政治と結ぶ宗教は神との戦争を意味す
『お前は諸国民と姦淫を行つた。』― エゼキエル 23:30,ア訳
1 なぜに水の1滴や,少しの塵を恐れませんか?
あなたは水の1滴を恐れますか? あなたは少しの塵を恐れますか? 桶から水を注ぎ出してから,桶を片づけ,たとえ水滴が桶の内にあろうとも,その桶は空ですとあなたは言います。バケツの中の二,三滴の水はどれ程の重要性がありますか? 実際から見て言うならば,空と同じことです。あなたが体重を測るとき,ハンカチを取り出して,体重計の上の塵を軽くはたきますか? すこしばかりの塵は,いつたい何でしよう? そんなものは,無いのと同じで,重さがなく,まつたく重要なものではありません。それで,水の1滴や,すこしの塵を恐れていますかと尋ねますと,あなたはためらうことなく,『いいえ』と答えます。
2 ある人は,どのようにして神に反対して戦いますか?
2 あなた自身の立場から見て,あなたは正しくても,神の立場から見て,あなたは間違つているでしよう。水の1滴のようなもの,そしてごく少しの塵のようなものをあなたが恐れるために,あなたは神と戦うようになつてしまいます。多くの人は,そのことを知らずに神と戦つています。もし人々が,神に反対して戦う群,宗教,または国家,または世界に属するならば,そのような団体の活動から分れた方が良いでしよう。聖書の確立している原則によると,人または群を支持するか,あるいは権力を与えることは,その人または群が犯す罪に支持者が共にあづかることになります。(テモテ前 5:22)驚くことには,支持者が共にあづかるのは,神に反対して戦いをするという罪であるかもしれません。
3 何が水の一滴と微量の塵にたとえられていますか?
3 その原則を書き記した使徒パウロは,また『もし神が私たちの側であるならば,誰が私たちに反対し得ようか?』と書きました。(ロマ 8:31,新世,欄外)あなたに対して,誰が反対し得ますか? もちろん,あなたの隣人,あなたの宗教,あなたの国家,あなたの生存している世界は,あなたに反対することができます。しかし,それらのものは何ですか? 神はそれらのものが何であるかについて,イザヤ書 40章15節で次のように言われています。『みよ,もろもろの国民は桶のひとしづくのごとく,量りの塵のごとくに思いたもう。』もし神があなたの側にいるならば,一体全体誰があなたに反対することができますか? しかし,もし神があなたに反対するならば,一体全体誰があなたを支持しますか? あなたは,全世界の支持を得るかもしれない,しかし,あなたは何を得たことになりますか? それは何に匹敵しますか? ほんのわずかの水の1滴,微量の塵にすぎません。―それらが神にむかつて戦争をしている人を支持する強い支持なのです!
4 私たちはどのように神の考えを知ることができますか? 政治と結びつく宗教についての神の考えを示すものとして,どんな聖句が引き出されていますか?
4 しかし,幾百万という人は,ヱホバが水滴または塵になぞらえているものを恐れているために,この古い世の側につき,そして神に反対しています。それで,神の言葉は次のように警告しています。『人を畏るれば,罠におちいる。』これに反して,『ヱホバを畏るるは,知識の本なり。』(シンゲン 29:25; 1:7)ヱホバの知識は,極めて高いものです。天が地よりも高いように,ヱホバの考えは私たちの考えよりも高いものです。(イザヤ 55:8,9)私たちはヱホバの考えにのぼらねばならず,彼の考えを私たちの考えのところまで引き下げることはできません。(イザヤ 55:8,9)聖書の中の言葉や,説明はこの低い地上の言語でヱホバの考えが表わされています。それでヱホバはそれらの言葉や説明を用い,私たちののぼるのを助けて彼の考えを理解せしめられようとしておられます。ここにいくらかの地的な言葉がありますが,それは堕落した人間でも理解することのできるものであり,地的な人間の心にも,政治と結びつく宗教についての神の考えが,良く理解納得できるものです。『胸の中に火をいれて,その衣服が焚かれないであろうか? 熱い石灰の上を歩いて,その足は火傷をうけないであろうか? 隣人の妻と姦淫をするのも同じである。触れる者で罰せられない者は一人もいない。盗人が空腹でその食慾を満たそうと盗みをする時,人はその盗人をけいべつしないであろうか? もし捕えられるならば,その盗人は七倍を支払うであろう。家の財産をみな渡すであろう。姦淫を行う者は,分別が無い。そのような者は,自分自身を亡す。傷と不名誉を身にうけ,その不面目は拭いさることができない。人はしつとのために非常に怒り,復讐するときに許すことはない。また,贈物を増すとしても,心が和らぐことはない。』― シンゲン 6:27-35,改訳。
5,6 シンゲン 6章27-35節は,政治と結びつく宗教について,どのように理解を広めますか?
