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  • 目ざめよ! 1970
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目ざめよ! 1970
目70 9/22 28–29ページ

「あなたのみことばは真理です」

神に対する恐れをどのように示すか

「神を畏れ(よ)」。これはクリスチャンに対する使徒ペテロの助言です。(ペテロ前 2:17)では,神を恐れるとは,いったいどういう意味でしょうか。わたしたちはなぜ神を恐れねばならないのですか。そうした恐れをどのように示せばよいのですか。これらの質問に対する答えを知るとき,わたしたちは,わたしたちの創造者,エホバ神を喜ばせる行ないをすることができます。

ある人たちは,神が人々を死後,地獄で責めさいなむ,と教えられています。そういう人たちにとっては,神が自分をその恐ろしい場所に入れるかもしれない,という気持ちが,神を恐れる理由になっているかもしれません。しかしながら聖書は,神をけがす,そうした事柄は教えていません。したがって,それは,神に対する敬虔な恐れの根拠とはなりえません。(エレミヤ 19:5。ロマ 6:7,23。エゼキエル 18:4)わたしたちはまた,悪行者を罰する力がある,というだけの理由で,エホバ神を恐れるべきではありません。神に対する敬虔な恐れは,神への信仰にもとづくものです。それは愛や信頼と密接な関係があります。それは人の益になる健全な恐れです。

神に対する,そうした健全な恐れは,親切で慈愛深い,それでいて毅然とした父親に対する幼い子どもの恐れにたとえることができます。そうした子どもは,父親の公正さを確信しており,自分に対する父親の,暖かい,慈愛に満ちた関心を感じ取っています。さらに,父親が自分に何を要求しているか,また,悪いことをすれば,懲らしめを受けることをも知っています。子どもは,父親の罰を与える能力に対する病的な恐れをいだいて暮らすのではなく,自分に課せられた制限をわきまえ,相対的な自由というわくの中にとどまるのです。その制限というのは,道路ではなくて裏庭で遊ぶとか,マッチではなくておもちゃで遊ぶ,といったことかもしれません。子どものいだく健全な恐れは,実際に子どものためになります。なぜなら,それは保護となり,子どもを危険から守るからです。

このことは,わたしたちがエホバ神を恐れねばならない理由を理解する助けになります。箴言 8章13節には,こう書かれています。「エホバを畏るることは悪を憎むことなり」。そうです,悪を憎むことによって,わたしたちは,エホバがご自分のことば聖書の中で警告しておられる事柄すべてを注意深く避けます。

これは,わたしたちに知恵がある証拠です。聖書が詩篇 111篇10節で述べているように,「エホバを畏るるは智慧のはじめ」です。エホバを恐れる人は,得た知識を正しく用いることに努めるからです。その人の恐れは,その人を導いて,賢明な行動をさせるのです。命にかかわる問題,また,創造者との関係に影響する問題に関して,賢明な決定を下す助けとなります。

しかし,現在の事物の体制の中にいる人々の大多数が,エホバ神を恐れないことは明らかです。彼らは,エホバの律法が非とすることを,はばからずに行ないます。そういう人々には,ついに破滅が襲いかかるでしょう。―伝道 8:11-13。テトス 1:16。

エホバをほんとうの意味で恐れる真のクリスチャンは,エホバの律法は自分たちの福祉のためであることを知っています。エホバは,人の心臓に恐れをしみ通らせるために,律法をつくられたのではありません。それら律法は,比較的安全で自由な領域に人を閉じ込める垣としての働きをします。律法違反に対する処罰は人間自身の益のためです。つまり罰は,人間をその安全な場所にとどまらせる助けになるからです。したがって,神に逆らうことを恐れる真のクリスチャンの恐れは,霊的な危険だけでなく,肉体的な危険に対してさえ保護となるのです。

わたしたちはさきほど,神に対する恐れは愛と密接な関係があることを考えました。なぜそう言えるのですか。父親に権威があることをよく知っていて,しかも,その父親を心から愛している,前述の子どものことを思い出してください。この子どもは,父親を喜ばすことをしようと努力しないでしょうか。真のクリスチャンの場合も同じことがいえます。彼らは自分たちの天の父エホバ神を愛しており,エホバ神に感謝すべき理由をたくさんもっています。彼らは,エホバの不興を買うようなことや,そのすぐれたお名前を汚すようなことは何ひとつしたくないと考えていますから,エホバに喜びをもたらす者となるよう常に努めています。―箴言 23:15; 27:11。

そして,エホバの不興を買うことをするように人々から誘惑されるときには,彼らはマタイ伝 10章28節の,「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもをおそるな,身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者[神]をおそれよ」というイエスのことばを思い起こします。どんな形の圧迫が加えられても,とこしえの命の見込みは神の御手のうちにあることを,彼らは忘れません。命に対する神の力をよくわきまえていることと,復活に関する神の約束に対する信仰とが,人間に対する恐れを克服する勇気を彼らに与えるのです。―ヘブル 13:6。

以上のことは,神に対するわたしたちの恐れをどのように示すかを知る,よい方法を教えてくれます。ある人々は思い違いをして,自分は神を恐れている,と考えるかもしれません。しかし,人間に対する恐れが,種々の巧かつな方法でその人たちを支配しているかもしれません。それで,ご自分の心に尋ねてみてください。「自分は,ある事柄が正しいことを知っているとき,近所の人たちが賛成しないかもしれないという恐れから,それをするのをさし控えるだろうか」。暴力行為や不道徳な行為をしなくても,近所の人たちの思わくを恐れて,正しい事を行なうのを控えるならば,その人は,ほんとうに神への恐れを示しているとはいえません。もし,神がわたしたちに,何事かをするよう望まれるならば,たとえ他の人たちがどう考えようと,それは正しいことにちがいありません。―箴言 29:25。

宗教の問題になると,人間に対する恐れがしばしばはっきりと姿を現わします。仮に,あなたを育ててくれた親の属する宗教組織が,神の真理を教えていないで,他のグループの人々が真の宗教を実践していることを明示する証拠を発見したとします。その場合あなたは,真の宗教の側につく勇気がありますか。あなたはほんとうに神を恐れますか。親族や友人の反対にあうようなことがあっても,そうしますか。神を恐れる人たちは,そうしてきました。そして,エホバ神は,その勇気ある行ないのゆえに,彼らを豊かに祝福しておられます。

イエスに従うことを望みながらも,それが自分の経済状態の変化を意味するゆえに,イエスに従うことを恐れた,金持ちの青年のことも考えてみましょう。(マタイ 19:16-22)もし必要ならば,あなたはエホバ神に奉仕するために,進んで物質上の犠牲を払いますか。そうするには,信仰,つまり,神に対する恐れを伴った信仰が必要です。

その必要な信仰は,神のことばである聖書を勉強することによってのみ,つちかうことができます。このきわめて重要な事柄を行なう機会を活用してはいかがですか。エホバの証人が無償ですすめている,6か月間の聖書研究をなさってみてはいかがですか。もし,それをされるなら,あなたは神から豊かな祝福を受ける立場に立つことになるでしょう。―詩 147:11。

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