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『柔和な人たちはさいわいである』ものみの塔 1958 | 6月1日
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の国を嗣業としてあたえ,地の極をなんぢの有としてあたえん。』イエスが地をうけつがれることは,彼が地上に人間としておられた時に示した柔和と信仰に対するむくいの一部です。―マタイ 5:5,新口。詩 2:8。
イエス・キリストと共にこの嗣業を受ける者は彼の『花嫁』で,14万4000人に限定されており,イエスの足跡の追随者,天的むくいを受ける人々です。(黙示 14:1,3)使徒パウロは彼らに告げています,『もし子であれば,相続人でもある。神の相続人であつて,……キリストと共同の相続人なのである。』イエスはこれらの特に愛された追随者たちを,御自分の『小さき群』と呼ばれます。しかしながら,マタイ伝 5章の5節に言明されている原則は,柔和である故に地上で永遠の生命を受ける,イエスの他の羊にも適用されます。どのように? 彼らは,キリストと彼の花嫁から信頼されて地を管理します。いわば,永久の借地人です。―ロマ 8:17。ルカ 12:32。ヨハネ 10:16。
ですから,新しい世において,ヱホバ神の祝福を享受したいと望む人々は,義と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めることにより,神に対する信仰と,神と人とに対する愛をしめしなさい。―テモテ前 6:11,新口。
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休暇開拓者の特権ものみの塔 1958 | 6月1日
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休暇開拓者の特権
「1958年度ヱホバの証者の年鑑」より
マルティニークの多くの伝道者は全時間奉仕を目標にしています。休暇開拓者の特権を更に1ヵ月間持ちつづけることにしたある姉妹は語りました,『いま沢山の再訪問があるので,その人々を援助する唯一の方法は休暇開拓奉仕です。』その姉妹は一人で4人の幼い子供を世話しており,しかも,自分の体は余り丈夫ではないのです。この姉妹には他に息子があつて,二人とも既に開拓を始めました。
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恩を知らない世を生き残るものみの塔 1958 | 6月1日
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恩を知らない世を生き残る
『しかし,このことは知つておかねばならない。終りの時には,苦難の時代が来る。その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者となるであろう。』― テモテ後 3:1,2,新口。
1 私たちの時代には,何に対する感謝と認識がないことを誰が予言しましたか。
ハルマゲドンを前にした今の終りの時代そして苦難の時代に恩知らずという死に至る病は全地にひろがつています。ヱホバ神は,この事を予見され1900年前,使徒パウロに霊感を与えてこのことを警告されました。それは感謝する人々が,恩を知らない世の終りを生き残るためです。『しかし,このことは知つておかねばならない』と使徒パウロは書きしるしました,『終りの時には,苦難の時代が来る。その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,無情な者,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。』(テモテ後 3:1-5,新口)恩を知らないことは,感謝することの正反対です。予言の示す通り,また今日私たちも知るように,人々は,神と清い崇拝,両親への真の愛と従順に対して感謝と認識を持たず,それとは反対に自分自身,快楽か金銭の価値を強調し過ぎています。前以て聖書に書かれた歴史は,現在の事実を全く正確に予言していました! 近づいている世の終りを生き残るために,正直な人々は恩を知らない世から離れねばなりません。
2 (イ)感謝とは何ですか。(ロ)それを表わすには何が必要ですか。
