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本当の隣人愛を示す行いものみの塔 1963 | 5月15日
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された特権を心に悟り,理解したうえでとることのできる行いです。―ロマ 12:1。
20 献身する人々に対する神のみ心は何ですか。
20 このような献身をした人々に対する神のみ心は,「福音にふさわしく」生活すると共に,神の奉仕者となって家から家に「御国の福音」を宣べ伝えることです。これは神と隣人に対して偽りのない愛を示す行いです。
21 (イ)どんな質問をいま考慮することは有益ですか。(ロ)生命の道がけわしいように見えても,なぜ落胆すべきではありませんか。何をすることによって,神の国の福音は本当に福音となりますか。
21 これは福音の挑む事柄です。それに応じますか。へり下って神のみこころを従順に行い,福音を聞く者に与えられる責任を受け入れる人となりますか。これは自分にとって踏み行なうことのできない困難な道であると感じるかも知れません。イエスが語ったように「命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない」のは事実です。しかしそうは言っても落胆する必要はありません。生命の道を見出してその道を歩みつづけている人々は,自分の力でそうしているのではありません。エホバに仕え,新しい世に生きて永遠にエホバを賛めたいと誠実に願う人は,神のみ心を従順に行なってこの道に歩みつづけるに必要な導きと力をエホバから与えられます。同じ山上の垂訓の中でイエスは言われました,「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう」。(マタイ 7:14,7,新口)ゆえに真の神エホバと御子キリスト・イエスに信仰をおきなさい。キリスト・イエスは罪と死を除くためにご自分の生命を与えました。また神に任名された王となっていま天の御国において支配しています。約束された新しい世に信仰をおきなさい。天の御国の従順な民となっていま生活し,御国が人間の唯一の希望であることを宣明するわざに加わりなさい。何事をするにも,心と魂と力と思いをつくしてエホバ神を愛し,自分のように隣人を愛していることを行いに表わしなさい。そのとき神の国の福音は本当に「福音」となり,平和と正義の最も祝福された国で享ける永遠の生命を保証するものとなります。
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忍耐には報いがあるものみの塔 1963 | 5月15日
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忍耐には報いがある
◇ アメリカ,西バージニア州のポイントプリサントで昨年開かれた大会において,オハイオ州から出席した一人のエホバの証者は,次のような経験を話しました。「10年から12年ほど前,私はある村で働いていましたが,小さな村でもあり,そこに住んでいる人ほとんど全部と知り合いになっていましたし,村中の人も私の事を良く知っていました。私がある一軒の家で戸口を叩いたところ,中から婦人が出て来て言いました。『どうぞおはいり下さい。私はセブンスデイアドベンチストです。エホバの証者が私の家の中にはいった事はまだ一度もありません。実際,もしあなたが見知らぬ人だったら,今日も中にはいっていたゞかなかったでしょう。私は聖書を学んで,真理は一つしかない事,神が認められる宗教はたゞ一つである事を知りました。私たちの双方が共に正しいという事はないと思います。私が知りたいのは真理です。それがだれからもたらされようと問題ではありません。しらべてみて私の宗教が確かでないなら,価値はありません』。私もそれに同意して答えました。『そうです,私たちが共に正しいという事はあり得ません。あなたと同じように,私もいかなる試練にも耐え得る宗教を知りたいと思っています』」。
「このような話し合いのもとに『神を真とすべし』の本を使って研究が始まりました。そして,安息日に関する章に来るまでは私たちの研究は良く続きました。しかし,その後,6年から8年の間研究は中断し,また何度か再開されました。そして安息日を扱う章は色々な証者と全部で10回以上も勉強した事になるでしょう。こゝ5,6年の間,その婦人は御国会館に時々顔を見せました。だれをつれてくるかはきまっていませんでしたが,来るときにはいつでも,御主人か妹さんか,親戚か近所の人などを連れてきました。1960年に,婦人は私と一緒に御国の良いたよりを宜べ伝えるようになりました。そして,今では定期的な伝道者になっています。62年に,婦人は自分の妹と共に浸礼を受けました。今,私にとって大きな喜びとなるのは,この婦人が善意者にあって,安息日について聖書から説明するのを聞く事です」。
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