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イエス・キリストがあなたのためにしてくださったことに感謝していますか王国宣教 1982 | 3月
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「それは,群衆がみな彼の教えに終始驚き入っていたから」です。(マルコ 11:18)この宗教上の反対にもかかわらず,イエスは勇敢にも「神殿の中に入り,……両替人たちの台と,はとを売っている者たちの腰掛けを倒され」ました。(マルコ 11:15)エホバの崇拝に対する何という深い関心を示されたのでしょう! わたしたちは,悪い事柄を習わしにする人々に実力行動を取る権威こそ与えられていませんが,イエスがエホバの崇拝に対して示されたような勇気と熱意は示すことができます。(ヨハネ 2章14-17節にある同様の行動と比較してください。)わたしたちは各自,エホバの崇拝に対してそのような資質を示しているでしょうか。
6 翌ニサン11日,火曜日,神のみ子はパリサイ人たちの偽善を恐れることなく公然と非難されました。エルサレムのただ中で,イエスは彼らにこう告げられました。「あなたがたは人の前で天の王国を閉ざす(の)です。あなたがた自身がはいらず,またはいる途中の者がはいることをも許さないのです」。(マタイ 23:13)同時にイエスは,その王国に入るよう人々を援助するため,あらんかぎりの努力を払っておられました。エルサレム市外で,ご自分の臨在と事物の体制の終結についての傑出した預言をイエスが弟子たちにお告げになったのも,この同じ日のことでした。当時の弟子たちと今日のわたしたちに対し,イエスは,生活上の他の物事のためにこれらの出来事の重要さから注意をそらされることがないようにと諭されました。要点を示してイエスはこう言われました。『食べ過ぎや飲みすぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれることがないよう,自分自身に注意を払いなさい』。(ルカ 21:34)イエスの言われたことをわたしたちはどれほど感謝しているでしょうか。当時イエスが話された音信を,イエスが感じておられたと同じほど重要なものと見ているでしょうか。
7 その同じ日に,イエスは,神にかかわる物事の尊さを識別した一人の婦人に注目するよう促されました。神殿で,ごくわずかな価しかない硬貨二つを納金箱に入れたやもめに注意を向けられたのです。しかし,イエスが説明されたように,それは『彼女の持つ暮らしのもとすべて』だったのです。(ルカ 21:1-4)真の崇拝の関心事を促進するためにわたしたちが行なう事柄は,このやもめが抱いていたのと同じほどの認識をわたしたちが抱いていることを示していますか。
ニサン12-14日
8 ニサン12日,水曜日,イエスはエルサレムに戻られませんでした。しかし,聖書は,イエスがマリアという名の婦人から非常に高価
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彼らを助けることができますか王国宣教 1982 | 3月
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彼らを助けることができますか
1 これからの月々,真理を他の人に分かつことをやめてしまった人々を助けるために一層の努力が払われることを,先月号の「わたしたちの王国宣教」から学べたのは喜びでした。それらの人々の多くは集会にも出席していません。エホバがわたしたち各自にそれ程の愛ある関心を示してくださり,長老たちが必要な助けを差し伸べる面で率先するように導きを与えてくださることにどんなにか感謝できるでしょう。何年にもわたって不活発になっていても,エホバへの愛がいくらかでもあれば,その人が会衆との活発な交わりに戻る道は開かれているのです。エホバはしんぼうしておられ,一人も滅ぼされることを望んでおられません。―ペテロ第二 3:9。
2 すでに説明されたとおり,書記と奉仕監督は区域内の不活発な人々が訪問されたかを率先して知るように努めるでしょう。あなたは,不活発な人を援助するよう奉仕監督に依頼された伝道者の一人かもしれません。
これまでの有益な結果