2 恩を知らない世から離れるため,およそ善にして正しく,神に喜ばれることに対しては感謝と認識を養わなければなりません。真に感謝<アプリシエイト>するとは,単に有難いと思うだけのことではありません。『感謝<アプリシエイト>する』という言葉は,ある物の価値を設定することを意味する『評価する』という言葉に関係があります。その最初の意味は,『価値,質,量に関して判断を下す。評価する。値ぶみ』することでした。(ウエブスター編新国際辞典第2版)感謝<アプリシエイト>するとは,ある物の価値を十分に評価すること,それに関して,心からの満足を感じ,その物を受け入れることです。感謝<アプリシエイト>することは,感覚の知覚によつてあるものに気がつくことと関係があります。しばしば知覚の鋭敏さは感謝することに関係します。『音楽を鑑賞<アプリシエイト>する』,『美術を鑑賞<アプリシエイト>する』という表現の深い意味も,これで分ります。銀行の『評価係』は不動産を正しく評価<アプリシエイト>するための者で,財産にどれだけの金銭的価値があるかを決定するように求められます。不動産の価値があがると,それは『騰貴<アプリシエイト>した』と言われ,価値がさがると『低落<デプリシエイト>した』と言われます。このことからはつきり分る通り,神と真の崇拝に関する最も高い事柄に対して感謝と認識を示すため,評価することに熟練しなければなりません。知識と理解と経験が必要です。しかし,何が本当に価値のあるものかを知るため,何にもまして聖書の健全な導きが必要です。恩を知らない世界は,真の感謝と認識を持たないため死にかかつています。すべて敬虔なもの,良いものを悟る力が殆ど麻痺しているこの世は,間もなく死ぬでしよう。
3 イエスの言われた羊と山羊のたとえ話を考えるとき,どんな質問は時機にかなつていますか。
3 キリスト・イエスはマタイ伝 25章に今の時代を予言し,世の終りには二つの級の人々があることを示されました。キリストの右には,感謝を表わした『羊』が置かれました。彼らは神と,統治している王キリストを愛し,至るところで御国の良いたよりを伝道する王の兄弟の残れる者に感謝しています。王の左には滅びに定められた,感謝しない『山羊』がいます。彼らは神とキリストを愛すると言いますが,イエスの地的な兄弟の行つている御国証言の業に対して,暖い是認と満足を少しも持つていません。山羊は,御国の力を持つ王の臨在を悟らず,すべての国民が王の御座の前で裁かれることを悟らないのです。感謝と忘恩との争いにおいて,あなたはどんな立場をとりますか。神の言葉をどのように評価しますか。伝道されている御国のおとずれ,あなたの時間,あなたの生命をどのように評価しますか。聖書の歴史をひもといてこの争いを調べるなら,そして感謝を表わしてそのために救いを確かなものにした少数の人の中に入ろうと決心するならば,あなたはたぶん生命を救うでしよう。
4 イエスの時代に,感謝と認識はどのように生死の問題でしたか。
4 神御自身の御子は偉大な奇跡を行つて彼こそ長く待ち望まれていたメシヤであることを証明しました。イエスの時代にこの奇跡を見ることのできた人々は本当に恵まれていたのです。イエスはすべての予言を成就して彼がまさしくメシヤであることを証明したのにも拘らず,感覚の鈍くなつた人々はメシヤを正しく認めることができませんでした。その特権を認識せず,滅びに定められた当時の人々は,イエスの御国の宣明を軽視し,心からの忠誠と支持を与えるにふさわしいものとは評価しなかつたのです。彼らが悟らないのを見たイエスは泣きました。彼らの先祖は40年のあいだ荒野を旅行しましたが,この感謝することを知らない人々は40年も経ないうちにそのまいた忘恩の種を刈り取りました。イエスの予言の通り,西暦70年にローマの軍隊はエルサレムとユダヤを踏みにじつて地を血で染め,神の御国の王の臨在と王に奉仕する特権に感謝しなかつた人々は無残な死に遭いました。キリストの価値を認めて,自分はキリストの鞋をとるにも足りないと感じた洗礼者ヨハネの警告にたがわず,その世代は火の滅びという洗礼を受けました。しかし,感謝することを知り,キリストの役割を正しく評価した人々は,神の聖霊を注がれて力と生命を受けたのです。(マタイ 3:7-12)感謝と認識を持つたゆえに,その組織制度の終りを生き残ることになりました。
5 これと似たどんな事態がノアの時代に存在していましたか。
5 恩知らずという病は,むろんイエス時代以前にもありました。ヘブル書 12章16節(新世)において,パウロは初期のクリスチャンたちをいましめ,『一杯の食のために長子の権利を手放した』エサウの如く,聖なる事柄に感謝しない者が起らないように注意せよと述べました。しかし,感謝しなかつたエサウと感謝したヤコブの時代以前にも,感謝することを知らない病が全地にひろがりました。それはノアの時代の世界です。ヱホバの証者であつたノアとその家族は,神の御命令に従うことの必要を認識しました。彼らは伝道し,感謝と認識を持たなかつた人々の間にあつて,安全を図る方舟をつくりました。洪水前の世は生活にわずらわされ,肉の快楽を愛して,時代の重要さには心を閉じてしまつたのです。最も高い山々の頂をも沈めた大水が落ち始めたとき,大多数の人々は初めてノアの警告の価値を見直したことでしよう。しかし,彼らの足が水にぬれた時にはもう間に合いませんでした。忘恩者が生き延びて,間違いを正すことは決して出来なかつたのです。彼らのあやまつた評価も彼らと共に滅びうせました。洪水前の遺跡を掘り起した考古学者は,神が宗教的な世界を拭い去つた証拠を発見しています。ヱホバの証者はその理由を認識しています。それは悪い宗教でした。明らかに,偽りの宗教のために人は感謝と認識を失い,神の眼から見た正しい崇拝を悟る力を失います。―創世 6-8章。マタイ 15:3。
