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クリスチャンとして見張りを怠らない態度はどうなっているかものみの塔 1984 | 12月1日
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クリスチャンとして見張りを怠らない態度はどうなっているか
「我が汝らに告ぐるは,凡ての人に告ぐるなり。目を覚しをれ」。イエス・キリストのこの言葉は現在に至るまで幾世紀ものあいだ,誠実なクリスチャンの耳にずっと鳴り響いています。しかし,ローマ・カトリック教会,東方正教会,主流プロテスタント諸教会のどれほどの教会員の耳に,活を入れられるようなこの警告が依然として鳴り響いているでしょうか。―マルコ 13:37,日本聖書協会 文語訳聖書。
なぜクリスチャンは目を覚ましてずっと見張っているべきだったのでしょうか。イエスはこの言葉を語る直前に次のように述べておられます。「あなた方は,家の主人がいつ来るか……知らないのですから,ずっと見張っていなさい。彼が突然に到着して,あなた方の眠っているところを見つけることがないようにするためです」。(マルコ 13:35,36)ですからイエスの弟子たちは,自分たちの主人,つまりキリストの来られるのをずっと見張っていなければなりませんでした。
イエスはどんな目的で来られることになっていたのでしょうか。見張りを怠らないようにという命令は,イエスの弟子たちが尋ねた,「あなたの臨在と事物の体制の終結[「世の終わり」,ジェームズ王欽定訳]のしるしには何がありますか」という鋭い質問に対する答えの一部として与えられたものです。(マタイ 24:3)これに類似した記録によると,キリストは,多くの特色を持つ一つのしるしを与えたのち,次のように言われました。「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。しかし,これらの事が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです。……これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」― ルカ 21:27-31。
見張りを怠ってはならない十分の理由
こうしてイエス・キリストは,「しるし」が成就するのを見張るために,霊的に絶えず用心していなければならない十分の理由を弟子たちにお与えになりました。ということは,彼らの主人は目に見えない様で「臨在」するということです。主人の臨在が有形のもの,目に見えるものであれば,しるしは必要ないからです。しかし主人の霊的臨在は,この邪悪な「世」すなわち「事物の体制」が,その「終結」,つまり終わりの時に入ったという意味でもあります。そしてクリスチャンにとってはそれは,自分たちの「救出が近づいている」ということです。そうです,それは「神の王国の近いこと」を意味します。
これこそクリスチャンが抱く希望の精髄ではないでしょうか。これこそすべてのクリスチャンが,「天にまします我らの父よ,願わくはみ名が聖とせられますように。み国が来ますように。み旨が天に行われると同じく,地にも行われますように」と祈り求めるよう,教えられているものではないでしょうか。(マタイ 6:9,10,バルバロ訳)では,主祷文を繰り返し唱えるカトリック教徒や,主の祈りを唱える他の教会の成員たちが,自分たちの祈りの成就するのを見るために見張っていなければならないのは当然ではありませんか。それとも,彼らの教会の教えが,その祈りから意味をほとんど取り去ってしまったために,見張るべきものが全くと言ってよいほど残っていない状態にあるのでしょうか。
多くの人がもはや見張っていない理由
クリスチャンは,キリストの臨在(ギリシャ語,パルーシア。英語の場合に多くの聖書翻訳では「coming[到来]」と訳されている)のしるしを見張っていなければなりませんでした。なぜなら,そのしるしは,神の王国と彼ら自身の救出,および「世」の終わり,つまり現在の邪悪な「事物の体制」の終わりが近いことを意味するからです。キリスト教世界の諸教会は,教会員が主人の到着する時に眠っているのを見られることのないよういつも霊的に目ざとくあるように助けるべきでした。教会はこのことに関する自分の使命を果たしてきたでしょうか。
学問的な参考文献には次のように述べられています。「パルーシアが実現しないまま時が移ってゆくので,教会に関する限り,パルーシアは次第に遠い将来のことになってしまい,ついに信仰箇条としては完全に捨てられる危険にさらされた」― 新約聖書神学新国際辞典。
事実,このことは生じています。決して怠ることのないようにとイエスが弟子たちにお命じになった,クリスチャンとして見張ることをキリスト教世界はやめたのです。ですから,キリストの臨在や神の王国の到来を待つ目ざとい態度はもはやありません。都合のよい解釈を下して,「事物の体制の終結」,すなわち「世の終り」に対する期待を退けたのです。
フランス語の百科事典で全1巻のQUID 1984は,世の終わりに関する宗教的信条の最新の定義を示し,「カトリック教の特色」という項目のところで,「同教会は,最近,世の終わりを,各人が死ぬ時に直面する個人的な試みと定義しているようである」と述べています。新ブリタニカ百科事典(英文)は問題をさらに広範囲に見て,「地位の一層確立したキリスト教会は,終末論[“最後のもの”に関する教え]を無意味な,取るに足りない神話として排除した」と述べています。
では,「クリスチャンとして見張りを怠らない態度はどうなっているか」という質問に対し,どんな驚くべき,しかし必然的な答えが出るでしょうか。その態度は,「地位の一層確立したキリスト教会」,すなわちローマ・カトリック教会,東方正教会,および主流プロテスタント諸教会によって抹殺されてしまったのです。その責めはそれらの教会に属する教会員には帰せられないとはいえ,中には,自分たちの教会はなぜ,そしてどのようにキリストの臨在や神の国の到来,現在の邪悪な事物の体制の終わりなど,クリスチャンが期待すべき事柄を,都合のよい解釈を下して退けたのだろう,と考える人が多いかもしれません。次の記事では,そういう結果に至った歴史的事実を調べます。
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クリスチャンの期待が薄れていったいきさつものみの塔 1984 | 12月1日
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クリスチャンの期待が薄れていったいきさつ
イエスはご自分の弟子たちに,ご自分の臨在とご自分の王国の到来を「ずっと見張っていなさい」と言われました。(マルコ 13:37)1世紀のクリスチャンたちがその通りにしていたことを示す証拠は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中にたくさんあります。事実,待つのをひどくもどかしく思うようになったクリスチャンも幾らかいました。(テサロニケ第二 2:1,2)他方,パウロ,ヤコブ,ペテロ,それにヨハネは,クリスチャンの期待がゆるむのを未然に防ぐためにそれぞれ手紙を書き,キリストの「臨在」と「エホバの日」を忍耐強く待ちながら常に霊的に目ざとくあるよう,兄弟たちに強く勧めました。―ヘブライ 10:25,37。ヤコブ 5:7,8。ペテロ第一 4:7。ペテロ第二 3:1-15。ヨハネ第一 2:18,28。
キリスト教世界の歴史家や神学者たちが出版した参考文献はこの事実を認めています。フランスの権威あるカトリック聖書辞典の長い補遺の中には次のような文があります。「新約聖書本文のほとんどに明らかに見られる,終末を期待する状態を何としても否定しようとすることは徒労である。……初期のキリスト教において……パルーシア[臨在]に対する期待は重要な役割を演じており,新約聖書の初めから終わりまで続いている」。
