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  • あなたは「忠実で思慮深い奴隷」を認識していますか
    ものみの塔 1981 | 6月1日
    • あなたは「忠実で思慮深い奴隷」を認識していますか

      「忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか」。イエス・キリストはこの質問をして,預言的な重要性を帯びた一つのたとえ話を紹介されました。これは「事物の体制の終結」に関してイエスの語られた「しるし」の一部を成しており,わたしたちは現在その時代に住んでいます。(マタイ 24:3)イエスはご自分の弟子たちにずっと見張っているよう指示してから,こう言われました。

      「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。あなたがたに真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」― マタイ 24:42-47。

      この「奴隷」はだれですか。また,「召使いたち」とはだれのことですか。「持ち物」とは何のことですか。こうした質問は単に学問的に興味のある問題にすぎないわけではありません。「忠実で思慮深い奴隷」を正しく識別し,その奴隷と協力するなら,深い幸福感を味わい,豊かな霊的報いを得ることになります。

      「忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか」

      この「奴隷」はクリスチャンの奉仕者,あるいは会衆の霊的必要を世話する責任を伴うその監督の職務を指していると言う人がいます。『主人の』到着は,キリストの二度めの到来か個々の奉仕者の死を指していると言われています。それで,クリスチャンの奉仕者はこのたとえ話に促されて自分たちにゆだねられている者をよく世話しなければならない,と言うのです。

      エホバの証人はこのたとえ話がイエス・キリストの油そそがれた追随者から成る唯一の真の会衆に関係したものであると信じています。西暦33年のペンテコステの時を最初に,その後19世紀間,この奴隷のような会衆は自らの成員を忠実かつ思慮深い仕方で霊的に養ってきました。この「奴隷」の実体は,特にキリストが戻られる時つまりその臨在の時に明らかになりました。「奴隷」の実体は,その注意深さ,およびクリスチャン会衆のすべての成員に必要とされる霊的食物を忠実かつ思慮深い仕方で備えているという事実によって見分けられます。確かに,この「奴隷」,つまり霊によって油そそがれた会衆は,「終わりの時」に地上で神の王国を代表する唯一の是認された経路です。(ダニエル 12:4,新)この「奴隷」はペンテコステ以降19世紀の間,どの時期においても,地上にいるグループとしての油そそがれたクリスチャン全員で構成されている,とエホバの証人は理解しています。ですから,「召使いたち」とは個人としてのこれらキリストの追随者であるということになります。

      これは物事に対するかなり偏狭な見方であると思う読者もいることでしょう。あるいは,「奴隷」と「召使いたち」は同じ級<クラス>を表わしており,一方は複合体としてのその級を,他方は個々の人としてのその級を表わしているとする考えに異議を唱える人もいるかもしれません。異議を唱える人々はキリストの油そそがれた弟子たちのすべてが霊的食物を準備するわけではないので,「奴隷」は指導的な人々だけを表わしており,「召使い」は会衆で奉仕している人々を表わしていると論ずるかもしれません。

      たとえ話のある解釈を単に押し付けようとしても意味がありません。自己欺瞞には得るところがなく,それはむしろ霊的に有害です。ですから,理解を得るためにわたしたちは聖書に頼らなければなりません。聖書を調べると,どんなことが分かりますか。この「奴隷」は主人であるキリスト・イエスとその父エホバのしもべです。(マタイ 10:24,25と比較してください。)また,集合体としての一つのグループが一人のしもべとされることもあります。過去において,イスラエル国民全体はエホバのしもべつまり奴隷でした。エホバはイスラエルに対して,「イスラエルよ,あなたはわたしのしもべである」と言われました。(イザヤ 41:8,9,新; 44:21)この一人のしもべは個々の人々から成っていました。イザヤ 43章10節(新)が述べている通りです。「『あなた方はわたしの証人[複数]である』とエホバはお告げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしのしもべ[単数]である。それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであ(る)」。これら古代のイスラエル人たちはエホバの「特別の所有物」,「聖なる国民」でした。(出エジプト 19:5,6,新)個々の人すべてが国政にあずかったわけではありませんが,個々の人すべてが一つの民,神の「しもべ」を成していました。聖書を書き記したりその写本を作ったりしたのはごく少数の人々でしたが,使徒パウロはイスラエルの民に関して,彼らは「神の神聖な宣言を託された」と述べています。(ローマ 3:1,2)その民にいろいろな契約と律法と約束は属していました。(ローマ 9:3-5)ですからその国民全体は集合体としての,つまり複合の,エホバの「しもべ」であり,同時にその国民はエホバの「証人たち」である個々の人々から成っていました。

