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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 4/1 222–223ページ

読者からの質問

● エホバはユダヤ人に一夫多妻を許されましたが,クリスチャンに対しては許しておられません。神の道徳律は変わったのですか。―アメリカの一読者から

いいえ,神の道徳律は変化していません。神の道徳律はこれまで常に完全なものであり,その完全さは今日でも同じです。モーセは神が当時許しておられた結婚に関する取り決めをわきまえていました。その上で,エホバについて,「(彼は)正しく,まっすぐなかたでいらせられる」と語りました。(申命 32:4,新)神はご自分がかつて一時的に許容された結婚上の関係を今日許しておられませんが,神の正しさはモーセの時代と同じく今日も明らかに示されています。

古代イスラエルおよびヘブル人の族長の間で一夫多妻が許されていたことについて読んだり聞いたりすると,神はみだらな性行為に対して目をつぶっておられたと感じる人が多くいます。その人々は,エホバが乱脈な結婚関係を黙認し,それをむしろ助長されたと考えます。しかしそれは全く真実からかけ離れています。なぜなら,十戒の中の1条は,他の人の妻と性関係をもつことを禁じているからです。また神は,近親相姦・獣姦・男色などを禁じ,これを犯す者に死の罰を定められました。―出エジプト 20:14。レビ 18:6-23。

神が一夫多妻を創始されたわけではありません。わたしたちはこの点を銘記すべきです。ふたりの妻を持ったことが聖書中に最初にしるされているのは,カインの子孫であった高慢なレメクです。(創世 4:19-24)一夫多妻の者はだれも大洪水を生き残れませんでした。ノアとそのむすこたちは皆,それぞれひとりの妻を持つ者であったからです。そののち神は大洪水後の族長たちと交渉を持たれましたが,その時はまだ,結婚を含む人間の諸行為に関する広範囲な律法を与えておられませんでした。アブラハムが妻サラの求めに基づいて行なった場合のように,不妊の妻を持つ者が,子を得る目的で第二の妻をめとったこともあります。(創世 16:1,2)それでも,聖書中にしるされる一夫多妻の多くが,問題や不幸を伴っていたことは注目に価します。サラとハガル,ハンナとペニンナ,そしてソロモンの妻たちの例がそれです。―創世 21:9。サムエル前 1:1-6。列王上 11:1-6。

それで,エホバがイスラエル人をご自分の国民として受け入れられた時,イスラエル人の間には,族長社会的な背景のゆえに,すでに一夫多妻がある程度まで存在していました。しかし,イスラエルにあっては,いつの時代でも,一夫一婦のほうがより一般的であったことを述べておきましょう。一夫多妻的な結婚がすでに存在していることを認めた神は,物事を律するため非常に厳格な律法を与えました。神が女性の地位や結婚を軽く見たというような非難は全くあたっていません。初めの妻,および第二の妻とその子供たちの権利と特権を保護するため,神は非常に道徳的な律法を定められたのです。(申命 21:15-17)したがってエホバは,一夫多妻を禁止はされませんでしたが,結婚関係における愛と敬意を明確に要求し,また性の不道徳を禁じられました。エホバの道徳上の基準は正しく,かつ完全でした。

マタイ伝 19章8,9節で,イエスは結婚に関して大切な事柄を述べられました。神がモーセを通じて与えた律法の下で離婚が許されていたことに関し,キリストはこう言われました。「モーセは汝らの心,つれなきによりて妻を出すことを許し[容認し,新]たり。されどはじめよりさにはあらぬなり。われ汝らに告ぐ,おほよそ淫行のゆえならでその妻をいだし,他にめとる者は姦淫を行ふなり」。明らかにこの離婚の場合と同じく,神は一夫多妻を容認されたのであり,同時にそれを厳重に規制されました。

これは,「上にある権威」つまりこの世の諸政府を神が許容しておられることと似ています。神はそもそもそれらを創設されたわけではありません。しかしそれらは現実に存在しており,神がそれを取り除く時はまだ来ていません。それで神は,ご自分がしばらく許しておられるこの取り決めに対してご自分のしもべたちがどのようにふるまうべきかについて指示を与えておられます。―ロマ 13:1-7。

クリスチャンは一夫多妻に関してどんな立場にありますか。クリスチャンに一夫多妻は許されていますか。それとも,神がそれを許しておられる期間はすでに終わりましたか。

右に引用したことばを述べる前,イエスは創世記 2章24節を引いて言われました。「人は父母を離れ,その妻に合ひて,二人のもの一体となるべし」。(マタイ 19:5)神はアダムにただひとりの妻を与えられました。3人や4人ではなく,二人の者が一体となることが原型です。イエスはあきらかに,人間の結婚として神が初めに定められた型,つまりひとりの男が生きたひとりの妻を持つという形に,ご自分の追随者たちを帰らせようとしておられたのです。使徒パウロは霊感の下に,これが正しい理解の仕方であることを示しています。コリント前書 7章2節でパウロは,「男はおのおのその妻をもち,女はおのおのその夫をもつべし」と書きました。またパウロは,会衆内の任命を受けたしもべが「一人の女の夫」であるべきことを指示して,一夫一婦がクリスチャンの従うべき原則であることを示しました。―テトス 1:6。テモテ前 3:2,12。