しかし,キリスト教世界の一部の神学者たちは,初期クリスチャンのあいだに明らかに見られた「終末を期待する状態を何としても否定しようとする」のでしょうか。それは,多くのいわゆるクリスチャンとその霊的指導者たちのあいだに今日見られる霊的昏睡状態を正当化するためであることは疑えません。この変化はどのようにして生じたのでしょうか。
期待が薄れていったいきさつ
クリスチャンの期待がゆるんだのは,キリストの使徒たちがまだ生きているうちにすでに現われ始めていた背教の一つの結果でした。使徒パウロは当時のクリスチャン会衆内に背教が「すでに作用して」いると警告しました。(テサロニケ第二 2:3,4,7)それから何年か後に使徒ペテロは仲間のクリスチャンたちに,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と言う「偽教師」や「あざける者たち」に用心するよう警告を与えています。―ペテロ第二 2:1; 3:3,4。
興味深いことに,クリスチャンの抱くべき期待は,イエスが約束された「臨在」は地に対するイエスの千年統治の近いことを予告するという聖書の真理を信じていた人々により,しばらくのあいだ維持されていました。ユスティヌス(西暦165年ごろ没),イレナエウス(西暦202年ごろ没),テルツリアヌス(西暦220年以後に没)などはみなキリストの千年統治を信じ,現在の邪悪な体制の終わりを熱心に期待するよう勧めました。
時がたち背教が進展するにつれて,人間は生来不滅であるというギリシャ哲学の概念に基づいた想像的な期待が,徐々に,キリストの王国のもとで全地が楽園<パラダイス>に変わるという千年統治の希望に取って代わりました。楽園<パラダイス>の希望は地上のものから天のものに変えられ,死ぬ時に達成されるとされました。こうして,キリストのパルーシアすなわち臨在とキリストの王国の到来に対するクリスチャンの期待はゆるんでしまいました。『死ねば天でキリストと共になれる希望があるのなら,イエスの臨在のしるしを熱心に見張ることはない』と,クリスチャンは考えるようになりました。
クリスチャンとして見張りを怠らない態度がこうしてなくなっていくと,背教したクリスチャンたちは自らを組織して明確な構造を持つ教会を作るようになりました。そしてその教会は,来たるべきキリストのパルーシア,すなわち臨在を見守ることをもはやしなくなり,むしろ教会員を,そしてあわよくば世界を支配することに注意を向けました。新ブリタニカ百科事典(英文)は次のように述べています。「パルーシアが遅れた[ように見えた]ことは,初期教会における切迫感に満ちた期待を弱める結果になった。この『終末観否定』[“最後のもの”(終末に起こる出来事)に関する教えを弱めること]の過程において,制度化した教会が,期待されていた神の国に取って代わる速度は次第に増していった。位階制のカトリック教会の成立は,切迫感に満ちた期待が弱まったことと直接に関係がある」。
致命傷を負わせる
クリスチャンとして見張りを怠らない態度に致命傷を負わせた教「父」または「博士」がヒッポのアウグスティヌス(西暦354-430)であったことに疑問の余地はありません。アウグスティヌスはその有名な著作「神の国」の中で,「今地上にある教会は,キリストの王国であり天の王国でもある」と述べています。
「新聖書辞典」は,この見方がカトリックの神学に及ぼした影響について次のように説明しています。「ローマ・カトリック神学における特徴は,地的な制度のうちに神の国および教会があるという見方である。それは主としてアウグスティヌスの影響を受けた見方である。キリストは教会の位階制を通して神の国の王とされている。神の国の領域は,教会の権力や権威の及ぶ領域と境界線を同じくする。天国は,世界における伝道や教会の発展によって拡大する」。
そういうわけで,神の王国の近いことを示すしるしを『ずっと見張っている』必要はすべて取り除かれてしまいました。E・W・ベンツ教授は新ブリタニカ百科事典(英文)の中で次のように述べ,この点を確証しています。「彼[アウグスティヌス]は,神の国はこの世において教会の制度と共にすでに始まっていると宣言して,切迫感に満ちた初めの期待にあまり重きを置かなかった。教会は地上における神の国の歴史的代理人である。アウグスティヌスによると,第一の復活は,教会内で,バプテスマの秘跡という形で絶えず生じており,それを通して信者たちは神の国へ入れられている」。
アウグスティヌスはまた,イエス・キリストが千年統治を行ない,その間に地上に楽園を回復するという聖書的希望をキリスト教世界が放棄するのを決定的にした人物でもあります。(啓示 20:1-3,6; 21:1-5)カトリック百科事典は次の点を認めています。「聖アウグスティヌスは結局,千年統治はないとの確信を固守した。……6,000年の歴史の後の1,000年の安息は,永遠の命全体のことである。換言すれば,1,000という数字は完全さを表現することを意図したものである」。ブリタニカ大項目(1977年版,英文)はさらにこう述べています。「彼[アウグスティヌス]にとって,千年統治は,ペンテコステの日に教会が集団としてすでに入っていた霊的状態を意味するものになっていた。……歴史への切迫した超自然的介入などは予期されてはいなかった」。したがって,カトリック教徒にとり「御国が来ますように」という祈りは無意味なものになりました。
中世の暗黒
アウグスティヌスの解釈は「中世における標準的な教理となった」と言われています。そのためにクリスチャンの期待は他のどの時期よりもしぼんでしまいました。次のように書かれています。「中世のキリスト教世界における新約聖書の終末論は,初めにプラトン主義[ギリシャの哲学者プラトンに由来する],後に西欧のアリストテレス主義[ギリシャの哲学者アリストテレスに由来する]の哲学を基礎とする教義体系の中に自らの場を与えられていた。パルーシア,復活などの伝統的概念はギリシャ的な霊魂観,その不滅観などと結びついた。……中世のキリスト教には……終末論的な熱烈な信仰の入る余地は少なかったが,この熱烈な信仰は絶えることなく,ある異端とされた運動の中で生きていた」― ブリタニカ百科事典,1970年版(英文)。
ローマ・カトリック教会はその「異端とされた運動」を鼻であしらい,彼らを“千年期派”と呼びます。またカトリックの歴史家たちは「西暦1000年の恐怖」について軽べつ的な口調で語ります。しかし,多数の一般人が,西暦1000年に世が終わると考えて恐れたのは,だれのせいだったでしょうか。この「恐怖」は,カトリックの「聖」アウグスティヌスの神学が及ぼした直接の結果だったのです。サタンはキリストの最初の到来の時に縛られる,とアウグスティヌスは主張しました。啓示 20章3,7,8節に,サタンは1,000年間縛られ,それから「解かれて……諸国民を惑わす」(エルサレム聖書)とあるので,10世紀の人々の中に,西暦1000年に何か起こるかもしれないと考えて恐れていた人々がいたのも,少しも不思議ではありません。
当然のことながら,公認のローマ・カトリック教会は,キリスト教時代は1260年に終わると予告したシトー修道会の大修道院長,フロレスのヨアキムを非難した時にその「恐怖」を非難しました。そして遂に1516年,第5ラテラノ会議で,法王レオ10世は,カトリック教徒が反キリストの出現する時や最後の審判が行なわれる時について予言することを正式に禁止しました。その法律に違反する者は破門という罰を受けました。
プロテスタントの解釈
