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病気に耐えて生きてゆくものみの塔 1979 | 1月15日
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生き方をも変化させました。31歳のとき,この人は膠原病にかかりました。これは,皮膚がこわばり,その結果体が硬直してちょうどミイラのようになり,それが広がるにつれて少しずつ死へ向かってゆく病気です。まず彼女の右手が硬直し,指が曲がってしまいました。その治療法は知られていないので,特に,自分の三人の子供の将来を考えると,優子はとても憂うつになりました。入院中に彼女は貧血症になり,口とあごの筋肉が硬くなって,もはや自由に話せなくなりました。それで,優子は流動食をとらねばなりませんでした。
ところが,聖書を研究するようになって以来,どんなことが起きたでしょうか。人が病気になったり,死んだりすることのなくなる,エホバの新秩序について学ぶのは,彼女に大きな慰めとなりました。優子はこう語っています。「私は初めて確かな希望を見いだしました。やがて私は,同じような境遇に置かれている他の人々に自分の信仰を表明したいという強い願いを抱くようになりました。それによって,他の人々もエホバのみ手にすべてをゆだねることを学ぶためです。私の貧血を心配して,医師は私が外出して,日光に身をさらすことを望みませんでした。しかし,私は自分の学んだ事柄をどうしても他の人に分かたなくてはならないと感じました。結果はどうでしたか。それ以上貧血の問題はなくなりました。外へ出て聖書について他の人々に語るようになった結果,食欲が出て,体重が増えました。また,口の筋肉も自由に動くようになったのです。私の健康状態が奇跡的に快方へ向かったのを診察して,医師は驚いてただ首を振るばかりで,一体何がそうした変化をもたらしたか計りかねていました」。
多発性硬化症に冒された一人の若者も,同様の変化を経験しました。この青年は半身不随になって,養護施設の個室で車イスに座って時を過ごしたものです。片手で自分の車イスを操り,前後左右に動くのがやっとでした。すっかり希望を失って,この若者は死を待つようになりました。ところが,エホバの証人の一人とある期間聖書を研究した後,この人は生きることにより深い関心を示すようになりました。彼は家具につかまって歩くことを幾度も試み,やがて,歩行器をかなり上手に使えるようになりました。この青年はそのまま養護施設に住み続けるかわりに,自分のアパートに引っ越し,自分で食事を準備し,部屋を掃除するようにさえなりました。死を待つかわりに,この若者は,病気のない世界に関する聖書の約束の成就を待ち望むようになりました。
このように,まさにわたしたちの時代に至るまで,聖書の音信は,お年寄りや虚弱者,そして事故や病気で苦しんでいる人々に,慰めと励ましを与えてきました。力を得るためにエホバ神に頼ることを学び,神の差し伸べてくださる希望を自らの希望にすることにより,そうした人々は大きな苦難に耐えてくることができました。これは,聖書が尽きることのない慰めの源であることを示す,実に優れた証拠ではありませんか。
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