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  • ヨエルはエホバの復しゅうと愛について預言する
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 9/1 28–30ページ

ヨエルはエホバの復しゅうと愛について預言する

「その後に,わたしはわたしの霊をあらゆる肉なる者に注ぎ,あなた方の息子や娘たちは必ず預言する。あなた方の年寄たちは,夢を見る。あなた方の若者たちは,幻を見る。そして,その日には,下男や下女たちの上にもわたしの霊を注ぐ」― ヨエル 2:28,29,新。

この二つの節は,ペテロがペンテコステの日に引用したために,ヨエルの預言の中では確かに一番よく知られている部分です。(使徒 2:14-18)ヨエルの預言はわずか3章から成り,合計73節しかないとはいえ,聖書のヨエル書にはそれ以外にも多くのことが述べられています。すなわち破壊的ないなごの大襲来とその結果生ずる飢きん,悔い改めと回復の時,諸国民に対するエホバの復しゅうの執行などについても述べられています。わたしたちの聖書では,ヨエル書はいわゆる「小預言書」の2番目に位置しています。小預言書は各々その長さから言えば確かに小さいものですが,重要さの点から言えば決してそうではありません。

ヨエルの預言を調べると次の聖書的原則が明らかになってきます。すなわち重要なのは音信であって,音信を伝えるのに用いられる人ではないということです。ですから筆者ヨエルについては,ペトエルの息子であったということしか分かりません。聖書に出てくる名前には重要な意味を持つものが少なくありませんが,ヨエルとその父親の名前の場合もそうです。「ペトエル」には「神は救い出す」という意味があり,「ヨエル」には「エホバは神である」という意味があります。

ヨエル書の内的証拠が示すところによると,ヨエルが2部族から成るユダ王国に属していたことはまず間違いないようです。そのことは,ヨエルの預言がユダとエルサレムおよびエルサレムにおける神殿奉仕に重点を置いたものであることから分かります。

この預言はいつ書かれたのでしょうか。これについては独断的なことは言えません。様々な学者が,早いところでは西暦前10世紀,遅いところでは西暦前2世紀という年代を挙げています。重要な証拠はそれが西暦前820年ごろであることを裏付けています。この年代は,イスラエルの後代の敵であったアッシリアやバビロンなどよりもむしろイスラエルの初期の敵であったティルス,シドン,ペリシテ,エドム,エジプトなどへの言及がなされている事実によって証明されるようです。また,同書がヘブライ語正典の中で占めている位置もそのことを示唆しています。

文体は,古い方の年代が妥当であることを示しています。ヨエルの文体は極めて格調が高く,よくみがかれたダイヤモンドのようだ,と考える人は少なくありません。事実,一部の学者は,ヨエル書の文学的質が非常に高いものであるために,同書を後の預言書の筆頭に置いています。文体は非常に詩的で,変化に富んだリズムを持つのが特徴です。ヨエルが直喩や隠喩を好んだこともその文体からうかがえます。

ヨエルの預言の信憑性をイスラエル人自身が疑ったことは一度もありません。ヨエル書はイスラエル人の正典の中で早くから誉れある位置を占めています。その信憑性をさらに裏付けるものは,使徒ペテロとパウロがヨエル書を引用しているという事実です。またティルス,ペリシテ,エドムなどに関する同書の預言が成就したことも,その信憑性を確証するものとなっています。―使徒 2:14-18。ローマ 10:13。

災いと飢きん

ヨエルの預言は3部から成ると見てよいでしょう。第1部では(1:1から2:11)いなごの大襲来による災いが二通りに描写されています。最初は,獅子の歯とあご骨を持ついなごの大襲来を含む災いのように描かれています。ヨエルのその描写についてはこう言われています。「この種の惨害を目撃したことのある人の多くは,これは,いなごの大襲来が一国民の生活の農業・経済・宗教面にもたらす恐るべき破滅を,科学的と言えるほどの正確さで描写したものであると言う」。

ヨエルが述べているように,すべてのものが食い尽くされ,土地は荒らされて,農夫たちは悲嘆に暮れ,ぶどう栽培者たちは泣き叫びます。家畜さえも嘆き,牛の群れは乱れ迷います。エホバの家の祭司たちや奉仕者たちが,うめき泣け,粗布をまとって一夜を過ごせ,断食の時を神聖なものとして「エホバに助けを叫び求めよ」,と言われているのも不思議ではありません。―ヨエル 1:14,新。

いなごの大襲来の2番目の描写は,警報を出すようにとの命令で始まります。「さあ,シオンで角笛を吹き鳴らし,わたしの聖なる山でときの声を上げよ」。それから次のような描写が続きます。「強力な者たちのように彼らは走る。戦士のように城壁を登る。……彼らは互いに押し合うこともない。その走路にあるますらおのように彼らは進んで行く。飛び道具の中で倒れる者がいようとも,ほかの者は進路から離れない。彼らは都市へ突き進む。城壁の上を彼らは走る。家々の上に彼らは登る。窓から盗人のように入り込む」― ヨエル 2:1,7-9,新。

極めて絵画的な表現法が用いられているところからすると,ヨエルの預言は過去において実際に生じたことの報告と言うよりもむしろ預言として見るべきもののようです。ではそれは何に適用されるのでしょうか。様々な事実はそれが,1920年代の初めから行なわれている,現代のエホバの証人による家から家への精力的な証言に当てはまることを示唆しています。現代のキリスト教世界にとってエホバの証人は確かに災いとなっています。彼らは規律正しい軍隊のように前進して来ました。a