      イエスは地上におられた時,イスラエルの宗教指導者たちに,「神の王国はあなたがたから取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです」と語られました。(マタイ 21:43)王国の実を生み出すこの「国民」は大きく広がった真のクリスチャンの会衆に違いありません。その会衆についてペテロは次のように書いています。「あなたがたは……『聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,やみからご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださったかた[神]の『卓越性を広く宣明するため』です。というのは,あなたがたはかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです」。(ペテロ第一 2:9,10)そのような会衆は,「神のイスラエル」および「神の家の者たち」とも呼ばれています。(ガラテア 6:16。テモテ第一 3:15)会衆の個々の成員は「神の家族の成員」と呼ばれています。(エフェソス 2:19)そのような家族の成員の間における『忠実な家令の務め』には,信者たちにとってふさわしい「食物」となる霊的な真理を分配することが関係しています。(コリント第一 3:2-5; 4:1,2)「忠実で思慮深い奴隷」がルカ 12章42-48節で「家令」と呼ばれているのは注目に値することです。

      イエスの忠実な使徒たちは地上に存命中,「神の家の者たち」のために霊的な教えを与える点で特に責任を担っていました。「羊の群れ」の任命された『牧者たち』をはじめ他の人々も同様の責任を担いました。ところが使徒ペテロは,神聖な真理の家令としてのそのような務めが実際には「選ばれた人たち」すべてにゆだねられていることを示しています。したがって,会衆の成員各々は体を築き上げることに貢献しました。(エフェソス 4:11-16。ペテロ第一 1:1,2; 4:10,11; 5:1-3)このように,キリスト・イエスの油そそがれた追随者たちすべてがイエスを主人とする,神の「しもべ」を形造っているとする明確な聖書的根拠があることを理解できます。ですから,そのしもべ,つまり「奴隷」は集合体として,「召使いたち」で成る家の者を形造るこの会衆の個々の人すべてに霊的食物を与えます。これらの人々は個人としてその食物を受け,その恩恵にあずかります。―コリント第一 12:12,19-27。ヘブライ 3:5,6; 5:11-14。

      『忠実な奴隷』の実体が明確ではなくなる

      「忠実で思慮深い奴隷」級のこうした明確な実体は,その主人が王としての権力を得て戻って来るまでの幾世紀もの間ずっと続くことにはなっていませんでした。使徒たちは,自分たちの死後大規模な背教が起こり,それがキリストの臨在まで続くことを警告していました。(テサロニケ第二 2:1-12。使徒 20:29,30。ヨハネ第一 2:18,22; 4:2,3)イエスもこの点を『小麦と雑草』に関するご自分のたとえ話の中で示されました。この例えによると,りっぱな種,つまり小麦が,世界という畑にまかれました。「小麦」は「王国の子たち」つまりイエス・キリストの真の油そそがれた弟子たちです。しかし,「敵」(悪魔)が「小麦」の間に「雑草」(「邪悪な者の子たち」つまり偽りのクリスチャンたち)をまいたのです。その双方は「収穫」まで一緒に成長させられることになっていました。―マタイ 13:24-30,36-43。

      異教の哲学や偽りの教理が導入されるとともに背教が徐々に現われてきました。背教した会衆はますますこの世の一部になってゆき,世の教えや慣習,態度を取り入れてゆきました。イエスは,「収穫」つまり「事物の体制の終結」まで「小麦」と「雑草」が一緒に成長すると予告されました。「収穫」の時になって,「小麦」(真のクリスチャンたち)は「雑草」(偽りのクリスチャンたち)から分けられ,その霊的な光を輝かせるでしょう。(マタイ 13:30,39-43)ですから,「忠実で思慮深い奴隷」級の実体が再び明確になるのは,キリスト・イエスが戻られた後ということになります。

