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目ざめよ! 1974
目74 6/22 27–28ページ

聖書はそれをどう見ていますか

赤ちゃんにバプテスマを施すのは正しいことですか

バプテスマは最初からキリスト教の一部でした。イエスご自身バプテスマをお受けになり,他の人びともバプテスマを受けるよう導かれました。

もしあなたがまもなく親になる人であるなら,または最近親になった人であるなら,赤ちゃんにバプテスマを受けさせるべきかどうか迷っておられるかもしれません。あなたのお子さんが神の是認を受けるには,それは必要でしょうか。

キリスト教世界の諸教会は,このことにかんしてさまざまな意見を持っています。一部の教会は幼児洗礼を行ないます。しかし他の教会は,自教会の宗教的信条に対する信仰を表明できる年齢に達している人にだけバプテスマを施します。

聖書は,バプテスマにかんする知識を与える唯一の信頼できる源です。というのは,聖書だけが「神の霊感を受けたもの」だからです。(テモテ第二 3:16)聖書は赤ちゃんにバプテスマを施すことを勧めていますか。

神のことばである聖書の中で最初に出てくるバプテスマは,バプテストのヨハネの活動と関連しています。彼にかんしては,マルコ 1章5節で次のように述べられています。「ユダヤの全土とエルサレムの全住民が彼のもとに出て来て,自分の罪をあらわに告白しつつヨルダン川で彼からバプテスマを受けるのであった」。このことを行なうにはもちろん,自分の罪深い状態を認めうるだけの年齢に達していることが要求されます。

イエスについては次のように記述されています。「そうしたころに,イエスがガリラヤのナザレから来て,ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。そして,水から上がられてすぐ,天が分かれ,霊がはとのようになって自分の上に下って来るのをご覧になった」。(マルコ 1:9,10)そのときイエスは「およそ三十歳」でした。―ルカ 3:23。

地上における宣教期間中,イエスはだれにもご自分でバプテスマを施されたことはありませんでした。しかし弟子たちは,イエスの指示のもとに,かなり多くの人びとにバプテスマを施しました。その中には赤ちゃんも含まれていましたか。ヨハネによる福音書は,「イエスがヨハネよりたくさんの弟子を作ってバプテスマを施して」おられたことを伝えています。(ヨハネ 4:1)ですからイエスは追随者たちに,すでに弟子となった人びとだけにバプテスマを施させておられたのです。

このことを知っていると,マタイ 28章19,20節のイエスの次の命令を理解するのに役だちます。「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」。イエスは,バプテスマを施すことによって人びとを,幼児さえも,弟子にしなさい,と言われたのではありません。この命令は明らかに,人は弟子になってのちはじめてバプテスマを受ける,ということを意味しています。

イエスの死および復活ののちも,このことは変わりませんでした。西暦33年のペンテコステにバプテスマを受けた人びとは,「[使徒ペテロの]ことばを心から受け入れ」ていました。(使徒 2:41)バプテスマを受けたサマリア人の群れも,キリスト教の音信を「信じた」「男(や)女」たちの群れでした。(使徒 8:12)フィリポがバプテスマを施したエチオピアの宦官は,すでにエホバの崇拝者でした。(使徒 8:27,38)コルネリオの家に集まった人びとについて言えば,聖霊が「みことばを聞いている……者」の上に下りました。―使徒 10:44。

イエスとその十二使徒の時代には,バプテスマは水中に完全に浸すことによって行なわれ,またそれは,バプテスマを受ける人の心の中ですでに生じていたあることの象徴でした。たとえば,ヨハネのバプテスマは「悔い改めの象徴[しるし,新英語聖書]」でした。(マルコ 1:4)西暦36年以後に行なわれたものとして聖書に記録されているバプテスマは,エホバのご意志を行なうことに対する個々の人の献身を象徴しました。これは幼児には当てはまりませんでした。

しかし今日では,赤ちゃんがバプテスマを受けることは珍しくありません。また,多くの教会は,完全に水に浸す代わりに,水をふりかけたり,そそいだりしてバプテスマを施します。何がこの変化をもたらしたのでしょうか。

幼児洗礼の出現 ― なぜか

使徒パウロは,十二使徒の死後聖書のキリスト教に対する全般的な「背教」が起こることを予告しました。(テサロニケ第二 2:3,6-12)テモテへの第一の手紙の4章1節にパウロはこう書いています。「霊は,のちの時代にある者たちが信仰から離れて破壊的な教理に思いを向けるようになることをはっきりと述べている」― 新英語聖書。

バプテスマにかんしては,この「破壊的な教理」はどのように現われましたか。それは異教であるギリシャの宗教(ヘレニズム)から信条を取り入れたためでした。「新約聖書の神学辞典」は,キリストの十二使徒の死後の時代について次のように述べています。

「外部の世界から異質の分子がはいってきた。これまでは,それらの異質分子は,預言的新約的宗教のろ過器によって注意深く阻止されてきた。しかし今やそれらは,外部との協調を経路として利用して洪水のように流れ込んだ。バプテスマは,融合玄義aとなった」。

その結果,西暦2世紀の初めに,バプテスマは人の罪を洗い流し,人を「新生」させるという異教思想がいつのまにかクリスチャン会衆に入り込みました。このことを例示しているのは,西暦2世紀の殉教者ユスティヌスが,バプテスマ希望者について述べた次のことばです。「われわれは彼らを水のあるところへ連れてくる。そして彼らは新生する」。「われわれは……水中で,以前犯した罪の許しを得るかもしれない」。

異教の信条と,バプテスマにかんする聖書の教えとのこの混合は,どんな結果を導き出しましたか。ギリシャ語学者,A・T・ロバートソンは次のように説明しています。

「バプテスマという象徴がこのように曲解されたことから,儀式として水を注ぐことおよび幼児洗礼が行なわれるようになった。もしバプテスマが救いに必要なもの,あるいは新生の手段であるならば,病人,死にかけている者,幼児などもバプテスマを受けなければならないわけである」。

西暦3世紀までには,幼児洗礼は,普通の教会儀式となっていました。3世紀のオリゲンは次のように書いています。「バプテスマによって,生まれつき持つ汚れが取り除かれる。そのために幼児はバプテスマを受ける」。オリゲンは,赤ん坊にバプテスマを施すことは,「使徒たちから伝わった伝統」であった,というまちがったことさえ主張しています。

神に是認されるよう子どもたちを助ける

聖書は赤ん坊にバプテスマを施すことを許してはいません。しかし,自分の子どもが神の是認を受けるよう助けるために親がなすべきことは確かに教えています。聖書の箴言 22章6節は,『子をその道に従いて教えよ さらばその老たる時もこれを離れじ』と親に勧めています。

幼児洗礼のことは聖書では教えられていません。バプテスマは人を「新生」させ,過去の罪を清める,という異教の迷信から出たものです。しかし聖書は次のことを教えています。つまり『わたしたちをあらゆる罪から清めるのは』バプテスマではなくて,『神のみ子イエス・キリストの血』であるということです。(ヨハネ第一 1:7。使徒 22:16)また,子どもに神の是認を得る資格を得させるものは,バプテスマではなく,「エホバの懲らしめと精神の規整」です。(エフェソス 6:4。コリント第一 2:16)もしあなたが親であるなら,お子さんがこの訓練を必ず受けられるようにされますか。

[脚注]

a いろいろな異なる宗教の信条を取って混合したもの。

    日本語出版物(1954-2025)
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