16世紀に生じた宗教改革は,理論の上では聖書への復帰と考えられていたので,クリスチャンの期待もよみがえってよいはずでした。事実,しばらくのあいだよみがえった状態にありました。しかし,この点で宗教改革は,他の多くの事柄におけると同様,その約束を果たさず,真の聖書的キリスト教に復帰したことを示しませんでした。宗教改革によって生まれたプロテスタント諸教会は,クリスチャンとして熱心に見張る態度を早々と失い,現在の世と妥協してしまいました。
次のように書かれています。「しかしながら,宗教改革によって生まれた諸教会は間もなく,領土を有する[国立の]制度的な教会となり,次いでその教会は終わりの時への期待を抑制するようになって,“最後のもの”は教義学の補遺となってしまった」。「18世紀の終わりから19世紀にかけて特にプロテスタントとユダヤ人の中で台頭した宗教的自由主義においては,終末論の占める場はなかった。終末論は,啓蒙された時代にはもはや受け入れられない,伝統的宗教の粗雑で原始的な,古くさい装飾の一部と考えられた。ほとんどの場合,終末論的思想は完全に捨てられて顧みられず,単に死後の霊魂不滅の状態が人間の終局とされた。他の神学者たちは,神の国に対する期待について,倫理的,神秘主義的,あるいは社会的な観点から新しい解釈を施した」― ブリタニカ百科事典(英文)。
こうして,プロテスタントの神学者は,キリストの臨在を『ずっと見張っている』ようクリスチャンを助けるのではなく,都合のよい解釈を下してクリスチャンの真の期待を退けました。多くの神学者にとって「神の国は……次第に個人主義的な意味に考えられるように」なりました。つまり「神の国は人の心の中における恩寵と平安の至高性」なのです。また,「神の国の到来は,社会正義の前進と共同社会の発展にある」としている神学者たちもいます。―新聖書辞典(プロテスタント)。
カトリック教徒が期待する事柄
少なくとも理屈からいえば,カトリック教徒はキリストの臨在を霊的に見張っているべきです。アウグスティヌスの神学は神の王国に対する期待と千年統治の希望をカトリック教徒から奪い去ってしまいましたが,それでもローマ教会の教義には依然として,キリストの再来をずっと見張っていなければならないクリスチャンの義務が含まれています。例えば,バチカンの教理聖省は,法王ヨハネ・パウロ2世によって認可された,1979年5月17日付の書簡を全世界の司教に送りました。その書簡には,「教会は聖書に従って,『我々の主イエズス・キリストの栄光ある顕現』を待つ」という一文がありました。
カトリック教会の教えは理論においてはこのようなものです。しかし,一般のカトリック教徒は,キリストの臨在や神の王国の到来をずっと見張っている必要について司祭が話すのを,実際にどれほど耳にするでしょうか。興味深いことに,先に引用したローマ法王庁の手紙は,「問題とされていた点に関してクリスチャンの信仰を強める」ことを目的としていました。しかし,いわゆるクリスチャンたちは,なぜキリストの再来について疑問を抱いているのでしょうか。次に掲げる新ブリタニカ百科事典(英文)からの引用には,これに対する答えが示唆されているでしょうか。「教会は長いあいだ,最後のものの分野全体についての教理をおろそかにしてきた」。「宗教改革以後,ローマ教会は終末論的運動に対して事実上無とんちゃくであった」。
クリスチャンとして見張りを怠らない態度はなくなってはいない
聖書の明確な真理を捨て,ギリシャ哲学と「聖」アウグスティヌスの神学に従ったために,キリスト教世界の諸教会の中でクリスチャンの期待は薄れてゆきました。続く記事は,神の真の僕たちが常にキリストの臨在を期待して生活してきたこと,また今日でも,長年にわたりクリスチャンとして見張りを怠らない態度を示してきた人々,あなたの希望ともなるすばらしい希望を再発見した人々が存在することを示しています。それで続けてその記事を読み,聖書の希望の成就するのを「ずっと見張っている」ことができるようエホバの証人の援助を求めてください。
[5ページの拡大文]
「新約聖書本文のほとんどに明らかに見られる,終末を期待する状態を……否定しようとすることは徒労である」
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アウグスティヌスは,地上の教会がキリストの王国であると考えていた
[7ページの図版]
法王レオ10世は,カトリック教徒が反キリストの出現する時や,最後の審判の行なわれる時について予言することを禁止した
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見張っているところを見られる人々は幸いです!ものみの塔 1984 | 12月1日
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見張っているところを見られる人々は幸いです!
「主人が到着したときに,見張っているところを見られるそれらの奴隷は幸いです!」―ルカ 12:37。
1 エホバの僕たちが常に『この方を待ち望んで』きたのはなぜですか。しかしキリスト教世界の諸教会に関してどんな質問をすることができますか。
『エホバは裁きの神である。この方を待ち望む者はみな幸いである』。(イザヤ 30:18)エホバが蛇の究極的な敗北と,約束の胤による救出を宣言されて以来,エホバの忠実な僕たちはその約束の成就を待ち望みつつ生活してきました。(創世記 3:15)しかし,キリスト教世界の神学者は,サタンとその胤からの最終的な救出に関してずっと見張っているよう,教会員を助けているでしょうか。
2 「国々の民」が「シロ」を待ち望むべきなのはなぜですか。
2 ヤコブはその臨終の預言の中で,約束の胤がユダ族を通して来ることを予告しました。ヤコブはその胤にシロという象徴的な名を与え,「もろもろの民の従順は彼のものとなる」と述べました。ギリシャ語のセプトゥアギンタ訳では,シロは「国々の民の期待するところとなる」と訳されています。(創世記 49:10)エホバはヤコブの祖父アブラハムに,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と述べておられたので,「国々の民」はなおのことシロの到来を見張っていなければなりませんでした。(創世記 22:18)しかし,その胤,つまりメシアであるシロは,まず地に来てアブラハムの子孫となり,ユダ族に生まれなければなりませんでした。
見張りを怠らない,ユダヤ人の残りの者
3 ルカは西暦29年に見られた,ユダヤの民が抱いていた期待に関し,何と述べていますか。歴史はこのことを裏付けていますか。
3 ユダヤ人の歴史家ルカは,「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年[西暦29年]」,「民は待ち設けており,またすべての者が[バプテスマを施す人]ヨハネに関し,『あるいは彼がキリスト[ヘブライ語でマーシーアハ,つまりメシア]ではなかろうか』と心の中で考えを巡らしていた」と述べています。(ルカ 3:1,15)世俗の歴史は,ルカによるこの陳述を裏付けているでしょうか。エミル・シューラー著,「イエス・キリストの時代におけるユダヤの民の歴史」の新しい英語版は,「この希望[メシアに対する期待]は民の間で絶えず生き続けていたのだろうか」と問いかけ,その答えを次のように述べています。「キリスト教時代直前の数世紀,および特に西暦1世紀には,偽典[ユダヤ人の終末観的な書物],クムラン[死海付近で活動していた教団の著作],ヨセフス,四福音書などが非常に明確に述べているように,その希望が再度非常に強まった。……ダニエルの書の幻は……メシア観の形成に並々ならぬ影響を及ぼした」。
4,5 (イ)当時,ユダヤ人がメシアを待ち望んでいたのはなぜですか。このことはどのように確証されますか。(ロ)多くのユダヤ人はどんなメシアを期待していましたか。しかし,エホバは真のメシアの到来をどんな人々に明らかにされましたか。
