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  • クリスチャンの社会の中で若い人々が占める場所
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
塔79 7/15 16–21ページ

クリスチャンの社会の中で若い人々が占める場所

「ヤハをたたえよ!……若い男よ,また乙女よ」― 詩 148:1,12,新。

1,2 (イ)無視されたり,忘れられたりすると,どんな気持ちがしますか。(ロ)エホバ神とイエス・キリストは子供たちをどのようにご覧になりますか。

もしかしたらあなたはこのような経験をしたことがあるかもしれません。ある大きな催しがあってそれに招かれました。会場に行くとすべての客のために席が設けられ,各席に名前が付されています。しかし何かの手抜かりで,自分の席は指定されていません。こういう時はきまりが悪くて当惑するものです。忘れられたり,無視されたりするのは気持ちのよいものではありません。

2 同じようにある人々には,若い人たちのことを,注意や関心を払うに値しないと考えて彼らを無視したり,忘れたりする傾向があるかもしれません。しかしわたしたちの創造者エホバ神,あるいはそのみ子であるイエス・キリストは,若い人々をそのようにはご覧になりません。子供たちを軽くあしらう傾向が弟子たちにあったとき,イエスは彼らをたしなめて,「幼子たちをわたしのところに来させなさい。止めようとしてはなりません」と言われました。(マルコ 10:14)小さな生き物でさえ神は大切に思っておられるということを強調してイエスは,「すずめ二羽はわずかな価の硬貨一つで売っているではありませんか。それでも,あなたがたの父の知ることなくしては,その一羽も地面に落ちません」とおっしゃいました。(マタイ 10:29)もしエホバが小鳥さえも大事に思っておられるなら,まして幼い子供たちはエホバにとってどれほど愛すべきものであるかわかりません。

3 子供たちでもみ使いたちでも,神にとってひとり残らず愛すべき者であるというわけではありません。それはなぜですか。

3 といっても,子供であればそれだけで神にとって大切なものとなるのではありません。若者はひとり残らず,神にとって愛すべきものであるというわけではありません。またみ使いも全部が全部そうであるわけではありません。聖書には,「自分本来の立場を保たず,そのあるべき居どころを捨てた使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密なやみのもとに留め置いておられます」とあります。(ユダ 6)み使いたちには天で働く任務があり,神の天の組織の一員としてエホバ神に仕えます。しかし先に述べた使いたちはほかのものを見て興味を引かれ,その「あるべき居どころを捨てた」のです。彼らは何を見たのでしょうか。

4,5 (イ)あるみ使いたちはなぜ神に仕えることをやめましたか。その結果生じたひどい事態を神はどのように処理されましたか。(ロ)このことからわたしたちはみなどんな教訓を学べますか。

4 聖書は次のように説明しています。「真の神の子らが,人の娘たちに注目し,彼女たちが器量が良いのを知るようになった。そして彼らは,自分たちのために妻を……めとりだした」。(創世 6:2,新)その「神の子ら」というのは,地上の人間にすぎなかったでしょうか。そうではありません。実際には,天にあるそのあるべきところを捨て,地上の美しい女たちと性関係をもつために人間の肉体を備えて現われた,神の子らである使いたちだったのです。彼らが,そして後日彼らの混血児の子孫たちが不道徳な影響を及ぼした結果,地上の状態はすぐに低下しました。そのために神は世界的な大洪水をもたらす決意をされました。聖書には次のように記述されています。「したがってエホバは,人の悪が地にあふれ,その心の考えの傾向が常に悪いだけであるのをご覧になった。それでエホバは言われた。『わたしは,わたしが創造した人びとを地の表からぬぐい去ろう』」― 創世 6:5,7,新。

5 このことには,老若を問わずわたしたちすべてに当てはまる一つの教訓が含まれています。それはつまり,エホバはご自分の真のしもべたちのためにふさわしいところを定めておられ,しもべたちはそのところから離れてはいけないということです。エホバにとって大切なものとなるためには,わたしたちはエホバの取り決めの中における自分のところを知り,そこから離れないようにしなければなりません。若い皆さん,あなたのあるべきところはどこですか。

