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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 3/15 17–22ページ

あなたは神の王権の忠節な宣明者ですか

「エホバよ,あなたのすべてのみ業はあなたをたたえ,あなたの忠節な者たちはあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します」― 詩 145:10,11,新。

1 イエスは神の王国をどの程度宣明されましたか。

アベルの時以来常に,エホバ神はご自分を賛美する忠節な幾人かの僕たちを地上に持っておられます。エホバへの忠節という点で傑出した方である独り子イエス・キリストは先頭に立って,エホバの力強さや,全人類の益となる王国を告げ知らせました。イエスは,遣わされた者,エッサイおよびダビデの予告されていた子孫,指名された王として来られ,神の王国をご自分の教えの最重要な教理とされました。(イザヤ 11:1,10。マタイ 21:1-17)イエスは王国の良いたよりを携えて来られました。イエスは人々のただ中におられたために,指名された王であるご自分に代表される王国が近いと告げることも,ご自分の追随者たちにまず王国を求めるよう教えることもできました。(ルカ 17:20,21)弟子たちに祈りの仕方を教えられた際,イエスは王国が到来すること,そうなれば神のお名前が神聖なものとされ,神のご意志が天におけると同じように地においても行なわれることになる,という点を強調されました。―マタイ 4:23; 6:9,10,33。

2 イエスは,エホバの王権の問題にかかわりを持つよう,どのように人々を動かしましたか。

2 イエスは,他の人も自分に加わって来たるべき王国の良いたよりについて語るように招待されました。(ルカ 9:1-6; 10:1-12)イエスの追随者たちは,イエスの王としての臨在が将来のものであると理解していました。そのことはマタイ 24章3節にある,弟子たちが尋ねた質問から理解できます。「わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[つまりギリシャ語でパルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。さらにイエスは,ご自分の臨在の時が,その王国について語る特別の時であることを示し,それが証しのために人の住む全地で行なわれるであろうと述べました。権力を付与され,敵のただ中で支配する王としてのイエスの臨在が,1914年以来事実となっていることをわたしたちは知っています。わたしたちはその「しるし」を目にしてきたからです。―詩 110:1。ヘブライ 10:12,13。マタイ 24:14。

3 パウロは神の王権を宣明することにどのように携わりましたか。

3 「それは,その力強い働きと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせるためです。あなたの王権は,定めのない時に至るまでいつまでも存続する王権であり,あなたの支配は代々いつの時にも及びます」。(詩 145:12,13,新)

イエスの弟子たちは,人々の注意をイエス・キリストによる神の王国に向けさせる点で顕著な存在でした。その優れた例が,使徒 28章23,30,31節に記録されていますが,それはパウロがローマで獄中にありながら王国を宣べ伝えた記録です。パウロはそれよりも前,クリスチャンが「キリストの代理をする大使」で,『神と和解する』よう人々を助けている,とコリントの人々に書き送っていました。(コリント第二 5:20)大使であれば当然王国と,自分が代表する王の側に立って語ることが求められますが,パウロはそれを行ないました。あなたは国王に関するこうした奉仕にあずかるようになりましたか。もしそうであれば,その王と王国を擁護して語り続けますか。

4 パウロとヨハネは,わたしたちがエホバ神の忠節な崇拝者として今知らせることのできるどんな事柄を述べまた記していますか。

4 王国の教えを説明するに当たって,パウロは王国の取決めにおけるイエス・キリストとエホバ神の関係や,エホバが宇宙の偉大な主権者であられることを常に示しました。「キリストの頭は神なのです」。(コリント第一 11:3)パウロはさらに,キリストの千年統治期間の終わりに生ずることについても語りました。(コリント第一 15:24-28)西暦1世紀の終わりごろ,忠節な使徒ヨハネも同じように,将来のエホバの力強い働きを示す言葉を記し,その王権の光輝を描写しました。(啓示 12:9,10; 19:6; 20:10,14; 21:3,4,22-24もご覧ください。)これらは,今日わたしたちがエホバの忠節な崇拝者として,神の王国の重要性と王国が人類のために行なう事柄を強調しつつ,人の子らに知らせることのできる事柄で,すべてがエホバへの賛美となります。この王国を,人の子らに語り,また説明して,人の子らに神の王国が唯一の希望であることを悟らせなければなりません。神の王国は後の代々にわたって存続するものです。a

5 (イ)エホバの僕たちはしばしば何に直面しなければなりませんか。(ロ)第一次世界大戦中に反対に遭ったにもかかわらず,エホバの民はそれ以降何を行なうことができましたか。