4 一人の学者はマタイ 2章2節について注解し,こう書きました。「この当時,ある顕著な人物がユダヤに現われるという期待が広まっていた。ユダヤ人はメシアの到来を切望していた。彼らはダニエル(9章25-27節)の言及した時を計算し,そのメシアが現われるはずの時期が近づいていることを知った」。ローマの歴史家スエトニウスとタキツスも,ユダヤ人の歴史家ヨセフスやフィロンと同じく,この期待について言及していると言えます。バキュエおよびビグルー著,フランス語の「マニュエル・ビブリケ」(第3巻,191ページ)はこの点を確証し,こう述べています。「人々はダニエルが定めた七十週年が終わりに近づいていることを知っていた。神の王国が近づいたとバプテストのヨハネが告げ知らせるのを聞いても,だれ一人驚かなかった」。
5 したがって,ユダヤ人がメシア,つまり約束の胤の到来を予期していたことと,その期待は時に関する預言について見張っていたために生じたことを示す歴史的な証拠があるのです。a (ダニエル 9:24-27)確かに,ユダヤ教のさまざまな派に属していた1世紀のユダヤ人の大半は,「コンサイス ユダヤ百科事典」が述べる通り,「イスラエルの敵を滅ぼし,平和と完成の完全な時期を確立する」政治的なメシアを望んでいました。しかし,忠実なユダヤ人の残りの者は,真のメシアに関して注意深く見張りを続けました。その中には,バプテスマを施す人ヨハネの両親であるゼカリヤとエリサベツ,それにシメオン,アンナ,ヨセフとマリアなどがいました。(マタイ 1:18-21。ルカ 1:5-17,30,31,46,54,55; 2:25,26,36-38)エホバは,時に関するダニエルの預言を手掛かりにして見張ることができる出来事,つまり「時の限りが満ちたとき」に約束の胤,すなわちメシアが到来することを,ユダヤ教の宗教的な指導者にではなく,これらの残りの者に確証されました。―ガラテア 4:4。
初期クリスチャンの示した,見張りを怠らない態度
6 年若いユダヤ人はどのように育てられましたか。このことは,ある人々がイエスの弟子になるのにどのように役立ちましたか。
6 ヨセフとマリアは,自分たちの育てている子,イエスがやがてメシアになるべきことを知っていました。イエスの養育について,ブリタニカ新百科事典(英文)はこう述べています。「イエスが,家庭および会堂で培われた敬虔さのうちに成長していったことはほぼ間違いがない(聖書研究,律法に対する従順,祈り,メシアの最終的な到来に対する期待などを含む)」。忠実なユダヤ人の残りの者の家庭で育てられた他の若い人々も,メシアに関する希望に満たされ,このふさわしい期待のおかげで,そのうち少なくとも幾人かは,イエスの弟子となるようにとの召しに直ちに注意を払うことができました。―マルコ 1:17-20。ヨハネ 1:35-37,43,49。
7 (イ)イエスは,王国が個々のクリスチャンの内にあると教えられましたか。(ロ)クリスチャンは何に関して,見張りを続けるべきでしたか。
7 イエスは地上での宣教の終わり近くになって,ご自分の弟子たちに,将来のご自身の「臨在」と王国の到来に関してずっと見張っているようにと教えられました。ブリタニカ新百科事典(英文)はこう述べています。「世の終わり,最後の審判,神の新しい世といったこれら伝統的なモチーフは,古来の福音書に収められているイエスの言葉から欠落しているわけではない。したがって,イエスは,天の王国を個々の人間の魂の純然たる宗教的体験に変換したわけでも,ユダヤ人の終末論的な期待に対し,世界に内在する進化論的な過程という考えや,人間の努力で獲得できる目標という考えを付与したわけでも決してない。……イエスは国家的なメシアに対する希望を分け与えたことも,勧めたこともなかった。……さらに,神の王国の到来を早めようとする熱心党の努力を支持することもなかったのである」。イエスは数多くの特色を備えたしるしをクリスチャンにお与えになりましたが,クリスチャンはそれらのしるしにより,まずエルサレムの滅びが近いことを認めることができ,はるか後代になってからは,『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』を見分けることができました。―マタイ 24:3-25:46。ルカ 21:20-22。
8 イエスが,非常に近い将来に王国に入るとは信じておられなかったことを何が示していますか。それで,イエスは追随者たちにどんな助言をお与えになりましたか。
8 自由思想家も,キリスト教世界の神学者の一部の人々も,初期クリスチャンはキリストのパルーシア,つまり臨在が初期クリスチャンの時代に生ずることを信じていた,と主張します。イエスご自身,ごく近い将来に王国に入ると考えておられた,と示唆する人さえいます。しかし,イエスはタラントとミナの例えの中で,ご自分が王権を得て戻り,ご自分の持ち物をゆだねた奴隷たちと清算を行なうのは「長い時を経たのち」であることを示されました。(マタイ 25:14,19。ルカ 19:11,12,15)さらに,『ご自分の臨在と事物の体制の終結のしるし』に関する預言の中で,終わりが臨む「日と時刻」を知っているのは「ただ父だけ」であられ,『天のみ使いたちも子も知らない』ことを認められました。そして,「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」と付け加えられました。―マタイ 24:3,14,36,42。
9 使徒パウロの言葉から,パウロがキリストの臨在は自分の時代に差し迫っていると考えていたという印象を受けますか。説明してください。
9 キリストの臨在が切迫しているかどうかについて初期クリスチャンの信じていた事柄に関し,学術的な参考文献はbこう述べています。「パウロがテサロニケ人への第一の手紙の中でパルーシアは間近いと期待していたという仮説は,水も漏らさぬ論議などとはとても言えない。すでにテサロニケ第一 5章10節でパウロは,自分が死ぬ可能性を考慮に入れている。テサロニケ第一 4章15節と17節で『わたしたち』について語ったパウロが,自分自身を,必ずしもその最後の世代に属する者ではなく,その最後の世代との関係を持つ者と見ていた可能性を捨て去ることはできない」。パウロはテモテへの第二の手紙の中で,自分は「かの日」,つまりキリストが「生きている者と死んだ者とを裁く」時,王国のうちにキリストの「顕現」が見られる日まで,その報いを得ることを望まない,と明確に述べました。―テモテ第二 4:1,8。
10 クリスチャンとしてのふさわしい見張りを怠らない態度は,1世紀のユダヤのクリスチャンたちにとって,どのように命を救うものとなりましたか。
10 イエス・キリストの臨在とその王国の到来を待っている間,クリスチャンは見張りを怠ってはなりませんでした。クリスチャンとしてふさわしく用心を怠らなかったために,ユダヤのクリスチャンはエルサレムの滅びが近いことを示す,イエスがお与えになったしるしを認めることができました。(ルカ 21:20-24)ケスチウス・ガルスが西暦66年にエルサレムを攻撃した時,目ざめていたクリスチャンは,ガルスが不可解なことに突如撤退したその時を利用し,同市から,そしてユダヤの周辺の地域から逃れました。ヘゲシップス,エウセビオス,エピファニオスなど初期教会史家たちによると,ユダヤのクリスチャンはヨルダンを越え,ペラと呼ばれる場所に避難しました。十分に霊的に目ざめていたため,彼らはティツス将軍の率いるローマ軍が西暦70年に戻ってきてエルサレムを滅ぼした時に,命を失ったり捕虜になったりすることを免れました。ずっと見張っていたことに関し,これらのクリスチャンは大きな喜びを味わったに違いありません!