5 女が他の男と姦淫するならば,その夫と争いを起すというだけではなく,その夫は他の男と争いをすることになります。神の律法は,姦淫を行う者に死刑を課しました。(申命 22:22)人がその空腹を充たそうと盗みをするならば,その人は,たとえ財産がみななくなろうとも弁償をしなくてはなりません。しかし,姦淫の行いにたいしては,どんな支払いで償うことができますか? 夫と妻の関係は近密なもので,聖なるものです。そして,その絆が破れる時,しつとに燃える怒りが起きます。贈物をしても償われず,賄賂しても和らげることができず,その不名誉は拭いさることができません。ただ恵みによつてのみ,許されることができます。
6 しかし,このことは,政治と結びつく宗教が神との戦争を意味するということと,どのように関係するのですか? なぜならば,ヱホバ神は,その契約関係にある者たちにとつて夫であると自ら言われているからです。チッポラがヱホバとの契約関係に入つた時,彼女はヱホバをその夫と言及しました。(出エジプト 4:25,26)ヱホバは,イスラエルとの律法契約の故に,イスラエル人について次のように語りました。『私は彼らにとつて夫であつた。』(エレミヤ 31:32,欽定)それで,イスラエルの国民は,ヱホバにたいして妻の立場を取つていました。イスラエルの国民は,契約を結んでいましたので政治的にもまた宗教的にもヱホバ神にたいして真実を保たねばなりませんでした。『ヱホバはわれらを裁きたもうもの,ヱホバはわれらに律法をたてたまいし者,ヱホバはわれらの王にましまして,われらをすくいたもう。』(イザヤ 33:22,ア標)宗教的な部門だけではなく,政府の司法,立法,行政の部門は,ヱホバの中に合わせふくまれていました。それで,その大いなる夫ヱホバに忠実であるためには,イスラエルの国民は,たんに宗教的なことがらだけではなく,また政府のことがらでもヱホバに従わねばなりませんでした。ヱホバに反対して,他の宗教的または政治的な結合をつくることは,イスラエルが霊的な姦淫をしたことになります。聖書はこう述べています。『彼らは不忠実になり,他の神々と淫行を結んだ。』(シシ 2:17,新世。出エジプト 34:15,16。詩 73:27。エゼキエル 6:9。ホセア 4:12)妻が姦淫することは,その夫とのあいだの争いを意味するように,政治と結びつく宗教は,神との戦争を意味します。
7 キリスト教国の宗教は,政治に介入することを正しいものにしようとして,どのように努めていますか?
7 キリスト教国の宗教は,彼らは神と契約関係を持つており,キリストの純潔の花嫁であると言います。しかし彼らは偽りの哲学や,政治的な事柄に専念していますので,神に奉仕する時間はまつたくありません。(コリント後 11:2。コロサイ 2:8。黙示 21:2,9)彼らは,政治に介入するのは政治を清めるためであるといつて,自分自身を正しいものにしようと努力しています。この偽りの考え方は,神との関係にあつて彼らを正しいものとはいたしません。ちようど,姦淫をした妻が,その夫にむかつて,『あの不道徳な方を清めようと思つて,関係をいたしました』と言つたところで,その妻は正しいと認められないのと同じことです。もし豚を洗おうと泥地に入るならば,その洗う人はすぐに豚のように汚れてしまいます。常識から言つても,洗う前に豚を泥から移すのが当然です。キリストは,腐敗した世の一部になつて,その世を彼の会衆に改宗しようとはしませんでした。彼はその会衆を選びだし,世から離れているようにと命じました。『彼はそれを言葉により,水によつて洗い清めた。それは,会衆が汚れや,皺や,そのようなもののない栄光に輝くものとして彼自身に献げることのできるためであり,それが聖にして瑕のないものとするためである。』― エペソ 5:26,27,新世。ヨハネ 15:19。
8 誰が政治に干渉すると,霊的な姦淫をすることになりますか? なぜ?
8 聖書の示すところによると,サタンはこの世の王であり,この世の人間の指導者たちはサタンの遣す悪鬼共によつて操られており,そしてこの世の奉仕に自らを捧げる者は,その神であるサタンの策にかかり,その奴隷にさせられてしまいます。(ロマ 6:16。コリント後 4:4。黙示 16:13,14,16)『全世界は,悪いものの勢力の下にある。』(ヨハネ第一書 5:19,新世)世の一部である者は,世の罪にあづかり,その神である悪魔サタンの勢力の世の下に属し,そしてヱホバとの契約関係にある者が,このように世に従うことは,霊的な姦淫をすることになります。それで,神との契約の関係がある者で世の友になる者は聖書によると,姦淫をする者と言われているわけです。『姦淫を行う者よ,世の友となることは神の敵となることをあなた方は知らないのか? それであるから,世の友となろうと欲する者は誰でも自ら神の敵となるのである。』(ヤコブ 4:4,新世)それですから,ヱホバと契約の関係を持つと主張し,キリストの花嫁のように見せかけながら,政治に手出しする宗教的な制度は霊的な姦淫を行つています。それは,離婚の理由となります。そして,ヱホバ神がイスラエルの国民を離婚したのは,そのような理由に基づいてなされたのでした。―イザヤ 50:1。
ユダはキリスト前607年に荒廃す
9 どんな出来事が模型のものでしたか? なぜそれらの出来事をいま考えるのですか?
9 イスラエルとのヱホバの交りは,模型のものであつて,現在の私たちのために教訓を与える例となつています。(ロマ 15:4。コリント前 10:11)そのような模型的な出来事の中に,キリスト前607年と西暦70年にそのイスラエル国家に起つた出来事があります。キリスト前607年にエルサレムとユダを荒廃せしめたのは,バビロンでした。しかし,エルサレムがなくなつて後に,そしてバビロンの廃墟が蓄積された塵と埃の下に埋もれた時,聖書はエルサレムとバビロンの将来の活動を語つていますが,それはこれらの場所が模型的なものであると示します。マタイ伝,マルコ伝,そしてルカ伝のそれぞれ24章,13章,21章の中で,キリスト・イエスは,西暦70年にエルサレムに襲つた荒廃の出来事を予言しましたが,しかし彼の語つた世界戦争,世界的な伝道,そして再臨は西暦70年に起りませんでした。このことは,西暦70年はただ縮図的な成就を示したのみであつて,予言のすべての事項が完全に成就する将来の主なる成就は残されていたということを示します。キリスト前607年と西暦70年の出来事は,模型的なものであるという理由ばかりのために私たちはそれらのものを考えるのではなく,それらの出来事は,この世の政治と結びついた時のイスラエルの結果を示していますので,これらの歴史的な出来事を検討することは特別に適当なことと思います。その契約の国民が政治に迷い込んだ時,その国民とのヱホバの交りは,そのような事柄についてのヱホバの心を表し示します。
10 キリスト前607年以前に,ユダはヱホバの目から見てどのように姦淫を行う者になりましたか?
