聖書理解の助け ― 建築者,建造物
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
建築者,建造物。エホバ神は万物の創造者としてひときわぬきんでた建築者です。(ヘブライ 3:4。ヨブ 38:4-6)神のことばなるロゴスは後にイエス・キリストとなりましたが,優れた働き手であり,万物の創造のため神に用いられました。(ヨハネ 1:1-3。コロサイ 1:13-16。箴 8:30)人間は創造の業を行なえません。既に存在する材料を用いて建造するだけです。事を計画し,種々の道具を造り,建造物を築き上げる能力は創造のさい人間に植え込まれ,人間の歴史のごく早い時期から発揮されてきました。―創世 1:26; 4:20-22。
アダムとエバの最初の息子カインは,都市の建設者として聖書の中に最初に名を挙げられています。カインはその都市に自分の息子エノクと同じ名を付けました。(創世 4:17)ノアは箱船を建造しました。そのひな型はエホバから与えられました。やに質の木材がこの3階構造の箱船の材料として用いられ,その外側と内側にタールが塗られました。(創世 6:14-16)「エホバに逆らう強大な狩人」と称されたニムロデは幾つもの都市を建設しました。すなわち,バベル,エレク,アツカデ,カルネ,およびニネベ,レホポテイリ,カラ,レセンです。―創世 10:9-12,新。
イスラエル人は,エジプトで奴隷状態にあったときに,ファラオのための倉庫の都市としてピトムとラメセスを建設しました。(出エジプト 1:11)エホバにより約束の土地に導き入れられたとき,彼らはその地に住んでいたカナン人が建てた都市をそこに見つけました。イスラエル人は住居の備わったそれらの都市の多くを手に入れて,それを利用しました。―申命 6:10,11。
モーセは荒野における幕屋およびそれに伴うすべての器物の製作を監督しました。そのひな型も神によって備えられました。(出エジプト 25:9)その製作や建造の作業で指導の任に当たったのはベザレルとアホリアブで,これらの人々の技能は神の聖霊によっていや増し,完成の出来ばえはまさに神がモーセに命じたとおりになりました。―出エジプト 25:40; 35:30-36:1。
ダビデはエルサレム市をエブス人から手に入れた後,自分が住むための家も含めそこで相当量の建築工事を行ないました。(サムエル後 5:9-11)その子ソロモンは建築者として特に名を知られ,中でもエホバの神殿は彼の事業のうち最大のものでした。この神殿の設計は霊感によりダビデに与えられていました。(歴代上 28:11,12)ダビデは,金,銀,銅,鉄,木材,石材,貴石など,神殿造営に必要な多くの資材をも集めましたが,それらは一般の民から,またダビデ個人の蓄えの中から寄進されたものでした。(歴代上 22:14-16; 29:2-8)ティルスの王ヒラムはダビデに対して行なったと同じくソロモンに対しても援助の手を伸べ,種々の資材,とりわけすぎとねずの材を供与し,また多くの働き人も提供しました。(列王上 5:7-10,18。歴代下 2:3)ヒラム王はまた,ティルス人とイスラエル婦人との間に生まれたヒラム(ヒラム・アビ)という名の人をも送りましたが,これは金,銀,銅,鉄,石材,木材,織り地などを扱う非常に熟練した働き人でした。―列王上 7:13,14。歴代下 2:13,14。
ソロモンはほかにも大規模な建築工事を行ないました。自分自身の王宮,およびレバノンの森の家,列柱玄関,王座の玄関などです。これら神殿および官庁施設の建造のために20年を要しました。(列王上 6:1; 7:1,2,6,7; 9:10)それに続いて,ソロモンは全国的な建築事業に着手し,ゲゼルと下ベテホロン,荒野のバアラとタマル(タデモル)などを築き,それと共に倉庫の都市,兵車の都市,騎兵のための都市なども造営しました。(列王上 9:17-19)パレスチナにおける発掘,とりわけハゾル,メギド,ゲゼルでの発掘によって市の城門や城塞施設が発見されており,考古学者たちはそれをソロモンによるものとしています。