西暦70年後のクリスチャンの期待
11,12 西暦70年のエルサレムの滅びのあと,クリスチャンが取るべき正しい態度とはどんなものでしたか。そして,このことはどのようにクリスチャンを守りましたか。
11 イエスの臨在が,「長い時を経たのち」に初めて生ずることになっていたため,西暦70年のエルサレムの滅びのあと,および終わりの時までの幾世紀もの間,クリスチャンが取るべき正しい態度とはどんなものでしたか。クリスチャンの期待は,冷やされる,いわば「保留にする」べきものでしたか。そうではありません! 使徒ヨハネの3通の手紙と啓示の書,つまり黙示録は,すべて西暦70年以後に書かれました。その最初の手紙の中でヨハネは,「反キリスト」に対する警告を与え,キリストの「臨在」と顕現を待ちながら,キリストと結ばれたままでいるよう,クリスチャンたちに告げています。(ヨハネ第一 2:18,28; 3:2)これら3通の手紙のすべてにおいて,ヨハネは背教者に対する警告を与えています。啓示の書に関して言えば,最初から最後に至るまで,王国の栄光のうちにキリストが来られることに重点を置かれており,その最後から二つ目の文は,「アーメン! 主イエスよ,来てください」となっています。―啓示 22:20。
12 クリスチャンはパルーシアに重点を置かなければなりませんでした。つまり,日々キリストの「臨在」を期待して生活しなければならないということです。教会史の教授エルンスト・ベンツはこう書いています。「初期教会の信者にとって,“最後のもの(終末に生じる出来事)”は緊急性の点から言うと最初のものであった。彼らの信仰と希望の中心にあったのは,神の王国の到来であった」。自分たちの生きているうちにその王国が到来しなかったとしても,この正しい期待の態度があれば,クリスチャンは霊的に眠けを催したり,サタンの世に巻き込まれたりすることから守られます。―ヨハネ第一 2:15-17。
13,14 西暦二,三世紀の背教したクリスチャンの間には,どんな二つの極端が存在していましたか。
13 一般に知られているように,使徒たちの死後に背教が進展するにつれ,ある人々はキリストが王国のうちに到来する時が近いことに関し,誤った考えを抱くようになりました。C・J・カドゥーは自著「初期教会と世界」の中で,「イレナエウス[西暦2世紀]も,ヒッポリュトス[西暦2世紀後半から3世紀の初め]も,終わりが来る時をある程度正確に計算することは可能であると考えた」と述べています。誤った年代計算のために,ある人々は,人類史の6,000年がほとんど経過し,第七千年期の到来が近いと考えました。もちろん彼らは間違っていました。しかし,少なくともその人々は,霊的に絶えず目ざめているよう努力していたのです。
14 一方,背教したクリスチャンの大半は緊急感と王国に対する期待を全く失いました。「新約聖書神学辞典」は次のことを伝えています。「プラトンの形而上学[哲学],およびストア派の倫理に影響されたクリスチャンの護教家たち[2世紀および3世紀初期の“教父たち”]は,神の王国という概念をほとんど用いていない。彼らが奉じている終末論に関する限り,それは個々のクリスチャンの完成という考えに支配されている。……不滅性,とこしえの命と知識に関するギリシャの概念のほうが[神の王国]に関する聖書的な概念よりも重要である。……同様に,オリゲネス[西暦185年ごろ ― 254年ごろ]の場合も……神の王国という聖書的な音信の占める場はほとんどない」。
15 背教が進展するにつれ,地位の確立した教会は,“最後のもの”に関する教えについてどんな態度を取りましたか。
15 主としてこれが,幾世紀もの間,いわゆるキリスト教の教会に浸透していた態度なのです。ブリタニカ百科事典(英文)は次のことを明らかにしています。「ローマ皇帝コンスタンティヌス(337年没)の時代以来,キリスト教を政治的に認めることが,キリストの王国に対する希望の実現であると理解されてきた。黙示録の預言が将来に成就することを信じる終末論は,抑圧された隠れた分派の中で存在し続けた」。「16世紀に起こった宗教改革以前には,……ローマ・カトリック教会が,切迫感に満ちた元の終末論的な期待にそむいているとして異端者のグループから非難された」。
『見張っているところを見られる人々は幸いです』
16 19世紀にはどんなグループが現われましたか。その中のあるグループは何を信じていましたか。
16 “地位の一層確立したキリスト教会”が,もはやキリストの臨在と,キリストが王国の権威を受けることに関する見張りを続けなかったので,そうした見張りをすることは,それらの諸教会が「異端者のグループ」と呼ぶものにゆだねられました。19世紀に入って,聖書や聖書を研究するための手段を一般の人々が入手できる国々で,そのようなグループが幾つか姿を現わしました。主要な諸教会にとって,“最後のもの”に関する教えはどれも無意味なものとなっており,それら諸教会はそのようなグループを軽蔑的に再臨派,あるいは千年期説信奉者と呼びました。そのようなグループはキリストの再臨に関する見張りを続け,キリストが1,000年間統治するようになることを信じていたからです。これらのグループの中には,キリストが地に戻ってきてご自身の千年王国を確立されると期待するものが少なくありませんでした。あるグループはキリストの再臨が1835年(英国のアーヴィング派),1836年(ドイツのベンゲルの追随者たち),1843年(米国のミラーの追随者たち),1889年(ロシアのメノー派の一派)に生ずると計算しました。
17,18 キリスト教世界の地位の確立した諸教会はどのように反応しましたか。しかし,イエスは,ご自分が『到着した』時に何を探し求めると言われましたか。
17 当然ながら,“地位の一層確立したキリスト教会”は,これらの予言が誤りであることが明らかになって歓びました。確かに,カトリック教会,ギリシャ正教会,プロテスタントの主要な諸教会はそうした過ちを犯しませんでした。彼らにとって,“最後のもの”に関する教えは「無意味」だったからです。彼らははるか昔に,『ずっと見張ること』をやめていました。―マルコ 13:37。
18 それでも,イエスは弟子たちにこう言われました。「主人が到着したときに,見張っているところを見られるそれらの奴隷は幸いです!……主人が,時に応じてその定めの食糧を与えさせるため,自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです!」―ルカ 12:37-43。
19,20 (イ)1870年代にどんなグループが姿を現わしましたか。彼らが他のグループとの関係を断ったのはなぜですか。(ロ)このグループの公式の機関誌となった雑誌は何ですか。この雑誌は,増加を続ける真のクリスチャンをどのように助けてきましたか。
19 19世紀の後半の30年ほどの間,キリストが戻られることのしるしを見張り続けていた,いわゆる異端者のグループの中に,米国のピッツバーグでチャールズ・ラッセルが主催する聖書研究のクラスがありました。ラッセルはこのように書きました。「1870年から1875年までは,神とそのみ言葉に関する恩寵と知識と愛が絶えず増し加わった時期であった。……しかしながら,当時の我々は,神のご計画の全般的な概要を知り始め,長く大切にされてきた多くの誤りを正していたにすぎない。……我々は,肉体を着けたキリストを期待したキリスト再臨派の犯した過ちを極めて遺憾に思った」。
20 ラッセルとその仲間は,キリストの臨在が目に見えないものであることをすぐに理解しました。彼らは他のグループとの関係を断ち,1879年には「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の中で霊的な食物を広め始めました。この雑誌はその出版の最初の年から,聖書的で確かな根拠のある計算により,1914年を聖書の年代学上画期的な年として指し示しました。したがって,目に見えないキリストの臨在が1914年に始まった時,これらのクリスチャンは見張っているところを見られて本当に幸福でした! 現在は「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」と呼ばれるこの雑誌は,「ずっと見ていて」,『目をさましている』よう,1世紀以上にわたって増え続けた真のクリスチャンを助けてきました。(マルコ 13:33)これがどのように行なわれてきたかは,次の記事で考慮します。
[脚注]
a 時に関するこの預言の詳しい説明については,「あなたの王国が来ますように」の58-66ページをご覧ください。
b 新約聖書神学新国際辞典,第2巻,923ページ。
復習のための幾つかの質問
□ 1世紀のユダヤ人がメシアに対する期待を抱いていたことを何が示していますか
□ 見張りを怠らないことは,ユダヤのクリスチャンにとって,どのように助けとなりましたか
□ 背教はクリスチャンの期待感にどんな影響を与えましたか
□ キリストは終わりが近づいた時,どんな奴隷を探し求めますか
□ どんなクリスチャンのグループが,これらの要求にかなっていましたか。どんな雑誌の助けによって?
