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    ものみの塔 1954 | 3月15日
    • その大軍に対して攻撃に出掛けることは愚かなことであると人は言うでありましよう,しかしシシ記 7章の記録に依れば,ヱホバの僕達は,ヱホバに信仰と信頼を持つて居ました。そしてこの信仰と信頼によつて,ヱホバはギデオンに勝利を得させました。

      33 列王紀略下 18章は,当時の世界の指導勢力であつたアッスリヤの大軍勢18万5000人の者達が,どのようにエルサレムの領域に攻め寄せて来たかを述べて居ます。その大軍勢は,エルサレムの町を脅しました。神の民達には,逃げ路は明らかにありませんでした。セナケリブは人を遣してヱホバ神の御名に非難を浴せ,神の民を嘲笑し,脱出路が無いという事を告げました。ヒゼキヤ王は,ヱホバに信仰を持つて居り,ヱホバに祈り,神より離れることなく,神に常に近づいて居ました。人間の見地から見るならば,その力ある軍隊から救助されることは不可能でありました。しかし,信仰の目は事柄を別の光りに当てて見ました。アッスリヤの力ある大軍を,神は一晩の中に滅ぼされました。神は,その民の救いであることを証明されました。

      34 ダニエル書の第3章には,3人の忠実なヘブル人の記録が記されて居ります。その3人の忠実なヘブル人達は,神の清い崇拝を固く守り続けました。彼等は妥協せず,崇拝の別な形式に従おうとしませんでした。之等の人々は,その体を熱い火の炉の中に投げ込まれました。人の見方から言うならば,彼等には,生き残る希望が無かつたと言えるでありましよう。しかし,神の僕達は,神に信頼と確信を持つて居りました。彼等の神は誰であるかを,彼等は知つて居りました。またヱホバ神はどれ程の力を持つて居られるかをも知つて居ました。それで,ヱホバ神は彼等に救いを与えられました。ヱホバは彼等を救助されましたので,彼等はその熱い,火の炉から何の害をも受けませんでした。ヱホバへの全き信仰を持つ時にその僕達に与えられる価値について,之等はごく僅かな例に過ぎません。

      35 救いの此の日に於いて,ヱホバの組織された僕達の真の立場は何ですか?

      35 現在のこの終りの時代にあつて,敵はヱホバの証者を攻撃するであろうと,予言は示して居ります。人間の見方から見るならば,私達の立場は,全く現実的でなければ,実際的でもなく,そして希望の無いものです。サタンとその制度によつて盲目にされている世の人々は,私達には希望が無いと考えるでしよう。(コリント後 4:4)しかし,私達は信仰の目を保ち続け,神の見地から私達の立場を見なければなりません。そしてまたヱホバ神は,天の軍勢の大軍を持つて居られ,その軍勢は,神の民を守るために,攻撃をしようと用意し,身構えているということを私達は認識すべきです。私達を慰めるために,神の軍隊は実際にどれ程大きく力強いものであるかということを,ヱホバは,黙示録 9章16節(新世)で簡単な説明を与えられて居ります。『そして騎兵の軍隊の数は,一万の二万倍であつた。私はその数を聞いた。』神は2億以上の目に見えない戦士を持たれて居り,彼等はヱホバの僕達を守る用意が出来ていることをこれは示します。神はその民に関して一度も失敗したことはありません。そのことについては,誰一人として反対の証明をすることは決して出来ないでしよう。神はその言葉に真であり,その約束に真であり,そして彼を霊と真をもて崇拝する民に真であります。敵の大軍がどんなに圧倒的に見えようと,ヱホバの勝利は確実です。(列王紀略下 6:17)このことは,ダニエル書 6章の予言的劇によつて真に立証されて居ります。

      36 (イ)ダニエルは何故害を受けませんでしたか?(ロ)その成就に於いて,そのことは何を意味しますか?

