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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
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愛の心をもって

あなたは提案をおもちですか。だれかに忠告したいとお考えですか。だれかを叱るとか,罰するとか,懲らしめねばならないと考えておられますか。ではそれを愛の心をもって実行してはいかがですか。それはいちばんよい方法で,隣人とのよい関係を深め,よい結果を生むことはまず間違いありません。ここで「愛」というのは,性的魅力にもとづくロマンチックな「エロス」ではなく,原則をわきまえた愛,神のことばである聖書に命令されている,私欲のない愛のことです。―マルコ 12:30,31。

愛が効果的なのは,一つには「愛は情深い」ということによります。(コリント前 13:4)情け深いことは愛の明白な表現ですから,それには大きな力があります。そしてすべての人間は生まれつき愛を求めます。それは食物を求めるのと同じです。人間は先祖から受けついだ利己的な性向をもっています。そのため,ある人は疑い深く,守勢をとる傾向があります。しかしこちらの話しかたや態度が親切であれば,そういう人たちでもよろいを脱ぎ,親しみを見せるでしょう。「どうぞ」という言葉は簡単ですが,親切な感じが含まれています。「新世界訳聖書」を見ればわかるとおり,聖書に出てくる人物が,この言葉をしばしば使用していることは注目に値します。―創世 13:8。出エジプト 5:3。民数 10:31。申命 3:25。

愛をもって物事を行なうのが最善であることの別の理由は,「愛は寛容で」あり,忍耐強く,よく忍び,容易にあきらめない,ということにあります。人の弱点を取りあげるさいには,とくに愛の心で自分の意思を相手に伝える種々の方法を試みて下さい。事情によっては苦しい目にあわされたり,かんにさわることがあるかも知れません。しかしそれを耐え忍び,がまんするなら成功は疑いなく,またそのほうが相手の気分をらくにするでしょう。―コリント前 13:4。

また,だれかがむずかしい問題と取り組んでいるばあいに,その人を助けてあげたいと考え,職場や集会所である提案をしたいと思っても,拒絶されるのではないか,という懸念のあることもあるでしょう。もちろん拒絶されないとはいえません。しかし愛の心をもってすればその危険は少なくなります。なぜですか。聖書がさらに述べているとおり,「愛は高ぶらない」し,「誇らない」からです。愛は「私が教えてあげましょう」というような態度ではなく,適当に慎みのあるけんそんな態度で援助を差しのべます。それで相手も,その援助なり提案なりを受けやすくなります。

また愛は「いらだたない」ので,愛の心をもって事を行なうのは最善の道です。あなたはだれかを罰するか,叱らねばならないとお考えですか。では腹立ちまぎれにそれをしないようにしましょう。アメリカのあるスーパーマーケットで,ひとりの母親が,「だまらなきゃ頭をたたき割るよ!」ときいきい声で叫ぶのが聞こえましたが,これなどはおよそ愛の心から出た言葉ではありません。―コリント前 13:5。

この母親と著しく対照的な父親がいます。(これも実話)その父親は娘に向かい,やさしいなかにもき然とした態度で,クリスチャンの集会が終わってから集会所の中を走り回ってはいけない,もし言うことをきかないならおしりをたたく,と言いつけました。しかし娘はまたすぐに走り回りました。そこで父親は,帰る時間まで,いすにおとなしくすわっていなさい,と言いました。帰宅すると彼は娘をひざにのせ,お行儀の悪いことをしたらお父さんは何をすると言ったかおぼえているか,とやさしく聞きました。娘は,おぼえていると言いました。そしてもうしないから罰を加えないでほしいと頼みました。しかし父親は娘に言いました。「約束をしてそれを守らない人のことをどう思うか。おまえはパパがそういう人であってほしいのか」。娘はおしりをたたかれずにはすまないことを知り,父親もほんとうにおしりをぶちました。しかし娘は涙がかわくとすぐに父親のすわっている所にきて,そのからだに腕をまわし,「パパ大好き!」と言いました。罰を加えることも,腹立ちまぎれやいらだたしい気持ちからではなく,愛の心をもってするのが最善の道であることは間違いありません。

とくに結婚している人々にとって重要なことは,配偶者を扱うさいに,愛とやさしさと忍耐と自制心とをもって物を言い,事を行なうことの必要さを知ることです。人は,物の言いかたの大切さを見のがしがちですが,それは他の人にとって大きな意味をもちます。それは当然なことです。たとえば聖書は,夫に対して,妻に思いやりを示し,妻を自分よりも弱い,敏感な,もろい器として尊びなさいとすすめています。あなたは,妻があなたと子どもに示す親切と愛をありがたく思います。では妻を親切にやさしく扱って愛を示して下さい。―ペテロ前 3:7。

愛の心をもって物事を行なうことの賢明さを示す例はまだたくさんあります。しかしクリスチャンの宣教以上に重要な活動の領域はないでしょう。疑いなく使徒パウロは,弟子をつくる点において,イエス・キリストの弟子のなかでも有能な者のひとりでした。彼は愛の精神をもってそれを行ないました。自分でも述べているように彼は『ちょうど母がその子どもを育てるように,一身をささげて自分の仕える人々にやさしくふるまい』ました。パウロは自分の仕える相手を愛していたのです。彼が次から次に会衆を設立できたのも不思議ではありません。―テサロニケ前 2:7,8。

よく実を結ぶ奉仕者は必ずしも他より頭のよい人ではなく,むしろ非常に親切で,使徒パウロと同じく,自分の仕える人を愛し,その人のために骨身を惜しまない人ですが,その理由はここにあるようです。

この点で役立つのは感情移入,すなわち相手の立場に身を置いて考えることです。あなたは人からどのように提案をしてほしいと思いますか。誤りをどのように指摘してほしいと思いますか。きつい態度でですか。ぶっきら棒にですか。大げさにですか。もちろんそんなことは望まないでしょう! ここでも聖書は次のような良い助言を与えています。「兄弟たちよ,もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら,霊の人であるあなたがたは,柔和な心をもって,その人を正しなさい。それと同時に,もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと,反省しなさい」。私たちは聖書の原則を直すことはできません。愛の心をもってそうした問題を扱うことこそ,最善の道です。―ガラテヤ 6:1。

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