[12ページの図版]
この雑誌の発行者は,常に見張りを怠らなかった
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用意をしていなさい!ものみの塔 1984 | 12月1日
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用意をしていなさい!
「用意をしていなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」― ルカ 12:40。
1 ずっと見張っていることの必要性について,キリストは何と言われましたか。
イエス・キリストは,見張りを怠らないよう追随者たちに勧めました。例えば,こう述べておられます。「ですから,あなた方は気を付けていなさい。わたしはあなた方にすべてのことを前もって告げたのです。……またその時,人々は,人の子が大いなる力と栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。……その日または時刻についてはだれも知りません。天にいるみ使いたちも子も知らず,父だけが知っておられます。ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです。それは,自分の家を離れ,自分の奴隷たちに権威を与え,各々にその仕事をゆだね,戸口番には,ずっと見張っているようにと命令して,外国に旅行に出た人のようです。それで,あなた方は,家の主人がいつ来るか,一日も遅くなってからか,真夜中か,おんどりの鳴くころか,あるいは朝早くかを知らないのですから,ずっと見張っていなさい。彼が突然に到着して,あなた方の眠っているところを見つけることがないようにするためです。しかし,わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」― マルコ 13:23-37。
2 “模範的な祈り”が,見張りを怠らない態度を暗示しているのはなぜですか。しかし,キリスト教世界の諸教会は,神の王国に対する期待をどのように弱めてきましたか。
2 この前の幾つかの記事の中では,偏りのない情報源から,キリスト教世界の諸教会が『ずっと見張って』はこなかったことを示す証拠が十分に示されました。カトリック百科事典によると,諸教会は,「神の王国とは……人間の心の中における神の支配を意味する」と主張して模範的な祈り,つまり主の祈りを全く無意味なものとすることにより,王国に対する期待を弱めてきました。ところが新ブリタニカ百科事典(英文)は,「主の祈りの請願は,神のみ名と目的が侮辱され,神の王国がまだ到来していないという苦悩に満ちた状況を前提としている」と述べています。そうです,“模範的な祈り”は,見張りを怠らない態度を前提としているのです。ではクリスチャンは,特に何を見張り続けなければなりませんでしたか。
『見張っている』― 何を?
3 なぜクリスチャンは時間の要素を無視してはなりませんでしたか。
3 聖書が預言している“最後のもの(終末に生じる出来事)”を詳しく調べてみると,クリスチャンが何を『ずっと見張っている』べきかが明確になります。まず第一に,時間の要素を見失ってはなりませんでした。イエス・キリストは,み父だけが知っておられる「定められた時」について語っているからです。(マルコ 13:32,33)加えて,イエスはご自分の弟子たちに,エルサレムは「諸国民[異邦人]の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられる」と言われました。(ルカ 21:24)明らかに,イエスがこの情報を追随者たちにお与えになったのは,終わりの時を見分けるよう弟子たちを助けるためでした。というのは,イエスのその言葉は,「師よ,そのようなことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そのようなことが起きるように定まった時のしるしには何がありますか」という質問の答えの一部となっているからです。―ルカ 21:7。
4 クリスチャンはどんな「しるし」を,ずっと見張っているべきでしたか。
4 クリスチャンは,時間の要素に注意を払うことに加え,マタイ 24章3節とマルコ 13章4節でも言及されている,弟子たちが求めた「しるし」を見張っていなければなりませんでした。国際的な戦争,飢きん,地震,疫病,まことのクリスチャンに対する迫害などを含む多くの特色から成るこのしるしは,終わりの時に起こることになっているすべての事柄が実際に生ずるまで『決して過ぎ去らない』「世代」を見分けるための,時に関する預言の成就と密接な関係を持つことになります。―ルカ 21:10-12,32。
5 キリストは幾世紀にもわたってどのようにご自分のまことの追随者たちと共におられることになっていましたか。しかし,ご自分の「臨在」に関するしるしをお与えになった時,キリストが意味しておられたのはそれだけのことでしたか。
5 「事物の体制の終結」に関連したどんな重要な出来事が,このしるしによって告知されますか。イエスの弟子たちは,「あなたの臨在[ギリシャ語でパルーシア]……のしるしには何がありますか」と,イエスに尋ねました。(マタイ 24:3)キリストの「臨在」とは何を意味することになっていましたか。キリストのまことの追随者たちが一緒に集まったり,弟子を作る使命を果たしたりしている時に霊的な意味で彼らと共におられるという以上のことを意味するのです。キリストは,そのような仕方で幾世紀にもわたって追随者たちを支えることになっていました。(マタイ 18:20; 28:18-20)キリスト教世界の神学者たちでさえ,「臨在」という語が特別の意味を帯びるようになったことを認めています。「新約聖書神学新国際辞典」は,「パルーシアという考えは,時代の終わりにキリストが現われるという教会の期待と今や密接な関係を持つようになっている」と述べています。クリスチャン・ギリシャ語聖書はその最初から最後に至るまで,キリストの臨在を期待して生活するようクリスチャンに勧めています。―マタイ 24:3,27,37,39。ヤコブ 5:7,8。ペテロ第二 3:3,4。ヨハネ第一 2:28。啓示 1:7; 22:7。
6 (イ)キリストの臨在は,この邪悪な事物の体制にとって何を意味することになっていましたか。(ロ)キリストの臨在は,忠実のうちに死んだ油そそがれたクリスチャンと,まだ地上に生きている油そそがれた人々にどのような影響を与えることになっていましたか。
6 キリストの臨在は,外ならぬ「事物の体制の終結」を意味します。(マタイ 24:3。マルコ 13:4)それはまた,現在の邪悪な事物の体制が「終わりの時」,つまり「終わりの日」に入ったことを意味します。(ダニエル 12:4,9。テモテ第二 3:1-5)さらに,キリストが,「敵のただ中で」地に対する王国の支配権を行使するようにとの命令をみ父から与えられたことを意味します。(詩編 110:2; 2:6-9。啓示 11:15-18)この世全体を裁く前に,キリストはご自身の会衆を検分し,忠実のうちに死んだ油そそがれたクリスチャンたちを復活させます。(コリント第一 15:21,23。テサロニケ第一 2:19; 3:13; 4:13-17。テサロニケ第二 2:1)まだ地上に生きていて,霊的に目覚め,『時に応じた[霊的な]食物』を供給することにより,キリストの「奴隷」として忠実に働くこれら油そそがれたクリスチャンは,キリストから,『そのすべての持ち物』,つまり地上における王国の関心事をつかさどるよう任命されることになっていました。(マタイ 24:45-47。ルカ 12:42-44)この「忠実で思慮深い奴隷」は「王国のこの良いたより」を宣べ伝える世界的な業に携わり,その業を監督しなければなりません。「それから終わりが来るのです」。―マタイ 24:14。