悔い改めと滅び

ヨエルの預言の第2部では,悔い改めとそれに続く回復に関する事柄が扱われており,ヨエル 2章12節から14節(新)には次のように記されています。「心を尽くし,断食し,泣き,悼み悲しんでわたしに帰れ。そして,あなた方の衣ではなく,心を引き裂き,あなた方の神エホバに帰れ。主は情け深く,憐れみ深く,怒るのに遅く,愛の親切に富んでおられ(る)。……主があるいは立ち返って,実際に悔い,その後に祝福を,あなた方の神エホバのための穀物の捧げ物と飲み物の捧げ物を残してくださらないとだれが知ろう」。

預言のこの部分も現代において,特に神の民が汚れた唇を持ちエホバの怒りを買っていた第一次世界大戦中に特別の成就を見たものと思われます。ヨエル 2章17節に見られるように,エホバの民が悔い改めて神に哀願したのはその時でした。「ああエホバ,どうか,ご自分の民をふびんに思ってください。あなたの相続物を笑い物,諸国民が支配するものとしないでください。どうして彼らがもろもろの民の中で,『彼らの神はどこにいるのか』と言ってよいでしょうか」。―イザヤ 12:1; 6:5と比較してください。

2章21-27節と3章18-21節のヨエルの預言は,この悔い改めの報い,すなわち回復の約束を描写したものです。実際に,第一次世界大戦の悲惨な経験の後,エホバの民には霊的パラダイスの状態が回復されました。―イザヤ 35章もご覧ください。

使徒ペテロの言葉(使徒 2:14-18)から見て,ヨエル書 2章28,29節が西暦33年ペンテコステの日に成就したことは疑問の余地がありません。しかしこの預言は,サタンの事物の体制全体の「終わりの日」の期間にもう一度成就したようです。(テモテ第二 3:1)現代においてエホバの霊が注がれたのは特に1919年と1922年,オハイオ州,シーダー・ポイントで開かれたエホバの献身した民の二度の大会の時でした。

裁きの執行

第3部では裁きと刑の執行に関する事柄が扱われています。(ヨエル 3:2-16,19)エホバがなぜ諸国民に対して怒りを抱いておられるのか,その理由が述べられています。その理由はエホバの僕に対する彼らの仕打ちにありました。諸国民はエホバの僕たちを奴隷として諸国民の中に散らしました。また彼らはエホバの神殿から金銀その他の立派なものを奪い取り,それらを自分たちの神殿に携えて行きました。彼らはユダの子らに対して暴力を振るい,罪のない者たちの血を流しました。ここで注目に値する点は,エホバ神がその虐待を自分に対してなされたもののように述べておられることです。これは,タルソスのサウロがイエスの追随者たちを迫害していた時に,イエスがサウロに,あなたはわたしを迫害している,と言われたのに似ています。―使徒 9:5。

エホバはそれら諸国民の責任を追求された後,ご自身の民に対し,諸国民の中で,「戦いを聖なるものとせよ! 強力なものたちを奮い立たせよ!」と告げ知らせて,復しゅうの日をふれ告げよとお命じになります。そしてその後,イザヤ書 2章2-4節とミカ書 4章1-3節の言葉を逆にした命令をお与えになります。「あなた方の鋤先を剣に,刈り込みばさみを小槍に打ち変えよ。弱い者は言え,『わたしは強力な者だ』と」。彼らはエホシャファトの低原に召集されます。エホシャファトという名には「エホバは裁き主」という意味があります。―ヨエル 3:9-12,新。

次には諸国民に対してエホバが行なわれる復しゅうの様子が描かれています。鎌が入れられ,邪悪な諸国民は刈り取られて酒ぶねに投げ込まれ,酒ぶねは満ちあふれます。エホバが復しゅうされる極めて重要な理由として,預言のこの部分が次の言葉で結ばれているのは適切です。「こうしてあなた方は,わたしの聖なる山シオンに住んでいる,わたしがあなた方の神エホバであることを必ず知る」。(ヨエル 3:17,新)この預言は啓示の書がハルマゲドンについて述べていることと類似しています。―啓示 16:14-16; 19:15-21。

ヨエル書はエホバ神の主権を賛美する書です。そのことはエホバが『ユダの酔える者たち』(キリスト教世界)にいなごを襲来させ,また諸国民に戦いをしかけて,「エホシャファトの低原」で彼らを処刑されることに見られます。この預言はまたエホバの大いなる憐れみも強調しています。ヨエル書 2章13節はその一例です。「あなた方の神エホバに帰れ。主は情け深く,憐れみ深く,怒るのに遅く,愛の親切に富んでおられ,その災いのために必ず悔いられるからである」。さらにヨエル書には,諸国民の中で,「戦いを聖なるものとせよ!」とふれ告げる時に,来たるべきエホバの復しゅうの日についても警告するようにという,神の民に対する命令も含まれています。エホバが座して,「周囲のすべての国の民を裁く」時に住んでいるわたしたちは幸いです。―ヨエル 3:9-12,新。

[脚注]

a 詳しくは「ものみの塔」誌の1979年10月15日号16-18ページをご覧ください。

[29ページの図版]

「彼らは……戦士のように城壁を登る。……家々の上に彼らは登る」。この言葉はどんなことに当てはまるだろうか。

いなご

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