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  • 神の言葉の持つ,支えとなる力
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 11/1 8–11ページ

神の言葉の持つ,支えとなる力

切り花はわずか数日でしおれ,そして枯れてしまいます。しかし,よく灌漑されている場所に植えられている樹木はしっかりした大木に生長し,何百年も何千年も生きるかもしれません。興味深いことに,聖書は自分の『喜びがエホバの律法にある』人を「時が来て実を結び,葉の枯れることのない,水の流れのほとりに植えられた木」になぞらえています。―詩 1:1-3,新。

水がよく供給されている木は力強く生長し,実をよく結びます。同様に,真面目な研究と黙想によって,命を支える神の言葉の貴重な真理を定期的に取り入れる人は,霊的に成長して強くなり,実を結び続けます。

ちょうど水が植物や動物の生命を支えるのに肝要であるのと同様,神の言葉に含まれている真理も霊的な命を保つのに重要です。今日エホバのしもべたちは,生きるか死ぬかの闘いに携わっています。使徒パウロはこの点をはっきりと述べています。「わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく……天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するもの」です。(エフェソス 6:12)それゆえにクリスチャンは,強力で超人的な被造物に対する霊的な闘いをしなければなりません。エホバのしもべたちの神との関係を損なおうとして,これら邪悪な霊たちは迫害のような激しい正面攻撃に訴えたり,不道徳や物質主義に関係した誘惑などの巧妙な圧力に訴えたりします。

わたしたちの敵の超人的な力や巧妙さを考えると,自分の力でその攻撃に生き残る見込みは全くありません。しかしながら,神のしもべとしてわたしたちはエホバが与えてくださる力により頼むことができます。全能の神に全幅の信頼を寄せている限りわたしたちは使徒パウロの示した確信を持つことができます。パウロはこう語りました。「自分に力を与えてくださるかたのおかげで,わたしはいっさいの事に対して強くなっているのです」― フィリピ 4:13。

パウロの言明したのは,もったいぶった巧言などではありません。彼は長年の自分の経験から生じた確信をもって書いたのです。パウロ自身の証言によると同使徒は,『獄に入れられたことも多く,打ちたたかれることは過度に及び,死に直面したこともしばしばでした』。(コリント第二 11:23-27)しかし,神から与えられた力によって,彼は敵の手で殺される時まで,神聖な活動において忠実に耐え忍ぶことができました。

しかしながら,霊的な力と,忠実を保つ者として将来に立ち向かう能力を得るために,クリスチャンは神の言葉の健全な知識を持たなければなりません。わたしたちの愛ある天の父は,聖書を通して,幸福な生活に欠かせない導きと,霊的な力の比類のない源をわたしたちに与えてくださいました。神のみ子はみ父の言葉の持つ,命を支える価値を確かに認識しておられました。そのことは,サタンの誘惑の一つに対する答えの中で,聖書から引用し,話されたことからも分かります。「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」― マタイ 4:4。

求められる時間と努力

そうは言っても,わたしたちは神が聖書の知識を奇跡的に与えてくださることを期待するわけにはゆきません。神の言葉を十分に理解するためには,聖書を研究し,そこから学ぶ事柄を黙想するための時間と努力を費やさなければなりません。

確かに人間は不完全であるために,いわゆる“鮮明な記憶”を持っていて,学ぶすべての事を覚えられるような人はごくまれです。しかしもし聖書を研究する際に真剣な努力を払ったのであれば,聖書的な考えを思い起こすため,エホバの霊に頼ることができます。そうした聖書的な考えはさまざまな試練に対処するのに必要な導きや励ましとともに,わたしたちの信仰を弁明するのに求められる情報を与えてくれます。イエスはご自分の弟子たちに次のような保証をお与えになりました。「人びとがあなたがたを渡すとき,どのように,または何を話そうかと思い煩ってはなりません。話すべきことはその時あなたがたに与えられるからです。話すのはただあなたがたではなく,あなたがたの父の霊が,あなたがたによって話すのです」― マタイ 10:19,20。

