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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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リンチによる裁き?

● 「最新の社会的流行病」。ブラジルのニュース雑誌,「ベジャ」は,ブラジルにおける相次ぐリンチ事件の波をこう呼んでいます。リオデジャネイロ郊外で,怒り狂った暴徒たちが,ある犯罪で告発されていた農業経営者とその農場監督を殺しました。数日後,盗みや婦女暴行の罪に問われていた者たち数人が,激高した群衆に虐殺されました。中には,人々はもはや司法体制を通して公正な裁きが行なわれることはないと考え,自分たちの手で法を執行しているのだ,と言う人もいます。

しかし,ブラジル南部のタクシー運転手たちが同僚を殺した犯人だと思って一人の若い男の人を絞首刑にした事例の場合,その運転手たちは若者が無実であったことを後になって知り,がく然としました。

クリスチャンは人間に犯罪を終わらせる能力のないことを認めるものの,『政府の権威に服し』続けます。(ローマ 13:1)クリスチャンは自分たちの手で裁きを執行しようとはしません。むしろ,神の王国が悪をぬぐい去り,全地に真の公正を招来するときを忍耐強く待ち望みます。―詩 37:9,10。イザヤ 32:1。

泥沼のようなポップ・ポルノにおぼれる

● コラムニストのミシェル・ランズバーグは,トロント・スター紙上で,「自分の子供の聞いている歌に耳を傾けてみる」よう親たちに勧めています。この女性コラムニストは,ロックやディスコのポピュラー音楽が,「麻薬の使用と非常にあからさまな同性愛というテーマだけにほぼ全面的に頼っている」ことを指摘しています。ここから,「ポップ・ポルノ」,つまりポルノ的なポピュラー音楽という言葉ができました。今日の子供たちは,「泥沼のようなポップ・ポルノにおぼれている」と,ランズバーグは述べています。別の著述家は,そのような音楽を「赤線ロック」と呼んでいます。歌詞が余りにも卑わいなため,売春婦の使う言葉になぞらえられるからです。

ランズバーグは次のようにも語っています。「十代の若者の音楽にごく普通に使われる用語は(そのすべてが)卑わいな言葉で,普通に登場するテーマは女性に対する冷笑的なわいせつ行為か,性的暴行を乞い求める女性のヒステリックで卑屈な嘆願などである」。

金もうけという商業的関心に基づく欲望のほかに,世界の若者を堕落させようとするこの大々的な動きの背後にはもっと無気味な者が控えています。聖書の教えるところによると,悪魔は「自分の時の短い」ことを知って,「ほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとして」います。(啓示 12:12。ペテロ第一 5:8)この世がその「終わりの日」にあることを知り,悪魔は,世界的な洪水の前の時代にしたのと同じように,人類のうちのできるだけ多くの人を堕落させようとしているのです。―創世 6:1-12。テモテ第二 3:1-5。

広い道 ― どこへ至るか

● 「カトリックは戒律の宗教で,カトリック教徒であるためにはありとあらゆる戒律を守らねばならないという主張」について論じ合った際,ローマ・カトリックの神学者,アンドリュー・M・グリーリーは,「そのようなことはないし,これまでにもそのようなことは決してなかった」と答えました。そして,「あらゆる種類の戒律を破っても,なおかつカトリック教徒であれる」と述べています。

グリーリーは例を挙げてこう語っています。「人は,私同様,婚前の乱行を非難するかもしれない。それを罪深いことだと考えることもできる。実際,それは容易に罪深いものになることがある。しかし,それだからと言って,そのような行為を容認する人が,そのために教会員としての立場を失うわけではないし,実際にそれを行なう人が教会から追い出されるわけでもない」。グリーリーはそれからこう述べています。「広く境界線を引き,できるだけ大勢の人をその羊の群れに含めることは,常にカトリック主義の偉大な特色となってきた」。

しかし,この哲学は,カトリックの「偉大な特色」でしょうか。それとも聖書的に見て愚かなことですか。イエスはこう答えておられます。「狭い門からはいれ,亡びに行く道は,広く大きく,それを通る人は多い。しかし,命に行く門は狭く,その道は細く,それをみつける人も少ない」― マタイ 7:13,14,カトリックのバルバロ訳聖書。

自分たちの行動を変えないそうした者たちに対する神の見方は,次の言葉に反映されています。「兄弟と呼ばれる人々の中に,淫行者,貪欲な人,偶像崇拝者,ざんげんする人,酒のみ,掠奪者があれば,かれらとまじわらず,ともに食事さえするな……悪い人をあなたたちの中から退けよ」― コリント第一 5:11,13,バルバロ訳。

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