10 キリスト前607年よりずつと以前のあいだ,ユダの国はヱホバの警告を聞きました。ヱホバはその予言者たちを繰り返し繰り返し遣し,住民たちが地を汚していた大きな罪を指摘しておりました。(エレミヤ 7:13,25)ユダは偽りの神々の崇拝に陥り,またまわりの国々と政治同盟を結びましたので,ヱホバの目から見るとき,自ら淫姦を行う者となりました。予言エゼキエルは警告を発し,ユダは偶像や,悪鬼の神々や,そして太陽すらをも崇拝するという悪い行いでヱホバの怒りを引き起していると述べましたが,ユダは,そのあいだ『ヱホバは我らを見ず,ヱホバはこの地を棄てたり。』と言つていました。(エゼキエル 8:1-18)予言者は再び,ヱホバがどのように亡びに面したその国民を救い出したか,どのようにその国民を清め,衣服をつけ,そしてどのように彼の妻のごときものにしたかを示しました。しかし後になつて,その国民はエジプト・アッシリヤ,そしてバビロンの異教の国民と姦淫を行うのみでした。それで彼はそのことについてこう言いました。『姦淫を行う妻! その夫の代りに見知らぬ者と通ず!』 この姦淫を行う者はその衣服をとられ,その恋人たちの前で体を現わし,その恋人たちによつて亡ぼされます。『我姦淫を為せる女,および血を流せる女を裁くがごとくに汝を裁き,汝をして怒りと嫉妬の血とならしむべし。我汝を彼らの手にわたせば,彼ら汝の褸を毀ち,汝の台を倒し,なんじの衣服をはぎとり,汝の美しき飾りを奪い,汝をして衣服なからしめ,裸にならしむべし。彼ら群衆をひきいて汝のところにのぼり,石をもて汝を撃ち,剣をもて汝を切りさき,火をもて汝の家を焚き,多くの女の目の前にて汝を裁かん。』― エゼキエル 16:32,38-41,ア標。
11 ユダはその姦淫をするにあたつてどのように気まぐれでしたか? その結果は何でしたか?
11 二人の姉妹という人物の下に,10の族のイスラエルの国と,二つの族のユダの国の定めのない行路は劇的に示されました。アホラは,イスラエルを表し,アッシリヤ人に恋い焦れ,彼らと淫行を行いましたので,ヱホバはついにこう言いました。『この故に我彼をその恋人の手にわたし,その焦がれたるアッシリヤの人々の手に付せり。是において彼ら彼の陰所を露し,その息子,娘を奪い,剣をもて彼を殺して,女の中にその名を聞えしめ,その身の上に裁きを行えり。』しかし,ユダを表すその妹であるアホリバは,イスラエルがキリスト前740年にアッシリアによつて亡ぼされ,その民が捕われたのを見ても,警告としてうけとらず,その腐敗した道を行い続けました。それどころか,アホリバはアッシリア人と交り,後にはバビロン人と交つてその淫行を増しました。そのような淫行をしておりながら,アホリバはバビロン人を棄てさり,エジプトと同盟を結びました。それでヱホバはアホリバにむかつてこう言いました。『我汝が心に疎んずるに至りしところの恋人らを起して,汝を攻めしめ,彼らをして四方より汝に攻きたらしむべし。すなわち,バビロンの人々およびカルデヤのすべての人々である。』(エゼキエル 23:9,10,22,23,ア標)以前の恋人たちの手にあつて,ユダに来るひどい荒廃を説明した後,ヱホバは次のようにつけ加えています。『是をもて,汝が淫をおこなえる恥露にならん。汝の淫行と邪淫もしかり。汝異邦人を慕いて淫を行いしにより,これらのこと汝におよぶなり。』― エゼキエル 23:29,30,ア訳。
12 ヱホバはバビロンをどのように用いましたか? ユダはその警告をどのようにうけましたか?
12 ヱホバの予言者エレミヤは,全く熱心にユダに警告を発し,ユダの罪と,また早く改善がされないならば,来るであろう荒廃について述べていました。エゼキエルは,バビロン人と彼らに交る者たちについてのヱホバの言葉を次の如くに記録しました。『私は裁きの執行をかれらに任す。』(エゼキエル 23:24,ア訳)エレミヤは,ヱホバが繰り返し述べた次の言葉『我が僕なるバビロンの王ネブカデネザル』を記録した時,同じことを表し示しました。(エレミヤ 25:9; 27:6; 43:10)エレミヤは,ユダのある特別な罪に注意を促し,そしてそれらの罪の故にバビロン人はエルサレムの町に反対して攻め来り,エルサレムの町をすつかり焼き亡し,またユダの地は70年のあいだ荒廃したままであろうと警告しました。(エレミヤ 25:11; 32:26-35)しかし,ユダヤ人はエレミヤを熱狂的な災難叫号者としておしのけてしまい,その警告に注意を払わず,改善しようとする運動をいたしませんでした。彼らは,偶像崇拝を長く行い過ぎていましたので,いまさらに変化をする必要を見ず,彼らのとりすました態度はこうでした。『ヱホバは我らを見ず,ヱホバはこの地を棄てたり。』
13 ユダは警告を無視して,どこに助けを求めましたか?