7 キリストの臨在の期間中さえ,クリスチャンは他のどんなしるしをずっと見張っているべきでしたか。彼らが神の王国の『来る』ことを祈り続けるのはなぜですか。
7 まことのクリスチャンは,自分たちがキリストの臨在と「事物の体制の終結」の時期に生活していることを証明するこれらのことすべてに関し,『ずっと見張っている』べきでした。しかし,「終わりの時」の期間中も,「人の子のしるし」,つまり,サタンの邪悪な事物の体制に裁きを執行するために人の子が『来ること』に関して,ずっと見張っていなければなりませんでした。(マタイ 24:30,44。マルコ 13:26,35。ルカ 12:40; 21:27。テサロニケ第二 1:7-10)このように,キリストが『臨在し』,その王国が既に設立されたとしても,キリストとその王国は,共にその後に『来て』,サタンの世の諸国家と諸王国を「打ち砕いて終わらせ」なければなりません。(ダニエル 2:44)このことは,キリストがご自分の臨在の「しるし」のさまざまな要素を示したあとに,「あなた方は……これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」と,付け加えた理由を説明するものです。(ルカ 21:31)そうです,クリスチャンはキリストの臨在の期間中も,神の王国の来ることをやはり祈り求め,その「終わり」と自分たちの「救出」の定められた時に関し,『ずっと見ていて,目を覚ましている』ことがまだ必要でした。―マルコ 13:7,29,32-37。ルカ 21:9,28。
『見張りを怠らない』ことを示したのはだれか
8 クリスチャンが何をずっと見張っているべきだったかについて,要約してください。
8 わたしたちは,クリスチャンが「諸国民の定められた時」の終わりを期待して生活すべきだったことを理解しました。クリスチャンは『キリストの臨在と事物の体制の終結のしるし』を見張っていなければなりませんでした。そして,忠実のうちに死んだ油そそがれたクリスチャンたちの復活,およびキリストの王国の地上における関心事をつかさどるよう任命される「忠実で思慮深い奴隷」級がはっきり識別できるようになることを期待すべきでした。そしてもう一つ,この「奴隷」は,「終わり」が来る前に『王国のこの良いたよりを人の住む全地で』宣べ伝える業で率先しながら,霊的な食物を供給し続けることになっていました。「人の子のしるし」は,サタンの邪悪な事物の体制を滅ぼすためにその人の子が『来ること』によって現われます。
9 「諸国民の定められた時」の終わりを見張っていたのはだれであることが明らかになりましたか。「シオンのものみの塔」誌は霊的に目ざとくあり続けるようどのように,クリスチャンを助けましたか。
9 これらのことすべてに関し,『見張っている』ことを示したのはだれでしたか。米国ペンシルバニア州ピッツバーグのチャールズ・T・ラッセルは,早くも1876年に,「諸国民の定められた時」つまり「異邦人の時」(ジェームズ王欽定訳)の終わりを注意深く見張っていました。その年にラッセルは,「異邦人の時: それはいつ終わるか」と題する記事を発表しました。その中でラッセルは,「七つの時は西暦1914年に終わる」と述べました。1880年以後,その同じ情報が「シオンのものみの塔」誌上で発表され,1880年の3月号は,「『異邦人の時』は1914年にまで及び,天の王国はその時まで十全の支配を行なわないであろう」と述べました。確かに,当時はまだ,これらの記事を書いた聖書研究者たちも,この「諸国民の定められた時」の終わりが実際に意味する事柄について,今日のわたしたちが得ているような正確な聖書的,また歴史的理解を得てはいませんでした。a しかし,重要な点は,彼らが『見張って』おり,霊的に目ざとくあり続けるよう仲間のクリスチャンたちを助けたということです。
10 キリストの「臨在」の真の意味はどのように明らかにされましたか。
10 チャールズ・ラッセルおよび「シオンのものみの塔」誌と関係のあった聖書研究者たちのこの同じグループは,キリストの「臨在」を目に見えないものと理解すべきこと,そしてキリストは肉体を着けた王として地上に戻って統治することはないという点を理解するよう,誠実なクリスチャンを助けることもしました。彼らは,キリストの臨在と「終わりの時」の「しるし」に関連した世界の出来事に,絶えず主人の「召使いたち」の注意を向けさせました。
11 (イ)当時は,地上の諸王国に関して,また油そそがれたクリスチャンが『取り去られる』ことに関して,どんな点は十分に理解されていませんでしたか。(ロ)今日のわたしたちは,ダニエル 2章44節とテサロニケ第一 4章15-17節について,より深いどのような理解を得ていますか。
11 天に王国が設立されるが早いか直ちに地上の諸王国が滅び,油そそがれたクリスチャンは「取り去られ」,既に死んでいた油そそがれたクリスチャンで,キリストの臨在の時に復活させられる人たちに加わる,と考えられていたことは明らかです。(テサロニケ第二 2:1)しかし,壮大な収穫の業がダニエル 2章44節の成就の始まりから終わりまでの期間中に生じなければならないこと,あるいはテサロニケ第一 4章15節から17節に述べられている『取り去られる』ということが,第一の復活が始まった後に死ぬ油そそがれた人々の即座の復活を意味することを当時は十分に理解していなかったとして,だれが彼らを非難できるでしょうか。―コリント第一 15:36,42-44。ローマ 6:3。
12 (イ)キリストは,ご自分の家の者を検分するために到着する時,忠実な「奴隷」が何をしているところを見る,と期待しておられましたか。キリストは,だれがそうしているところをご覧になりましたか。(ロ)その時以来,忠実な「奴隷」級は何を行ない続けてきましたか。
12 「忠実で思慮深い奴隷」級を通してますます多くの光が神の言葉に注がれたので,今日のわたしたちはそれらの事柄を理解しています。(箴言 4:18)この「奴隷」に関して,イエスはこう言われました。「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。あなた方に真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」。(マタイ 24:45-47)即位された主イエスは,1919年にご自分の家の者を検分された時,「ものみの塔」誌と関係を持つクリスチャンのグループが,『時に応じた[霊的な]食物』の助けを得て,『ずっと見張っている』ため忠節に努力しているところをご覧になりました。今この日に至るまで,その「奴隷」級は,主人の「召使いたち」とその仲間が『ずっと見ていて,目を覚ましている』ことができるよう,霊的な食物を忠実に備え続けてきました。―マルコ 13:33。