もとよりそれは,支配者や,わたしたちの信仰とクリスチャンの活動についての説明を求める人々の前で証言する場合ばかりではありません。多くの場合,それは困難や迫害,さらには長期間の投獄を耐え忍ぶという問題です。そのような状況の下で神の言葉は支えとなる力を発揮するでしょうか。確かに発揮します。

生きた手本

神のしもべたちの多くは,神の言葉の持つ,支えとなるその驚くべき力について証言できます。例えば,中国にいる真のクリスチャンたちのことを考えてください。そのうちのある人たちは刑務所や強制労働収容所で多くの苦しみを耐え忍びました。長年にわたってそれらのクリスチャンは聖書を手にすることなく,仲間のクリスチャンたちと交わる機会もありませんでした。それでも投獄される前に神の言葉から学んだ事柄は,幾年もの試練の間彼らを支えてきました。

その一人にスタンレー・ジョーンズがいます。彼は1958年に逮捕され,7年の懲役刑を宣告されました。聖書は持っていませんでしたが,数多くの聖句を思い起こし,それらの聖句を黙想することから大きな慰めと力を得ることができました。この兄弟に大きな慰めを与えた一つの聖句はローマ人への手紙 12章12節でした。それは,「希望によって喜びなさい。患難のもとで耐え忍びなさい。たゆまず祈りなさい」という聖句です。

もう一人,ハロルド・キングの例があります。この兄弟は中国で逮捕され,5年の刑を受けました。キング兄弟はそれまでに26年間,神の言葉を学んでいました。事実22年の間,宣べ伝える業に全時間携わった際,聖書を絶えず用いました。そのためキング兄弟は神の言葉を深く理解することができました。同兄弟は投獄されて,霊的兄弟たちすべてから引き離されたことに気付くと,その状況についてエホバに祈り,その試練がいつどのように終わるかを尋ねました。マタイ 6章31節から34節のイエスの言葉を思い起こすと不安は消え去りました。その言葉は,「一度に一日だけ生きるようにし,明日のことを心配してはなりません。いつものようによく世話をしてあげましょう」というエホバからの呼びかけのように感じられたのです。キング兄弟はまた,水ための中に降ろされ,そこに置き去りにされて死ぬかに見えた神の預言者エレミヤのことを考えました。(エレミヤ 38:6)しかしエレミヤは絶望的に思われたその状況から救い出されました。ハロルド・キングはこの忠実さに関する昔の例について考え,エホバはやがて自分を救い出してくださり,兄弟たちの所へ戻って自由に奉仕を続けられるようにしてくださると思いました。

ハロルド・キングは神の言葉の持つ,支えとなる力に一層頼るため,ちょうどスタンレー・ジョーンズが行なったようにできるだけ多くの聖句を思い起こすよう努めました。もしこれら二人のクリスチャンがそれ以前に聖書を真剣な態度で勤勉に学んでいなかったとしたら,霊的な支えになった数多くの聖句を思い起こせたでしょうか。

それから,中国の刑務所と強制労働収容所で20年を過ごした袁南施<ユエン・ナンシー>の例があります。長年の拘禁期間中,同姉妹は家族から引き離され,その上信仰を捨てさせようとする圧力を絶えず受けました。しかし姉妹は,力を求めてエホバにより頼み,神のみ言葉の持つ,支えとなる力に頼ることによって,長くてつらい試練を生き残ることができました。神の霊の助けによって,さまざまな状況の下で自分の必要を満たすのに最もふさわしいと思えた聖句を思い起こすことができました。「どんな状況にも対処できるような導きと力を与えてくれるふさわしい聖句をいつも思い出すことができました」と姉妹は述べています。

例えば,袁姉妹は暴力や暴行による脅しに遭ったときなどは預言者エゼキエルに語られたエホバの慰めとなる言葉を思い出しました。「彼らを恐れてはならない。彼らの言葉を恐れてもならない」。(エゼキエル 2:6,新)家族が恋しくてたまらなくなったときにはイエスの次の言葉を思い出しました。「わたしに対するより父や母に対して愛情をいだく者はわたしにふさわしくありません。また,わたしに対するより息子や娘に対して愛情をいだく者はわたしにふさわしくありません。そして,だれでも自分の苦しみの杭を受け入れてわたしのあとに従わない者は,わたしにふさわしくありません」。(マタイ 10:37,38)袁姉妹はこの言葉から,どんなに犠牲が大きくても忠実を保とうという新たな決意を抱きました。

