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    ものみの塔 1964 | 10月1日
    • 1:29,36。

      エホバのことばに従ってバビロニアを出たアブラハムは,そのために大きな祝福を得ました。祝福を約束したエホバの契約はアブラハムに対して固くされました。アブラハムは175歳の高齢に達して死にました。そして女のすえイエス・キリストの治める御国の下で復活を受けることが保証されています。エホバご自身,イサクおよびその子ヤコブにこの契約を受けつがせました。またヤコブのもうけた12人の息子は,約束の「大いなる国民」の基礎となりました。―創世 26:1-5; 28:10-15; 29:1–30:26; 35:16-20。ヘブル 11:13-16。

      アブラハムは行いのともなう信仰 ― 信仰に従い,それに一致して行動したことの良い手本です。アブラハムは偶像の神々を拝んだ先祖の宗教に満足せず,偽りの宗教を避けて真の崇拝に固くつき従いました。そして文明の町カルデヤ人のウルに安住することを求めず,未知の土地に出て行って寄留者となり,天幕生活をしました。ウルで富を得て安楽に暮らす機会を捨てたのです。しかしアブラハムは幸福で意義のある生涯を送りました。そして将来には大きな報いが与えられようとしています。私たちも神の友になることを望むならば,忠実なアブラハムの手本にならわなければなりません。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1964 | 10月1日
    • 読者よりの質問

      ● 新世界訳聖書が,イザヤ書 14章23節で,「さんかのごい」(bittern)など小鳥を表わす言葉のかわりに,「やまあらし」(porcupines)という言葉を使っているのはなぜですか。―アメリカの一読者より

      イザヤ書 14章23節にあるヘブル語「キッポード」が何を表わすかについてはすでに多くの議論があり,「さんかのごい」などの小鳥であるとも,あるいは,獣,とくに,「やまあらし」,または,やまあらしに似た小動物「はりねずみ」であるとも言われています。イザヤ書 14章23節の預言は,神がバビロンにもたらそうとする全き荒廃について述べており,新世界訳聖書によると,その部分は次の通りです。「私は彼女をやまあらしの住みかとし,あしの茂る水の池とし,滅びのほうきをもって,彼女を払う」。欽定訳聖書は,「やまあらし」のかわりに「さんかのごい」を用いています。サンカノゴイは,沼地にすみ,首の長い,サギの仲間です。ジョージ・M・ラムサによる聖書翻訳で,この部分は「私はこれをふくろうの住みかとし」となっており,改訂標準訳,アメリカ訳,また,ローマカトリックの高位聖職者ロナルド・A・ノックスの翻訳などはみな,問題の言葉を「はりねずみ」としています。

      聖書事典や注釈書にある,ヘブル語「キッポード」の説明も不確定なものが多いようです。たとえば,「ザ・インタープリーターズ・バイブル」は単にこう述べています。「〔キッポード〕がどんな動物をさすのかは不明である。この言葉はいつでも荒地に関連して出てくる」。「ハーパーの聖書辞典」は次の通りです。「明確に定めることはむずかしいが,おそらくヤマアラシかトカゲの一種であろう」。ウイリアム・スミス博士の「聖書辞典」(1888年版)は次のように述べています。「このヘブル語は従来色々な意味に解釈されてきた。昔の翻訳はおおむね,『はりねずみ』,または『やまあらし』としている。……『かめ』,『ビーバー』,『かわうそ』,『ふくろう』などとも推測されているが,いずれも確かな理由は示されていない」。ラテンバルゲイト訳,七十人訳などの,昔の翻訳は,「はりねずみ」,あるは,「やまあらし」を用いています。チャールス・トムソンの翻訳,C・A・ミューセズの改訂による「七十人訳聖書」はイザヤ書 14章23節を,「私はバビロンを荒れ地とし,やまあらしの住むところとする。そしてその地を荒野とする」としています。

      最近のヘブル語 ― 英語辞典の多くは,ヘブル語「キッポード」の意味として,「やまあらし」か「はりねずみ」を上げています。その上,リー,パークハースト,ウイナー,ファーストゲセニウスなどの比較的古いヘブル語辞典のすべても,このヘブル語の表わすものとして,「はりねずみ」,あるいは,「やまあらし」を上げています。ゲセニウスはヘブル語「キッポード」と,「やまあらし」を意味するアラビア語「クンフド」とを結び付け,両者を同じ意味の言葉としています。

      イザヤ書 14章23節で「さんかのごい」を採用する訳者たちは,その理由として次の三つを上げます。(1)やまあらしがあしの茂る水の池に出てくることはすくない。(2)ゼパニヤ書 2章14節から考察して,問題の動物は柱の頂きに上れるものと思われる。(3)また,同じ聖句から判断して,この動物はさえずることのできる小鳥にちがいない。