5 ヘブライ語のアルファベットの15番目に相当するサーメクという文字の後に,詩篇 145篇14節(新)が次のように続きます。

「エホバは倒れてゆくすべての者を支え,かがんでいるすべての者を立ち上がらせておられます」。

忠節な態度でエホバを崇拝し,その王権を宣明する人々は,エホバへの忠節ゆえにしばしば反対や困難な事態に直面します。(創世 3:15)しかし過去の事実から,エホバがその約束をたがえず,どのようにご自分の崇拝者を支えかつ助けられたか,また彼らが不当な圧迫を受けていた時に立ち上がらせてくださったかを知ることができます。(創世 15章。士師記の中の多くの例もご覧ください。)この20世紀の1981年に至るまで,わたしたちはエホバがどのようにバビロン的な不当な圧迫から,油そそがれた残りの者や「ほかの羊」を救出されたかを見てきました。第一次世界大戦中には油そそがれた残りの者たちの上に重圧が加えられていました。しかしエホバは彼らをその霊と真理のみ言葉によって立ち上がらせてくださいました。そのすぐ後のオハイオ州シーダーポイントで開かれた1922年の大会で,彼らはその王と王国を忠節な態度で宣伝する決意を固めました。それ以来エホバはずっと彼らを導いておられ,そのみ名と王国は世界中に知れ渡るようになりました。

6 エホバはどんな食物をご自分の民のために備えておられますか。

6 「すべてのものの目は望みを抱いてあなたを見つめます。そして,あなたは彼らにその時節に応じて食物を与えておられるのです」。(詩 145:15,新)

エホバの忠節な崇拝者たちは,今の時代に特に霊的な食物を必要とします。彼らは「自分たちの霊的な必要を自覚して」います。(マタイ 5:3)彼らは望みを抱いて,豊かな霊的滋養物を備えるエホバの取決めに頼ってきました。(マタイ 24:45-47)この点に関する神の僕たちの望みは,実際に十分に満たされており,自分たちが絶えず必要とする霊的な食物を,エホバが引き続き「時節に応じて」与えてくださることに確信を抱いています。

7 エホバは,特に崇拝の問題に関してどのように供給者であられますか。

7 この点と一致して,続く詩篇 145篇16節(新)はこう述べています。

「あなたはみ手を開いて,生きているものすべての願いを満たしておられます」。

エホバ神は全宇宙の中で,供給者として限界のない唯一の方です。エホバは天の父,生命の授与者であられます。その寛大さと愛ある親切は,すべての創造の業と,人間や地上の他のあらゆる生物のために与えておられる良い備えに見られます。エホバは人間に崇拝心を植え付けられたので,ご自分と,人間に対するご自分の目的を惜しみなく明示されました。そしてエホバ神に自らをささげる人々,またその崇拝と奉仕に携わる人々は,エホバのみ手が開かれて示される寛大さをますます多く味わうようになっています。こうした経験はどれも人を非常に鼓舞するもので,わたしたちはエホバがこの困難な終わりの日においてさえ,ご自分の僕たちにご自分の霊を与え続け,諭し・導き・霊的な助けで彼らを満足させてくださるという確信を抱くことができます。―詩 119:129。

8 エホバはどのように忠節を示しておられますか。

8 わたしたちがエホバに忠節であるので,神もわたしたちに対して忠節であられます。ですから,

「エホバはそのすべての道において義にかなっておられ,そのすべてのみ業において忠節です」。(詩 145:17,新)

エホバの献身した僕,またその王権の忠節な支持者となったわたしたちは,常に神を信頼することができます。神はご自分の僕たちを公正に情け深く扱われます。そのすばらしい特質は変化することがありません。それで,ひとたびエホバへの崇拝と奉仕に携わるようになったら,エホバはわたしたちを落胆させるようなことはなさらないという確信を得るのです。エホバは確かに「そのすべてのみ業において忠節」であられます。これも,わたしたちがエホバとその驚嘆すべき特質について他の人々に告げ,彼らがエホバを忠節な態度で賛美する献身の生活に加わるよう招待する一つの良い理由です。―詩篇 107篇と比較してください。

9 エホバを呼び求めることにおいて信仰はどんな役割をはたしますか。エホバを呼び求めることはどのように行なわれますか。

9 したがって,わたしたちは次の言葉を宣明することによってエホバを賛美できます。

「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます」。(詩 145:18)

