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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
塔74 3/15 166–168ページ

特別のご招待

日時: 4月7日,日曜日の晩

催し: キリストの死を記念する,年に一度の集まり

場所: それぞれの土地にあるエホバの証人の王国会館

あなたもどうぞご出席ください

この集まりに出席すればなぜ有益なのでしょうか。なぜならこの式は,近づいている神の新秩序においてすべての正義愛好者が支配を受けるところの政府と関係があるからです。良い政府を望む人は,この集会から大きな励ましを得られることでしょう。

イエス・キリストが,死なれる前の夜制定された,年一度のこの祝いは,ひとつの会食です。しかし空腹を満たすための普通の食事ではありません。この食事の特色をなすのは,わたしたちすべてにとって大きな意義を持つ特定の表象物で,4人の聖書記述者がこの祝いについてわたしたちに告げています。西暦33年,ユダヤ暦のニサンの14日の晩,イエスはその使徒たちとともに,ユダヤ人の行なう過ぎ越しの食事を終えていました。その過ぎ越しの食事の間にイエスは,裏切者のユダを去らせました。(ヨハネ 13:26,27,30)そのあとどんなことが生じたかを,歴史家ルカは次のように報告しています。

「[イエス]はパンを取り,感謝をささげてそれを割き,それを彼らに与えて,こう言われた。『これは,あなたがたのために与えられるわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい』。また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。『この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなたがたのために注ぎ出されるものです』」― ルカ 22:19,20。マタイ 26:26-30。マルコ 14:22-26。コリント第一 11:23-26。

「これを行ないつづけなさい」というイエスのことばは,この祝いを行なうために集まりなさいという,新しい契約に入れられているクリスチャンすべてに対する命令です。しかしこの記念式は,公平と正義を愛し,他の人びとと平和に和合して生活することを望む人すべての益になるものでもあります。この記念式の意味を理解するとき,命についての基本的な疑問に対する答えが得られます。あなたもそうした疑問をいくつかお持ちかも知れません。なぜ人はみな死ぬのでしょう。死者に復活の希望があるでしょうか。地球は平和と公正のうちに支配されることがあるのでしょうか。良い人はみな天に行きますか。それともある人びとはこの地上で永久に生きられるのでしょうか。

新しい契約

この象徴的な食事の行なわれた夜,イエスはご自分の血が「新しい契約」を有効にするということを言われました。新しい契約とは何でしょうか。それは,エホバ神と,「王なる祭司」となるために特別に選ばれた,特定の数の「神にとっては選ばれた貴重な」人びととの間の『約定』です。―ペテロ第一 2:4,9。

イエス・キリストはこの契約の仲介者です。使徒パウロは次のように記述しています。「神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであ(る)。(テモテ第一 2:5,6)新しい契約に入れられた人びとは,アダムから罪と不完全性を受け継いでいる罪人ですから,イエスの血を流すことが必要でした。(ローマ 5:12)キリストのあがないの犠牲は,すべての人間の生命権を買い取り,罪の許しの基礎となりました。イエスは,「神の過分のご親切のもとに……すべての人のために死を味わうため」「死の苦しみを忍」ばれたと使徒は述べています。(ヘブライ 2:9)したがって神は,新しい契約の中にいる人びとを義人として扱うことができます。―ローマ 3:23,24; 8:1。

キリストはまた仲介者として,新しい契約の中にいる人びとがその条件を満たして,ご自分とともに王となり祭司となる資格を身につけるよう彼らを助けることができます。使徒ペテロはクリスチャンたちに,神はキリストを通して「あなたがたの訓練を終え,あなたがたを確固とした者,強い者としてくださるでしょう」と,励ましの手紙を書き送っています。(ペテロ第一 5:10)彼らは正義の維持者として確固とした,信頼に足る者となります。それら未来の地の支配者たちに神が課される厳しい資格条件は,一般に「新約聖書」と呼ばれているクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に述べられています。愛,献身,方正などが彼らに求められていることは,ヨハネ 15:12,17,ガラテア 5:22,23,ヨハネ第一 2:15; 4:7,8; 5:3その他の多くの聖句に説明されています。

これら死に至るまで忠実な人びとは,「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」のです。(啓示 20:6)彼らはひとつの集合体として,キリストの「妻」,キリストの「花嫁」となります。(啓示 19:7-9; 21:2-4)この妻のような王兼祭司の集合体は,キリストをかしらとしていただき,人類に対するキリストのあがないの益を適用しつつ,死から復活した人びとを含む人間家族の世話をするでしょう。(使徒 24:15。ヨハネ 5:28,29)その時地上の人類はキリストの肉を永遠の命のための食物として,象徴的な意味で「食べる」でしょう。―ヨハネ 6:51。