      36 一晩の間,獅子の穴に閉じ籠められて居た後に,ダニエルは彼を呼ぶ王の声を聞きました。ダニエルはこのように答えました。『我が神その使をおくりて獅子の口を閉じさせ給いたれば,獅子は我を害せざりき。そは我の罪なき事かれの前に明らかなればなり。王よ我は汝にも悪しき事をなさざりしなり。是に於いて,王大いに喜び,ダニエルを穴の中より出せと命じければ,ダニエルは穴の中より出されけるが,その身に何の害をも受けおらざりき。是は彼おのれの神を頼みたるによりてなり。』(ダニエル 6:22,23)これはヱホバの御名を立証するという事柄でした。立証は,救助することに表わされます。ダニエルは彼の神を信頼し,またヱホバに信仰と確信を持つて居りましたので,そしてまたダニエルはヱホバを崇拝することを恐れていないということをその行為によつて表わしました。ヱホバはダニエルの生命を助け救われました。それで,ハルマゲドンの時に僕級の者達も同様でありましよう。清い崇拝は彼等に力を与えるでしよう。彼等の信仰は,彼等に力を与えるでしよう。彼等が一致してヱホバを崇拝する事は彼等に力を与えるでしよう。ヱホバ神は,彼等に力を与えるでしよう。ヱホバの大いなる力は,彼の僕級を守り助けられるでしよう。それで,真の公正は全うされるでしよう。

  • 日本と沖繩からの報告
    ものみの塔 1954 | 3月15日
    • 日本と沖繩からの報告

      伝道している伝道者 1949年 12名 1952年 311名 1953年 336名

      日本にある新しい世の社会と交つている者達は,非常に多くの『聖なる』伝説を打ち壊して行かねばなりません。それは,日本にいる誠実な人々の気持と心より偏見を取り去るためです。大きな問題は日本そのものです ― 日本の言語,その習慣,その生活,そしてその状態です。之等は皆西洋とは全然違つて居ます。協会が日本に派遣している多くの宣教者は,言語の障害を克服しています。現在では,多くの日本人の伝道者が宣教者の側に立ち,御国の音信を宣べ伝えているということを知つて,協会はうれしく思います。支部の僕は,日本と沖繩にある問題を幾らか語つて居ます。音信が,之等の国々に達し,急速に拡まつているのを見ることは,本当によろこばしいことです。

      30代の婦人は大抵伝道者に向つて,『お待ち下さい! お姑さんに聞きましてから』と言うのが普通です。すると,そのお姑さんの『声』が,障子の後から我鳴り出て来ます。そして,時には,年老いたお婆さんが戸口のところに這い出て来て,その禿げた頭を振り振り,『よろしいわ』と言つて私達を追い払います。しかし,すべてのお婆さんがこのようだというのではありません。或る一つの会衆では,一人のお婆さんは真理を受け入れ,それから近所の他のすべてのお婆さんのところに出掛けて行き,附近の公開集会に招待しました。それで20名は,講演に出席しました。

      一人の若い婦人は,ヱホバの証者と研究するのを望んで居りましたが,二つの面から思いがけない反対を受けました。父親は熱心な仏教の信者でしたので,『神を真とすべし』をキレギレに引き裂き,家を出て行けと言いました。また所謂『クリスチャン』である牧師は,道で実際にひどいことを彼女にしました。それで,その婦人は,家と『教会』の両方から去りました。今では,その婦人は献身した熱心な伝道者です。その迫害のことを語つた時に,その婦人は非常に愛しているものみの塔を取り上げて,『これで,私は強くなるのです!』と言いました。

      ものみの塔? そうです。日本語で書かれているザ・ワッチタワーです。この20頁の雑誌が毎月2回発行されることについて,私達は非常に感謝して居ります。ものみの塔という名前は,鮮明なそして美しい日本語で書かれて良く目立つて居り,また,英語のものみの塔の中にある興味ある記事が多く記載されています。昨年の配布の増加から判るように,ものみの塔は急速に人気を得て居ります。

      4人の宣教者は,新しい区域で伝道の業を始めましたが,1ヵ月の中に89の予約を得,そして600冊の雑誌を配布しました。その区域に行く途中,その4人の宣教者の一人はある実業家に証言して一つの予約を得ました。翌日,汽車に乗つているその宣教者のところに,その実業家は又来て,友人のために一つの予約をしました。その翌日,その人は又来ました。―それで,週の終りまでに,その宣教者は,一人の人から6つの予約を得ました。旅行中に,証言することは,本当に報いのあることです。

      多くの若い日本人が,開拓者の特権を持つて働いていることは,非常なよろこびであります。宣教者達がニュー・ヨークの国際大会に出席して留守の間,之等の日本人の開拓者のいくらかは,会衆の全責任を取り,群とその活動を非常に素晴らしい状態に保ちました。彼等は熱心で積極的でした。例えば,外国人の家々のところに来ますと,彼等は英語の文章をもつて準備し,しかもそれらを配布したのでした! アメリカ人や英国人に対して,日本人の宣教者となりました。日本人の二人の代表者が,今ギレアデで学んでいることに,日本は非常にうれしく思つています。

