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神の保護の下にあって勇気を持つことができるものみの塔 1962 | 2月15日
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むかって何と言いましたか。この事です。
16 「私がもし生ける者の地でエホバの恵みを見ることに信仰を持たなかったならば,どうであろうか ― エホバを待ちのぞめ。勇ましくあれ。心を強くせよ。ただエホバを待ちのぞめ」。―詩 27:13,14,新世。
17 (イ)ダビデはどのように生ける者の国においてエホバの恵みを見ましたか。(ロ)私たちに告げたどんな事をダビデ自らがしましたか。
17 ダビデは後に生ける者の地においてエホバの恵みを見,その信仰の報いを得ましたか。そうです。幾多の激しい戦いや試練にもかかわらず,ダビデは40年のあいだ治め,宮の資材を準備しました。そして宮の建築者となったその愛する賢い子ソロモンに王位をゆずりました。しかし信仰をためすような事態の只中にあった時でさえ,ダビデはエホバを何時までも待ち望むようにと私たちにすすめています。他の人々にこの事を強くすすめたダビデは,自分自身がたしかにそうしました。このように待ち望むことは敬虔な忠実を守り通すために必要でした。ダビデは勇気を持ちつづけました。
18 ダビデの用いたヘブル語の表現によれば,勇気を待つとはどういう意味ですか。(ロ)どのように勇気を示すことができますか。
18 信仰と希望があるとき勇気を持つことができます。勇気を持つということは,ダビデの用いているヘブル語の表現に従えば力をうちに保つこと,固くしめつけた時のように結合を保ち,従って圧迫を加えられたときにもくずれず,悩みや敵の攻撃にあっても砕けないことを意味します。そのとき,困難や危険にさらされても信仰と希望を持ってたえることができます。勇敢であると言う時にたいてい考えられるような向う見ずになる必要はありません。アメリカン・カレッジ辞典(英文,146頁)は「勇気」の項に次のように述べています。それは「高度の,崇高な勇敢さを意味する。特に心または精神の生得の性質に由来するもので,恐れず,熱意さえもって困難あるいは危険に直面し,あるいは堪える性質である」。神への忠実の道をたゆまずに歩みつづけることは,たとえ静かで目立たないものであっても,勇気を示しています。向う見ずの勇気を見せて称賛を求めることを,私たちはしません。
19 (イ)勇気は私たちの心にどんな影響を与えますか。(ロ)どんな希望を決して捨ててはなりませんか。そしてなぜ?
19 勇気を持つとき,強い心を持ちつづけることができます。その心は恐れで弱くならず,神への愛にみたされて動揺せず,恐れと疑惑を除きます。(ヨハネ第一 4:18)このようにしてエホバ神と御子イエス・キリストに対する愛は私たちを動かす力となり,この活動的な力によって私たちは試練,困難,迫害,悩み,危険そうです,ハルマゲドンの神の戦いをひきおこすゴグの攻撃さえも切り抜けて前進することができます。何時でも神に忠実を保ち,私たちはすべての悪に対して勝利を得る神の新しい世に顔を向けつづけます。御子イエス・キリストの義の御国の下にある新しい世の希望を与えて下さったのはエホバ神ご自身であるゆえに,この希望を捨ててはなりません。他のすべての希望を打ち捨ててもそれは安全であり,益のあることかも知れません。しかし望みをたまう神からの希望だけは捨ててはならないのです。「ただエホバを待ち望め」。エホバはダビデを失望させず,ダビデの子イエス・キリストを失望させませんでした。エホバは私たちをも失望させることはありません。希望と信仰から力を得て私たちは世界のハルマゲドンに面しても勇気を持つことができ,またたしかにそうします。ハルマゲドンにおいてエホバは栄光の勝利を得られ,ご自分の宇宙至上権を立証されます。
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コロンビアにおける霊的な繁栄ものみの塔 1962 | 2月15日
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コロンビアにおける霊的な繁栄
アメリカ合衆国の新聞,特に新教の新聞は,カトリックの勢力の強いコロンビアの国でカトリック信徒でない者の受ける迫害について多くのことを述べています。しかし,コロンビアの人々がカトリックの強い影響をうけていても,エホバ神とその御言葉およびその御国についての真理に飢えかわいている誠実な人々はたくさんいます。
昨年の主の夕食の式のとき,コロンビアでは7700名が出席しました。それはひとりの証者に対して3人の善意者が出席したことになります。毎週一度の「ものみの塔」の聖書研究のとき出席者数は,その国にいる証者の数の150パーセントです。全部の証者が「ものみの塔」研究に出席すると仮定した場合,二人の証者に対して一人の善意者という割合です。過去10年間に,1年に11パーセントから51パーセントの増加がありました。ほんとうにコロンビアのエホバの証者の新世社会は霊的に繁栄しています。
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