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    目ざめよ! 1975 | 11月8日
    • 満ちた生活は,いくらかでも耐えやすいものになりました。この記事は次のように結んでいます,「このように不利な状況の下でユーモアを有効に用い得るならば,あなたもわたしも日常生活においてそれをどんなに生かすことができるだろうか」。

      あなたは職業柄,何かの製品の価値,特定の行動をとる必要それともある論議のもっともなことを他の人に納得させる必要に迫られていますか。どうすればあなたのことばに動かされて行動を起こすまでに聞き手を納得させることができますか。エール大学心理学部のウイリアム・J・マクガイアは説得に関して次のように書いています。「話の中にユーモアがあると,話に応ずる気持ちを強める。明らかにユーモアによって相手はいっそう愉快な気分になり,乗り気になる」。

      しかし笑いは注意信号である場合もあります。聖書の箴言 14章13節には「笑う時にも心に悲しみがあ(る)」と記されています。心理学者は子供について次のことを述べています。「注意深い親は,子供がいつ,そしてなぜ笑うかを観察することによって多くを知ることができる。これは治療に携わる我々が観察によって多くを知るのと同じである。……くつろいだ笑いは健康的であるが,不自然な作り笑いは乱れた感情を隠す手段である場合がある」。

      健全な精神と身体を持つ助け

      「ユーモアにおけるセンス」と題する記事は,一部の心理学者や精神科医が「ユーモアを治療に応用する可能性を検討し始めた」ことを指摘しています。「彼らは情緒的な悩みの解毒剤として患者の持つ,おかしさを解する心を助長することに努めている」。

      他方,少しもユーモアを解さない人は,情緒的な障害の徴候を示すことが少なくありません。引退した小児科医マーガレット・プラウティ博士は,ストレスのために潰ようになった子供について興味深い観察をしています。

      「何年にもわたる観察からわたしは次のことを確信するようになった。すなわち彼らの性格上の欠陥の主要なもののひとつは,ユーモアを解する心をほとんど全く欠いていることである。生活は現実そのもの,まじめ一点ばりで,自分自身や他の人を笑う能力を欠いている」。

      あなたもたぶん,まじめ一点ばりで,いわば“肩をいからせている”人をご存じでしょう。このような人は幸福ですか。また他の人を幸福にしますか。自分を笑うことができるようにさえなれば,それで万事は解決するかもしれません。精神科医スミレイ・ブラントンは次のように述べています。「おかしさのわかる人に治療を求められたことはめったにない。また心底から自分を笑うことのできる人ならば,治療を必要としたためしがない」。あなたは生活の中でユーモアのある面を見ることができますか。

      精神衛生について聖書のローマ人への手紙 12章3節は興味深い事柄を述べています。「わたしは……あなたがたの中のすべての者に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。……健全な思いをいだけるような考え方をしなさい」。確かに「健全な思い」は自分自身に対して謙遜な思いを持つことと表裏一体をなしています。自分を笑うことができるようになれば,こうした考え方を培うことがもっと容易になります。

      ユーモアがからだの健康に及ぼす影響についてはどうですか。「笑いと健康」と題する本の中でジェイムス・J・ウォルシュ博士は,笑うときの横隔膜の上下運動が,体操をした時と同様な影響を内臓に与えると説明しています。

      笑いは心臓のおだやかなマッサージとなり,血行をよくします。肝臓と腸に対する同様な影響は消化と排泄を助けます。血圧に異常のある人は「いつも笑っている」のがよいと,ウォルシュ博士は指摘しています。実験の結果明らかになったところによると,血圧が180かそれ以上ある人は,笑いによって10ポイントかそれ以上下がり,低血圧(120以下)の人は10ポイントかそれ以上の上昇をみました。

      しかし笑いが不適当な場合もあります。

      笑うべきでない時

      聖書の伝道の書 7章2,3節は笑いについて興味深いことを述べています。「哀傷の家に入は宴楽の家にいるに愈る……悲哀は嬉笑に愈る 其は面に憂色を帯るなれば心も善にむかへばなり」。これは笑うことや楽しむことが神に是認されないという意味ですか。そうではありません。聖書は喜ぶべき時には喜ぶことを勧めているからです。(フィリピ 4:4)しかしまじめに考えなければならない時があります。命がいかにはかなく終わるか,また創造者に対して良い「名」すなわち名声を築くため賢明に生きることの重大さに思いをめぐらすべき時があります。(伝道 7:1)「なんでも茶化すのは,耐えがたい焦躁に対する防御的な反応である」と,最近の本「家族のコミュニケーション」は述べています。

      笑うべきでない時の一例は,友人や知人が何かの不幸にあって悲しみにうちひしがれている時です。このような場合,「泣く人たちとともに泣きなさい」と,聖書は勧めています。―ローマ 12:15。

      性の不道徳を話の種にして絶えることもなく続くようにみえる「汚い冗談」に直面するとき,人はどうすべきですか。ここでも笑いは慎まなければなりません。神のことばは次のように命じているからです。「あなたがたの間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事がらがあってもなりません」― エフェソス 5:3,4。

      聖書の箴言 26章18,19節は別のタイプのふさわしくない冗談について警告しています。「既にその隣を欺くことをなして我はたゞ戯れしのみといふ者は 火箭または鎗または死を擲つ狂人のごとし」。これに照らしてみるならば,他の人に害を及ぼすような「悪ふざけ」は,聖書を信ずる者のすべき事ではありません。時と場合をわきまえない,このような冗談の愚かしさは,誘かいされたと偽って家に電話をかけた十代のある少年の場合にみられます。少年の父親は卒倒し,その後,心臓まひで死にました。母親と叔母は医師の手当てを受けることが必要でした。

      サイエンス・ダイジェスト誌は次のように述べています。「貨幣と同じでユーモアには両面があるようにみえる。……時として機知は意識的にせよ無意識にせよ,武器として使われる。『笑いは殺す』ということわざがある」。このことは特に子どもについて言えます。子どもに向かって,あざけりの気持ちを込めた“ユーモア”でからかってはなりません。また子どもがこのような“武器”を他の子どもに対して使うのを許してもなりません。これは不安定の徴候であって,親は原因が何であれ,それを矯正することを遅らせてはなりません。他の人を傷つけないようにするには,その人のことを笑うのではなくて,その人と一緒に笑うことです。

      ユーモアに関して思いに留めるべき良い原則が,聖書のマタイ 7章12節にあります。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。クリスチャンの行動のこの「黄金律」に従うとき,心を刺すようなユーモアあるいは皮肉を言うことはおのずと避けられるでしょう。

      確かに笑うに良い時があります。心の底からの笑いは精神的にも身体的にも情緒的にも益となります。しかし時と場合をわきまえずに笑ったり,ユーモアで他の人を傷つけたりすることのないように注意が肝心です。

  • 再利用によるコストの低下
    目ざめよ! 1975 | 11月8日
    • 再利用によるコストの低下

      ● 最近のスウェーデンの一研究論文は,基礎資材を再利用するために必要とされるエネルギー(石油などの原料から作られる)のコストは,そうした資材を最初,原料から加工する際に必要とされるエネルギーのコストよりも大抵の場合,はるかに安くて済むことを示しています。例えば,同じ量のエネルギーを用いて,再利用の場合には,原料から加工する場合に比べ,紙なら5割増し,鋼鉄であれば2倍,アルミニウムは3倍,ある種のプラスチックは5倍もの量の製品を生産できる,とその研究論文は述べています。アメリカの一研究論文もそうした結論を裏付けています。

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