こういうわけで,キリストの死の記念式が表わすものは全人類に影響を及ぼします。それには,イエスの死を黙想することだけでなく,もっと多くの事がらが含まれています。主の夕食は,キリストの人物,キリストが行なわれたこと,今行なっておられること,神に対する不動の献身,義に対する愛と義を行なう確固とした態度,キリストのりっぱな性格,わたしたちに対する深い暖かい愛などを思い起こす時です。この象徴的な食事は,兄弟が兄弟のことを思い出し,息子が父親のことを思い出すのと同じように,最も近しい人のことを思い出すためのものです。それはエホバの目的と,神およびそのみ子とわたしたちとの個人的な関係に真剣な注意を促すものです。この式は,『自分が信仰にあるかどうか,自分自身がどんなものであるかを吟味する』ための自己分析を行なう時を提供します。―コリント第二 13:5。

悪の終わりが近いことを示す証拠

聖書の示すところによると,キリストの王国において,従属の祭司としてキリストとともに支配すべく人類の中から選ばれるのはわずか14万4,000人です。(啓示 14:1,3-5)地球上の何十億という住民と比較するならば,彼らは「小さな群れ」です。(ルカ 12:32)この選択は,1,900年以上昔,キリストが地上におられた時に開始されました。彼らを選択することがついには完了することは明らかです。この腐敗した体制の終わりの時には,わずかの人しか残っていないと考えることができます。

記録されている事実は,わたしたちがその終わりに非常に近づいていることを示しています。というのは,彼らのうちの「残りの者」だけが残っているにすぎないからです。どうすればそれがわかりますか。次の要求を考えてください。霊によって生み出され,霊によって油そそがれた神の子であることを告白する人びと,すなわち「天への召しにあずかる人たち」(天への招待)は,「すべての国の人びとを弟子とし(なさい)」という,キリストが命じた仕事に心をひとつにして従事していなければなりません。(ヘブライ 3:1。マタイ 28:19,20)彼らは,神のメシアの王国の良いたよりを,地に平和と義をもたらしうる唯一の政府として精力的に宣べ伝え教えることによって,自分たちが新しい契約にはいっている者であることを表わさねばなりません。(マタイ 6:10)これら真の「神の子たち」は「世のものではありません」。政治問題に関与することも,多くの富や名声を求めることもありません。―ヨハネ 17:16。

これらイエスの霊的兄弟たちはまた,キリストの「死と同じ様にもなって彼と結ばれ」,また「彼の復活と同じ様にもなってやはり彼と結ばれる」,キリストの共同参加者として,主の夕食で種入れぬパンとぶどう酒にあずかることにより,彼らの天的希望を公に表明します。(ローマ 6:5)世界の宗教的な人びとを見るとき,そのような人びとはほとんど見られないのではないでしょうか。

パンとぶどう酒にあずからない参列者

しかしながら,この記念式の参列者全員が,そこで出される表象物にあずかるわけではありません。イエスは言われました。「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの[「小さな群れ」の]囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。(ヨハネ 10:16)彼らは油そそがれた人びとが取った立場を支持し,他の人びとに良いたよりを伝えることにおいて油そそがれた人びとに協力します。しかし神は彼らを天に招いてはおられません。それは昔の忠実であった人びとを天に召されなかったのと同じです。イエスはこの事実を指摘して,「律法と預言者たちとはヨハネまででした。その時以来,神の王国は良いたよりとして宣明されており,あらゆるたぐいの人がそれに向かって押し進んでいます」と言われました。(ルカ 16:16。詩 45:16。ヘブライ 11:39,40とくらべてください)キリストの兄弟たちの仲間である「ほかの羊」たちは,世界の破滅を生き残って,この地上で,王国の支配とそれに伴う数々の生活上の祝福を享受することを希望しています。

ヨハネへの啓示の書に記されている幻はまず,破滅の風がこの地を撃つ直前に最終的に「証印を押された」人びとを14万4,000人としてその数をあげ,ほかの羊とキリストの霊的兄弟たちとを区別しています。そしてそのあと,「すべての国民……の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が……み座の前と子羊の前に立」ち,救いがエホバとイエス・キリストにあることを公に宣明しているところを描写しています。―啓示 7:1-10。

イエスは,これらの人びとが登場することを,『羊とやぎ』のたとえの中で予告し,時間的背景も与えておられました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます」。(マタイ 25:31,32)その羊はイエスの兄弟たちに善を行なうとイエスは言われました。1935年以来,150万以上のそれらの「羊」がキリストの霊的兄弟たちと交わるようになっており,良いたよりを全世界に宣べ伝えて他の人びとが命のための神の備えを学ぶよう助ける点で,大きな援助となっています。―マタイ 25:34-40。ゼカリヤ 8:23とくらべてください。

ですからこの記念式は悲しみの時ではなく,むしろキリストの死によって成し遂げられた事がらを喜ぶ,喜びの時です。エホバの証人たちが行なうこの記念の食事にさいしては,講演者が,その記念式の意味と意義を説明いたします。それから表象物であるパンとぶどう酒が回されますが,これは,1,941年前のその晩にイエス・キリストがお示しになった簡単な手順に従って行なわれます。あなたもぜひご出席になり,この式で行なわれる事がらをごらんください。そしてこの記念式で話される,あなたご自身と神との関係,および神がキリストを通して行なおうとしている事がらについて聞き,学びそして熟考してください。

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