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カトリック教徒の皆さん,あなたの教会は「警戒して」いますかものみの塔 1976 | 11月1日
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そして「大規模な背教」,すなわち「信仰からの逸脱」などの見られた時代があるでしょうか。最後の点に関して,カトリックの司祭である社会学者アンドリュー・グリーレイは,カトリック・ヘラルド・シティズン紙に「カトリック教徒の背教の割合は増大する」という記事を掲載し,その割合が「依然として上昇を続けている」ことを述べ,さらに,「人々は群れをなして教会から離れて行っている」と付け加えています。プロテスタントの諸教会についても同じことが言えます。
あなたは何をすべきか
わたしたちの周りで起こっているあらゆる事柄は,キリストの臨在,すなわちパルーシアがすでに始まっていることを示しています。つまり,キリストが地上の事柄に積極的な注意を向け始めたことを示しているのです。間もなくキリストは,邪悪な者たちに対する神の裁きを執行し,ご自分の真の弟子たちを義の新しい事物の体制に招き入れるために,『来る』ことでしょう。(マタイ 24:30。ペテロ第二 3:11-13)では,あなたはどうすべきですか。
もう一度,カトリックのエルサレム聖書の脚注に目を向けていただきましょう。コリント第二 6章2節に関する注解の中で,この聖書は次のように述べています。『キリストの来臨の時と[裁きを執行するために]キリストの戻られる時との間には一定の期間がある。この期間は「救いの日」であり,改宗するために猶予された期間である。これは「残りの者」[ローマ 11:5と比較]と異邦人[贖われる,残りの人類]のために与えられている。この期間がどれほど続くかははっきりしないが,巡礼のためのこの期間は,短くて,試練と苦難に満ちたものとみなされねばならない。……終わりは間近に迫っており,その日は近づいている。ゆえに,警戒し続け,自分と他の人々の救いのために,残された時間を十分に活用し,最終的な立証を神にゆだねる必要がある』― 下線および角括弧の中の注解は当誌による。
この記事の中で引用された聖句および書物はすべてカトリック関係のものであることにお気付きでしょう。あなたがカトリック教徒であれば,わたしたちは,実際,お手持ちの聖書が何を述べているか,そしてそうした聖句があなたの属する教会の公認した参考文献の中でどのように注解されているかをお伝えしているにすぎません。あなたの属する教会とその僧職者たちがあなたに教えているはずの肝要な事実に,注意を向けただけのことです。しかし,教会およびその僧職者たちは,そうした事柄を教えてきましたか。
聖書預言と現在の世界情勢を比較した後,キリストの臨在のしるしが今日見られるということを認められるなら,「み国のこの福音」を宣明し,「諸国の人々に対して証明」をすべきではありませんか。―マタイ 24:14,バ。
もしカトリック教会がそうしていないことを悟られるなら,キリストの再来に対する「警戒」を怠り,人類の唯一の希望である王国を全世界に宣べ伝える面で何もしていない教会にどうして留まっているのですか。
あなたが今お読みになっているこの雑誌は,エホバの証人が目ざめており,キリストの臨在に関する良いたよりを公に宣明する業に積極的に携わっている証拠となっています。同じことを行なうために,エホバの証人の援助を求めてご覧になってはいかがですか。
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「収穫の日の雪」ものみの塔 1976 | 11月1日
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「収穫の日の雪」
● 箴言 25章13節(新)は,忠実な使節がそれを遣わす者にもたらすさわやかな効果を,「収穫の日の雪の涼味」になぞらえています。これは山から来た雪で冷やした飲み物のすがすがしい涼味のことを指しているようです。それは,収穫のために一生懸命働いている人々に大いに喜ばれました。
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