13 ヱホバは,エレミヤを通して,ユダはバビロン王の束縛に従うべきであると語りました。なぜならば,ヱホバはバビロン王を用いて歩みのはつきりしない国民に裁きを執行されたからです。もしユダの人たちが,この警告に従つたならば,剣,飢饉,そして疫病等による虐殺を蒙らなかつたでしようし,彼らのエルサレムの町は荒廃しなかつたことでしよう。(エレミヤ 27:12-17)しかし,心の頑くなユダの人はヱホバを信ぜず,また偶像崇拝を止めて,バビロニヤ人に服従し,そして亡びを避けるかわりに,エジプトと政治同盟を結んでその中に安全を求めました。バビロニヤ人の脅威がはるか彼方に表れ生じ,不吉の前兆を示したとき,ユダヤ人たちはエジプトにより頼み,エジプトは危険を追い払うだろうと依存しました。これより先き150年程前に次のような警告が与えられていたにもかかわらず,ユダヤ人たちはこのことをしたのでした。『ヱホバのたまわく,もとれる子らは災いなるかな。彼ら謀略をすれども我によりてせず,盟をむすべどもわが霊にしたがわず,ますます罪につみを加えん。かれらわが口にとわずしてエジプトに下りゆき,パロの力をかりておのれを強くしエジプトの蔭によらん。パロの力は反つてなんじらの恥となり。エジプトの蔭によるは反つてなんじらの辱かしめとなるべし。』『助けを得んとてエジプトにくだり,馬によりたのむものは禍いなるかな。戦車多きが故に,これにたのみ,騎兵はなはだ強きが故に之にたのむ。されどイスラエルの聖者を仰がず,ヱホバを求むることをせざるなり。然はあれどもヱホバもまた智慧あるべし。かならず禍害を下してその言葉をひるがえし給わず,起ちて悪しき者の家をせめ,また不義を行う者の助けをせめ給わん。かのエジプト人は人にして神にあらず,その馬は肉にして霊にあらず,ヱホバその御手をのばし給わば助くるものもつまづき,たすけらる者も倒れてみなひとしく亡びん。』― イザヤ 30:1-3; 31:1-3。
14 ユダはなにのために,エジプトとの同盟は旨くいつていると考えましたか? ユダは間違つていたということは,何が証明しますか?
14 この政治的な同盟は,神からの裁きに対する防備として,ユダは物質の肉の力により頼んでいたことを示しています。表し示された出来事が示したように,それは愚かなことでした。キリスト前609年にバビロンの軍隊はエルサレムを包囲しました。この時になつて初めてユダヤ人は恐れを感じ,遅ればせではありましたが,モーセの律法が命令していた時に,奴隷を自由に解放したりして,改善をいたしました。その時にパロの軍隊はエジプトから来て,バビロニヤ人はエルサレムの包囲を解かねばなりませんでした。すると,ユダヤ人はエジプトとの政治同盟は旨くいつて,バビロニヤ人からは安全であり,保護があるとすぐに考えました。そして,その改善を忘れました。というのは,モーセの律法に従つて最近に解放した者たちを急いで集め,新しく奴隷にしたからでした。囲みが解かれたのは,ただ一時的であり,バビロニヤ人は再び戻り,町を侵略するとエレミヤは警告しました。しかし,ユダヤ人はエジプトを信頼し,バビロンの軍隊は再び戻ることはないと言いました。だがバビロンの軍隊は戻つて来て,そしてキリスト前607年に,エルサレムとユダは全く荒廃の状態になりました。―列王紀略下 25:1-12,22-26。エレミヤ 34:1,8-11,21,22; 37:5-10。
15 キリスト前607年の出来事について,どんな事実を心に留めて置くべきですか?
15 この歴史的な出来事について,心に留めておくべきある重要な事項がいくらかあります。ユダヤ人たちは,神に対する彼らの罪について警告をうけました。しかし,ヱホバは彼らを見ておらず,ヱホバはその土地を棄ててしまい,また長いあいだ全く罰せられずに彼らは罪を犯してきたのであるから,いまさらに変える必要は無いと考えて,彼らはその警告に注意を払いませんでした。彼らは,ヱホバの僕に従う代りに,この世の政治的同盟を信頼しました。バビロンの結集した大勢力を見た後に,彼らには逃げることのできるすばらしい機会があつたのです。囲みが一時的に解かれた時,彼らは,ヱホバの用いていた者,すなわちバビロンのネブカデネザルのところに逃げて,亡びを避けるべきでした。ところが,彼ら自身逃げるのを拒絶したばかりでなく,他の者の逃げるのをも妨げました。もしある者が町を去つたならば,その者を暴動であると訴えました!(エレミヤ 37:11-15)終りに,ヱホバがネブカデネザルを用いてユダを罰し,彼をヱホバの僕と呼んだところで,ネブカデネザルやまた彼の支配の下にいたバビロニヤ人たちがヱホバの崇拝者ではあつたとは意味しません。彼らはヱホバの崇拝者ではありませんでした。彼らは悪鬼の宗教を行う者たちであつて,ヱホバは彼らを用いる以前でさえ,その正しい時に彼らを亡ぼすと言われました。(エレミヤ 25:12)次の一つの説明は,この間の事情をはつきり示すでしよう。第二次世界大戦のあいだ,共産主義者はヒットラー打倒に援助して,民主主義国家の目的に参与し,役立ちました。それで,その見地から見る時,共産主義者たちは,民主主義国家の僕と呼ばれます。しかし,それだからといつて共産主義者たちが民主主義を守る者になるわけでなく,それに民主主義の国々が共産主義者たちと戦うこともでき得るわけです。それで,ヱホバは悪鬼崇拝のバビロニヤ人たちを用いることができ,そして後に彼らを亡ぼしてしまいます。
エルサレムは西暦70年に荒廃す
16 西暦29年までに,どんな出来事が行われてきましたか?