6 最初の忘恩者は誰でしたか。その忘恩のために彼はどうなりましたか。
6 しかし,歴史を辿ると感謝しなかつた記録は大洪水より古いもので,エデンの園にまでさかのぼります。アダムとエバは,ヱホバ神に対する清い崇拝と忠実の必要を認識せず,エデンで最初の人類は罪と死に陥りました。最初の忘恩者は外ならぬサタン悪魔であり,その影響を受けて最初の夫婦は神の御言葉と戒めの価値をあやまつて評価したのです。サタンの認識には致命的な欠陥のあることを,イエスは暴露されています。それは真理を高く評価しなかつたことです。イエスは言われました,『彼は初めから,人殺しであつて,真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき,いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり,偽りの父であるからだ。』(ヨハネ 8:44,新口)ヱホバはこのようなサタンを創造されませんでした。そうであるなら,実際にヱホバが偽りの父となり偽り者になるでしよう。しかし,神は偽ることのない方です。あやまちは,真理と正義を認識しなかつたサタンにあります。神の霊的な子の中でも,彼はきわめて恵まれていました。それで神の独り子,言葉のとつた賢い道に従うことができたはずです。しかし,自ら忘恩者となつてヱホバの愛ある教えに心から満足せず,それを受け入れませんでした。サタンは忠実な神の霊的子たちとの交わりをさえ高く評価しなかつたのです。忘恩の道は天と地における反逆に導き,ヱホバの宇宙至上権に関する長い間の論争はいま最高潮に近づいています。この論争は間もなく解決されてヱホバに誉を帰し,感謝の心を持つ人すべてに祝福をもたらします。それまでの間,感謝と認識を持たないサタンはかつて記録されたことのないほどの忘恩の行いをしようとしていました。その最も大きなものはカルバリでイエスを殺したことです。ヱホバはイエスの忠実を認め,イエスをよみがえらせて御自身の右に高められました。神の右にあるイエスはいまの裁きの日に栄光ある御国の座についています。当然の死を受けるサタンを見,それは感謝と認識のなかつたためであることを知るとき,私たちは目をみはります。ハルマゲドンのとき,イエスはヱホバの至上権を認識して行動し,忘恩者の君なる反逆者をすみやかに滅ぼすでしよう。
7 どんな手本にならうとき,世の終りに生き残る希望がありますか。
7 聖書の歴史全部が忘恩者の記録ではありません。感謝と認識を持ち,正義を愛した人々の手本も聖書中に輝いています。20億以上の人々のいる世は感謝を持たないために滅びようとしていますが,神の恵みを感謝し,それを表わすのに巧みであつた多くの人の生活に倣うとき,あなたはその終りを生き残ることができます。アベルはその一人でした。ヱホバ神の恵みを正しく評価したアベルは,土から出る実を捧げたカインとは異なつて,人間の作る儀式によらず神の定めに従つて真の神を崇拝しなければならないことを悟つていました。(創世 4:2-7)アベルは復活のとき憶えられるでしよう。彼は正しい方法で神に奉仕することの価値を認識したからです。評価に巧みであつた別の人はノアです。ノアが神の御命令を認識したことについては既に述べました。アブラハムとサラも故郷のウルを離れ,典型的な宣教者のように外国の地でヱホバに奉仕する特権を正しく評価しました。アブラハムは常にヱホバの道に従つて生活し,神の恵みをかち得て『忠実な者の父』となつたのです。エリコの女ラハブは滅びに定められた町に住みましたが,その町との社会的な結びつきよりも,彼女の新しく見出したヱホバの神権制度との関係こそ価値のあるものと賢明にも認識しました。ヱホバの勝利を得る軍勢の側に立つ必要を巧みに評価したラハブは,彼女の忠誠を行いに表わしました。その認識と鋭い識別力のために,ラハブは家族と共にエリコの滅びを生き残りました。―ヨシュア 6:22-25。
8 (イ)感謝と認識に富んでいた他の男女を挙げなさい。(ロ)モーセは彼の特権をどう評価しましたか。