目ざといか,あるいは怠惰か
13 エホバの証人を批判する人々はどんなことを自問すべきですか。
13 キリスト教世界の地位の確立した諸教会や他の人々にとって,エホバの証人を批判するのはたやすいことです。エホバの証人の出版物は時々特定な事柄が特定の年代に生じ得ると述べてきたためです。しかし,そのような行動方針は,「ずっと見張っていなさい」というキリストの命令と調和しているのではありませんか。(マルコ 13:37)一方,キリスト教世界の諸教会は,王国を「人間の心の中における神の支配」であると教えることにより,クリスチャンとして見張りを怠らない態度を勧めてきたでしょうか。むしろ彼らは,「終わり」を期待するのは「無意味」,あるいは「取るに足りない神話」と考えて,霊的な怠惰を助長してきたのではないでしょうか。「終わりの日」がペンテコステの日に始まり,キリスト教時代全体にわたるものであると主張する背教者たちは,クリスチャンとしての目ざとい態度を促進してきたでしょうか。むしろ彼らは,霊的な眠りを誘ってきたのではありませんか。
14 神の目的が成就されるのを見ることを熱心に望みすぎた過去のエホバの忠実な僕たちについて,どんな実例がありますか。
14 なるほど,聖書の年代学の裏付けのあるように思えた期待が,予想通りの時期に実現しなかったのは確かです。しかし,神の目的が成就されるのを見たいと熱心に望むあまり多少の過ちを犯すことは,聖書預言の成就に関して霊的に眠っているよりもはるかに好ましいのではないでしょうか。モーセも40年の計算間違いをして,イスラエルの苦悩を取り除くために早まって行動しようとしたのではありませんか。(創世記 15:13。使徒 7:6,17,23,25,30,34)キリストの使徒たちは,王国の実体を完全に誤解していただけでなく,王国が設立されるのを見たいという非常に強い願いを抱いていたのではないでしょうか。(使徒 1:6。ルカ 19:11; 24:21と比較してください。)テサロニケの油そそがれたクリスチャンは,「主イエス・キリストの臨在」と「エホバの日」を見たくてたまらなかったのではありませんか。―テサロニケ第二 2:1,2。
15 神の目的が成就される時を見定めようとして年代学を用いるのが非聖書的ではないことを,どんな例が示していますか。過去また現在において,エホバの忠実な僕のうち,少なからぬ人々がどんな叫びを上げていますか。
15 神の目的の成就に関する「定められた時」を知るために年代学を用いるのは,基本的に言って非聖書的なことではありません。(ハバクク 2:3)ダニエルは,エルサレムの荒廃が終わる時を計算しました。(ダニエル 9:1,2)1世紀の忠実なユダヤ人の残りの者は,預言に基づき,時の終わりを計算したので,メシアの到来を期待しました。(ダニエル 9:25。ルカ 3:15)19世紀末から20世紀の初頭にかけて,クリスチャンは「諸国民の定められた時」が終わるはずの時を計算したので,1914年のかなり前から,神の王国の支配を期待して生活することができました。(ルカ 21:24。ダニエル 4:16,17)ですから,待望久しい希望が実現する時を知ろうとして,時に関係した聖書中の他のさまざまな点を用いる努力が払われた理由を理解するのは難しいことではありませんでした。昔のエホバの忠実な僕たちは,「エホバよ,いつまでですか」と叫びました。―イザヤ 6:11。詩編 74:10; 94:3。
なぜ『用意をしている』のか
16 (イ)マルコ 13章32節は,終わりがいつ来るかについて関心を示してはいけないという意味に理解すべきですか。(ロ)どんな「しるし」がはっきり見られますか。しかし,どんな他の「しるし」をわたしたちは待っていますか。
16 イエスは,サタンの邪悪な事物の体制に敵して『来る』ようみ父が子にお命じになるその「日」や「時刻」はだれも知らない,と明言しておられるので,『終わりを期待して生活することがそれほど急を要するのはなぜか』,と尋ねる方がいるかもしれません。実は,イエスが事実上そのすぐあとで,「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。……ずっと見張っていなさい」と加えておられるので,急を要するのです。(マルコ 13:32-35)イエスの臨在の「しるし」は1914年以来明らかに見られます。わたしたちは今,イエスがエホバの刑執行者として『来られる』時の「人の子のしるし」を待っています。
17,18 (イ)イエスが1世紀のクリスチャンに,滅びが差し迫っているしるしを見たならすぐにエルサレムから逃げるように命じたのはなぜですか。(ロ)この時代の緊急性について都合のよい解釈を下すのはなぜ危険ですか。
17 イエスは,1世紀のユダヤのクリスチャンに,エルサレムから逃れるべき時が来たことを知る手だてとなるしるしをお与えになった時,直ちに行動することの必要性を強調されました。(ルカ 21:20-23)西暦66年にしるしが現われてから,西暦70年の実際のエルサレムの滅びまで4年近くあったのに,なぜそれほど緊急に行動することが必要だったのでしょうか。なぜなら,もし手間取っているなら,逃げることをいつまでも延ばし,やがてはローマ軍に捕らえられてしまうことをイエスはご存じだったからです。
18 同様に今日でも,クリスチャンが現代の緊急性について都合のよい解釈を下し,終わりが近いことへの疑いを反映する,“巡航速度”で走るような態度を取ることは非常に危険です。
19 ペテロとイエスはどんな警告を与えていますか。
19 キリストのパルーシア,つまり臨在は,すでに70年続いており,サタンの世に対して裁きを執行するための「エホバの日」にキリストが「来る」時は足早に近づいています。使徒ペテロは,その日が『盗人のように来る』と述べ,「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める」べきである,と付け加えています。(ペテロ第二 3:10-12)イエスも次のように警告しておられます。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなた方の心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなた方に臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。……いつも目ざめていなさい」― ルカ 21:34-36。
20 わたしたちは何に対して感謝の念を抱くはずですか。クリスチャンとしてのふさわしい期待はどのようにわたしたちを守りますか。
20 エホバの証人は,忠実で警戒怠りない「奴隷」級のおかげでいつも霊的に目ざめていられたことに大きな幸福を覚え,深い感謝の念を抱くはずです。クリスチャンとしての正しい期待は,この危険な「終わりの日」の間わたしたちを保護し,「王国のこの良いたより」を宣べ伝えることに熱心に参加するようわたしたちを促すでしょう。わたしたちはその業に携わり,他の人がずっと見張っていて,「義の宿る」新しい事物の体制へと生き残るよう助けることになるのです。―テモテ第二 3:1-5。マタイ 24:14。ペテロ第二 3:13。
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