エホバを呼び求めるのは肝要なことです。それは真の信仰をもってなされなければなりません。(ローマ 10:10-15)詩篇作者は,正しい方法でエホバを呼び求める人々の近くにエホバがいてくださることを強調していますが,この正しい方法には信仰を働かせることも含まれます。(ヘブライ 11:6)このエホバを呼び求めるということは,内密に行なう事柄などではなく,人々の前で,自分たちがエホバを信じ,エホバに頼っていることを公に告げ知らせることにほかなりません。パウロは,良い事柄に関する「良いたより」を告げ知らせることや,他の人のために宣べ伝えることの必要を強調しています。エホバを呼び求める人々によるエホバへの賛美の叫びの声は,「良いたより」の忠実な伝道者で,エホバのことを他の人に告げる人が増えるにつれ,いよいよ大きくなっています。賛美者たちは彼らにエホバおよびその栄光と偉大さ,またその王権について知らせることにより,その人々の信仰を築き上げ,その結果彼らもエホバのみ名を呼び求めることに加わって,エホバに近付けるようになるのです。救いの道はそれを得ようとする人すべてに開かれています。人種や皮膚の色や国籍によって差別されることはなく,またエホバに信仰を置き,真実にエホバを呼び求める人々は失意落胆することもないからです。エホバはなんとすばらしい方でしょう! わたしたちがエホバと関係を持ち,またエホバに近付くことを許しておられるのです。これは,救いの神エホバに信頼し切ることの必要が以前にも増して明らかになってきている今の困難な終わりの日には,とりわけすばらしいことと言えます。

10 エホバが,ご自分を恐れる者たちの願いを実現させてくださるのはなぜですか。

10 「神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」。(詩 145:19,新)

エホバを本当に恐れる人々は,エホバに献身します。彼らの願いはエホバのご意志を行なうことです。わたしたちには,援助と救いの源としてのエホバに頼る理由が十分にあります。わたしたちは神のご意志を実践しようと努力しているからです。「そして,わたしたちは神に対してこのような確信をいだいています。すなわち,なんであれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださるということです。さらに,なんであれわたしたちの求めているものについて神は聞いてくださるということを知っているなら,わたしたちは,神に求めたからには,求めたものは得られるはずだということを知るのです」。(ヨハネ第一 5:14,15)わたしたちが知るとおり,王国の良いたよりを宣明し,神の清い崇拝を推し進めるのは現代におけるエホバのご意志です。わたしたちの願いは,宇宙におけるエホバの主権をめぐる大論争を人々に知らせることであるべきです。たとえそうすることでかなりの反対を受けるとしてもです。このように,人類に対する神の忍耐と,人類が悔い改めて救いを得るのを見たいという神の願いを知ってエホバの音信を受け入れ,エホバに信仰を働かせる機会が,あらゆる種類の人々に開かれています。

11 エホバはご自分の僕たちの,助けを求める叫びにどのようにお答えになりますか。

11 ですから,この王国の業が遂行されるのを見るのはわたしたちの切なる願いです。わたしたちは独りで働くのではありません。わたしたちはエホバの僕ですから,エホバと共に働いています。この困難な「終わりの日」にいるわたしたちは,神に助けを求めなければなりません。そしてこの論争が山場を迎える時,エゼキエル書 38,39章に記されているように「マゴグの地のゴグ」が攻撃をしかけてくる時にはエホバに頼り,保護と救いを得るためにエホバを呼び求めなければなりません。ダビデ王は敵に追われていた時,際立った方法で救われました。キリスト・イエスはエホバの目的に関連して自分の命を捨てなければなりませんでしたが,エホバはイエスを復活させました。したがってエホバには,真理を敵視する人々がもたらすどんな圧力や反対をも克服することが可能です。命を失うかもしれない,したがって復活を通して救われることを必要とする僕たちの,助けを求める叫びにさえ答えることがおできになるのです。

12 邪悪な者たちが滅ぼし尽くされる時,わたしたちに恐れる必要がないのはなぜですか。

12 ですから,次のことはやはり真実です。

「エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者は,これをみな滅ぼし尽くされます」。(詩 145:20,新)

悪がその極みに達し,「大患難」が目前に迫っている現在,エホバはご自分を愛する者すべてを守られるという激励の言葉を聞くのはありがたいことです。(マタイ 24:21)邪悪な者たちが滅ぼし尽くされる時はすでに到来しており,邪悪な人々には警告が発せられなければなりません。しかし集団としてのエホバの僕たちは,邪悪な者たちにもたらされる「大患難」を通過し,それによって自分たちに対する神の救いを見る定めになっています。エホバは本当にご自分に忠節な者たちを愛しておられますから,邪悪な者たちに対して大いなる怒りを表わされる時にも,彼らをお忘れになることはありません。邪悪な者に罰を加える時にさえご自分の民を保護し救出されたエホバの力強い働きに関する例は,聖書中に無数に見られます。本当にわたしたちは,邪悪な者が滅ぼし尽くされる時が来て,エホバの王権に敵対する人々が除き去られるのを心から待ち望んでいます。

