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ユーモアのセンスは神からの賜物目ざめよ! 1981 | 3月22日
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「わたしは笑いに向かって,『狂気だ!』……と言った」と記しています。これにはどんな意味があるのでしょうか。ソロモンが笑いを狂気と言い得たのは,軽薄な笑いは健全な判断を曇らせてしまうからです。そのために非常に深刻な問題を軽く受け取って他の人を怒らせたりいら立たせたりすることになるかもしれません。ですから,ユーモアのセンスはエホバからの他の多くのすばらしい賜物同様,乱用される可能性のあるものです。
愚かな笑いについて,伝道之書 7章6節にはこう述べられています。「愚鈍な者の笑いは,なべの下のいばらの音のようだ」。いばらは一番良い薪とは言えません。すぐに燃え上がって,パチパチとやかましい音をたてますが,なべの中味は煮えていないことがよくあります。ですからそのはでな騒々しい音は無益であることが分かります。愚か者が不まじめにくすくす笑う様もこれと同じです。思慮を欠いた騒々しい笑いや,時をわきまえずにユーモアを飛ばそうとする態度は,人をいら立たせ,害を与える恐れがあります。
ユーモアの様々な表われ方を考えてみるならば,ユーモアは寛大な天の父からの喜ばしい賜物であるという結論になります。しかしこれは健全な判断に従って適度に用いるべきものです。そうすれば,ユーモアを解する心は,日々の生活に趣や活気を添えるものとなるでしょう。
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遊びを通して子供を教える目ざめよ! 1981 | 3月22日
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遊びを通して子供を教える
1歳9か月のバーバラは積木をそばに置いて床に座っていました。一段落してからバーバラは,どのようにノアの箱船をこしらえたかを私に話してくれました。その晩,床に就く前も,バーバラは大はしゃぎでノアの箱船を作ったことについて説明してくれました。
次の日には,私もバーバラと一緒に,積木や幾つかの動物や人間のおもちゃをそばにおいて座りました。二人はもう一度箱船を作り,それから動物を中に入れ,ノアとその3人の息子,セム,ハム,ヤペテを中に入れました。
私たちは遊びを通して一緒に学んでいました。子供は遊びを通して学びます。体を動かすこと,会話,個人的な経験を通して学んでゆくのです。
神の愛について子供に教える際には,子供がどのように学んでいるかを心に留めているべきです。子供たちには,初期クリスチャンの一人であったテモテの場合と同じく,幼い時から聖なる書物を教えることができます。(テモテ第二 3:15)幼い子供たちは優れた学習能力を持っており,大人と同じように,面白いと思ったことを非常に容易に学ぶことも記憶することもできます。
子供の最善の教師は親です。親は子供の気質や性向,発育の程度や能力をよく知り,各人の成長の能力のわく内で教える最善の方法をわきまえています。エホバは親に,エホバの方法で子供を教える責任を与えておられます。―箴 22:6。
聖書を教える方法は数多くあります。面白いゲームをしたり,温かな雰囲気で団らんしたりしながら楽しく聖書を教えるなら,わたしたちは積極的な懲らしめを与えていることになります。懲らしめには,単にしかって処罰を加えることだけでなく,人を弟子にするための全過程が含まれます。クイズや絵やゲームや劇を通して聖書を学ぶのは,非常に有益なことです。
本にたくさんの楽しい絵があり,親がくつろぎながらも真剣な心構えでいるなら,一緒に本を読むことは子供にとって非常に楽しい経験です。「わたしの聖書物語の本」a はこうした目的にかなう優れた本です。子供が気ままに本のページをめくるとき,その絵について簡単に説明してあげられます。やがて子供は,自分の好きなさし絵のところで手をとめ,それを説明してほしいと親にせがむことでしょう。子供が大きくなって静かに座っていることができるようになれば,その話を一語ずつ読んであげたいと思われるかもしれませ
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