16 ヱホバは予言した通りに,メデヤーペルシヤのクロスを起してバビロンを亡し,イスラエルの囚れ人を解放しましたが,それは彼らが戻つて,宮と自国を再建するためでした。(エズラ 1:1-4。イザヤ 44:28; 45:1-4。ダニエル 5:30,31)後の世紀のあいだ,ユダヤ人は以前のように甚しい偶像崇拝を避けましたが,非常に多くの言い伝えをつくり上げ,種々の宗派に分裂しました。彼らはヱホバの真の崇拝の路から遠く離れてしまいました。洗礼者ヨハネは,西暦29年に『ヱホバの道を準備する』仕事を始め,ヱホバの代表者は約束されたメシヤとして来るということについて人々の注意を惹きました。ヨハネは,彼らの罪や,また彼らは悔い改めねばならなぬということを警告し,そして,消すことのできない火に投げこまれるよう運命づけられている籾や,腐つた実を結ぶ木になる代りに,小麦や,良い実を結ぶ木になれと話しました。その結果,ユダヤ人はメシヤを待ち望み,注意を払つていました。―ルカ 3:1-17。
17 イエスは,反逆のユダヤ人たちにどんな警告を与えましたか?
17 イエスは西暦29年の秋にヨルダン河で洗礼をうけ,ヱホバの御霊で油注がれ,そして自らを約束されたメシヤとして献げました。イエスは,メシヤについて述べられているヘブル語聖書の予言を成就いたしましたが,ユダヤ人の宗教指導者たちはイエスを認め信じませんでした。イエスは彼らの虚栄心をうけて育つたのではなく,また彼らの政治的な野心に適応せず,彼らの罪について警告し,また次のことを警告しました。すなわち,彼らがその言い伝えによつて神の言葉を空しくし,一つの事を言つていながら反対のことをし,一般大衆を圧迫し,個人的に立派になろうと努め,良い称号を強く求め,自ら真の宗教を拒絶し,他の者がその真の宗教を行うのをさまたげ,小さな事柄にこだわつて,敬虔の大きな要求を果そうとせず,そしてその甚しい多くの罪をかくしながら外面だけは正義を見せかけようとした事についてです。イエスは彼らを蛇または蝮の子孫と呼び,彼らは亡びからいかに逃れると期待できるのか,そして『みなさい! あなた方の家は棄てられる。』と宣明いたしました。―マタイ 23:1-39,新世。15:3-9。
18 ユダヤ人のどんな憎むべき行いにより,ヨハネとイエスの両人が述べた警告のどんな成就がもたらされましたか?
18 しかし,ユダヤ人は洗礼者ヨハネの警告も,またイエスの警告にも注意を払わうとはせず,ただに出来事からだけではなく,また聖書の年代表からも彼らはメシヤを期待すべきであつて,イエスはメシヤであるということを明らかに識別し得たはずでした。(ダニエル 9:24-27)彼らはローマ帝国との政治的結びつきを好み,ピラトがイエスを王として献げた時,彼らはイエスを拒絶して彼の刑執行を要求し,そして『私たちには皇帝以外に王はいない。』と叫びました。(ヨハネ 19:14,15,新世)異教ローマは,犠牲を捧げていた偽りの神々や,悪鬼宗教,そして偶像崇拝の旗を持つていましたが,ヱホバの目から見るときローマは荒らす憎むべきものでした。それでヱホバに属するものであると主張する民が,ローマと政治同盟を結ぶことはただ彼らに亡びと荒廃をもたらすのみです。ピラトはユダヤの宗教家たちと共にイエスの死についてあずかり参加しましたが,この謀略は詩篇 2:1,2節の最初の成就でした。(使行 4:25-27)この同盟の腐つた実によつて,ヨハネとイエスの両人が警告した通り,ユダヤ人は火で象徴されている全き亡びに適している悪い木または価値の無い籾であると証明されました。(マタイ 7:19)彼らの警告は,西暦70年の破滅の出来事の時に成就されましたが,その時ユダヤ人たちはローマ帝国と憎むべき悪い同盟を結びましたので,エルサレムは亡びてしまいました。そのような重大な出来事に対しては,綿密に調べなければなりません。
19 西暦66年に起つたことは,クリスチャンたちに何を思い起させましたか?
19 幾年かのあいだ,パレスチナに不安と暴動が起つていましたが,西暦66年に反逆が実際に勃発し,シリアを治めていたローマ知事セシタス・ガルスがその軍隊をひきつれて来り,エルサレムの中にユダヤ人を閉じこめました。逃げなさいとのイエスの次の警告について不忠実なユダヤ人が考えたかどうかは分りませんが,エルサレムに閉じこめられたクリスチャンたちはまちがいなく,その警告を考えました。『エルサレムが布陣した軍隊で囲まれるのを見る時,エルサレムの亡びは近づいたと悟りなさい。その時ユダヤにいる者たちは山に逃れ始め,エルサレムの中にいる者たちは立ち去りなさい。町の近くにいる人々は,町に入るな,これらの日こそ,聖書に書かれてあるすべてのことが成就されるために,処罰に合うべき日なのだ。』また,『予言者ダニエルによつて語られている荒らす憎むべきものが,聖なる場所に立つのを見る時,(読む者は悟りなさい)ユダヤにいる者たちは山に逃れ始めなさい。』― ルカ 21:20-22。マタイ 24:15,16,新世。
20 何によつて逃げることができましたか? 誰がその機会を捉えましたか?