      ニュー・ヨークの大会は,何という刺戟を与えたのでしよう! 日本語に翻訳された新しい世を信ずる基礎を得ることを,私達は今,切に待ち望んでいます。この冊子は,本当に素晴らしい備えものであり,『祖先達』の悪を追い払つて,日本の何百万という多くの人を導き新しい世の社会にあつて『清き崇拝の中に開花させる』でありましよう。

      沖繩

      第二次世界大戦の時の戦場であつた沖繩は,未だに軍の要塞です。戦争中,那覇市は全く破壊され,地下の神道の宮である一つの建物だけ残つています。其処の大部分の日本人は,急造の掘立小屋に住んで居り,沖繩の経済は遅々として回復しません。

      伝道者の中核は,フィリッピンの兄弟の群です。彼等は非常に熱心で,通訳を用いてかまたは聖書からいろいろな点についての聖句を指摘して日本人に証言します。聖書をこのような方法で用いて彼等が伝道した一人の日本人は,その聖書の聖句に印をつけておいて,今度は自分の友人達にいろいろな事を説明する事が出来ました。このようにして,聖書を用いることによつて反対の議論すべてに対抗することが出来るということを,その人は知り,それで直ぐに真理を受け容れました。会衆内で,その人は今最も熱心な伝道者で,多くの聖書研究を司会しています。昨年中,日本語のものみの塔と他の文書の配布は良い成績でした。

      (1954年のヱホバの証者の年鑑より)

  • キリストの死を記念する
    ものみの塔 1954 | 3月15日
    • キリストの死を記念する

      『主の夕食』

      キリストの死の記念を始める前に,ユダはすでに2階を去つて,イエスを裏切ろうとしていましたが,その記念の祝いについて,目撃者である使徒マタイは次のように記録しました。『彼等が喰べている時に,イエスはパンを一片取り,祝福を述べた後に,そのパンを裂いて弟子達に与え,「取つて,喰べなさい。これは私の体を意味する」と言われた。また,杯を取つて,感謝を捧げてから,彼等に与え,「あなた方すべての者は,この杯から飲みなさい。何故ならば,これは『契約の私の血』を意味する。私の血は,罪の赦しを得させようと,多くの人々のために注がれるのである。』― マタイ 26:26-28,新世。

      『これは私の体を意味する。』とイエスが言つた時に,どんな体について,彼は指していましたか? 使徒パウロは,私達の理解を広めて,このように申して居ます『私達がさくパン,それはキリストの体と共に分け合うことではないか? パンは一つであるから,私達は,多くの人数であつても一つの体である。私達は皆その一つのパンに共に与るのである。』(コリント前 10:16,17,新世)そうです。クリスチャン,ギリシャ語聖書全巻を通じて多くの場合に,クリスチャン会衆は,『キリストの体』として示されています。―ロマ書 12章4,5節。コリント前書 12章12-17節。エペソ書 1章22,23節。コロサイ書 1章24節を見なさい。

      主の夕食で杯を飲むことについて,使徒パウロはまた書きました。『私達が祝福する祝福の杯,それはキリストの杯と共に分け合うことになることではないか?』(コリント前 10:16,新世)しかし,或る人はこのように言うかも知れません。イエスの血は,新しい契約を確実なものとし,また多くの人のために罪のゆるしを得させようとして流されたのに,イエスの追随者達がその杯に共に分け合うとイエスは,どうして言えるのであろうか? 何故ならば,大きな意味で,杯はイエスに対する神の御意を表わしたからです。その神の御意は苦しみと死を意味しました。ゲッセマネの庭で,ペテロに語つたイエスの次の言葉を記憶してください。『父が私に与えられた杯を,私はどうしても飲まなければならないだろうか?』 またイエスの体の成員が,その杯を飲むことに共に分け合うということについては,ヤコブとヨハネの二人の使徒に,イエスは次のように語つてその点を明白にしました。『私が飲んでいる杯を,あなた方は飲むであろう。私が洗礼されている洗礼を,あなた方は受けるであろう。』― マルコ 10:39。ヨハネ 18:11,新世。

      しかし,イエスが苦しんで死ぬだけが神の御意ではなく,イエスが死から甦えされ,神の右の座に高められるのも神の御意でした。それですから,杯がまた,

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