護を受け,エルサレムに到着しました。(イザヤ 35:2-10)周囲を敵に囲まれていましたが,彼らはエホバの祭壇を作り,神殿の基礎を据え始めました。サマリア人たちが親切を装って,仕事を一緒にしたいと申し出ました。しかし,サマリア人は汚れた形の崇拝を行なっていたため,その申し出はゼルバベルにより退けられました。―エズラ 4:1-4。列王下 17:29。

神は復帰したイスラエル人の取った立場を是認されました。というのは,サマリア人たちと協力するなら,真の崇拝において「不つりあいにも不信者とくびきを共にし」,神の神殿と偶像の間に一致をもたらすことになるからです。(コリント第二 6:14-16)しかし,味方を装った者たちがペルシャ政府に働きかけて問題を引き起こすようになると,復帰した残りの者たちのりっぱな精神もぐらつき始め,ユダヤ人たちは力を失って神殿の建設は遂にとだえてしまいました。―エズラ 4:8-24。

その間に,ユダヤ人たちは,自分の家や自分の事柄に対する利己的な関心事のため,神の家を荒廃させてしまいました。しかし,神の目的が妨げられることはありませんでした。(ハガイ 1:8,9)神は,預言者ハガイとゼカリヤを遣わして,エルサレムに戻った目的をユダヤ人たちに思い起こさせました。ユダヤ人たちはそれに答え応じ,反対にもかかわらず神殿の建築が再開されました。(エズラ 5:1,2)エホバは,彼らの恐れを持たない従順な態度を祝福されました。ユダヤ人たちがペルシャ人の王ダリヨスに訴えた結果,周囲の諸州の総督たちは,ユダヤ人に対する妨害をやめ,国の財産から財政面での必要な援助を与えて助けるようにと命じられました。ダリヨスのこの認可により業は完成し,大きな喜びのうちに神殿の奉献式が行なわれました。―エズラ 6:6-12,16-22。

ユダヤ人の善良さではなく,神の憐れみが神の目的を成し遂げる

しかし,清い崇拝の復興がこのように成功したのは,復帰したユダヤ人の善良さによるのではなく,むしろ,神がご自分の目的を遂行する際に示された憐れみによります。なぜでしょうか。なぜなら,神はご自分のしもべエズラを遣わさねばならなくなったからです。神の憐れみと保護が明示されたにもかかわらず,復帰したユダヤ人たちは,以前には堅く守っていた原則,つまり,異教の崇拝者から離れているという原則を犯していたのです。今や彼らは,不信者で偶像崇拝者である女性たちと最も親密な関係,つまり結婚関係に入るほどになっていました。祭司やレビ人や君たちでさえ,神の命令に対するこうした罪深い不従順に陥っていました。―エズラ 9:1,2。

たまたまこの記事をお読みになった方はユダヤ人のしたことがそれほど悪いとは思われないかもしれません。でも,考えてみてください。もし,ユダに帰還したごく少数のユダヤ人が,周囲の諸国民と何ら変わるところがなくなったとしたら,どうなっていたでしょうか。彼らは実際に,ユダヤ人の神と,その神殿を中心とする崇拝に反対していたのです。清い崇拝は地上から姿を消していたことでしょう。そのわずか数年後のネヘミヤの時代に,このような結婚によって生まれた子供たちは,ヘブライ語を話せないということが判明しています。―ネヘミヤ 13:24。

エズラは,こうした不従順の恐るべき意味を理解することができました。エズラはぼう然としてしばらくの間座っていました。それから,集まったユダヤ人帰還者の前で,エズラは彼らの重大な罪と恩知らずの行為を明らかにする公の祈りを捧げました。その祈りの一部は次のようなものです。

「私たちの過ちのために,私たち,すなわち私たち自身,王たち,祭司たちは諸国の王たちに渡され,剣にかけられ,とりこにされ,強奪に遭い,顔の恥を強いられて,今日ある通りです。ところが今,しばらくの間,私たちの神エホバからの恵みが臨みました。これは,逃れた者たちを私たちのために残し,その聖なる所で私たちに掛けくぎを与えてくださることによってですが,……私たちの目を輝かせ……るためでした。……それでは今,私たちの神よ,こののち何と申し述べたらよいでしょうか。私たちはあなたの戒めを捨てたからです。……自分たちの悪い行ないと,大いなる罪過のため私たちに臨んだすべてのことの後に,……私たちは再度あなたの戒めを破(って)……良いでしょうか」― エズラ 9:7-14,新。

こうしてエズラは,神とすべての民の前で,神から特別の憐れみを示された人々が恩知らずで邪悪な者であることを認めました。エズラは許しを求めませんでした。神の怒りが彼らから離れるのを期待する前に,民自身が悔い改めて物事を正さねばならなかったからです。自分たちの状況がよこしまであることを悟った民は,心から悔い改めて答え応じました。彼らは外国人の妻たちを離縁しました。それで,神は彼らを許し,その土地にとどめておくことができました。―エズラ 10:44。

それで,神の憐れみは誤って示されたのではありませんでした。預言者ハガイとゼカリヤを遣わすことによって示された神の心遣いや,エズラを通して神が備えられた統率力により,清い崇拝はしばらくの間保たれました。今日でも,昔と同じく,神を知って神との親密な関係に入りたいと願う人々は,神の目的のために仕え,神の憐れみと保護を受けることができます。

「わたしは,自分に力を授けてくださったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。わたしを奉仕の務めに割り当てて,忠実な者とみなしてくださったからです。さきには冒とく者であり,迫害者であり,不遜な者であったわたくしをです。わたしはあわれみを示されたのです。わたしは知らないままに,そして信仰のないままに行動していたからです。しかし,わたしたちの主の過分のご親切が,信仰とともに,またキリスト・イエスに関連した愛とともに,大いに満ちあふれたのです」― テモテ第一 1:12-14。

[脚注]

a カイルとデリッチュによる「旧約聖書に関する聖書注釈」,エズラ,ネヘミヤ,エステルの項。24ページ。

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