20 しかし,敵意に満ちた軍隊がひしひしと取り囲んでいるのに,エルサレムの中にいたクリスチャンたちは,逃げようという命令にどうして従うことができましたか? ガルスがある説明し得ない理由でもつてその軍隊を撤退した時,クリスチャンたちには,逃れ道が開かれました。歴史家のヨセハスは,セシタス・ガルスが『いましばらく包囲を続けたならば,町をかならず占領したに違いない』と述べています。しかし,『セシタスは,全然の理由なしに町から撤退しました。』a キリスト前607年にエルサレムが陥落する以前に,ネブカデネザルの軍隊が撤退して逃げることができたと同じ様に,西暦66年にガルスが不思議な撤退をすることにより,逃げる機会と,イエスの警告に注意を払う機会がありました。荒らすところのローマの軍隊は,その憎むべき偶像の旗をもつて,全く文字通りに宮のあるエルサレムの聖都を取り囲んでいました。それで,その後に続くとイエスの言つた亡から逃げるために,その時こそたしかに逃れるべき時でした。ガルスの軍隊が撤退した時,クリスチャンたちはエルサレムからだけではなく,ユダヤからも逃げ,ヨルダン河を渡つてギレアデの山に住み,特にペラに定住しました。b そのようにして,クリスチャンたちは,ローマとの憎むべき政治同盟の結果として後に来た亡びを逃れることができました。その亡びは,メシヤのみに保留せられている王の地位に,皇帝をつけるという憎むべき行いによつて生じたのでした。
21 エルサレムに対する裁きは,遂にどのように,そして何時執行されましたか?
21 しかし,政治と係り合い,逃げよとの警告をないがしろにしたそれらのユダヤ人たちに対して,神の裁きは遂にはどのように降りましたか? キリスト・イエスは,エルサレムに対して火の亡びを宣告し,そしてエルサレムに裁きは執行されました。ヱホバはこのイエス・キリストを用いて,裁の執行を天から監督させ,またヴェスパシアン皇帝の息子すなわち君であるテトス将軍はローマの軍隊を率いて来ましたが,彼は裁きをもたらすのに用いられた人間の機関でした。予言者ダニエルは,メシヤを拒絶して皇帝を選ぶという憎むべき悪いことについて語つたとき次のように言いました。『彼(メシヤ)は,来るべき君(テトス)と共に町と聖所を亡ぼすであろう。』または『後になつて,彼(メシヤ)は,来るべき君(テトス)によつて,町と聖所を荒廃にせしめる。』(ダニエル 9:26,七十人訳。ホウビガント訳)まつたくダニエルの予言の通り,そしてまた『石は一つのこらず覆えされるであろう』との宮についてのイエスの言葉の通りに,テトスの率いるローマの軍隊は西暦70年に町と宮をすつかり荒廃せしめました。―マタイ 24:2,新世。
歴史的な驚くべき詳細の事実
22-24 ユダヤ人はどんな警告を無視しましたか? どんな結果が生じましたか?
22 セシタス,ガルスが西暦66年に撤退して,安全のために逃げることができるようになつた時,イエスの次の警告『町の近くにいる人々は,町に入るな』は,その時から適用されました。(ルカ 21:21,新世)不忠実なユダヤ人たちは,これらの言葉を無視しましたので,その結果テトスが西暦70年に来た時,エルサレムの町は全パレスチナからの訪問者で混雑していました。『というのは,彼らは国のいたるところから酵いれぬパンの祝いに集まつて来ており,全く突然に軍隊によつて閉じこめられました。……いまやこの大群集は全く遠いところから集められ,そして全国民は運命によつて牢獄の中のような状態の中に閉じこめられ,ローマの軍隊は住民で町が混雑した時に,その町を取り囲んだ。』c
23 イエスは,逃げるのに愚図々々して後れることに対して警告をいたしました(マタイ 24:16-18)が,この警告は,馬鹿にされました。でも,多くのユダヤ人たちが逃げようと願つた時には,もはやすでに遅すぎて逃げることができなくなりました。ルカ伝 19章41-44節(新世)は次のように述べています。『そして,彼(イエス)がいよいく近くに行かれた時,町を見て,泣き,こう言われた。「もしお前が,この日に,平和をもたらす道を知つていたならば ― しかし,それはいまお前の目から隠されている。やがて,敵が尖つた棒でもつてお前のまわりに要塞を築いて取り囲み,すべての側からあなた方を困しめ,お前とその中にいる子供たちを地に打ち倒し,一つの石も他の石の上に残さないような時代がくるであろう。お前は調べられている時を見分けなかつたからである。』ユダヤの宗教家たちは,平和の君と関係する事がらを見分けず,イエスについての証拠に対しては心をかたくなにして,目と耳を閉じ皇帝を認め信じました。イエスが地上にいた時,イスラエルの国民にとつてそれは調べと裁きの時であつたということを彼らは見分けず,またイスラエルの国民は,ヱホバを讃美する良い実を結んでいないということが分りました。(イザヤ 6:10; 9:6。マタイ 13:14,15; 21:19)それに,機会があつたにもかかわらず,彼らは亡びの運命であつたエルサレムを逃げようとはせず,ぐづくづしていました。それでローマの軍隊は戻つてきて都をすつかり取り囲むだけではなく,丁度イエスが37年前に警告した通りに,垣すなわち,『尖つた棒の要塞』で都をぐるりと取り囲みました。約2里半の長さに及ぶこの垣は3日間ででき上りました。ヨセハスは,このことについて,こう言いました。『それで,脱出しようとするすべての希望はユダヤ人にはなくなつてしまい,都から外に出るという自由も消滅した。』d 彼らは愚図々々して後れていましたので,安全に逃げることは不可能になつてしまいました!