      その時,イエスの忠実な弟子たちがはっきりと姿を現わします。そのよく養われた霊的状態はダニエルの預言とよく調和します。その預言によると,「終わりの時」に洞察力のある者たちが星のように輝き,聖書の知識と理解が増し加わるのを喜び,多くの者たちを義に導きます。(ダニエル 12:3,4,9,10,新)これは,キリストの油そそがれた弟子たちの会衆,つまり洞察力を持つ者たちがその主人の戻られる時に見張っており,その戻られたときに時に応じた霊的食物を忠実に供給しているところを見られることを示しています。―マタイ 24:43-46。

      『忠実な奴隷』はその活動によって見分けられる

      幾世紀にもわたって「雑草」が世界の宗教情勢を牛耳ってきましたが,幾らかの「小麦」が活発に働き,「召使いたち」に霊的な食物が供給されました。1870年代の前半には,主が戻られるのを予想し,それに備えるために聖書を徹底的に研究する必要を悟るほどに十分霊的に養われた誠実な聖書研究者の一団が存在していました。宗派に偏ることなく聖書を研究した結果,これらの聖書研究者たちには豊かな知識がもたらされました。

      その間,キリスト教世界の諸教会は大規模な背教の生み出した伝統や信条や儀式に縛られていました。三位一体や霊魂不滅や火の燃える地獄などの偽りの教理にしがみ付いていたのです。また,この世の一部にもなっていました。聖書に対する懐疑的な態度がその神学校に浸透していました。ダーウィンの進化説は聖書の創造の記述を真っ向から否定し,応用心理学は生まれながらの罪の教えと贖いの必要性を退け,聖書の著者は神でありその内容に誤りがないという事実は高等批評のあらゆる分野から攻撃の的にされました。

      そのただ中にあって,聖書研究者たち(エホバの証人は当時そう呼ばれていた)は聖書の教えを力強く擁護する立場を取りました。彼らは,唯一の全能の神また創造者であられるエホバがおられること,キリスト・イエスはその独り子かつ最初の創造物であられること,そして神はその方を地上に遣わし,罪深い人類のための贖いとしてその命を差し出すようにされたことを聖書に照らして支持しました。また,聖書全体が神の誤ることのない霊感を受けたみ言葉であることを擁護するための戦いに応じ,自分たちの聖書研究の成果を『時に応じた食物』として出版し,主が戻って来られる時のために備えをしていたいと願う人すべてにこうしてこの肝要な情報を分かちました。聖書研究者たちは,人間の魂が滅びることや死者に対する希望は復活にあるという真のキリスト教の教えを知らせました。また,キリストの贖いの目的は14万4,000人を地から請け戻して天においてキリストの共同相続者とする道を開くためだけのものではなく,1,000年に及ぶメシア王国の統治期間中に地上で永遠の命を得る機会をアダムの残りの子孫たちに与えるためでもあることを指摘しました。そして,「諸国民の定められた時」の終わりが1914年に来ることを世界に宣明しました。(ルカ 21:24)聖書の真理がこうして信仰を強めるべく復興し,キリスト・イエスの臨在に関して目覚めているようにと勧められた結果,霊的に十分に養われている証拠を示す,キリストの油そそがれた弟子たちの会衆が集められ,築き上げられてゆきました。

      圧倒的な信任状

      「忠実で思慮深い奴隷」には数多くの信任状があります。1919年という顕著な年以来,イエス・キリストの油そそがれた追随者の残りの者に当てはまる,あるいは残りの者を予表していた聖書的かつ預言的な名称のリストの一部を下に掲げます。

