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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 9/1 333–337ページ

恩恵の道を守り保つ

1 (イ)キリスト初臨の目的と比較して,彼の再臨の目的は何ですか?(ロ)キリストは彼の臨在をどのように知らせますか?

人間は神を見て生きることはできません。それは,神が霊であり,見るという人間の自然の能力以上の方であるからです。イエスが人間として死んだ後,彼は神の像にあつて霊者として不滅によみがえされました。それで人間には栄光をうけたキリスト,イエスをも見ることができないのです。しかし,キリストは再臨し,御自身を人類の世に表わされると約束しました。しかし,キリストは肉の体で表われるようなことはしないでしよう。というのは,こうするならば,彼は訪問の目的を達成することができないからです。しかし,再臨を指し示すよう予言されていた多くの証拠によつて,キリストは彼の臨在を人類に最初知らせるでしよう。しかし,すべての人々はこれらの証拠を認めないでようし,そしてこれらの証拠は,キリストが地について目に見えない地位を取られたしるし,またはキリストが御国の力をうけて支配し初めるために実際に遣わされているしるしとは信じないでしよう。しかし,キリストの初臨は,御国についての彼の権利を証明するためでしたが,それと同じく彼の再臨の目的は,全部の力と栄光を持つその御国を確立し,すべての人々,国家,そしてサタン自身をもその正義の支配に従わせることです。それですから,神が予言し,明らかに表わされているその徴を通しての彼の支配を認めながらも,このヱホバの至上権の王なる代表者を拒絶しうけ入れない者たちは,それらの者たちに対する火のような裁きの執行の出現によつて,彼の臨在をどうしても認めざるを得なくなります。

2 1914年のイエスの臨在の初まりは,なぜ『出現』とは示されませんでしたか?

2 ヱホバは悪い者たちを亡すのによろこびを感じません。(エゼキエル 18:23)それで,キリストが1914年に再臨された時,彼は『燃える火の中に』自らを表わさず,また神を知らない者たちに当然の罰をもたらさなかつたのです。天での戦いが成功の中にその目的を達成し,サタンがそのすべての悪鬼たちと共に追い出され,地に追い落された後,キリスト,イエスは御国の力のこの最初の行使を中止しました。(黙示 12:7-9)イエスは,彼の再臨と悪魔の組織制度の終りについての徴を与えた時に,このように言いました。『それらの日が短くされないならば,一つの肉体も救われないであろう。しかし,選ばれた者たちのために,それらの日は短くされるであろう。』(マタイ 24:22,新世)それで,イエスはサタンに対する暑い戦争を一時的に中止いたしましたが,それは神の別の目的を達成するためでした。(黙示 7:1-3)いまは裁きの時であり,神が良いと認める者たちに恩恵を示す時です。

決定の時

3 (イ)イエスは,彼の表われは,彼の出現以前にあるに違いないということを示すために,どんな説明を与えましたか?(ロ)『取られている』ある者たちということは,何が示されていますか?

3 イエスは,彼の臨在と出現の性質を示すために,ノアとロトの実例を引用しましたが,その後に彼は証拠を与えて彼の表われはなやみの裁きを執行する以前にあると示しました。イエスはこう言いました。『二人の人は野にいるであろう。一人は取られ,他の者はうち棄てられる。二人の女は,手臼をひいているであろう。一人は取られ,他の者はうち棄てられる。それであるから,油断なく注意していなさい。なぜならば,あなた方はいつの日にあなた方の主が来るか,知らないからである。』(マタイ 24:40-42。ルカ 17:34,35,新世)ギリシヤ語で『取られる』という表現に用いられている言葉は,ヨセフがその妻を家に「連れていつた」と言はれる時にも用いられています。その言葉は,イエスがペテロ,ヤコブそしてヨハネを変貌の山に「連れていつた」と言われている時にも用いられています。イエスは次のように言つた時,その言葉を用いました。『私はまた来て,あなた方を私の家に受けいれる,それは私の居るところにあなた方もまたいるためである。』(ヨハネ 14:3。マタイ 1:20,24; 17:1,新世)それですから,『取られる』者たちは,主とともにいて恵みある立場を受け,そして救いの道に導かれます。このことは,洪水の日にノアが方舟に取られたことと一致相当し,またロトが手でもつて取られて,町から導き出されたことに一致相当します。そして,それは裁きの執行をする以前にあるものです。

4 (イ)何時そしてどのようにキリストの初臨の表われは起りましたか?(ロ)認められた者たちは,どんな恩恵の地位に取られましたか?

4 この状態は,イエスが初臨の時代のあいだにした恩恵の裁きで,さらに説明されています。イエスは3年半の伝道のあいだに,肉体的に病気な者を直しただけではなく,また霊的回復への道を開きました。それで,西暦33年のニサン10日,人々が全く予期しなかつた時,イエスは自ら主として献げるために,馬に乗つてエルサレムに入りました。しかし,その時人々のあいだに分裂が起りました。イエスの言うことを聴いた群衆は,彼を王としてよろこび迎え入れました。これに反して,イエスの業を拒絶した祭司たちは,彼を認めるのを拒絶し,そしてイスラエルの王をうけいれる方法に従つて聖なる油で彼に油注ぐことを拒絶しました。そのことにより,彼らはいまその態度をはつきりと表し示しました。イエスの死とよみがえりのすぐ後の五旬節の時に,この分裂はさらにはつきりとしるしづけられました。というのはその時にキリストは彼に従う者たちに神の活動力を注ぎ,彼らに対する恩恵を表し示したからです。彼らが神の奉仕を管理するよう委せられ,御霊によつて油注がれたのはこの時であり,それは約束されたメシヤの初臨の徴であるイエスのよみがえりについての良いたよりを伝道するためでした。パウロは,彼らが『神の聖なる奥義の執事』であると語り,次の言葉を述べてこの分裂を論じています。『主の来られるまで正しい時の前に何物をも裁いてはならない。主は暗闇の隠れたものを光に出し,心の中にある思いを明らかにされる。それから,各人は神から称讃をうけるであろう。』(コリント前 4:1-5,新世)キリストが裁きをするため1918年霊の宮に来るということをパウロは待ち望んでいましたが,しかし先例としてキリストが,西暦33年ニサン10日に,エルサレムにあつてヱホバの文字通りの宮に突然に現われたことをパウロは知つていました。