神の取り決めの中における若い人々のあるべきところ

6 (イ)わたしたちのあるべきところはどこですか。(ロ)何があるときにわたしたちは神から愛される者になりますか。

6 エホバは人々に対して愛情深い関心を抱いておられて,わたしたちすべてのためのあるべきところを定めるべく,そのみ子イエス・キリストを与えてくださいました。キリストはクリスチャンの社会の基礎を置かれました。その真の崇拝者たちの社会は今日,エホバの証人の中に存在します。したがって,老若を問わずそのあるべきところは,このクリスチャン社会の中にあります。しかし注目しなければならない点は,エホバの証人と共に集会に出席するだけで,つまり彼らと交わるだけで,エホバから愛される者になるのではなく,むしろエホバに対して忠実であるときにエホバから愛されるということです。コリント第一 4章2節には,「求められるのは,忠実であることです」とあります。エホバにとっては,忠実な六歳の子供,または16歳の子供のほうが,そのあるべき居どころを離れて不忠実になった強力なみ使いたちよりもはるかに愛すべき存在です。それらの使いはもはや,エホバの取り決めの中に占めるべきところを持っていないのです。

7 わたしたちみんなが行なわねばならない主要な仕事は何ですか。

7 クリスチャンの社会の一員としてわたしたちはみな ― 老いも若きも,男も女も ― 忠実に果たすべき共通の,そして重要な仕事があります。それはわたしたちの行ないにより,またわたしたちの父について語ることによって,父の目的を知らせ,父の証人として奉仕する仕事です。このことを行なっているときにのみ,わたしたちは自分のあるべきところにいるのです。詩篇 148篇には,「ヤハをたたえよ!……若い男よ,また乙女よ,年老いた者と共に少年よ。彼らがエホバの御名をたたえるように」とあります。若い人たちに対する勧めは次のように明確です。「では,あなたの若い日に,あなたの偉大な創造者を覚えなさい」― 伝道 12:1,新。

8,9 (イ)無生物は創造された目的をどのように果たしていますか。(ロ)わたしたちは生きる目的をどのように果たすべきですか。

8 そこで問題は,あなたは自分のあるべきところにいるか,本当にエホバをたたえているか,ということです。聖書の詩篇 148篇を開いて,エホバをたたえよ,という勧めが繰り返されていることに注目してください。太陽,月,星,樹木,動物,鳥など,神の創造物すべてが,神をたたえるように勧められています。そしてそれらがいかにすばらしい方法で神をたたえるかを考えてご覧なさい。日の出や,赤々と燃え立つような壮麗な入日は,太陽の創造者への輝く貢ぎ物です。黒いビロードの上にきらめくダイヤモンドのような夜空の星や,海の波の上にこうこうと照る月は,こうした美しいものが,偉大な造物主のみ手の業であることを物語っています。動物たちの本能的な知恵,鳥の渡りなど,エホバの創造物が本当にエホバをたたえている様を挙げれば限りがありません。しかし,『若い男,また乙女』つまり若い女の方たち,あなたはどうでしょうか。

9 あなたの身体そのものもエホバの誉れとなるものです。元気はつらつとした若い人々の動きの美しさ,軽快さ,また優雅さは,偉大な設計者の業を示すものです。しかし人間は,正しい生き方によって,またエホバとそのみ業についての良い事柄を語ることによっても,エホバをたたえなければなりません。「エホバの賛美をわたしの口は語るでしょう」と言った詩篇作者ダビデの決意を自分の決意としなければなりません。また行ないも模範的でなければなりません。「悪から遠ざかって善を行ない」なさいとクリスチャンは勧められています。(詩 145:21,新。ペテロ第一 3:11)あなたはエホバのご親切に対し,以上のような形で感謝を表わしているでしょうか。そしてあなたのあるべきところにいるでしょうか。

エホバをたたえる機会

10 若いクリスチャンたちは,会衆内での自分の立場について,どのように感じることがありますか。

10 不幸にして人間は地位を気にします。イエスの使徒たちもそうでした。ヤコブとヨハネは,イエスの王国で,イエスに次ぐ高い地位を与えてください,と頼んだことさえありました。(マルコ 10:35-37)今日の若い人々の中にもそれに似た態度を示す人がいます。自分たちには会衆内で物事を行なう特権や機会がないと感じます。『わたしはただの若者だ。わたしにできることなんか何もない』と考えるかもしれません。しかし実際には若い人たちにはエホバをたたえる特別の機会があるのです。

