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神の道に従って子供を教育する報いものみの塔 1981 | 3月15日
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子供を教えることに成功した現代の例
現代のクリスチャンの婦人たちも同様の祝福を得てきました。夫に反対されながら子供たちに神の言葉を教える努力を続けてきたアフリカのある婦人は,このように語りました。「私は子供たちと聖書の勉強を続けました。勉強するときは林の中でしました。家でしなければならない時には,息子の一人が入口に座って見張りをするようにしました。これを何年も続けたのです。私は子供たちのために毎日エホバに祈りました」。どんな結果になったでしょうか。
婦人は言葉を続けます。「エホバは確かに私の祈りにこたえてくださいました。娘は結婚しまして,婿の方は二人が交わっている会衆の長老として奉仕しています」。この婦人の息子たちも聖書に従って生きるように努力しています。その婦人は最後にこう言っています。「私の家族研究は確かに祝福されました。こんな方法で祈りにこたえてくださったことを,エホバに感謝したいと思います」。
別のクリスチャンは次のように語りました。「子供が学校から帰ってから未信者の夫が仕事を終えて帰宅するまでの間に時間を見付けて,二人の娘と聖書を勉強しました。そのほかの時間にも,クリスチャンにふさわしい振舞いとか,集会で聞いた事柄などを娘たちに話すようにしていました。今私はその努力の成果を目のあたりに見て喜んでいます。一人の娘は奉仕の僕の妻となっています。もう一人の方もよくやっています。エホバは本当に私の祈りにこたえてくださいました」。
わたしたちの努力をエホバに祝福していただくのに,祈りが非常に大切であることは明らかです。不利な状況の下で子供を教育するには時間と努力が求められますが,クリスチャンはそれによって落胆することなく,精力的に努力することが必要です。神の霊の助けによって成功への道が開かれているのです。―ルカ 13:24。フィリピ 4:13。
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賢明な格言ものみの塔 1981 | 3月15日
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賢明な格言
「自分のいら立ちを同じ日に知らせるのは愚か者である。しかし明敏な者は不名誉を覆い隠している」― 箴 12:16,新。
だれかから不当に批判されたり悪口を言われたりしたなら,あなたはどう反応しますか。箴言 12章16節にあるように,かっとなるのは不完全な人間が示すごく普通の反応です。多くの人は腹立たしい気持ちを抑えきれずすぐに,つまり「同じ日に」激しい答えを返します。しかし「明敏な者」はどうでしょうか。箴言は「明敏な[英語のshrewdには「抜け目がない」の意も含まれる]者」という表現を用いていますが,ここでは復しゅうをたくらむような悪賢い人を意味していません。むしろ明敏さの良さが強調されているのです。箴言ではこの言葉は,知識や知恵と結び付いており,また感情に従って反応しないで物事をよく考え抜く慎重な人と結び付けられています。(箴 13:16; 14:8; 22:3)明敏な者は,自分の名誉を傷つけるように思える不当な批判をあびせられたり,卑劣な侮辱を加えられる時によく舌を抑えます。平静を失って,ほかの人やその場の状況に振り回されるようなことはありません。明敏な者のそういう思慮深さは確かにその人の身のためになります。感情を害されるとすぐに反撃に出る人にはけんかが絶えませんが,明敏な者はそうしたけんかを避けることができるからです。
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