袁姉妹は,計画的に辱められ,虐待された際,イエスの使徒たちが「良いたより」を宣べ伝えたためにむち打たれたときどのように反応したかを思い起こしました。彼らが「[キリストの]名のために辱しめられるに足る者とされたことを喜びつつ,サンヘドリンの前から出て行った」ことを覚えていました。(使徒 5:40-42)ですから彼女は辱めを喜んで耐えることができました。物質面で窮乏したときには,『人はパンだけで生きるのでない』ことを思い出しました。―ルカ 4:4。

袁姉妹は,苦難や試練の下で神への忠誠を保ったエホバの大勢の忠実なしもべたちのことを考えました。ヨブやダニエルの残した立派な模範から多くの慰めを得ましたが,それは自分がそれら昔の忠実な人々が耐えたと同じような経験をしていたと思ったからです。もちろん,最も優れた模範,つまりキリスト・イエスの模範はいつも慰めの源となっていました。

他の多くの場合にも,世界各地にいる神の現代のしもべたちは,長くてつらい信仰の試練を耐え忍んできました。試練に打ち勝ったこれらのクリスチャンは,わたしたちすべてと同じような普通の男女です。しかし彼らは,神に全幅の信頼を寄せたために驚くべき苦難を耐えることができたのです。確かに,『普通を越えたその力は神のものであり,彼ら自身から出たものではない』のです。―コリント第二 4:7。

神の言葉は『生きていて,力を及ぼす』

確かに,エホバの崇拝者のすべてが自分たちの信仰ゆえに投獄されるといった,同じようなつらい試練を経ることを求められているわけではありません。しかし神のしもべたちのすべては,信仰を十分に試みられるため,何らかの形で試練を受けなければなりません。その試練は,親族からの反対,不道徳への誘惑,何らかの非聖書的な道を歩ませようとする同僚からの圧力,生活の思い煩い,病気,さまざまな個人的な問題といったような形で来るかもしれません。しかしながら,試練がどれほど耐え難いものであっても,神の言葉から得られる慰めと力は必ずや,困っている時の貴重な助けとなり,堅く立って神への信仰を保たせてくれるでしょう。―ローマ 15:4。

エホバの民の幾万もの人々はみ言葉の持つ,支えとなる力について証言することができます。彼らは長年にわたって,来る日も来る日も家族の者からの反対に耐えることができました。不道徳と不法の増し加わる世にあって彼らはクリスチャンの立派な振舞いを保つことができました。不信仰な社会からのあざけりや侮辱にもかかわらずしっかりした信仰を示すことができました。これら実際の生きた例は,神の言葉が『生きていて,力を及ぼす』ことを物語っています。(ヘブライ 4:12)神の言葉は攻撃と防御の目的を兼ね備えた剣に例えられるかもしれません。しかし剣も,使うための訓練を受けていない人の手にあってはあまり役立ちません。ですから神の言葉も,その知識がごく限られていて,神の言葉の生活への適用の仕方を知らない人にとってはあまり益がないと言わねばなりません。―エフェソス 6:17。

神の言葉は,宇宙で最も強力な力である,エホバの聖霊の所産です。このみ言葉を正しく理解するためにわたしたちは神の霊の助けによって,また神の民の会衆との交わりを保ちつつ祈りのうちにみ言葉を学ぶことが必要です。(マタイ 24:45-47。使徒 8:30-35。コリント第一 2:10)この世は前代未聞の騒乱と苦難の時代のただ中にあり,その結果,非常に苦しい状況が見られますが,わたしたちは聖書から力を得ることができます。今は確かに,支えとなるその驚くべき力から十分の益が得られるよう神の言葉を熱心に研究すべき時です。

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