      (1)ノアの妻,創世 7:7。(2)ロトのもとに遣わされたみ使いたち,創世 19:15。(3)リベカ,創世 24:64。(4)ヨセフとベニヤミン,創世 45:14。(5)残して置かれた落ち穂,レビ 19:9。(6)ラハブの所へ行った二人のスパイ,ヨシュア 2:4。(7)バラク,士師 4:14。(8)エフタ,士師 11:34。(9)ナオミとルツ,ルツ 2:2。(10)ダビデに属するイスラエルの戦士たち,サムエル後 18:1。(11)エヒウ,列王下 10:11,15。(12)モルデカイとエステル,エステル 4:13。(13)ヨブ,ヨブ 42:10,13。(14)王の娘,詩 45:13。(15)愛ある親切に富む人々,詩 50:5。(16)親しい集い,詩 89:7。(17)シヤルヤシユブ,イザヤ 7:3。(18)諸国民の光,イザヤ 60:3。(19)義の大木,イザヤ 61:3。(20)わたしたちの神の奉仕者,イザヤ 61:6。(21)残し置かれた房,イザヤ 65:8。(22)別の名で呼ばれる僕たち,イザヤ 65:15。(23)神のみ言葉におののく人々,イザヤ 66:5。(24)生まれ出た新たな国民,イザヤ 66:8。(25)エレミヤ,エレミヤ 1:10。(26)新しい契約に入れられたエホバの民,エレミヤ 31:33。(27)亜麻布を着た人,エゼキエル 9:2。(28)地の中心に住む者たち,エゼキエル 38:12。(29)川のほとりの木,エゼキエル 47:7。(30)すなどる者,エゼキエル 47:10。(31)天の軍勢,ダニエル 8:10。(32)回復された(清められた)聖所,ダニエル 8:14。(33)賢い者たち,ダニエル 11:33。(34)ずっと待ち続ける幸いな者,ダニエル 12:12。(35)霊を受けるあらゆる肉なる者,ヨエル 2:28。(36)ヨナ,ヨナ 3:1-3。(37)エホバの目の玉,ゼカリヤ 2:8。(38)大祭司ヨシュア,ゼカリヤ 3:3,4。(39)ユダヤ人,ゼカリヤ 8:23。(40)レビの子ら,マラキ 3:3。(41)小麦,マタイ 13:25。(42)王国の子たち,マタイ 13:38。(43)ぶどう園の働き人,マタイ 20:1。(44)婚宴に招かれた者たち,マタイ 22:3-14。(45)選ばれた者たち,マタイ 24:22。(46)鷲,マタイ 24:28。(47)忠実で思慮深い奴隷,マタイ 24:45。(48)思慮深い処女たち,マタイ 25:2。(49)王の兄弟たち,マタイ 25:40。(50)羊の小さな群れ,ルカ 12:32。(51)放とう息子の兄,ルカ 15:25。(52)こじきラザロ,ルカ 16:20。(53)ぶどうの木の枝,ヨハネ 15:4。(54)ダビデの王宮,使徒 15:16。(55)キリストと共同の相続人たち,ローマ 8:17。(56)残りの者,ローマ 11:5。(57)オリーブの木の枝,ローマ 11:24。(58)聖なる者たちあるいは聖者たち,コリント第一 6:2; 啓示 16:6。(59)神殿,コリント第一 6:19。(60)新しい創造物,コリント第二 5:17。(61)キリストの代理をする大使,コリント第二 5:20。(62)神の会衆,ガラテア 1:13。(63)アブラハムの胤の一部,ガラテア 3:29。(64)神のイスラエル,ガラテア 6:16。(65)キリストの体,エフェソス 1:22,23。(66)キリスト・イエスの兵士,テモテ第二 2:3。(67)キリストによって建てられる家,ヘブライ 3:6。(68)聖なる祭司職,ペテロ第一 2:5。(69)聖なる国民,ペテロ第一 2:9。(70)仲間の兄弟たち,ペテロ第一 2:17。(71)七つの会衆,啓示 1:20。(72)年老いた24人の人々,啓示 4:4。(73)霊的イスラエル,啓示 7:4。(74)いなご,啓示 9:3。(75)二人の証人,啓示 11:3。(76)二本のオリーブの木,啓示 11:4。(77)女の胤,啓示 12:17。(78)命の木,啓示 22:2。(79)キリストの花嫁,啓示 22:17; 19:7。(80)エホバの証人,イザヤ 43:10。

  • 『忠実な奴隷』は『時に応じた食物』を与える
    ものみの塔 1981 | 6月1日
    • 『忠実な奴隷』は『時に応じた食物』を与える

      第一次世界大戦(1914-1918年)の後,キリスト教世界の諸教会は国際連盟にその支持を与え,名目上のクリスチャンたちにそれを支持するよう呼びかけました。それとは対照的に,聖書研究者たちは人類の唯一の希望として常に王国に注意を向け,国際連盟は人間の作り出したその場しのぎの方便にすぎず,必ず破滅に至ることを暴露しました。

      現在に至るまで,キリスト教世界の諸教会は,この世の霊,またそれに影響された物質主義,進化論的な考え方,高等批評,聖書の真理を否定する様々な哲学などに毒されてきました。その大半は世の不道徳,淫行,姦淫,同性愛を認め,その結果,結婚や家族生活が破たんをきたし,青少年の非行や成人の不法行為が見られ,性病がまん延し,暴力行為が増大しています。諸教会はこの世と密接なかかわりを持ち,ある国々では独裁体制を支え,別の国々ではテロ行為や不法な活動を積極的に支援しています。

