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命の源またその維持者人生には確かに目的がある
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24 完全な人間であったイエスは,自分の命が何によって維持されていると述べましたか。
24 イエス・キリストは,地上で完全な人間であったにもかかわらず,命を保つために神に頼りました。イエスはこう言われました。「わたしの食物とは,わたしを遣わしたかたのご意志を行ない,その[神の]み業をなし終えることです」。さらに,『わたしは父によって生きている』とも言われました。(ヨハネ 4:34; 6:57)イエスはご自分について次のように語りました。「わたしは命のパンです。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べましたが,それでもなお死にました。……だれでもこのパンを食べるなら,その者は永久に生きます」― ヨハネ 6:48-51。
25 イエスはどんな意味で,ヨハネ 6章48節から51節の言葉を語りましたか。
25 当然のことながら,イエス・キリストは,人々が彼の文字通りの肉の体を食べるという意味でそう言われたのではありません。しかしながら,キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせ,キリストを通して神が備えられた霊的な食物を「食べる」ことにより,人は永遠に生きられるのです。それはいつのことですか。キリストの王国が支配する「新しい地」においてです。その時,大祭司であるイエスは,仲間の王また従属の祭司たちaと共に,地上の従順な人々に対してその贖いの犠牲を十分に適用します。その結果,それらの人たちの体はいやされます。それから彼らは,神のご意志を行ない続け,永遠に生きるのです。―ヨハネ 3:16。
26 (イ)神は,人間にほんのつかの間良い生活を送らせるために,み子を遣わして苦しみに遭わせたと考えるのは道理に合っていますか。(ロ)エホバはすべての人に何を,どんな条件で差し伸べておられますか。
26 エホバは最大の犠牲を払って,ご自分の独り子を地上に遣わされました。神は,ほんの短い間,より良い生活が送れるようにするためにみ子を苦しみと死に遭わせたのでは決してありません。神はすべての人にこう言われました。「悪から遠ざかり,善を行ない,そうして定めなき時に至るまで住むように。エホバは公正を愛する方,そして,ご自分の忠節な者たちを捨て去ることはないからである。定めなき時に至るまで彼らは必ず守られる」。(詩 37:27,28,新)そうです,エホバは,命の源また支える方であられ,ご自分に従順であり続ける者すべてに対して永遠にわたり命の偉大な守護者でもあられます。
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愛の神を明らかにする顕著な賜物人生には確かに目的がある
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8章
愛の神を明らかにする顕著な賜物
1,2 聖書の詩篇 25篇8節とマルコ 10章18節を読むと,どんな疑問が生ずるかもしれませんか。
神が善良な方であるとどうして分かりますか。なぜ全能の神が,同時に悪い方であり得ないのですか。自らの内に幾らかの悪を持ち得ないのですか。神の人類に対する態度と目的はどこまでも慈愛深いとどうして分かりますか。
2 「エホバは善良で正しい方」という詩篇作者の言葉や,イエスが述べた,「ただひとり,神以外には,だれも良い者はいません」という言葉を考えると,こうした疑問が頭に浮かぶかもしれません。―詩 25:8,新。マルコ 10:18。
3-5 (イ)神が善良であるためには,どんな特質が求められますか。(ロ)神は理性を持つ創造物に対してどんな二つのものを備えられましたか。なぜですか。
3 神が善良であるためには,ご自分の創造物を,そのあらゆる部分にわたって顧みる神でなければなりません。まず第一に,創造物が生存できるような備えを設ける神であるはずです。
4 第二に,神が善良であるなら,創造物が生き続けるのに必要な単なる物質以上のものを備えられるはずです。人間の場合特にそう言えます。というのは,人間は,単なる生存以上のものを人生から得たいと願うからです。神の知的な創造物は明らか
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