-
読者からの質問ものみの塔 1975 | 11月1日
-
-
や内奥の気持ちを表わすものとして,また,そうした感情と関連のあるものとして用いられています。(詩 7:9; 26:2; エレミヤ 11:20; 20:12,新)他の人の最も奥深い感情や内奥の気持ちなどは人間には分かりませんが,偉大な検閲者であり,錬りきよめる方であるエホバやそのみ子からそうした感情を隠すことはできません。それゆえ次のように書かれているのです。「わたしエホバは心を探り,腎を調べる。おのおのに,その道にしたがい,その行動の結ぶ実にしたがって与えるためである」。(エレミヤ 17:10,新)啓示 2章23節は,み子の言葉を引用して次のように述べています。『わたしは腎と心を探る者である。そしてわたしはあなたがたひとりひとりにその行ないにしたがって与えよう』。それゆえ,エホバ神とイエス・キリストは,人間の最も奥深い感情を調べられます。そうした感情は,ちょうど文字通りの腎臓が人体の奥深い所にあるのと同じく,人間には隠されているかもしれません。
ゆえに,神のご意志と調和して生活するなら大きな霊的報いを得るようになります。神とみ子は,わたしたちが最も奥深い感情においてさえ,神に仕えることを欲しているのをご覧になるからです。そうすれば身体的にも益を受けることになるでしょう。感情の乱れが腎臓に影響を及ぼすことは注目に価します。例えば,感情の張りつめた状態が続くと,身体的な痛み,そして排尿機能の欠如や不全などをきたします。それで,聖書が勧めている通り自制力を培うなら,身体的な苦痛を免れる場合もあります。―ガラテア 5:22-24。
聖書は,文字通りの腎臓(腎臓の上面にある副腎をも含むと思われる)がどの程度感情に影響を及ぼし,また特定の感情を育むのに寄与しているかを明らかにしてはいません。わたしたちは,人体が調和のとれた統一体であり,その肢体は互いに依存し合っていることを念頭に置いておかねばなりません。(コリント第一 12:14-26と比べてください。)ゆえに,感情,気持ち,欲望などは,脳や心臓や腎臓のような器官のいずれか一つだけの働きに依存しているわけではありません。少なくともある場合に,聖書は,影響を受けた器官自体が,あたかもその器官に影響を及ぼす感情や態度の源であるかのように語っている,と言えるようです。
-
-
こうした事態をもたらすのが神の目的ですかものみの塔 1975 | 11月1日
-
-
こうした事態をもたらすのが神の目的ですか
決してそうではありません。神の目的は,人類の苦悩の原因すべてを除き去り,この地球を人類のための美しい楽園の住まいにすることです。
その目的が間もなくどのようにして成し遂げられるかを調べるために,「人間の益のために今や勝ち誇る,神の『とこしえの目的』」と題する本をお読みください。この192ページの堅表紙の本と「神が偽ることのできない事柄」と題する416ページの本を,わずか450円のご寄付でお求めになれます。郵送料は発行者が負担いたします。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。
-