      真の霊的食物で養われている証拠

      これとは対照的に,エホバの証人の世界的規模の会衆は聖書の教えに忠実に従い続けてきました。上からの知恵と調和した,清く,貞潔な道徳規準に付き従っています。エホバの証人は結婚と家族生活を尊重し,霊の実を培っており,神との緊密な関係を維持しています。(ガラテア 5:22-26。ヤコブ 3:17,18)この雑誌や聖書研究のための類似の資料を用いて個人的に聖書研究をし,また会衆の集会に参加することによって,引き続き信仰を築き上げ,正確な知識を増し加えています。神の王国に全き確信を置いているので,この世の紛争の中にあっても厳正中立の立場を変えることなく,政府という「上にある権威」にふさわしい仕方で服し,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に」返しています。 ― マタイ 22:21。使徒 5:29。ローマ 13:1-10。

      理解に調整が加えられるのはなぜか

      『エホバの証人が“時に応じた食物”を得ていると言うなら,特定の教理に関するその教えが時々変わるのはなぜだろうか』と尋ねる向きもあるでしょう。聖書はこう答えています。「義なる者たちの進路は輝く光のようだ。それはいよいよ明るさを増して,日の堅く据えられるに至る」。(箴 4:18,新)1世紀の会衆の知識は部分的なものに限られていましたが,今日の「忠実で思慮深い奴隷」についても同じことが言えます。数多くの霊的な事柄に関する知識は,神の目的が成し遂げられて完成して初めて完全なものになります。(コリント第一 13:9-12)「奴隷」は神の霊感を受けてはいませんが,引き続き聖書を調べ,世界の出来事および神の民の状況を注意深く吟味し,現在成就しつつある聖書預言を理解しようとしています。人間には限界があるために,ある物事の理解が不完全あるいは不正確で,それを後日正さねばならないこともあります。

      だからといって,「奴隷」が,最終的で完全な理解が得られるまで,納得のいくように思える説明を公にするのを差し控えるべきであるということにはなりません。当初,キリストの弟子たちは王国が天的なものであることに気づいていませんでしたが,イエスは弟子たちが聖霊の影響の下で知識を増やしてゆくことを知っていたので,ご自分の証人になるという任務をためらうことなく彼らに与えました。(使徒 1:6-8。ヨハネ 14:25,26)実際のところ,『忠実な奴隷』級を見分ける特徴の一つは,霊的に目覚めていることに加えて神のみ言葉に対する深い敬意を抱いていることです。(マタイ 24:43,44)調整を加えることが必要なら,この級はその必要を認めてそうした変化を遂げます。この謙遜さと素直に教えを受け入れる態度はエホバのみ言葉に忠実であることの証拠です。

      『主人のすべての持ち物をつかさどる』

      イエスはその「奴隷」が「召使いたち」に『時に応じて食物を』与えているのを見たなら,「彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせる」であろうと言われました。(マタイ 24:45-47)油そそがれた弟子たちに霊的な食物を供給する以上の広い範囲におよぶそうした増し加えられた責任には,諸国民に裁きを宣べ伝えること,およびその会衆に交わるようあらゆる国民の男女から成る「大群衆」を集める面で神の器として仕えることが含まれます。「奴隷」がこれら「ほかの羊」を導き入れ,その者たちのために霊的食物を供給した結果,「ほかの羊」は地上で永遠の命を得る希望を築き上げることになりました。―イザヤ 2:1-4。ゼカリヤ 8:23。マタイ 25:31-46。ヨハネ 10:16。啓示 7:9-17。

      「よこしまな奴隷」

      マタイ 24章48-51節は「よこしまな奴隷」に言及しています。これは『忠実な奴隷』が不忠実になって「召使いたち」が世話を受けられなくなることを示すものではありません。しかし,その「奴隷」級の個々の成員のある者が主人の戻られる時に信仰を失う可能性があります。「わたしの主人は遅れている」と心の中で言うことにより,この者たちは警戒を怠り,それがきっかけとなってキリスト教の真理全体を捨てる道へと進みます。これらの者たちはかつての「仲間の奴隷たち」を攻撃するまでになるかもしれません。一つに組織された団体として共に活動してはいなくても,離れ去ったそうした者たちは不忠実な者の級を形造ります。a