イスラエルとユダの王たちの中で際だった建築者として特に知られるのはソロモンの子レハベアムです。彼が建て直した都市の中には,ベツレヘム,エタム,テコア,ベテズル,シヨコ,アドラム,ガテ,マレシヤ,ジフ,アドライム,ラキシ,アゼカ,ゾラ,アヤロン,ヘブロンがあります。レハベアムはまた城塞地の強化や施設の増強も行ないました。(歴代下 11:5-11)建築工事に携わった他の人々としては,「ラマを建てはじめた」イスラエルの王バアシヤ,ベニヤミンのゲバとミズパを築いたユダの王アサがいます。またベテル人ヒエルは破壊されたエリコの再建を試みましたが,その土台を据えたときに長子アビラムを失い,城門を取り付けたときに末子セグブを失って,ヨシュアの預言のとおりになりました。(列王上 15:17,22,新; 16:34。ヨシュア 6:26)イスラエルのアハブ王は象牙の家を建造し,加えて幾つかの都市を築きました。(列王上 22:39)メギドで発掘された大々的な城塞施設や種々の造営物で従来ソロモンのきゅう舎とみなされていたものがありますが,考古学者の中にはそれをアハブ時代のものとする人々もいます。アハブの治世はソロモンの死から57年ほど後に始まっており,ここに述べたものより下の層から発見される工作物が今やソロモンの設けた城塞施設とみなされています。
ユダのウジヤ王も大々的な建築工事を行ないました。(歴代下 26:9,10)ウジヤはエルサレムの城塞工事にあたって軍事的才能を発揮し,「技術者たちの考案である戦闘機械」を使用しました。(歴代下 26:15,新)セナケリブのラキシ攻撃の様を描く浮き彫り壁画は塔ややぐらの上に特別の防御物が取り付けられていたことを示していますが,考古学者はそれらもウジヤによるものとしています。
ヨタムも多くの建築工事を行ないました。(歴代下 27:3,4)またヒゼキヤはエルサレムの防備強化に力を入れ,その一環としてギホンの泉から市内に水を引くためのトンネル水路を掘りました。(歴代下 32:2-5,30)このトンネル水路はエルサレムを訪れる人が今日でも見ることができます。
流刑の後,ゼルバベルは5万人近い人々と共にバビロンから旅し,エルサレムにおいてエホバの神殿の再建工事に着手しました。それが完成したのは西暦前516年です。その後,西暦前455年にネヘミヤはシュシャンから来て市の城壁を再建しました。―エズラ 2:1,2,64,65; 6:15。ネヘミヤ 6:1; 7:1。
バビロンのネブカデネザル王は主としてその軍事的事績によって知られていますが,建築者としても大きな跡を残しました。エホバへの神殿を建てたことはありませんが,バビロンにおいて偽りの神々のための神殿を54も造営しました。彼はまた公共施設の建築者としても知られています。彼の残した種々の碑文はその軍事的功業よりも,むしろ建築事業に関することを述べており,その中には神殿,王宮,街路,堤防,城壁などがあります。ネブカデネザルはバビロン市を古代世界の驚異とし,バビロニア地方のどこにも,有名なバビロンのつり庭に匹敵する造営物はありませんでした。このつり庭はネブカデネザル王がメディアから来た自分の妃の望郷の情を慰めるために築いたものとされています。このつり庭は古代世界の七不思議の一つとされました。
ヘロデ大王はエルサレムにあったエホバの第二神殿を建て直しました。ユダヤ人がヘロデを信頼しなかったため,彼はまず資材を運び入れ,その後第二神殿を少しずつ取り壊してそれを新しいものに造り直してゆくという方法を取らざるを得ませんでした。こうした理由のため,またヘロデに対する嫌悪感のゆえに,ユダヤ人はそれを第三の神殿とはみなしていません。ただし,他の人々でそれをそのように呼ぶ人たちはいます。西暦30年,神殿域を造り直す工事は既に46年も続けられており(ヨハネ 2:20),その後さらに幾年も費やされました。ヘロデはまた人工の港としてカエサレアを構築し,サマリアを再建し,ほかにもパレスチナ内外で大々的な建築事業を手がけました。
