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戦争に悩まされた世界で良いたよりの種をまくものみの塔 1974 | 2月15日
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24 (イ)コロサイ人はいまやどの国民に属していましたか。彼らはどんな実を生み出さねばなりませんでしたか。(ロ)したがって,彼らの心にまかれた「種」が生み出していた実はどんな種類の実でしたか。
24 神のメシアの王国のためにこの大使の活動に携わることによって,コロサイ人は王国の実を生み出していました。彼らは,「その実を生み出す国民」の一部であることを証明していました。生来の,割礼を受けたイスラエルの国民から取り去られた「王国」はいまや,それらコロサイ人のクリスチャンたちが属していた霊的イスラエルの国民に与えられていました。(マタイ 21:43)「王国のことば」,「神のことば」の象徴的な「種」は彼らの心にまかれていました。そして彼らの心はりっぱな土だったので,彼らは自分たちの心にまかれたものと同種のものを産出していました。つまり,彼らもまた「王国のことば」を他の人びとに,すなわちコロサイ会衆外の人びとにもたらし,宣べ伝え,教えていたのです。―マタイ 13:19。ルカ 8:11,15。
25 コロサイ人が示した模範を考えるとき,わたしたちには,戦争に悩まされた世紀についてどんな質問が湧いてきますか。わたしたちは何に対して神に感謝するでしょうか。
25 西暦1世紀の昔に,小アジアのコロサイにあったクリスチャン会衆に関連して,見習う価値のあるすぐれた模範が示されました。戦争に悩まされた20世紀の今日においてもそれは繰り返されているでしょうか。もしそうであれば,それはわたしたちが,宗教的状態にかんして神に祈るときに,使徒パウロのように,「いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝」する理由となるでしょう。
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良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいるものみの塔 1974 | 2月15日
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良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいる
1 西暦1世紀に生じた身の毛のよだつような事件はどの事件でしたか。その事件が世界中に知られる前に,何が世界中に宣べ伝えられていましたか。
西暦の始まった第1世紀における,身の毛のよだつような最も恐ろしい事件は,西暦64年のローマの大火ではなく,西暦70年のエルサレム市の攻囲と破壊でした。ローマの将軍チツスは,要害堅固なその町に対してめざましい勝利を収めたため,西暦71年にローマに帰還したとき凱旋行進をもって報いられ,その栄誉を記念して凱旋門が建てられました。しかしながら,反逆したユダヤ人との血なまぐさい戦いは,彼らの最後のユダヤのとりでである,死海を見おろすマサダの要さいが,西暦73年に攻略されてはじめて終わりました。このことは,何万というユダヤ人が奴隷として売られるに及んで,世界中のユダヤ人に大きな恥辱と,非難と,宗教的ざせつ感をもたらしました。しかし,割礼を受けたユダヤ人に対するこの悪いニュースが世界中に知られる前に,永遠の喜びの良いたよりは,当時知られていた世界全体に広められていました。それは神のメシアの王国,地上のエルサレムに依存しない王国の良いたよりでした。
2 (イ)その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちでしたか。(ロ)ローマが焼ける前,キリスト教は東から西にどのくらい広まっていましたか。
2 その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちだったでしょうか。それは,エルサレムを自分たちの宗教的中心地と見ていた,割礼のある生来のユダヤ人ではありませんでした。それは,皇帝ネロから,ローマを焼いたというぬれぎぬを着せられていた人びと,つまりシリアの町アンティオキアにおいて初めてクリスチャンと呼ばれた,平和で何の害も働かないキリストの追随
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