      エホバのよく養われたしもべたちと共に喜ぶ

      キリスト教世界の様々な教会の団体が依然として霊的な飢えを味わっているのに対し,エホバの油そそがれた証人たちとその仲間である「ほかの羊」とから成る世界的な会衆は引き続き霊的によく養われ,喜びにあふれた状態にあります。(イザヤ 65:13-16)「奴隷」級は依然として,霊的食物を供給するその活動と霊的によく養われた世界的な会衆の存在とによって見分けられます。さらに,その「奴隷」はキリスト教時代以前および初期キリスト教の時代のエホバの忠実なしもべたちと同じ見解や態度を抱いていることによっても見分けられます。

      そうした見解や態度には次のようなものが含まれます。エホバに全き確信を抱き,エホバに信頼を寄せている。(箴 3:5-7)聖書全体を真理とし,また人間に対する神の霊感による導きとして全面的に受け入れる。(詩 119:160。ローマ 15:4。テサロニケ第一 2:13。テモテ第二 3:16,17。ペテロ第二 1:20,21)イエス・キリストの足跡に謙遜に従い,自分を否定することもいとわず,喜んで迫害に耐える。(ペテロ第一 2:21。マタイ 16:24)神のしもべは教えを進んで受け入れ,独立的でなく,求め続ける態度が必要なことに気づいている。(詩 25:9。マタイ 7:7)エホバの民は精力的に努力して神への奉仕にあずかり,宣べ伝え弟子を作らねばならないという認識を持っている。(ルカ 13:24。マタイ 24:14; 28:19,20)神の王国とその義を第一に求めることなどです。―マタイ 6:33,34。

      これらは,今日存在するエホバの民の唯一の真の会衆を見分ける聖書的な見解の幾つかにすぎません。それでも,これらは本誌の読者すべてに,エホバの証人の会衆と積極的に交わるよう促す根拠になります。また,この雑誌やお手元にある同様の出版物を用いて引き続き聖書を研究し,ご自分の学ぶ事柄を聖書と注意深く比較考量してみるよう励まされるでしょう。(使徒 17:11)そうすることによって,引き続き『時に応じた食物』で霊的に十分に養われ,受け入れられる神聖な奉仕をエホバにささげる「忠実で思慮深い奴隷」の味わう幸福に共にあずかることができるでしょう。

      [脚注]

      a 「神の千年王国は近づいた」359-364ページ,55-65節をご覧ください。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1981 | 6月1日
    • 読者からの質問

      ● 自分の配偶者の犯した姦淫の事実を知った人が,その後に姦淫を犯した配偶者と再び性関係を持つなら,その行為は潔白なほうの側が許しを与えた証拠となりますか。

      結婚関係外の性関係は,潔白なほうの側が望む場合に離婚の根拠となります。同様に,夫婦間で性の営みが再び行なわれる場合,許しが与えられ背信行為を水に流したものとみなされます。さもなければ,行動と許しを与えることとの間に何ら調和がないことになります。―マタイ 19:9; 5:37。

      姦淫を犯した配偶者の側に真の悔い改めが見られ,夫婦双方が生じてしまった様々な問題の解決に力を合わせて当たりたいと誠実に願っているなら,哀れみを示して,罪を犯した者に許しを差し伸べるのは確かに極めてふさわしいことと言えるでしょう。しばらくの間幾分緊張した関係が続き,解決しなければならない様々な問題が残るであろうことを悟ってはいても,既に存在している結婚関係を存続させるために道理にかなった範囲であらゆる努力を払っていかねばなりません。そうする時,事態は,当の夫婦やまだ家にいる子供たちに祝福をもたらすだけでなく,大いなる結婚破壊者であるサタン悪魔を敗北させるものともなるでしょう。

      時には,潔白なほうの配偶者にとって,結婚生活を続けてゆく確かな根拠を見いだすことが極めて難しい場合もあります。姦淫が明るみに出る前にも,頭の権や服従に関する聖書の原則を当てはめる点で極めて重大な問題があったかもしれません。互いに対する愛や敬意が非常に薄れてしまったために,意思の疎通がほとんどなかっ

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