24 それにもかかわらず,ユダヤ人たちは後ればせの逃走を企てましたが,その時であつてもイエスの警告の諸点について無視し続けました。例えば,物を持ち出してはいけない,もし持ち出すならば後れてしまうし,逃げることは難しく危険になるであろうとイエスは語りました。(マルコ 13:15,16)しかし,ある者たちは,都を見捨てて,逃げ去つた時に金を呑みこみ,持ち出そうとしました。都の中のユダヤ人たちは,そのことを知りませんでしたが,都の外にいたローマ人たちはそのことを知つており,ヨセハスはその結果を次のように語つています。『しかし,この企てがある時に分つた時,逃走者たちは金を一杯に持つているという噂が陣中にひろまつた。それで,多くのアラビア人やシリア人たちは,嘆願者たちを殺し,彼らの腹の中を探した。これ以上にひどい不幸がユダヤ人に降りかかつたとは思えない,というのは一晩の中に約2000人の脱走者がそのようにして切開されたからである。』e テトスはこの評判の悪い行いをする者たちには死刑に処すと申し渡し,脅かしましたが,ローマの兵隊は他のものと一緒になつて,人間の腹の中に金を調査するというむごたらしいことをしました。それで,『彼らは切開して,腸から汚れた金を取り出した。金は少数の者の腸の中にあつたが,大部分の者は,金を持つてはいないだろうかという当てこみだけで殺された。このひどい取扱いのために,脱走していた多くの者は再び都の中に戻らざるを得なかつた。』f
25 ユダヤ人たちは,彼らの困難をどのようにつけ加えましたか?
25 逃げることをより一層に難しくしたのは,ユダヤ人自身にありました。幾年も前に,彼らはイエスを訴えて,皇帝に対して暴動であると言い,イエスに好意を持つ者も,その愛国心は疑うべきであると言いました。キリストの弟子たちは,ただ政治を避け,キリストの御国だけを支持したのでしたが,ユダヤ人は弟子たちを暴動であると訴えました。(ルカ 23:2。ヨハネ 19:12。使行 17:7; 24:5)しかし,西暦70年までには,ローマに関する限り,ユダヤ人は暴動の民であつて,エルサレムの死の罠から逃げて脱出しようとする者はユダヤ人に対する暴動と見なされ,死刑に処せられました。それで,ユダヤ人が逃げようと努力する時,その訴えは暴動であり,宣告は死でした。もし逃げる者がユダヤ人のところから脱出してローマの戦列につくならば,一番良くて捕われることでした。しかし,都の中に留まつていることは,剣か,疫病か,または飢饉で全く亡びて死ぬことを意味しました。ユダヤ人たちがローマ人と戦わない時には,ユダヤ人同志で戦い合い,いくつかの政治または宗教の派に分派し,どの派もその亡びに運命づけられた都を支配しようと一心に努力しました。それは,兄弟に手向い合うという場合でした。その内輪の戦いのために,ユダヤ人は,自分自身の食糧をすらほろぼしてしまい,飢饉と疫病とローマの勝利を早めさせてしまいました。
26,27 不従順にたいして,ヱホバはどんな災害を予言しましたか? それらの予言は,何時そしてどのように驚くべき成就をいたしましたか?
26 ヱホバ神は,西暦70年のそのひどい破滅の出来事より15世紀前に,そのような出来事は不従順の結果として生ずるであろうと予言されていました。『彼らはあなた方をすべての門の中に取り囲み,あなた方が頼んでいる高い堅固な城壁も全地にくずれるであろう。彼らは,あなた方の神ヱホバがあなた方に与えた全地にあつて,たしかにあなた方をその門の中に取り巻くであろう。その時,あなた方は,その胎の実,すなわちあなた方の神ヱホバの与えた息子,娘の肉を食べねばならないであろう。それは,あなた方の敵が取りかこむ厳しさと,圧迫のためである。そして,ヱホバは地の一つの端から他の端にいたるまで,全国民のあいだに,あなた方を必らず散らすであろう。あなた方は,あなた方もまた祖先たちも知らない木と石の他の神々に奉仕しなければならない。それらの国民の中にあつて,あなた方は楽にすることができず,足の踵の休みの場所はないであろう。ヱホバはあなた方の心をふるえしめ,目を昏まして,魂を歎かしめるであろう。あなた方の生命は全く危く,夜も昼も恐れを持ち,その生命をおぼつかなく思うであろう。そして,ヱホバは,あなた方を舟でエジプトに連れ戻すが,その道すぢについては,「あなた方は再び二度と見ることはない」と私の言つた道である。あなた方はエジプトで奴隷の男,奴隷の女として自らを売らねばならぬが,買い手は一人も居ないであろう。』― 申命 28:52,53,64-66,68,新世。
27 歴史は西暦70年から後にユダヤ人に起つたこれらひどい災難の驚くべき成就について証明しています。ヨセハスは,西暦70年の包囲の際の一人の女について,身の毛をよだたせる程にくわしく説明しています『その女は,息子を殺して,焼き,その半分を食べて,残りの半分を隠しておいた。この時に,まもなくして暴動家たちがやつて来て,この食物の恐ろしい匂いを嗅ぎ,女の準備した食物が何であるか見せなければ,喉をたちどころに切るぞと脅かした。女は,みなさんにはすばらしく良い部分が取つてございますと答え,その息子の残つている部分を表し示した。』人々は驚き呆れ,恐しくなり,震えながらその凄まじい場面を離れた。g テトスが遂に都を占領した時,110万人は死に,9万7000人は捕われました。h 生き残つたユダヤ人たちは,全地に散らされましたが,どこにも休みを見出すことができず,その心は絶望と恐れでみち,生命に対しての恐怖の念でさまよい歩きました。そればかりではなく,捕虜の大多数はエジプトの奴隷の状態に連れ戻され,ヱホバが15世紀以上昔しにその国民を救い出したのと同じ境遇に落ちてしまいました。彼らを捕えた者たちは,『彼らを絆で縛りつけ,エジプトの鉱山に送つた。』とヨセハスは言つています。i ジエー・エッチ・ヘルツの編集したユダヤ人聖書論註は,申命記 28章68節を考察して,次のように述べています。『ローマ人がエルサレムを亡した時に,テトスとハドリアンの両方は,多くのユダヤ人を奴隷にした。そして,エジプトは,非常に多くの奴隷を受けとつたのである。』それは更に続けて,ローマ人は地中海に艦隊を持つていて,それらの船で彼らは奴隷のユダヤ人をエジプトに輸送したと示しています。また,ユダヤ人は奴隷となつて自分自身を売ろうと努力しましたが,そんなにも多いユダヤ人に対しては買い主は一人もおらず,彼らは侮蔑をうけ,市場は供給が多すぎていました。申命記に書かれてある予言は,15世紀後にはなんと強く成就されたのでしよう!