11 若い人々には,エホバをたたえるどんな特殊な機会がありますか。

11 あなたは一年のうちの多くの時間を,学校の先生や級友たちと一緒に過ごします。ですからあなたの行ないはいわば舞台の上にあるようなもので,多くの人に見られています。自分の振る舞いは,人々がわたしと結びつけて考える神の誉れとなるものだろうか,と自分に尋ねてみてください。自分の振る舞いが神への賛美にもなれば,神に非難をもたらすものともなることを忘れないようにしましょう。このほかに,学校でエホバの目的について話す機会を利用しているだろうか,ということも考えてみましょう。わたしたちの態度は,「エホバの賛美をわたしの口は語るでしょう」と言った詩篇作者の態度と同じであるべきではないでしょうか。(詩 145:21,新)多くの若いクリスチャンは学校を自分の“区域”とみなしています。ですから証言できる機会を捕えるのに機敏です。あなたはいかがですか。

12 (イ)若い証人たちは,同級生や先生たちに証言しにくく感じることがよくありますが,なぜですか。(ロ)ある若い証人はどんな経験をしましたか。

12 しかし若い人たちの中には,級友や先生たちには証言しにくいと感じている人もいます。その理由の一つは,聖書研究者であるとか,神について話すことに関心を持つ者であるということを知られるのがなんとなくきまりが悪い,と考えていることにあります。カリフォルニアのある若い証人はそういう理由から,自分がエホバの証人であることをほかの生徒たちに知られないようにすることに努めていました。想像通り,人に知られるのを恐れて暮らすことは,自分の幸福にプラスにはなりませんでした。そこでこの若い証人は最後にこの問題について真剣に考えました。自分の信仰が本物であることには自信があったので,どうしてそれを恥ずかしがることがあろうか,と考えました。そして自分の宗教について隠しだてしないように,また適当な機会があれば,聖書の教えが道理にかなっていることを,他の人々に説明することに心を決めました。その結果この若い証人は,心がずっと明るく楽しくなったばかりでなく,多くの先生や級友の尊敬を得ることにもなりました。

13,14 学校で証言する機会としてはどんな時がありますか。

13 この若い証人は,学校にいる間にいろいろな事柄に関する神の見方を知らせる機会がたくさんあることに気づきました。あなたもその機会を見つけることができるのです。例えば,霊魂不滅について,あるいは聖書に関係した他の問題について書いた有名作家の作品が,授業で取り上げられるかもしれません。その場合にはレポートを書くときに,あるいはクラスでの討論で,取り上げられている問題についての作家の見解と聖書に述べられていることとがどのように違うかを,巧みに示すことができます。(エゼキエル 18:4。伝道 9:5,10)若い証人たちはこのことを行なってきました。そしてそれによって,聖書の討論を学校でつづける道が開かれたのです。

14 またたいてい在学中にはいつか,人間の起源がクラス討論のテーマになることがありますが,これも証言をする非常によい機会となります。その場合には,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」という本の資料を用いて,創造説に有利な証拠を示すことができます。若い証人たちはこれを行なってきました。その結果この本が多数,先生や級友に配布されました。あるいは何かの授業で,デートや性に関する態度,麻薬,アルコール中毒その他をテーマとして討論が行なわれるかもしれません。そういう時には若いクリスチャンたちは,それらの問題をすべて取り上げている「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という本をよく紹介します。先生も同級生たちもその本を喜んで読み,多くの益を得ます。

15-17 (イ)学校での証言で若い証人たちはどんなよい経験をしましたか。(ロ)若いクリスチャンたちが自問すべき二つの質問とは何ですか。

15 積極的で機敏で忠実な若いクリスチャンたちにより,世界中の学校で優れた証言がなされてきました。例えば,ある若いクリスチャンは次のように書いています。「わたしは自習時間に,証言の機会をたくさん得ました。祝日の前後はとくにそうでした。ほかの生徒たちの目につく机の上に聖書関係の本を置いておくと,関心のある生徒がたくさんわたしのところにやって来ます。一番大きな報いのあった経験には,わたしの社会科の先生が関係しています。わたしはその先生が教えている生徒のひとりに本を一冊配布しました。ある日その女生徒が教室の中でその本を読んでいたらその社会科の先生がその本を見て,どこで手に入れたの,と尋ねました」。どんな結果になったでしょうか。そのうちに毎日昼休みの時間に先生と聖書について討論するようになり,ついにいく人かの生徒がクリスチャンの集会に出席しはじめました。またその先生は進歩して,献身した証人になりました。

