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  • すべての人の平等 ― 人種や国籍を越えて
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
塔66 10/1 581–583ページ

すべての人の平等 ― 人種や国籍を越えて

すべての人種や国籍の人々が対等とみなされる時がきますか。不平等は避けられませんか。

「不可能です! それは決して実現しないでしょう! すべての人種や国籍の人々の平等は非現実的です。不平等はなくならないでしょう」と多くの人は論じます。

ロンドン・サンデー・テレグラムの論説記者は,ユー・エス・ニューズ・アンド・ワールド・レポート誌に転載された記事の中で次のように書いています。「人種問題が大きな問題となっているアフリカや北アメリカ大陸においては,多くの人種から成る社会で,黒人と白人が仲良く一緒に生活するようになるだろうか。善意を持つ人々がそのように考えることは,合理的であり現実的であろうか。私の答えは絶対に否である。黒人が大多数を占める社会の白人が平等の権利を与えられなくなるのはほぼ確かであり,白人国家の黒人が不平等の地位にとどまることもほぼ確実である」。言いかえれば不平等は避けられません。人種や国籍のために,ある人は常に平等の権利を与えられず,しいたげられていると感じます。その人が見るところでは,教育の機会や,職を得ることや,人生を楽しむことや,自由また幸福の追求という面において,平等は決して実現しません。

人類の経験から判断して,不幸にもそのような不平等は真実のように思われます。確かに,ある人種や国籍の人々が別の人種や国籍の人々を奴隷にし,支配することは,長い間行なわれてきました。キリスト教国も例外ではありません。アメリカにおいて黒人を奴隷とすることは100年以上も前に廃止されましたが,不平等はいまだに存在しています。指導的な宗教誌クリスチャン・センチュリーにアメリカの教会について,最近次のような悲観的な記事がのせられました。「大部分の教会は,仕方なく黒人を受け入れるか,あるいは黒人を締め出すかのどちらかである」。明らかに,人間は今日平等を享受していません。

すべての人々の平等 ― どんな意味においてか

同人種の人々の間でさえも,いろいろな要素が,完全な平等の実現を妨げているのは事実です。気質や,生まれつきの才能や,性質は人によって異なり,例えばある人々には,音楽の才能があり,生まれつき美しい声や他の才能があります。他の人々はそのような才能のある人と平等ではありません。しかし一方,別の人は異なった分野ですぐれた才能や生まれつきの技能を持っているかも知れません。

明らかに,生れつきの才能や気質は人種や国民によっても異なります。例えばある国の人は他の国の人より身長が高く,そのことはバスケットボールの国際試合において他の国の人より有利な点となります。それで身体上の特性は時折不平等を生みます。ある民族が特定の点で他の民族よりすぐれているのは,生来の気質と環境によるものと思われます。

厳密に言えばすべての人々が平等でないことは確かです。しかし,すべての人種や国籍の人々が,平等な権利と特権を享受することが,神のみ心ではないという意味ではありません。不平等は避けられず,人は民族的背景や人種のために,常に差別されるだろうと言う人もいます。しかし幸いにもそうではありません! 聖書は,人が皮膚の色や生まれた場所の如何にかかわらず,他の人種や他の国の人間と同じ特権を享受する時が来ることを示しています。

イエスの態度

キリスト教の創始者,イエス・キリストが人種や国籍のために人を差別しなかったことは注目に値します。たしかにイエスの地上での任務は,特にユダヤ人に対するものでした。それでもイエスは,ユダヤ人でない人々と交わり,いやしました。イエス・キリストが,有名な山上の垂訓を与えたあと,近くのカペナウムでまもなく起きたことはその一例です。非ユダヤ人の百卒長の使いがイエスに近づき,百卒長の愛したしもべをいやすことを頼みました。イエスはどんな態度をとりましたか。

イエスは願いに答え,すぐに百卒長の家に出かけました。彼は人間的な偏見に左右されませんでした。しかしイエスが近づいた時,百卒長は自分にはイエスを家に招く価値がないということばを伝えました。自分には価値がないという気持ちの他に,彼は疑いなく,非ユダヤ人と交わりをしない,その時代のユダヤ民族の差別的な,習慣のことを考えていました。それで百卒長は,自分のしもべをいやすことばだけを賜わるように頼みました。

たとえ離れていてもいやしを行なうイエスの力に対するこの人の確信は,イエスを驚かせました。同時にイエスは,非常に謙遜な百卒長の行為に感動しました。イエスは「あなたがたに言っておくが,これほどの信仰は,イスラエルの中でも見たことがない」と言われ,百卒長に次のように言われました。「行け,あなたの信じたとおりになるように」。するとちょうどその時に,しもべはいやされました。イエスは非ユダヤ人の家にこころよく行こうとしましたが,百卒長の言うことを,黙って受け入れました。イエスの力に対する百卒長の信仰に根拠があることを,イエスは示されたのです。マタイ 8:10,13。ルカ 7:1-10。