28 ヨセハスはどんな言葉を記録していますか? 本筋から離れているものではありますが,憎むべきものは文字通りには,どのように聖なる場所に立ちましたか?
28 これらの災害は,悪いことで非常に有名であつた一時代の者たちの上に起りました。それについて,ヨセハスはこう言いました。『世の初めから,他のいかなる町といえども,そのような災害を蒙つたことはなく,いかなる時代といえどもこれ以上悪の実を多く結ぶ世代を生み出したことはなかつた。』j 神はローマ人をみちびいてユダヤ人を罰したというのはヨセハスの信ずるところであつて,テトスの次の言葉を引用しています。『我々は,この戦いにあつて神の援助をたしかにうけた。この要塞からユダヤ人を拒絶したのは,神以外の何物でもない。これらの塔を打ち倒すのに,人間の手や機械で何をすることができるであろうか?』k ユダヤ人は異教ローマと憎むべき政治同盟をして,キリスト・イエスの刑執行から身を守ろうとしましたが,それへの報いとして神の復讐は当然に来るべきでありました。ユダヤ人たちが,メシヤのみが取るべき王の地位に皇帝を置いたことは,憎むべき全く明白な行いであつて,亡びの原因となりましたが,しかしまた次のことに注意することも興味深いものです。すなわち,エルサレムの没落後に,『暴動を起す者たちが都に逃げこみ,聖なる家を焚いて,そのまわりのすべての建物が焚けた時,ローマ人は宮の中にローマの国旗を持ちこんで,東部の門(祭壇に近い)に立てかけた。そして,彼らはそこで犠牲を捧げた。』l このようにして,憎むべき偶像は,まつたく文字通りにユダヤ人の聖なる場所に立ちました。
29 キリスト前607年と西暦70年とのあいだに,出来事のどんなおどろくべき酷似がありますか?
29 キリスト前607年と西暦70年の両方に起つたある事柄には,非常な酷似があります。それは全く適当なことです。というのはそれら二つの期間は,いまこの現在の時代に起きているでき事を予影したからです。キリスト前607年と西暦70年の両方の亡びの起る以前に,ヱホバとの契約関係にあると主張し,忠実な『妻』であると見せかけた民は,多くの罪を持つて有罪でありました。彼らは宗教的に間違いの道に歩み,政治的な事に干渉しましたので,霊的な姦淫を行つていました。彼らが改革をしないならば,ヱホバは彼らを亡ぼしてしまうであろう,しかも,ヱホバは,亡ぼすために,彼らが以前に同盟を作つていて,後になつて離れてしまつた国々を用いるであろうと,繰り返し警告を与えられていました。彼らはヱホバの巡視と以前の政治的情人によるヱホバからの亡びを期待することができました。キリスト前607年と西暦70年の両方の場合に,亡びをもたらす軍隊は亡ぼそうとして来ましたが,しかしその後一時のあいだ撤退しました。それで安全に逃れる適当な機会があつたのです。反逆者たちは,逃げるのを延ばし後らせ,逃げようとした人をば暴動であるとの烙印を押しました。逃げる機会は早く過ぎさつてしまい,亡びをもたらす者たちは戻りひどい亡びが起りました。しかしながら,予言されていたように,このひどい亡びをもたらすのに用いられた勢力自体も予言されていたように,後になつて亡ぼされました。バビロンは,キリスト前607年に用いられた後に滅亡しました。ローマ帝国は,西暦70年に用いられた後に分裂し崩壊しました。黙示録 17章10節の示すところによると,第6次世界勢力は永続せず,第7次世界勢力がその後を相続することになつています。これら過去の非常な出来事のすべてが,現在の時代に起きつつある出来事をどのように説明するものであるかは,次の記事で示されています。
[脚注]
a 『ユダヤ人の戦争』第2巻,19章,6・7節
b マストン著『聖書は真なり』(英文)45頁,アルブラート著『パレスチナの考古学』(英文)242頁。
c 『ユダヤ人の戦争』(英文)第6巻,9章,3と4節
d 『ユダヤ人の戦争』(英文)第5巻12章2,3節
e 『ユダヤ人の戦争』(英文)第5巻,13章,4節
f 同 第5巻,13章,5節
g 『ユダヤ人の戦争』(英文)第6巻,第3章4節
h 同 第6巻,第9章3節
i 『ユダヤ人の戦争』(英文)第6巻,第3章,4節
j 『ユダヤ人の戦争』(英文)第5巻,10章5節
k 同 第3巻,7章31節,同 第6巻,9章1節
l 『ユダヤ人の戦争』(英文)第6巻,6章1節