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  • クリスチャンは政府に対してどんな義務がありますか
  • 目ざめよ! 1977
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目ざめよ! 1977
目77 5/22 28–29ページ

聖書はそれをどう見ていますか

クリスチャンは政府に対してどんな義務がありますか

税金の支払いに関する,人を陥れるような質問に答えて,イエス・キリストは次の原則を述べました。「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。(マタイ 22:21)ですから,クリスチャンには支配者たちに対する特定の義務があります。とはいえ,イエス・キリストは「神のもの」に言及されましたから,クリスチャンが政府に対してどんな義務があるのか,またその理由を見定めるために識別力を働かせねばならないことが分かります。

ローマ人にあてた手紙の中で,使徒パウロは支配者たちに対するクリスチャンの義務について,次のように記しました。「すべての者に,その当然受けるべきものを返しなさい。税を要求する者には税を,貢を要求する者には貢を,恐れを要求する者にはしかるべき恐れを,誉れを要求する者にはしかるべき誉れを」― ローマ 13:7。

支配当局は人々の安全や福祉を保証するための重要な奉仕を行なっていますから,その代償を受ける権利があります。クリスチャンは,税金や貢を支払うことを,負債を支払うことと同じようにみなすべきです。受け取ったお金を支配当局がその後どのように使うかに関して,クリスチャンには責任がありません。支配者側が税や貢の収入を誤用しても,それはクリスチャンが自分の負っているものの支払いを拒む理由とはなりません。現行の事物の取り決めの下では,クリスチャンは政府の奉仕を受けないでやっていくことはできませんから,正しい良心を持って,要求されるものを支払うべきです。個人に対する負債の支払いということになれば,その人がお金を誤用するからといって負債が取り消されるわけではありません。同様に,支配当局がどんなことを行なうかに関係なく,クリスチャンは税や貢を支払う責任を免れません。

政府の権威に対して健全な恐れを示すことにも,然るべき理由があります。使徒パウロは,次のように述べました。「支配者たちは,善行にではなく,悪行にとって,恐れるべき者となるのです。では,あなたは権威に対する恐れをいだかないでいたいと思うのですか。……それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,悪をならわしにする者に憤りを表わす復しゅう者なのです」。(ローマ 13:3,4)ですからクリスチャンは,法にふれる問題を起こさないように振舞い,政府当局にかかっている命と死に関する権威をないがしろにしないように注意する必要があります。

支配者や下級官吏に敬意を示すのはふさわしいことです。しかし,道徳的に腐敗した人をどうして敬うことができるだろうか,と尋ねる人がいるかもしれません。ここでは,支配者や官吏の道徳上の立場や,その人が人間としてどんな人であるかということよりも,その人の占めている立場が問題なのです。人の持っている職務にふさわしい敬意が示されねばなりません。

ローマの役人たちに対して使徒パウロの取った態度は,支配者たちの人格と,示される敬意との間には何の関係もないことをよく表わしています。古代の歴史家タキトゥスによれば,ローマ人の知事フェリクスは,「罰を受けずにどんな悪でも行なえると考え,あらゆる種類の蛮行と欲望にふけり,奴隷の精神で王のような権力を振るった」人でした。それにもかかわらず,パウロはフェリクスの占めていた立場を尊重し,次のような敬意のこもった言葉で自分の弁明を始めました。「この国民が多年にわたりあなたを審判者としていただいてきたことをよく知っておりますから,わたしは弁明のため自分に関する事がらをよろこんでお話しいたします」。(使徒 24:10)同様に使徒パウロは,近親相姦の罪を犯した王ヘロデ・アグリッパ二世に敬意を示し,こう述べました。「あなたの前でこの日に自分の弁明ができますことを幸いに存じます。とりわけ,あなたはユダヤ人の間の習慣や論争に精通したかただからです」。(使徒 26:2,3)さらにパウロは,偶像崇拝者である知事フェストに,「閣下」と呼びかけました。―使徒 26:25。

しかし,クリスチャンに対する政府の要求に従うなら,「神のものを神に」返すことにならないような場合があるかもしれません。(マルコ 12:17)その場合はどうでしょうか。

ヘブライ人の預言者ダニエルは,メディア人ダリウスの治世中にそうした状況に直面しました。ダリウスは,王である自分を除いて『三十日の間,神または人に願い事』をなす者すべてに死刑を命ずる法律に署名しました。(ダニエル 6:7,口)ダニエルにとってこの命令に従うことは,30日の間祈りをやめることを意味しました。ダニエルはどうしたでしょうか。彼は神への正しい崇拝に反して立てられた法律を無視し,そののち,奇跡的な救出を経験しました。

同様に使徒たちも,キリストに関する「良いたより」を宣明することを全くやめるようにというユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンの要求に屈しませんでした。使徒たちは次のように答えました。「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」― 使徒 5:29。

もとより,それはクリスチャンが革命的な運動に携わったり,制限はあっても清い崇拝の要求を遂行することを妨げない法律を無視したりする権利が自分たちにあるという意味ではありません。伝道の書 8章6,7節(新)はこの点に関して助けとなる導きを与えています。こう記されています。「実にすべての事に時と裁きがあるのである。なぜなら,人の災難は多く彼らに臨むからである。何が生じるようになるかだれも知る者はないからである。なぜなら,事が一体どのようになるかをだれが人に告げ得るであろうか」。

識別力のある人は,「すべての事」にはふさわしい時と裁き,つまり対処の仕方があることを認めます。そうすることによって反抗的な振舞いを避けられます。性急な行動によって問題を増やさなくても,人生にはすでに十分な「悪」が満ちています。さらに,将来がどうなるかを確信できる人はだれもいません。圧制者の支配でさえ,無限に続くものではありません。将来が不確かであること,また驚くべき変化が素早く起こり得ることを思いに留めるならば,不愉快な状況に辛抱強く耐える助けとなります。

適切な時にふさわしい方法で行動することの大切さを悟っている人は,聖書の箴言の次のような健全な助言に注意を払います。「変化を望む者たちと掛かり合いになるな。彼らの災禍は余りにも速やかに起こるからである。そのため,変化を望む者たちの消滅にだれが気づくだろうか」。(箴 24:21,22,新)そうです。キリストによる神の王国が与え得るような安全な将来の保証を何ら与えることのできないもののために,なぜ自ら災いを招くのですか。

聖書や西暦一世紀のクリスチャンの模範に調和して,今日の神のしもべたちは,彼らに課されているすべての税金を支払い,支配者や官吏にはその立場にふさわしい恐れと敬意を示す義務を負っています。このことには敬称を用いて支配者や官吏に話しかけることや,彼らがその任務を遂行することを決して妨げないことなどが含まれます。しかし,支配者当局の要求が真の崇拝を侵害するものであれば,クリスチャンは「支配者として人間より神」に従います。―使徒 5:29。

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