3 何年も離れていて,以前のこの世の習慣のあるものに再び押し流されていたとしても,戻るように助ける愛ある努力に幾人かの人は答え応じることを経験は示しています。訪問する伝道者の側の積極的な態度と辛抱強さが,エホバの援助とあいまって,不活発な人がまだ真理への愛を持っているなら,成功をもたらすでしょう。不親切にされれば,答え応じる可能性は少なくなります。
4 例えば,何年もの間離れていた一人の姉妹は,エホバと会衆はもはや自分のことを気にかけていないと思っていました。ある姉妹がこの『失われた羊』を訪問し,「ものみの塔」から数節を選んで読んであげました。エホバが依然として気にかけておられることを学んで,その不活発な姉妹は涙を流しました。彼女は家族の様々な問題と落胆が原因で交わりをやめてしまい,長く交わらなかったので排斥されたのではないかと間違って考えていました。この『失われた羊』はエホバのあわれみと,エホバがまだ関心を示してくださっていることを感謝するようになりました。彼女は間もなく,再び会衆と共に活発な奉仕をするようになりました。
5 別の例では,以前の努力が実を結びませんでしたが,ある長老は不活発になっている一兄弟が戻るのを援助すべくもう一度試みてみようと決めました。その兄弟の農場に着くまで,何時間も徒歩でいばらのやぶや茂った下草を通って行きました。打ち傷やかすり傷を負い,またほこりだらけで到着しました。長老は不活発な兄弟に,その兄弟がどうしているかを知りたくてはるばるやって来たこと,また会衆が気遣っていることを伝えました。このことに心を非常に動かされたその兄弟は,間もなく再び活発になりました。以前反対していた人がその不活発だった兄弟のそばで働いていて会話に耳を傾けていましたが,聞いたことが信じられませんでした。さまよい出た人を助けようとのこの長老の努力に強い感銘を受けたその人は,妻と共に研究を始め,やがて活発な伝道者になりました。
6 一組の若い夫婦は12年間も真理から離れていました。彼らが戻る希望はほとんどないかのように思えました。一人の長老がもう一度最後の試みをしようと決めました。彼らは霊性を失っていて,最初は兄弟に対して冷たい反応を示しました。長老は友好的に明るく接し続けて,どのようにして真理に入ったのかを尋ねました。このことが転換点となりました。彼らの態度は温かいものとなり,二人とも急速な進歩を示して再び活発になりました。長老は積極的な態度を持っていましたし,長い間離れていたから希望がないとは結論しなかったのです。
積極的な見方を保ちなさい
7 これら二,三の経験からしても,交わりをやめてしまった人々が援助されて,戻ってくる可能性は少なくないことが分かります。不活発になった人々の多くは真理に対して反対しているのではなく,個人的な問題や失望によって交わるのをやめてしまったのです。別の人々は,思い煩いや物質主義によって「いばら」がみことばをふさぐにまかせたのかもしれません。(マタイ 13:22)それらの人々は遠くにさまよい出てしまい,長い間離れているかもしれませんが,マタイ 18章12-14節にあるイエスのたとえ話は,わたしたちがそれらの人々に戻るための戸口を常に開いておくよう励ましているのです。大勢の不活発だった人々が助けられました。長老の指示の下にこの業に参加している方々の努力をエホバは祝福しておられます。
8 これからの月々,書記と奉仕監督は,区域内のどの不活発な人が援助に応じる見込みがあるかを見定めます。もしあなたが不活発な人との研究を依頼されるなら,1冊の本の研究を終えるまで,時間,再訪問,研究を報告できます。その時までに,その人が再び定期的に集会に出席し,野外奉仕に参加していることが望まれています。エホバがこの特別な活動を豊かに祝福してくださり,さまよい出ている大勢の人々が遅すぎないうちに答え応じるよう心からお祈りいたします。
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会衆の書籍研究王国宣教 1982 | 3月
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会衆の書籍研究
「あなたの王国が来ますように」の書籍による会衆の書籍研究
3月14日に始まる週 29-36ページ
3月21日に始まる週 37-45ページ
3月28日に始まる週 46-54ページ*
4月 4日に始まる週 54-61ページ*
* 副見出しの前まで
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