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  • 一つの事物の体制の終わり
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 2/15 104–107ページ

一つの事物の体制の終わり

一つの事物の体制が,1,582年も存続した後に滅ぼされるというのは,決して小さな出来事ではありません。その体制が神ご自身の確立されたものであればなおのことです。ここで述べているのは,古代ユダヤ国民の体制のことです。その体制が終わりを迎えたのはなぜですか。その体制の終わりは特異な仕方で訪れましたが,そうした終わりをもたらしたものは何ですか。

西暦前1513年,立法者モーセを仲立ちとして結んだ律法契約のもとに神が一つの体制を確立されたことは広く知られています。その体制には,安息や宗教上の清めに関する種々の規定,相続に関する取決め,祭司職や犠牲を伴うエルサレムの神殿など,さまざまな特徴が備わっていました。そのすべてが西暦70年に完全に滅び去ったのです。ダビデの家系の王が出てエルサレムで再び王座に着き,圧制的な異邦諸勢力を打ち破るというユダヤ人の期待もそれと共に消え去りました。

エルサレムの滅びる様子とその理由については,神の最も偉大な預言者イエス・キリストにより前もって預言的なことばで説明されていました。イエスは,後にユダヤ人の事物の体制を滅ぼしたのと同じ権威のもとで死に渡されましたが,死の幾日か前にその預言を語られました。逆説的なことに見えますが,イエスをその権威に引き渡してイエスの処刑を叫び求めたのはユダヤ人自身でした。

恐るべき終わり

イエスは,使徒たちの質問に答える形でその預言を語られました。使徒たちは,神殿の建物の壮麗さをイエスに示そうとしていました。それをご覧になったイエスはこう答えました。「あなたがたはこれらのすべてをながめないのですか。あなたがたに真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してありません」― マタイ 24:1,2。

その二日前にも,イエスは神殿とその都市の滅びるさまについて予告しておられました。エルサレムに対してこう言われました。

『あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに塁を築き,取り囲んで四方からあなたを攻めたてる日が来るでしょう。彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです』― ルカ 19:43,44。

このことばはキリストの使徒たちをさえ動揺させるものでした。彼らは割礼を受けたユダヤ人だったのです。使徒たちは,キリストがエルサレムにある地上の王座からではなく,天から支配を行なうということを,まだ理解していませんでした。前述のイエスのことばは,神が地上のエルサレムと何のかかわりも持たなくなることを示していましたが,使徒たちはそれをまだ十分に理解していませんでした。(使徒 1:6)また,イエスのことばは,アロンの家系の祭司たちがその職から外されることをも意味していました。これはなぜですか。

こうした物事すべてが終わりに近づいていたのは,エホバがご自分のメシアを通してさらに勝った物事をもたらそうと意図しておられたからです。動物の犠牲その他律法上の種々の特色は,数々の預言と共に,忠実なイスラエル人をイエス・キリストに向かわせ,イエスが約束のメシアであることに関する証拠とたがうことのない信任状とを提出するものとなっていました。律法下の犠牲は,エホバがほんとうに望んでおられたものでなかったのです。それは罪を除き去ることはできなかったからです。(ヘブライ 10:5-10)それらは廃止されなければなりませんでした。キリストのささげる犠牲がそうした動物の犠牲を過去のものとするのです。

ユダヤ人の祭司職が,ユダヤ人の事物の体制の終結のさいに廃止されるということは,ヘブライ 9章26から28節の中でも裏付けられています。その句は,イエスがご自身の犠牲を繰り返しささげる必要のなかったことを指摘し,こう述べています。「そうでなければ,彼は世の基が置かれて以来何度も苦しみを受けねばならないでしょう。しかし今,ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされたのです」。―コリント第一 10:11と比較。