こうして神は一夫多妻を容認することを終わりにされました。神は物事を当初定めたとおりにもどされたのです。それで神の道徳律が変わったわけではありません。それは初めと同じで,完全でした。そしてエホバは終始,性の不道徳を否認されました。神は一貫してそれを卑しむべきもの,また厳罰に価するものとみなされたのです。―ガラテヤ 5:19-21。コリント前 5:9-13; 6:9,10。

ここに見たとおり,二つの取り決め,つまり一時的に一夫多妻を許容されたこと,および一夫一婦制がクリスチャンに要求されていることの双方において,エホバはみだらな行為と性の不道徳を戒められ,結婚関係における規律と愛と敬意とを促されたのです。モーセはエホバについて,「(彼は)正しく,まっすぐなかたでいらせられる」と語りました。キリストとパウロもエホバが正義のかたであることを述べています。(ヨハネ 17:25。ロマ 3:26)そして今日のわたしたちも,道徳上の原則に関して神が完全かつ一貫しておられることを認め,それら昔の人々に同意できるのです。

● イエスは,「預言者のエルサレムの外にて死ぬること有るまじきなり」と言われました。これはどういう意味ですか。―アメリカの一読者より

西暦32年の過ぎ越しのしばらくのち,『イエスは自分がエルサムに行って,長老・祭司長・学者らから多くの苦しみを受け,かつ殺されることを弟子たちに示しはじめ』られました。(マタイ 16:21)イエスは,自分が死刑に定められて殺されるのが,コリント,ローマ,サマリヤその他の都市ではなく,エルサレムおよびその周辺であることをあらかじめ知っておられたのです。イスラエルの家につかわされたイエスは,ユダヤ人の都で死ぬのです。―マタイ 15:24。

ユダヤ暦同年の後日,キリストはエルサレムでの自分の死が近いことに再びふれ,こう言われました。「預言者のエルサレムの外にて[もしくは,「エルサレムから離れた所で」,アメリカ改訂標準訳]死ぬること有るまじきなり。あゝエルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,つかはされたる人々を石にて撃つ者よ……我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾たびぞや。されど汝らは好まざりき。みよ,汝らの家はすてられて汝らにのこらん」― ルカ 13:33-35。

確かにエルサレムを,「預言者たちを殺(す)」者と呼ぶことができましたが,預言者のエルサレムの外にて死ぬることは有るまじきなりと言われたイエスは,エルサレム以外の場所で殺されたユダヤ人の預言者はひとりもいないという意味で語られたはずはありません。ヨセハスによれば,バプテスマのヨハネが首を切られたのは,死海ペレア側のマケラオにおいてでした。明らかにイエスは,ユダヤ人が預言者,なかんずくメシヤを殺すとすれば,それはおおむねエルサレムにおいてであり,そう予想するのはもっともであると言っておられたのです。

こう言われた理由の一つは,71人の成員から成るサンヘドリンつまり高等法廷がエルサレムにあったことです。神の律法の下で,偽りの預言者は死に定められました。(申命 18:20)ユダヤ教のミシュナはこう説明しています。「彼は自分の町やヤブネにあった法廷で死に定められたのではなく,エルサレムにあった大法廷[サンヘドリン]の前に出された」。(サンヘドリン,第11,第4節)サンヘドリンはエルサレムにあり,「偽りの」預言者がさばかれ罪を定められ死に処されるのはこの法廷においてであったため,ユダヤ人の宗教指導者たちが自分を神からつかわされた真の預言者として受け入れないことを知っておられたイエスは,前記のことばを語られました。

さらに,イザヤはメシヤがほふられる羊のごとくに引き出されることを予告していました。(イザヤ 53:7)またバプテスマのヨハネはイエスを,「世の罪を除く神のこ羊」と呼びました。(ヨハネ 1:29)ではイエスが小羊とくに過ぎ越しの小羊として犠牲にされるのに適切な場所はどこですか。(コリント前 5:7)それは,常供の犠牲が神にささげられ,過ぎ越しの小羊がほふられたエルサレムではありませんか。そうです。これも,イエスがご自分の死の場所としてエルサレムをあげられた理由です。

その後の物事の進展の結果,イエスの語られたことは真実となりました,イエスはエルサレムのサンヘドリンの前に出され,そこで有罪とされました。そして,イエスが死なれたのもエルサレム,つまりその城壁をわずかに越えた所でした。

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