      しかしながら,「さんかのごい」を採用することの論拠として上げられたこれらの理由は正当ではありません。まず,イザヤ書 14章23節は,水の池がやまあらしの住みかになるとは述べていないことに注目しなければなりません。聖書は,バビロンが『やまあらしの住みかとなり,あしの茂る水の池となる』と述べています。やまあらしやあしの茂る水の池という表現は,荒地の描写です。ゼパニヤの預言(ゼパニヤ 2:13,14)について取り上げましょう。その部分は欽定訳によると次の通りです。「彼は北に手をのべてアッスリアを滅ぼしたまわん。また,ニネベを荒地とし,荒野のごときかわける地となしたまわん。而して,けものの群,諸国のすべての生物は彼女の中に伏し,鵜とさんかのごいとは戸口の横木に住まわん。その声は窓の中に歌い,荒廃は戸口の中にあらん」。

      この暗ゆは,立ち並ぶ柱をさすというより。むしろ,ニネベ宮殿の倒れた柱をさしていますから,「キッボード」が真すぐ立つ柱の頂きに上れるということは必須ではありません。他の翻訳は,ゼパニヤの預言を次のように訳出しています。「エホバ北に手をのべてアッスリヤを滅したまはんニネベを荒して荒野のごときかわける地となしたまはん。而してけものの群もろもろのたぐひの生物その中に伏しをすめどりおよびはりねずみその柱の頂に住みさへずる者の声窓の内にきこえ,あれ落たる物しきみの上に積り」。(文語)ここに表わされる考えは,野生の動物たちがニネベの倒れた柱の柱頭と柱頭の間に巣を作るということであり,岩のはざまを巣とすることのあるやまあらしにこれは容易です。第3の点について,欽定訳は,「その声は窓の中に歌ひ」と訳していますが,ヘブル語原典に「その」にあたる言葉はありません。それゆえ前記の文語聖書はこの部分を次のようにしています。「さへずる者の声窓の内にきこえ」。これは飛んできて廃屋の窓に止まるどんな小鳥にも,あるいは風のひびきにさえあてはめ得るでしょう。ここにある「声」は「をすめどり」や「やまあらし」のものではありません。またその両者ともに「さへずる」ような声は出しません。

      つり鐘を叩いたようなさんかのごいの鳴き声も「さへずる」ようなものではありません。また,水辺を歩くこの鳥は,預言されたニネベの「荒野のごときかわける地」にふさわしくありません。しかしながら,やまあらしとをすめどり(ペリカン)ならこの土地にも合うでしょう。をすめどりは空飛ぶ水鳥の一種ですが,詩篇のことばの通り荒野の鳥でもあります。「わたしは荒野のペリカンのごとく」。(詩 102:6,新世)レビ記 11章18節で不浄な鳥の一種とされているをすめどりが,内陸の荒野にしりぞき,頭を肩に沈め,くちばしを胸に休めて,ものうげにすわりこむのはまれなことではありません。またをすめどりは不毛の島や,人間の往来によって妨げられない海岸の岩地を選んで繁殖地とすることもあります。ニネベに関する預言の主旨は,この町が完全な荒廃に帰することです。ニューヨークやロンドンやパリに,をすめどりややまあらしが出没し,その地を安楽な居住地とするには,このいずれの町もすっかり荒れてしまわねばならぬでしょう。

      それゆえ,ニネベの荒野にも,バビロンの廃墟にもふさわしい居住者はやまあらしです。さらに,「インペリアル聖書辞典」はやまあらしにつきこう述べています。「この動物は,パレスチナ,シリア,ユーフラテス峡谷の全域に豊富にいる。これは夜行性の動物であり,『陰険な動物たち』と交ることが多い。習性として,暗く淋しい場所に身をかくし,イドミヤ(イザヤ 34:11)やバビロンの廃墟によくいる。リッチ氏(バグダットに在住したことのあるイギリス人)は,古代都市バビロンの土手山探検について語り,通路や回廊の多くある中に,『多量のやまあらしの針を見つけた』と述べている」。

      廃墟と化したバビロンにやまあらしが住むのは実にふさわしいではありませんか,強大を誇った町の恐るべき結末です。その習性と,全身の針をさか立てる武装とのゆえに,地をはうやまあらしは,エホバの預言の言葉どうりにニネベとバビロンにのぞんだもの,すなわち,人の住まぬ全き荒廃のすがたを象徴するにふさわしい動物となっています。

      ● 「永遠の福音」をたずさえた黙示録 14章6節の御使は,「忠実な思慮深い僕」をさしていると言えますか。また,黙示録 14章8,9節の第2,第3の御使はなにを象徴していますか。―アメリカの一読者より

      1964年1月15日号「ものみの塔」の「『終りの時』に対する『永遠の福音』」と題する記事の中で論じたように,この3人の御使は,「忠実な思慮深い僕」も,統治体も,ものみの塔協会も,あるいは地上の神の民の監督たちをもさしていません。これら3人すべてが福音を伝えている事は,御使たちが宣教の仕事に加わる事をさしています。この事については,前記の「ものみの塔」45頁が第1の御使について取り上げ,次のように説明しています。「1919年以来,天使あるいはその象徴する天使の組織は,喜びの音信があらゆるところで伝えられるように図ってきました」。地上の御国宣明者たちは,黙示録に記録された御使たちの発表の言葉をとらえ,それを宣伝します。そしてこれは御使の指導の下に行なわれます。

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