13 (イ)エホバはご自分の現代の僕たちをどのように守ってこられましたか。(ロ)エホバはご自分を愛する者たちのために何を蓄えておられますか。

13 この「終わりの日」の期間を通して,エホバの僕たちは絶えず神に助けを求め,神に対する愛を示し続けてきました。エホバは,多くの困難な時期に,特に世界の様々な場所で業が禁じられ,幾千人もの人が強制収容所や獄中にあった第二次世界大戦中に,ご自分の僕たちを守り,保護してこられました。暴動も世界の多くの場所で生じました。それでも王国の良いたよりを宣明する業は進められました。エホバは僕たちに親切にしてくださり,増加させ,世界中の彼らの数を増やして慰めを与えてくださいました。キリスト・イエスによる王国支配が全地に広がることこそエホバの目的です。「ほかの羊」の「大群衆」はその患難を通過するのですから,地上に住む王国の臣民がいます。その後そのグループに,墓から復活して戻って来る多くの人々が加わります。ですから,邪悪な者たちを滅ぼし尽くすといっても,それはエホバの僕たちにとっては災難を意味しません。むしろエホバは,ご自分の僕たちが示した愛にこたえ応じ,彼らを守り,愛と憐れみと親切を彼らに示されます。そして愛をもってご自分の「ほかの羊」のためにすばらしい地上のパラダイスを蓄えておられますから,彼らはそこで永遠の命を享受できるでしょう。(ルカ 23:43)エホバの宇宙的な王権をめぐる大論争に決着がつくことは,エホバを愛する者にとっては喜び以外の何ものでもありません。またそれは,年が経つにつれて,エホバについての認識をいよいよ深くする機会を提供することになるでしょう。詩篇 150篇の最後の節が成就する時,つまり「すべて息あるもの」がエホバを賛美し,邪悪な者たちがすべて姿を消してしまう時に生きるのは何と喜ばしいことなのでしょう。―6節,新。

14 わたしたちはエホバのどんな祝福について語ることができますか。

14 過去を振り返り,エホバが与えてくださった数多くの祝福に思いをはせてください。豊かな霊的食物でどのようにわたしたちを満足させてくださったかを考えてください。今エホバの僕となる,エホバが与えてくださったすばらしい特権や,将来の心ときめく見込みすべてを一層深く感謝しましょう。ハルマゲドンを生き残る見込みがあるのですから,復活の時と,墓から出て来る人々に知識を与えたり,教育を施したりするすばらしい業が行なわれる時を望み見て喜んでください。そうした人々の多くは,最初に偉大な王エホバについて学ばなければなりません。彼らは再び命を与えてくださった恩のある方を,よく知らなければなりません。そうした事柄をだれが伝えますか。わたしたち皆がそれを行なえるのは喜びではありませんか。確かにわたしたちは永遠にエホバを賛美できることを切望しています。

15 わたしたちには,神の王権に関してどんな特権がありますか。

15 しかしながら今はどうですか。あなたはエホバの王権をめぐる大論争に関して何を行なっていますか。あなたは,エホバを信頼し日毎にその王権の栄光を語り告げる忠節な人々の一人ですか。わたしたち一人一人が,大いなるダビデである即位したみ子,イエス・キリストによるエホバの王権の忠節な支持者であれますように。そして次のように述べたダビデ王と同じく,エホバを公に賛美する個人的な決意が心からのものでありますように。

「わたしの口はエホバの賛美を語ります。すべての肉なる者が,その聖なるみ名を定めのない時に至るまで,永久にほめたたえますように」― 詩 145:21,新。

[脚注]

a 詩篇 145篇はアルファベット歌で,各節がヘブライ語のアルファベットの文字の順番に始まっているため,1971年版の新世界訳は次のような脚注を付しています。「メームの節の後,ヘブライ語文字ヌーンで始まる節が欠落している。ヘブライ語写本のあるものには,次のようなヌーンの節がある。『エホバはご自分のすべての言葉において忠実であられ,そのすべての業において愛ある親切を示しておられる』。これはセプトゥアギンタ訳,ウルガタ訳,シリア語ペシッタ訳によっても確証されている」。

[21ページの図版]

忠節な者たちは,エホバの王権の栄光について語る

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