イエスは地上にいたとき建築の仕事を手職とし,「大工」と呼ばれていました。―マルコ 6:3。
聖書時代に用いられた建築資材としては,土,種々の木材,石,貴石,金属,織り地,石こう,モルタル,歴青,石灰から作る水しっくいなどがあり,木材を装飾する顔料,織り地のための染料なども用いられました。れんがに塗料をぬり,ほうろう細工を施す場合もありました。
聖書の中には建築用の道具や器具の名前も数多く挙げられています。例えば,斧(申命 19:5),つち(士師 4:21),鍛造用のつちと金敷き台,くぎと接合もしくはつなぎとめる道具(イザヤ 41:7),のこぎり(イザヤ 10:15),石のこぎり(列王上 7:9),測り綱もしくは縄(ゼカリヤ 1:16; 2:1),葦の測りざお(エゼキエル 40:3。啓示 21:15),下げ振り(アモス 7:7,8。ゼカリヤ 4:9,10),水準器(列王下 21:13。イザヤ 28:17),かんなとコンパス(イザヤ 44:13),なた(イザヤ 44:12。エレミヤ 10:3),のみ(出エジプト 20:25),天びん(イザヤ 40:12)などです。
比ゆ的な用法
クリスチャン会衆は,使徒や預言者たちを土台,キリスト・イエスを隅の土台石としてその上に建てられた家もしくは神殿とみなされています。それは「神の建物」,「神が霊によって住まれる所」と呼ばれています。(コリント第一 3:9。エフェソス 2:20-22)イエスは詩篇 118篇22節の言葉を自分に当てはめ,自分を,「建築者」であるユダヤ人の宗教指導者やその追随者たちが退けた「石」であるとされました。(マタイ 21:42。ルカ 20:17。使徒 4:11。ペテロ第一 2:7)会衆の個々の成員は「生ける石」と呼ばれています。(ペテロ第一 2:5)この会衆はイエス・キリストの花嫁として知られていますが,同時に都市すなわち新しいエルサレムとしても描かれています。(啓示 21:2,9-21)ヘブライ 11章10,16節でエホバはこの都市の建設者と述べられています。
イエスは自分の話を聴く人々を二種類の建築者になぞらえました。一方はキリストへの従順という岩塊の上に自分の人格と生き方を築き上げ,そのゆえに反対や患難のあらしに耐えることのできる人です。他方は砂の上に築いた人で,圧迫が臨むときに耐えることができません。(マタイ 7:24-27)他の人の内にクリスチャンの人格を築き上げるということも「作業監督」なる使徒パウロによって論じられています。(コリント第一 3:10-15)ある時イエスはユダヤ人に言いました,「この神殿を壊してみなさい。そうしたら,わたしは三日でそれを立てます」。(ヨハネ 2:19)ユダヤ人は,イエスがヘロデの神殿に関して述べているものと考えて,裁判の際これを言いがかりにしてイエスを責めました。証人たちは彼をとがめて,「わたしたちは,彼が,『わたしは手で作ったこの神殿を壊し,手で作ったのではない別のものを三日で建てる』と言うのを聞きました」と言いました。(マルコ 14:58)イエスは比ゆ的な言い方をし,「ご自分の体の神殿」について述べていたのです。イエスは死に処され,三日目によみがえりました。(ヨハネ 2:21。マタイ 16:21。ルカ 24:7,21,46)その父エホバ神の力によって復活し,エルサレムの神殿のように手で造ったものではない別の体,み父の造った(建てた)霊の体を受けたのです。(使徒 2:24。ペテロ第一 3:18)人の体に関してこのように建築の比ゆを用いるのはそれほど異例のことではありません。エバの創造に関して,「エホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ(た)[築き上げた]」と言われているからです。―創世 2:22,新。
イエス・キリストは,「終わりの日」に人々が家を建てるとか他の生活上の活動にかまけ,ロトの時のように時代の真の意味を見落とし,そうした活動のさなか,全く気づかぬうちに滅びがその人々に臨むであろうと予告されました。―ルカ 17:28-30。