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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 11月15日
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賢人はどんな意味で述べたか
人の言うことを気にし過ぎてはならない
時として,人は次のようなことを考えるものです。他の人は私のことをどう言っているのだろうか,私に対して本当に好意を持っているのだろうか,と。そのようなときには注意が必要です。賢人は次のような助言を与えました。「人々が話すかもしれない言葉すべてに心を向けてはならない。あなたの僕があなたに災いを祈願しているのを聞くことのないためである。あなたの心は,あなた自身も他人に災いを祈願したことを幾度となく知っているからである」― 伝道 7:21,22,新。
人の言葉を必要以上心に取り入れ,人の言うことを気にし過ぎるのは賢明なことではありません。人間は不完全であるため,友人や知人に関して,当の友人にとっては少しも喜ばしくない事柄を他の人々に語ることがあります。ソロモンは,主人に忠実であるべき僕がいら立って主人に災いを祈願するかもしれないと述べました。それで,人はすべての意見を深刻に考え過ぎて,そのために取り乱すべきではありません。一方,うわさが非常に好意的なものであれば,それは人の誇りを育てるという点で悪影響を与えます。
それゆえ,人の言葉について考える場合,自分自身の語る事柄を考慮してみると良いでしょう。ソロモンが述べたように,人は自分自身,悪意なく他の人々について良くない事柄を語ったことがしばしばあったかもしれません。それではなぜ他の人々の言葉を深刻に考えすぎて,そのことでひどく取り乱すのですか。また,なぜ話されている事柄に不必要な好奇心を抱いたりするのですか。他の人々の言うことは,好意的なものにせよ,そうでないものにせよ,それを深刻に考えすぎるなら,人の心を乱します。
ソロモンは人間に関する事柄を広く調べましたが,完全な理解が依然として得られないことを認めました。こう述べています。「このすべてをわたしは知恵をもって試した。わたしは,『賢くなるのだ』と言ったが,それはわたしの遠く及ばないことであった」。(伝道 7:23,新)ソロモンが広範な探究の結果として系統だてて述べた原則は,試みられました。ソロモンはそうした原則を評価するために知恵を用い,それらが正確で理にかなっていることに満足しました。ソロモンは,創造者を無視した物質主義的な生活の仕方がむなしく無意味であることを認識するようになりました。しかし,完全な意味からすれば,自分が知恵には遠く及ばないことを認めました。「賢くなるのだ」という言葉に表わされている決意からも明らかなように,ソロモンは洞察力を得たいと真に願っていたにもかかわらず,知恵には遠く及ばなかったのです。ソロモンは傑出した知恵を授けられていましたが,それでも多くの事柄を推し測ることはできなかったのです。彼はこう続けました。「存在するようになったものは非常に遠く,極めて深い。だれがそれを見いだし得るであろうか」。(伝道 7:24,新)ソロモンは,神の交渉,み業,目的などを観察してこう述べたと思われます。―ローマ 11:33,34と比較してください。
人類の状態
神のみ業の偉大さと複雑さを認めたソロモンは,再び人間に関する事柄に注意を向け,こう書いています。「わたしは身をめぐらした。わたしの心がそうしたのである。知り,探究し,知恵と物事の理由を捜し求め,さらに愚鈍の邪悪さと狂気の愚かさを知ろうとしてである。そしてわたしは見いだすのであった。すなわち,自らが狩猟用の網であって,その心が引き網また両手がかせである女は死よりも苦いのをわたしは見いだした。彼女から逃れるなら,その者は真の神の前で善良な者であり,彼女に捕らえられるなら,その者は罪を犯しているのである」― 伝道 7:25,26,新。
ソロモンは自分が心をこめて注意深く調べた結果,男の人がかかわり合いになる最悪のものの一つとして,悪い女,つまり売春婦を挙げています。このことに注目してください。ソロモンは売春婦の誘引力を「引き網」や「かせ」に例えています。そうした女のわなにかかる人は,忌まわしい性病にかかったり,既婚者であれば家庭を破壊させたりして,死よりも苦い経験をします。さらに重大なこととして,売春婦に身を任すなら,エホバ神との関係を危うくしかねません。
ソロモンが悪い女の誘引力をことさら取り上げていることは,当時女性の間の道徳基準が非常に低かったことを暗示しています。それは外国の影響を受けたため,また,後日ソロモンが外国人の妻たちを喜ばせるために自ら進んで行なった豊じょう儀式などのバアル崇拝に傾いていたためと思われます。(列王上 11:3-8)こうした背景は,ソロモンが次に書いた事柄に光明を投じるものとなります。「見よ! このことをわたしは見いだした。……一つのことが他のことから取られているのを,全容を見いだすために。それをわたしの魂は絶えず求めたが,わたしは見いださなかった。千人の中から一人の男をわたしは見いだしたが,それらすべての中から女は見いださなかった」― 伝道 7:27,28,新。
廉潔な人を見いだすのは難しいということを,ソロモンは認めます。そのような人は千人の中に一人しかいないことでしょう。しかし,多くの妻やめかけとの経験に基づいて,また他の女性を観察した結果,ソロモンは,理想的な女性が当時,それよりさらにまれにしかいないという結論に達しました。それはりっぱな女性が全くいなかったという意味ではなく,全般的に模範的な女性が少なかったという意味です。良い妻を見いだした人は確かに幸いと言えました。箴言の書は適切にもこう述べています。「有能な妻をだれが見いだし得るだろうか。その価値は,さんごのそれをはるかにしのぐ」。(箴 31:10,新)「人は良い妻を見いだしたであろうか。その人は善いものを見いだしたのである」― 箴 18:22,新。
しかし,廉潔な男女を見いだすのが難しいからといって,その責任を神に帰せることはできません。ソロモンは次のような事柄を認めました。「真の神は人間を廉潔な者に造られたが,彼らは多くの計画を捜し出した」。(伝道 7:29,新)大抵の男女は,神の義の基準に従うかわりに,自らの計画や策略,手段などに従うほうを故意に選び,害を被ってきました。
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「菓子のことで嘲る背教者たち」ものみの塔 1977 | 11月15日
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「菓子のことで嘲る背教者たち」
ダビデは詩篇の中の一篇で,自分が耐えねばならなかったののしりについて,こう述べています。「菓子のことで嘲る背教者たちの間では,わたしに敵してさえ歯きしみがあった」。(詩 35:16,新)これら嘲る者たちは,神の忠実な民の一員とはみなされないという意味で背教者でした。そうした人々は浮浪者,社会のくずともいうべき者たちでした。そして自分たちの言葉を聞いて喜んでくれる(サウル王と思われる)人から菓子を得るだけのために,これらの者たちはダビデを嘲笑しました。また,ダビデに対して歯ぎしみしました。これは,怒り,嘲笑,そして軽べつの表われです。
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