16 もう一つの例の場合は,ある若い証人が「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を先生に差し上げることにしました。何日かたってその生徒は先生に,「差し上げた雑誌の記事はいかがでしたか」と丁寧に尋ねました。最初のうち先生は自分の生徒の質問をいくらか無視する態度を取っていました。しかしやがて,その生徒の礼儀正しい粘り強さに感心するようになりました。もし自分が生徒に自分の説明をよく聴くように勧め,また一般教養科目の勉強を強調するのであれば,自分も聖書をさらに深く学んで,生徒の粘り強さにこたえるべきではないか,というふうに考えました。その結果,雑誌の記事についてよく話し合うようになりました。おしまいにその先生は雑誌を予約し,王国会館で開かれる集会に家族を連れて出席するようになり,バプテスマを受けた証人になりました。

17 これは別に珍しい経験ではありません。何千という人々が,学校で若い証人たちの行なう証言を通して,神の真理を知るようになりました。あなたには,若いクリスチャンとして神の言葉と行動規準を擁護するだけの勇気と神への愛がありますか。またこれと同様に大切なことですが,あなたには,神の義の戒めに従って身を処する道義的な力がありますか。もしそれがあれば,あなたは自分のあるべきところを離れない,世界中にいるすばらしい若者たちの群衆の中のひとりなのです。彼らは自分に与えられている機会を,エホバへの賛美に用いています。

18 若いクリスチャンたちが特に効果的に証言できることが多いのはなぜですか。

18 若い人たちは特に効果的に証言できる場合が少なくありません。例えば他の若い人たちに話す点ではふつうほかの人よりも有利です。いわば彼らの“言葉”を話すことができるからです。また,おとなの中には,12歳のイエスの言うことに耳を傾けたエルサレムの年長者たちのように,若い人の言うことをよく聞く人々がいます。(ルカ 2:46,47)ですから,エホバを賛美する面で立派な貢献ができることを,過小評価しないようにしましょう。もしあなたがその気になれば,神は,王国のこの良いたよりを全世界に宣べ伝えさせるというご自分の目的を達成するために,あなたを大いにお用いになることができるのです。―マタイ 24:14。

19 クリスチャン会衆の中で若い人々はどのようにエホバをたたえることができますか。

19 会衆内でも,若い人々は,エホバをたたえることに大きく貢献できます。いま世の中には,汚い言葉を使う若者,だらしない服装をした行儀の悪い若者が少なくありません。ですから若いクリスチャンたちが礼儀正しく,きちんとした品のよい身なりをしており,霊的な事柄に真の関心を抱いているなら,王国会館を訪れる人は良い印象を受けます。ことに若い人たちがよく準備された研究生の話をするのを聞くとき,あるいは確信と熱意のこもった注解を述べるのを聞くとき,または若い人たちがマイクを操作したり,集会の前後に人々にあいさつをしたり,文書を扱うカウンターで手伝ったり,集会所の掃除を手伝ったりするのを見るときに感心させられます。訪問者たちは,若いクリスチャンたちの模範的な行ないに感銘し,会衆に関して,「神はほんとうにあなたがたの中におられる」と判断するでしょう。―コリント第一 14:25。

20 それで若い人たちはどんな態度を取るべきではありませんか。またどんな確信がもてますか。

20 ですから,『わたしはただの若者だ。わたしにできることなんか何もない』というような消極的な態度を取らないようにしましょう。あなたは兄弟姉妹たちの助けになり,またエホバへの賛美となる多くの事柄を行なえるのです。そして,エホバがそれをご覧になっておられて報いてくださる,という確信をもつことができるのです。「神は不義なかたではないので,あなたがたがこれまで聖なる者たちに仕え,いまなお仕えつづけているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです」― ヘブライ 6:10。

21 次の記事ではどんな問題を検討しますか。

21 実は,わたしたちの住むこの退廃した世の中でエホバに奉仕するのは,やさしいことではありません。若いクリスチャンたちにとっては特にそうです。あなたをあるべきところから無理に離れさせようとする圧力はたくさんあります。いろいろな誘惑は強く,同時に極めて巧妙です。神の天のみ使いたちの中にさえ,誘惑に負けてそのあるべき居どころを離れ,エホバの恵みを永遠に失った者がいたことを思い出してください。彼らにそこを離れさせたものは何でしたか。性に対する間違った関心でした。ですから,今日ある大きな誘惑が性的誘惑であっても驚くにはあたりません。では,若いクリスチャンたちの信仰を打ち砕くのがねらいの世の圧力を,いくつか調べてみましょう。

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