8 聖書の士師記には,ヱホバの召しを心から認識して,ヱホバの選民を守るために行動した男女の記念すべき記録がしるされています。ヱホバの選民は目に見えない偉大な王を認識しなかつたために,しばしば悲惨な窮境に陥つていました。サムソン,ギデオン,エヒウ,バラク,デボラその他のヱホバの証者は,ヱホバの御名のため,ヱホバの真の崇拝のため,ヱホバの民のために戦うことを大きな特権と考えました。この特権を正しく評価したことを強く確信していたので,彼らは命を賭けてもそれを果したのです。ヱホバの予言者たちも,神に対する特権を認識することにおいてはそれに劣りませんでした。モーセ,サムエル,ダニエル,エレミヤ,エゼキエル,ミカその他多くの人に対して,王や皇帝が怒りを爆発させたことは一再ならずありました。感謝と認識を心に深く抱いたこれらの人々にとつて,ヱホバの代弁者となる特権は比べるもののない宝でした。味方に伝えると敵に伝えるとを問わず,ヱホバの予言,真理そして裁きを宣明せよとの召しは最も価値あるものと,彼らは評価しました。神を恐れたこれらの予言者は,特権を評価するのに巧みでした。モーセはその典型的な例であつて,パウロはヘブル書 11章24-26節(新口)にこう書いています。『信仰によつて,モーセは,成人したとき,パロの娘の子と言われることを拒み,罪のはかない歓楽にふけるよりは,むしろ神の民と共に虐待されることを選び,キリストのゆえに受けるそしりを,エジプトの宝にまさる富と考えた。(すなわち,評価した,認識した)それは,彼が報いを望み見ていたからである。』ヱホバの約束された祝福は最も価値あるものと,モーセは心の中で決め,また評価しました。この希望を持つモーセにとつて,エジプトのどんな物質的宝も価値のないものでした。この評価のゆえに,モーセは生涯を通して多くの祝福と特権を得たのです。ヱホバとイスラエル人とのなかだちとなつたモーセはイエス御自身のなされた事を予影していました。そのうえ,ヘブル書 11章には忠実にして感謝と認識を持つたヱホバの証者たちと共にモーセの名も挙げられており,彼はハルマゲドンの後に復活を受ける人々の中に数えられています。モーセが自分の特権を賢く評価しなかつたとすれば,一時のあいだ快楽の生活を送つたかも知れません。しかし,死んだときには何の希望もなかつたでしよう。
9 ヱホバの善を最も深く認識し,感謝したのは誰ですか。彼の報いとサタンの報いとを対照しなさい。
9 神の恵みをかち得て,神の至上権を擁護した忠実な男女の中でも,キリスト・イエスは一段とすぐれてヱホバの賜物と特権を深く認識した人でした。イエスは感謝と認識の完全な手本です。永遠の生命とその祝福に対してヱホバに感謝したイエスの生涯は,忘恩で滅びに行くサタンの道と全く著しい対照をなしています。彼のすべてと持ち物とは父ヱホバからの賜物であつて,神の御子は創造されたときからこの真理を高く評価していました。忘恩にも神の位を奪おうなどと,イエスは決して考えませんでした。神の宇宙的な家族の一人に数えられる特権を喜び,常に感謝と認識を以てヱホバの御名の立証に努めたイエスは,『死に至るまで苦難の杭の死に至るまで従順であられた』のです。(ピリピ 2:5-8,新世)しかし,ヱホバの天的な家族の中でかつては共にいることを喜んでいた二人の神の子たちも,全く違う立場をとつたことに注意して下さい。高慢な忘恩者サタンはヱホバの制度から追われ,いまでは地の近くに追い落されています。そして怒つたサタンは御国相続者の残れる者に戦いを排んでおり,自分の時の短いことも知つているのです。謙遜で,感謝と認識を表わしたキリスト・イエスは初めにいたよりも高い位に挙げられ,不滅性の賜物を与えられました。彼が望み見るものは,来るべきハルマゲドンの戦いを越えて永遠にわたり,父なる神に感謝の奉仕を捧げることです。ヱホバの善に対し,誰が賢い評価をしたと思いますか。イエスの手本にならうため,あなたは何をしますか。
10 イエスはどのように伝道し,感謝と認識を実際の行いに表わしましたか。
10 私たちがイエスの手本にならうべきことは,パウロが次のように書きしるしたことからも確かです。『信仰の指導者であり完成者であるイエスをしつかり見つめながら,私たちの走るべき競争を耐え忍んで走ろうではないか。イエスは御自分の前におかれた喜びのために,恥をもいとわないで(イエスの評価を見なさい)刑柱を耐え忍ばれ,神の御座の右に坐られたのである。あなた方は,つかれはてて意気をそうしないために,罪人たちのこのような反対にも耐え忍ばれた方を深く考えるべきである。』(ヘブル 12:1-3,新世)価値あるものを正しく認識したイエスを見つめるとき,私たちは物事を正しく評価することを学びます。クリスチャンとしての私たちの行いに反対する近所の人,友人,親族から非難されても,私たちはいといません。あなたはイエスの手本にならい,御国を得るのに妨げとなる一切のものを喜んで売りますか。次のたとえを話したイエスは,御国奉仕の宝を如何に認識すべきかという価値ある教訓を与えられました。『天国は,畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき,喜びのあまり行つて,持ち物をみな売りはらい,そしてその畑を買うのである。また天国は,良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと,行つて持ち物をみな売りはらい,そしてこれを買うのである。』(マタイ 13:44-46,新口)イエスはこの事をされました。感謝と認識を持つたイエスは,高価な真珠を得るためには他のすべての物を売り,地上の生命さえも捨てて,ヱホバに奉仕することの価値を悟り得たのです。サタンは政治また物質的な利を提供してイエスの認識を試みましたが,サタンの組織制度にある物の一つとしてイエスをひきつけることができず,ヱホバの御名の立証を最も価値あるものとしたイエスの評価を変えることができませんでした。御国奉仕というイエスの宝は時と共に価値を減ずることなく,ますます価値を高め,その価値は今でも疑いなく増していきます。パウロは,この手本にならうことを,私たちにすすめているのです。