しかし,エルサレムの終わりが恐るべき形で臨んだのはなぜでしょうか。キリストによって律法を終わらせるという神の目的そのものがそうした激しい処置を求めたわけではありません。(ローマ 10:4)事実,ペンテコステ(それまでにキリストの犠牲は天でエホバに嘉納されていた)以降の忠実なクリスチャンたちは,エルサレム市やその神殿を破壊する務めが自分たちにあるなどとは考えませんでした。彼らは,神殿が神のお用いになった器であり,すでにその目的を果たしたものであることを知っており,神殿に対して不敬な行動を取ったりはしませんでした。しかし同時に,イエス・キリストが天で彼らの大祭司となっておられることをも知っていました。すでに新しい契約が成立し,結果として祭司職にも変更が加えられたことを理解していたからです。(ヘブライ 7:11-14)ユダヤ人の祭司たちの中にさえ,キリストを罪のための真の犠牲として受け入れた人が少なからずいました。そうした人々は,神殿における自分たちの務めがすでにその目的を成就しており,エホバの目には今や用をなしていないことを理解しました。(使徒 6:7)では,ユダヤ人のその都市と神殿が激しい滅びを被ったのはなぜでしたか。

神殿におられた時,イエスはエルサレムに対して次のように語りかけてその理由を示されました。

「わたしはここで,預言者と賢い者と公に諭す者たちをあなたがたのところに遣わします。あなたがたはそのある者を殺して杭につけ,ある者を会堂でむち打ち,都市から都市へと迫害するでしょう。こうして,義なるアベルの血から,あなたがたが聖所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなたがたに臨むのです。あなたがたに真実に言いますが,これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう。エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人びとに石を投げつける者よ ― わたしは幾たびあなたの子どもたちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるがごとくに。しかし,あなたがたはそれを望みませんでした。見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています。あなたがたに言いますが,『エホバの名によって来るのは祝福された者!』と言うときまで,あなたがたは今後決してわたしを見ないでしょう」― マタイ 23:34-39。

終わりを指し示す事がら

自然のことながら,イエスのこのことばは,使徒たちの思いに次の質問を起こさせました。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)それに答えたイエスは,エルサレムの滅びに先行する出来事を詳述してこう言われました。

「だれにも惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名によってやって来て,『わたしがキリストだ』と言って多くの者を惑わすからです。あなたがたは戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです」― マタイ 24:4-6。

イエスが肉体のさまで戻って来たとではなく,自分こそ約束のメシアつまりキリストであると主張するユダヤ人たちが現われます。西暦66年のローマに対するユダヤ人の反乱もそうした企ての一つでした。しかしそれはどれも,キリストの「臨在」つまりパルーシア(この語は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で,キリストが王国の権威をもって戻って来ることを指して用いられている)の証拠ではありませんでした。

またこの時期には,ユダヤ国民に影響する幾つもの戦争が起きます。しかし,キリストの弟子たちはそうした事に恐れおののいて性急な行動を取ってはなりません。この時期に起きる事がらについて,イエスはさらにこう言われました。

「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです」― マタイ 24:7,8。

こうした事がらは,クリスチャンにとって,終わりが近づいていることを示す明確な徴候となるはずでした。それに加えて,真のメシアを宣明しその模範に従うがゆえに,それらキリストの弟子たちには特別な事態が臨むことになっていました。イエスはこうことばを続けます。

「その時,人びとはあなたがたを患難に渡し,あなたがたを殺すでしょう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:9-14。

このことは,一般の傾向として不法が増し,神に対する愛が欠如するという形で成就しました。各地に散ったユダヤ人は,キリストの弟子たちを迫害しながら,自らは神に仕えていると主張しました。こうした事態にもかかわらず,クリスチャンは王国の良いたよりを人の住む全地で,とりわけ広く散ったユダヤ人の住む国々で宣べ伝えました。―コロサイ 1:6,23。

終わりが差し迫ったことを示す証拠

次いでイエスは,ユダヤ人の事物の体制の終わりが急迫したことを予示する特別の事がらについて語りました。こう言われました。

「それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。……その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。事実,その日が短くされないとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」― マタイ 24:15-22。

