-
金銭を愛するとはどういうことかものみの塔 1962 | 5月1日
-
-
を残さなければなりません。富は人を死から救うことができません。「自分のために宝を積んで神に対して富まない者は,これと同じである」。―ルカ 12:21,新口。
金銭に対する正しい考え方
現在の組織制度のつづくあいだ。クリスチャンはその必要な物を求め,現代生活の便利な物を若干備え,宣教を拡大するための有用な手段として金銭を用います。お金があれば多くの物を手に入れることができるゆえに,クリスチャンは自制心を持ち,何時でも金銭は手段であることを覚えて,それを愛してはなりません。
使徒パウロはテモテに宛てた手紙の中で,富に対する正しい考え方を強調しました。金銭を愛することのないようにいましめたあとで,パウロは物質的に富むクリスチャンのあることを認めています。しかしパウロは金持ちのクリスチャンを非とせず,またその富を捨てて貧しい生活を送ることを命じていません。かえってパウロは物質の富に対して正しい考え方を持つようにとさとしました。「この世で富んでいる者たちに命じなさい。高慢にならず,たよりにならない富に望みをおかず,むしろ,わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に,のぞみをおくように,また,良い行いをし,良いわざに富み,惜しみなく施し,人に分け与えることを喜び,こうして,真のいのちを得るために,未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように,命じなさい」。(テモテ前 6:17-19,新口)たとえ物質的に富んでいてもこの正しい考え方を持っているクリスチャンは,金銭を愛する者ではありません。彼らは神に望みをおいて,富を頼りにしていません。そのどちらかを選ばなければならない時は,喜んで持ち物を捨て,神への奉仕を選ぶでしょう。
使徒パウロのなした如く,すべての力をつくしてエホバに奉仕することは宝であり,どんな多額の金銭もこれとくらべることはできません。パウロは経済的な負担を負わず,天幕作りを常時の職とする必要がなかったので,そのすべての時間を宣教にささげました。同じく今日においても開拓者あるいは新世社会内の特別な監督としてすべての時間を宣教にささげているクリスチャンがいます。金銭に対して正しい考え方を持っているために,彼らはこの世の職業に大部分の時間をついやして得る物質の物よりも,霊的な祝福のほうがはるかに価値のあることを認めています。
かなりの収入を得る人にとっても,普通程度の収入のある人にも,あるいはほとんど収入のない人でも,その考え方を支配するべき規則はイエスの定められた次の規則です。「まず神の国と神の義とを求めなさい」。(マタイ 6:33,新口)正しい考え方を持つとき,クリスチャンは金銭を手段として用いることができます。そして金銭を愛するようになって霊的な滅びに陥ることはありません。
-
-
2冊の雑誌 ― 4人の証者!ものみの塔 1962 | 5月1日
-
-
2冊の雑誌 ― 4人の証者!
ベネズエラの一婦人は,戸口におとずれたエホバの証者から「ものみの塔」と「目ざめよ!」を求めました。しかし読まずに置いておくうちに雑誌のことを忘れてしまいました。ところがある日,夫がレコードの間から雑誌を見つけてそれを読み,非常な興味をおぼえたので早速,協会の支部事務所をたずねて両方の雑誌を予約し,また他の聖書の手引も求めました。また御国会館で開かれる講演会に誘われたので,2,3週間ののち妻と一緒にやってきました。話を聞いて喜んだだけでなく,証者の友好的なことにも感銘を受けました。
それから家で聖書研究を開くことが取決められたのです。間もなくしてカナリヤ諸島から二人の義理の姉妹が来て聖書研究に加わり,御国会館の集会にも一緒に出席するようになりました。5ヵ月たたないうちに,4人とも家から家の伝道に参加し始めました。このすべては,2冊の雑誌がきっかけだったのです。
-
-
クリスチャンは伝道すべきものみの塔 1962 | 5月1日
-
-
クリスチャンは伝道すべき
聖書がクリスチャンに課している伝道の責務は,デンマーク,コンゲルスレブの牧師ピー・エッチ・ジョゲンセンも認めています。牧師は「会衆の他の人々,使徒,使者,宣教者と同じであり,会衆の他のすべての人の上でもなく,下でもない」とジョゲンセンは述べています。また牧師は助けを与える者であり,「会衆が世の人々に伝道する備えを身につけるような神学的援助を与えなければならない」とも語りました。この事を実際に行なっている教会が,どれだけありますか。―1960年9月27日,クリステリット・ダグブラット。
-