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『すべての国の人々を弟子とする』ものみの塔 1970 | 6月1日
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ていますが,「中空を飛ぶ天使」は御国の音信が鳴り響くよう,いわば戸をあけはなっています。昨奉仕年度中,二人のラオス人が新たに伝道奉仕をはじめました。今後いっそうの増加を見るための堅い基礎が置かれています。
関心のある人が,たとえば「ものみの塔」研究の集会に出席するようわたしたちの招待を受け,二,三度集会に出席した後興味を失うことがありますが,それは,集会にいくらかでも参加できるようその準備をする援助を受けなかったためではありませんか。ある青年は,集会に出席するのをやめた理由を宣教者から尋ねられ,こう答えました。「他の人はみな手を上げましたが,わたしだけは答えがわからなくて手を上げられなかったので,恥ずかしく思いました」。宣教者はさっそくその場で,青年が次の集会のために,二,三の答えを準備するのを助けました。彼は集会に出席し,喜んで参加しました。現在,この青年は自分で注解を準備するところまで進歩し,集会に定期的に出席しており,野外奉仕に参加したいと考えています。
もうひとりの伝道者はつぎのような報告を寄せています。「戸別訪問をしているとき,ある事務所でひとりの女のかたに会いました。わたしたちが雑誌を提供すると,その人は,現在パリに居る父親がしばらく前から同じ雑誌を送ってくれていると語りました。父親は娘にしばしば手紙を書き送り,エホバの証人の宗教こそ唯一の正しい宗教だから,それに加わるよう励ましていました。しかし彼女は,どうすればエホバの証人になれるのか,またエホバの証人をどこで見いだすことができるのか知りませんでした。ですがとうとうわたしたちが彼女を見いだしたのです。その女の人はさっそく『真理』の本を求め,研究が始まりました。彼女は『真理』の本を読み通し,全巻に傍線を引きました。そして,さらに他の手引きを読みたいと言っています」。わたしたちは,この経験から,愛する人々に真理を告げなさいという助言が賢明であることを知りました。
ベトナム
人口: 17,000,000人
伝道者最高数: 46人
比率: 369,565人に1人
昨年,ベトナムのエホバの証人にとって,顕著なできごとは,3年ぶりに巡回大会が開かれたことです。すべての伝道者が,エホバからのこのすばらしい備えを楽しみ,5人がこの大会でバプテスマを受けました。そして,全員がエホバの前進する組織をいっそう深く認識するようになりました。この平和な大会は,現在まで何年間も戦争を経験してきたこの国の情勢と著しい対照をなすものでした。しかし,人々の目から真の問題を隠そうとするサタンのさまざまな活動にもかかわらず,平和に対する人間の唯一の希望は神の御国であることを人々が知るよう,神の民は引き続き援助します。
宣教者のひとりは次の報告を送ってきました。「あるたいへん誠実そうな婦人に会ったので,その後2回訪問しました。しかし,毎回,その人は話ができないほど忙しく,わたしは非常に失望しました。でも,その人の娘が聖書を買いたいと言いましたので,数日後,聖書を持って再び訪れ,こんどはその婦人と家庭聖書研究を始めました。彼女はたいへん良い研究生でしたが,彼女にとって集会に出席することは困難でした。彼女は7人の子供の世話で忙しく,また夫が反対するため出席する勇気がありませんでした。ある日の午後,わたしが研究に行くと,その人はるすでした。彼女からの手紙には,彼女がわたしの時間を浪費させているから自分は研究をやめるべきだと書かれていました。またその手紙には,『わたしは,集会に定期的に出席したり,伝道に行くことなどとうていできません』と書いてありました。自分で克服できないと思われる問題が彼女にあることがわかったわたしは,数日後に訪問し,その問題について彼女と話し合いました。エホバに対する責任が第一で,夫に対する責任はそれに次ぐものであることを示す聖句を調べた後,その婦人は,人間ではなく神に従い,各月の第1週に開かれる集会には出席する努力を払うことを決意しました。二,三か月後,わたしは各月の第2週にも出席するよう彼女を励ましました。エホバはこの人のエホバに仕える誠実な努力を祝福され,現在では,7人の子供が聖書を学び,上の二人は母親について毎週野外奉仕に参加しています。かつて反対した夫も,御国会館の年句を書き,また,自分の家を奉仕集合所とすることに同意しました」。この例から,聖書研究生を助けるためには,その人たちの持つ真の問題を知らねばならないことがわかります。
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読者からの質問ものみの塔 1970 | 6月1日
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読者からの質問