これは,クリスチャンがエルサレムおよびユダヤ州から出るための明確な警告となります。その時,彼らはぐずぐずしていてはなりません。不必要な重荷をいっさい捨て,まっすぐに逃げなければなりません。

この「嫌悪すべきもの」とは何でしたか。それはどのように「聖なる所」に立ちましたか。西暦66年10月に起きたユダヤ人の反乱を鎮圧するため,ローマの将軍ガルスはシリアからエルサレムに向かいました。そして,ちょうどユダヤ人の仮庵の祭りのころ,エルサレムはガルス配下の「野営を張った軍隊」に囲まれました。ユダヤ人との戦闘の後,ローマ軍はエルサレム市内に入り,事実,神殿の壁の下部を崩すことまでしました。それは確かに,ユダヤ人が神聖視していた場所に対する攻撃でした。しかし意外にも,ガルスは突然撤退しはじめました。ユダヤ人はエルサレム市外に出てこれを追い,ガルス軍を悩まして,エルサレム攻略に用いた武器を奪い,エルサレムの安全に対する自信を強めて引き上げました。

エルサレムにいたクリスチャンは,ガルスが撤退すると直ちにその市を離れ,ヨルダン川対岸のペレア山地に逃げました。こうして彼らは,四年後にティツス将軍がエルサレムを攻め落とした時に命を失わずにすみました。

幾らかの「肉なるもの」が救われる

西暦66年から70年にかけて,エルサレムでは幾つかのグループが勢力争いを繰り広げ,きわめて不穏な情勢がかもし出されていました。そして西暦70年,エルサレムはヴェスパシアヌス帝の息子ティツス将軍によって攻囲され,イエスの予告どおり,先のとがった杭の堡塁で取り囲まれました。エルサレムの住民は飢餓に襲われ,悲惨な状態に陥りました。攻囲があまり長く続くなら,市内にいる「肉なるものはだれも」生き残れないように思えました。しかし事態は,この「大患難」,つまりエルサレムがそれまでに経験したことのないような患難に関するイエスの次の預言のとおりに進展しました。「エホバがその日を短くされなかったとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,そのお選びになった,選ばれた者たちのゆえに,彼はその日を短くされたのです」― マルコ 13:19,20。

神の取り計らいにより,その攻囲はわずか142日続いただけでした。しかしそれでさえ,110万もの住民が疫病や悪疫にかかり,また剣の刃に倒れて死亡したのです。生き残った9万7,000人も奴隷として売られ,またローマの闘技場で戦わされる剣奴とされました。すでに述べたとおり,エホバによって「選ばれた者たち」は,滅びに定められたその町からその時すでに逃げ出ていました。そのためエホバは,苦難の時を長引かせる必要がありませんでした。短期間に報復をなすことができ,それによって9万7,000人の命を長らえさせました。こうして,「肉なる者」の幾らかが救われました。

こうして,ユダヤ人の事物の体制は終わりました。ユダヤ人はもはや神殿を持っていませんでした。記録はすべて損われたので,今日自分が正当な祭司の家系に属しているとか,ユダ族の王統に属しているとかいうことを証明できるユダヤ人はいません。イエス・キリストは,ダビデを通してユダの系統を引くことを明確に立証された唯一の者としてひときわ目立っています。イエス・キリストだけが正当な王です。(エゼキエル 21:27)イエスは,全人類に対する大祭司としての職にも就いておられます。アロンの子孫という理由からではなく,「メルキゼデクのさまにしたがって」,つまり父エホバ神に直接任命されて大祭司となっているのです。―ヘブライ 7:15-17。

しかし,「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」という使徒たちの質問は,こうした事がら以上の答えを求めるものでした。というのは,イエスのパルーシア,つまりイエスが王国の権威を携えて「臨在」されることは,エルサレムの滅びのさいに生じなかったからです。それゆえイエスは,より大きな事物の体制の終わりについて語り,それに関する「しるし」となるさらに多くの事がらを話されました。それについては,後の号で取り上げます。

「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事をのがれ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」― ルカ 21:34-36。

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