11 感謝と認識という点で,使徒たちはどんな立場をとりましたか。
11 イエスから完全な教えを受けた使徒たちは,一人を除いて全部がその師のようになりました。(ルカ 6:40)例外となつた一人は物質の利に対する評価をあやまつたのです。後で裏切りの金を宮に投げ込むと,立ち去つて自殺した彼は,その愚かな評価が間違いであつたことを自ら示しました。(マタイ 27:3。ゼカリヤ 11:12,13)他の11人,またユダに代つてそのつとめを得たパウロは,全くのところ,感謝と認識を持つ人々であることを証明しました。真理のため,そして良いたよりのために,彼らは多くの苦しみを受けましたが,ヱホバに対する感謝は,苦難に遭つたためにうすれてしまいましたか。ユダヤ人の最高法廷が使徒たちを鞭うち,伝道を止めるようにと命令して釈放したとき,使徒たちは彼らの特権に対する評価を下げましたか。使徒行伝 5章41,42節(新口)の記録はその答です。『使徒たちは,御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら,議会から出てきた。そして,毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。』使徒たちは真の感謝と認識を持つていました。そのことには何の間違いもありません。使徒たちは,自分自身,金銭,快楽などを過大評価しなかつたのです。彼らは神に対し,キリストに対し,真の敬虔な献身の価値に対して感謝していました。そして敬虔な献身は力のあることを証明しました。これらの手本を考えることは何時でも,そして今とくに益を与えます。恩を知らない現代の世界は,神の御国に最後の証言をするのをやめるよう私たちに強くすすめているからです。
12 私たちの時代のために予言された大きな特権とは何ですか。それは今どのように差し伸べられていますか。
12 『すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)イエスの言われた御国証言のこの業を行う特権は,いまの裁きの日に住む男女に与えられています。よいたよりのためにパトモス島に流された使徒ヨハネは霊感を受けてこのことを予言しました。霊感の幻についてヨハネはこう書きました,『わたしは,もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝えるために,永遠の福音をたずさえてきて,大声で言つた,「神をおそれ,神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め。』(黙示 14:6,7,新口)ヱホバ神の活動力に動かされたヱホバの証者があなたの家を訪問するとき,ヱホバの御国の証者の一人として活動し,神に栄光を帰する特権はあなたに差しのべられているのです。すべての国民の中から,感謝と認識を持つ男女は絶えず熱心に答え応じて,最後の証言に与ることを喜び,そうすることに心からの満足を見出しています。
13 (イ)感謝と認識に欠けていた人々と富んでいた人々を調べた結果,何が明白ですか。(ロ)従つて,どんな質問がいま私たちに関係しますか。
13 現在の世は普通に感謝することさえ,全く知りません。しかし,感謝と認識に富んでいた人々のことを聖書の歴史から考えると明らかなように,認識した上での感謝は普通にありがたく思うとか,あるいは単なる感謝ではなく,それ以上のものではありませんか。そうです,確かにこれはあなたの心,知覚力,理解そして魂と力に関係をもつ生死の問題です。あなたは他の人のしたことを見て,ある人は賢く,ある人は愚かなのを知りました。さて,あなたはヱホバの御国に対してどんな行いをしますか。あなたを動かすものは認識の上に立つ感謝ですか。それとも忘恩ですか。あなたは,ハルマゲドンの嵐にも倒れない家を建てていますか。どうすればもつと深い認識と感謝を養うことができますか。それを持つとき,あなたは恩を知らない今の世の終りに生き残ることができるのです。次の記事をよく考え,考慮するようにすすめます。認識を持ち,感謝して読んで下さい。
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