それから約1年後,イエスはパレスチナの国境から遠い北のフェニキアに旅をしました。そこは,ツロとシドンの地方でした。「すると,そこへ,その地方出のカナンの女が出てきて,『主よ,ダビデの子よ,わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます』と言って叫びつづけた」。当時神がイエスに与えられた任務はイスラエル人すなわちユダヤ人に奉仕することでした。「わたしは,イスラエルの家の失われた羊以外の者には,つかわされていない」と指摘したにもかかわらず,イエスはこのけんそんな信仰の女を差別せず,このように言いました。「『女よ,あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように』。その時に,娘はいやされた」― マタイ 15:21-28。マルコ 7:24-30。

イエスにならうことをすすめる訓戒

イエスの使徒は,彼らの主のすばらしい手本を模範にすることを他の人々にたびたび勧めました。例えば,異なった国籍のクリスチャンで成っていたむかしのローマの会衆への手紙の中で,使徒パウロは次のように書きました。「こういうわけで,キリストもわたしたちを受けいれて下さったように,あなたがたも互に受けいれて,神の栄光をあらわすべきである。わたしは言う,キリストは神の真実を明らかにするために,割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に,異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである」― ローマ 15:7-9。

したがってイエス・キリストの手本に,真実に従うエホバの証人は,すべての国籍の人々を対等の人と考えて,あらゆる国籍の人々を歓迎します。エホバの証人は,あらゆる人種や国籍の人々を受け入れたイエスを模範にします。しかしの奉仕の努力のほとんど全部をご自分と同じ人種の人々のためにささげたイエスは不公平であったと言って,ある人々は異議を唱えるかもしれません。これは,私たちが他の人種や国籍の人々を差別してよいという聖書的な根拠ですか。

決してそうではありません。ユダヤ人の先祖アブラハム,イサク,ヤコブに与えられた御国のすえに関する神の約束のために,イエスは,アブラハムの霊的子孫の一部になる機会を生来のユダヤ人に最初に与えて,この約束に関する「神の真実」を立証することが必要でした。(創世 22:17,18; 26:3-5; 28:13,14)この理由で,イエスはおもにユダヤ人に宣教し,12使徒を伝道につかわした時には,非ユダヤ人に行くなと命じました。―マタイ 10:5,6。

しかしながら,非ユダヤ人の百卒長や,フェニキアの女に対するイエスの態度からわかるように,イエスはユダヤ人以外の人に対して偏見をもちませんでした。イエスは人種や国家の違いにかかわらず,すべての人々を愛しました。イエスは,救いの音信がやがてすべての人々に伝えられることを知っていました。事実,弟子たちと別れる時,イエスは弟子たちが「もろもろの国民に」そして「さらに地のはてまで」イエスの証人なると語りました。―ルカ 24:45-48。使行 1:8。

天の栄光にまで高められたイエスが,割礼を受けていない最初の非ユダヤ人を会衆の中に迎えいれたのは,イエスが死に,復活してからわずか3年半後のことでした。改宗者はギリシャ人ではなく,コルネリオという名のイタリア人でした。神がこの異邦人の祈りを聞き,ペテロに使いをやるようにこの異邦人を導いたということを知った,使徒ペテロは叫びました。「神は人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが,ほんとうによくわかってきました」。神とキリストが,あらゆる人種と国籍の,このような人を受け入れてくださる以上,私たちも当然彼らを受け入れるべきではありませんか。―使徒 10:34,35; 17:25,26。ローマ 3:29。

すべての人の平等 ― いつ?

すべての人種と国籍の人が平等な権利と特権をもつことは神のみこころですから,たしかに実現されます。しかし,どんな現代の市民権運動や社会改革も,すべての人種と国籍の人に平等な権利と特権を保証することは不可能でしょう。偏見と憎しみは,余りにも深く根づいています。人間の歴史を通じて,それを根絶する人間の企てはみじめに失敗し,また今後も失敗するでしよう。ゆえに,不平等を不可避と見る人々がいるのも当然です。

しかしながら,人間が行なって失敗したことを,神はまもなく成就するでしょう。どのようにですか。まず第一にこの悪い事物の制度を滅ぼすことにより,そして偏見にとらわれない神のしもべだけを神の新しい秩序に生き残らせることにより,神はそのことをされます。その時,神のことばに記録されたイエス・キリストの次の約束が成就するでしょう。「墓の中にいる者たちがみな〔人種や国籍にかかわらず〕神の子の声を聞き,出てくる」。(ヨハネ 5:28,29)復活したいろいろな人種の人々は,互いに平和に生活することを学び,神の御国の正しい支配の下で,以前の憎しみや争いを忘れるでしょう。

神のことばの原則に一致して行なわれる支配が,このような結果をもたらすことは,現在のエホバの証人の組織をみるとき明らかです。エホバの証人が口先だけでなくすべての人種や国の兄弟を実際に愛することは,確かな事実です。真の愛をもって,エホバの証人は互いに「兄弟」「姉妹」と呼び,互いに対等な人として接します。すべての人の平等がどのように神の正義の新しい秩序で実現されるかを前もって知るため,エホバの証人の組織と交わってください。そうすれば今日それが実際に行なわれているのを見ることでしょう。

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