● 『わたしたちを試みに会わせないでください』という神への祈りは,どういう意味ですか。―アメリカの読者より。
これはイエスの有名な“主の祈り”の一部です。キリストは許しを請うよう祈ることを弟子たちに勧めてから,「我らをこゝろみにあはせず,悪より救ひ出したまへ」と述べて,祈りを結びました。―マタイ 6:12,13。ルカ 11:4。
これは,神に願わないなら,神は人間を誘惑して罪を犯させることを意味するのではないかと疑問に思っている人がいます。しかし,けっしてそのようなことはありません。と言うのは,エホバはイエスの異父兄弟ヤコブに霊感を与えて,こうしるさせたからです。「人誘わるるとき『神われを誘ひたまふ』と言ふな,神は悪に誘はれ給はず,またみづから人を誘ひ給ふことなし」。(ヤコブ 1:13)この聖句に照らし,またこの聖句と一致して,イエスのことばを理解しなければなりません。
アダムとエバの経験を調べると,イエスの言われた事柄の意味が理解しやすくなります。神はふたりが「みるにうるはしく 食ふに善きもろもろの樹」から心ゆくまで食べることを許されました。しかし,善悪を知る樹から食べることは許されませんでした。―創世 2:9,16,17。
それは確かにふたりを試みるものでしたが,彼らを傷つけようと企てられた,悪意ある試みではありませんでした。イエスに敵対した宗教家たちは,イエスをわなにかけて彼を殺す口実を作るため,イエスを試みる企てをしましたが,神はそのようなことをされませんでした。(マタイ 22:15-18。マルコ 11:18; 12:13。ヨハネ 11:53)アダムとエバに対するこの簡単な試みをとおして,エホバは,ふたりが実際にどんな人間であるか,また,倫理的に自由な行為者として,ふたりが自分たちの創造者に心から従って仕える気持ちをもっているかどうかをはっきりさせることができました。
しかし,神がどんなにすぐれた行動を取られたかに注目してください。神は,アダムとエバが誤ちを犯さないよう,要するに,『こゝろみにあわせない』よう援助するため,不従順は間違いであり,死をもたらすことを説明されました。悪行をしないよう人に警告するのは,それによってその人を試みることであるとは絶対に言えません。最初の夫婦を誘惑したのは悪魔ではありませんでしたか。悪魔は,神が人間に定められた境界を越えさせるよう,ふたりを誘惑する機会を見つけたのです。木から食べることの結果について偽りを語ったため,彼の心には悪い欲望が芽ばえ,次いで罪がもたらされました。―創世 3:1-6。ヤコブ 1:14,15。
神は今日のクリスチャンに対し,悪を行なわないよう警告し,悪を行なう結果について忠告しておられますが,神がクリスチャンをそれによって『試みに会わせておられない』のは,アダムとエバの場合と同様です。その警告と忠告により,わたしたちは悪を行なう誘惑を退けることができるのです。
たとえば,エホバは,姦淫が罪であり,避けるべきものであることをはっきり述べておられます。(出エジプト 20:14。ロマ 13:9,10)それは,何が悪であるかを人間が知らないままでいないための警告です。また,クリスチャンがこの悪行にふける場合の結果についても,神は述べておられます。つまり婚姻の床を汚すことになり,罪の宣告を受け,神の国を継ぐことはできないのです。(ヘブル 13:4。コリント前 6:9,10)エホバがクリスチャンに姦淫をするよう誘惑していないことは明らかです。それどころか,コリント前書 7章5節のすぐれた助言を考えてください。合意によってしばらく結婚関係を断とうとする人に,『サタンがふたりを姦淫に誘惑する機会を与えないため,再びともになる』べきであるとの助言が与えられています。誘惑は,前もって警告される神からではなく,悪い欲望に乗じてサタンから来るのです。
同様に,テモテ前書 6章9,10節において,エホバは,金を愛することは危険であり,もろもろの有害な事柄に陥ると警告しておられます。そして,金を愛して富むことを求めるなら,信仰から迷い出,多くの心痛になやむ結果となることを述べておられます。つまり,わたしたちは,何が悪であるか,また,この誘惑に陥った場合どんな害を被るかを知らされているのです。―コリント後 2:11。
誘惑に会わせないでくださいと祈る人は,誘惑を退けるため,自分の最善を尽さねばなりません。そのためには,悪い欲望をかき立てるような考えだけでなく,誘惑を起こしそうな状態をも避けるべきです。さらに,善悪を見わけられるよう神のことばを勉強して,エホバに力づけてもらわねばなりません。
ゆえに,『わたしたちをこゝろみに会わせないでください』というイエスのことばは,神が人間を誘惑したり,悪を犯させるような状態に人間を落し入れたりするという意味でも,あるいは,そうしないでくださいと神に願う必要があるという意味でもありません。むしろ,そのことばは,誘惑となり得る悪行を知らないままにさせないで,わたしたちがその誘惑を避けるか耐えられるようにしてください,という神への願いを表わしているのです。
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