5 宗教指導者たちは,どのような方法で『棄て』られましたか?

5 イスラエルについてのその裁きの時に,イエスは宮奉仕の他位を占めていた宗教指導者たちの心の状態を明らかにし,そして彼らを完全に棄てました。頑くなさにうち棄ててしまいました。このことは,イスラエルの肉の国民に対するイエスの言葉から示されます。イエスは,彼らに対してヱホバからの公式の離縁の判決を申し渡しました。『みよ! あなた方の家はあなた方に棄てられる。』イエスはここで,エルサレムにあつた宮を意味したようです。というのは,宮について,イエスは,後日弟子たちにこう言いました。『ここにある石で覆えされることなしには,一つの石も他の石の上に残らないであろう。』(マタイ 23:38; 24:2,新世)ヱホバはその時から,イスラエルの崇拝の家に臨在するのを止められました。それはヱホバがキリスト教国の崇拝の家を棄てられているのと同じです。

6 取られている者たちは,地から文字通りに取り去られるのではありませんが,それはどのように確かですか?

6 取られる者と棄てられる者についてのイエスの言葉から,ある宗教的な聖書解釈者は次のように結論しています。すなわち,イエスが再臨する時,彼は認める者たちを『恍惚』のうちに地上から突然取りさるが,しかし他の者は後に残され,火によつて亡ぼされるというのです。これは個人勝手な解釈であり,聖書を曲解しているものです。弟子たちに対するイエスの言葉の縮図的な成就によると,弟子たちはイスラエルの残りの者たちから分け離されましたが,それはヱホバとのあいだの恩恵ある立場と関係ということだけにおいて分離されたのでした。これに反して,宗教指導者たちと彼らに従う者たちは,神の恩恵を全く受けず約40年のあいだキリストのよみがえりが国中で伝導されるのを聞くようになりました。それで,イスラエルの決定の時は西暦70年まで続き,その間,『取られた』者たちは『棄てられた』者たちと共に存在し続けました。この縮図的な前影は,キリストの第二の表われと出現の時にその対照物を見出します。

7 キリスト再臨の表れに恩恵はどのように示されましたか? 忠実であつた者たちには,どんな結果がもたらされましたか?

7 1918年に,主は裁きをするために霊の宮に突然現われました。主はその時に,死んで眠つていた忠実な信仰克服者たちをよみがえらして不滅を与え,彼らへの恩恵を示しました。主は地上にいた忠実な者たちを宮の奉仕に取り,神の御国の福祉を委ねました。(ルカ 12:42-44。テサロニケ前 4:16,17)その時以来,特に1919年以来,彼らはよろこんで出かけ,王の臨在を告げ知らせ,また全地に互つて設立された王の御国の良いたよりを宜明しました。そして彼らは人の子の徴であるキリスト再臨の徴を指し示しました。同時に怠け者の奴隷たちは,キリスト臨在の徴の増進に全くの注意を払わず,彼ら自身が悪い想像するままに打ち棄てられ,無法の宗教指導者の級と共に斥けられました。それらの不法の宗教指導者たちは,『偽善者』と呼ばれ,宮の奉仕をするという彼の暗黙の契約を決して忠実に守りませんでした。それで彼らはキリストが出現する全き終りを待つているのです。―マタイ 24:48-51。ルカ 12:45,46。

平衡を保つ

8 キリストは,どんな活動を通して御自身を表し続けていますか?

8 キリストは,1919年に彼を熱心に求めていた者たちに恩恵を表わしましたがそればかりではなく,それ以来それらの者たちの伝導によつて彼の臨在を認める者たちに対して御自身を表わし続けています。亡びにうち棄てられている者たちは,きびしい迫害をもたらしますが,それにもかかわらず,取られた者たちのこの増加する活動は,なおも続いて行われています。忠実な者たちは,彼らの伝道そのものが徴の一部であり,その大胆であることは反対する者たちに及ぶ差し迫つている亡びの証拠であると知つて,勇気を得ています。(ピリピ 1:27,28)しかし,彼らとイエス・キリストの出現の時までにはまだ多くの誘惑があることを彼らは認識しています。彼らは,この組織制度の終るあいだ,ヱホバの忠実な証者たちは主との立場に影響する決定を毎日するよう要求されているということを知つています。クリスチャンに忠実を保つようにと訓しているクリスチャン・ギリシャ語聖書の大部分は,ユダヤ人の組織制度が終るあいだと,裁きの最高潮の前に,クリスチャンたちに特別な必要があつた時に書かれました。ヱホバの忠実な証者たちは,そのことを記憶しています。今日でもそれと同じく,取られている者たちはその心をひきしめて働き,『全く平衡を保て』というパウロの警告に注意を払い続けています。

9 恩恵の道にいる者に対して,聖書のどんな訓戒は与えられていますか?

9 『一度の救いは終生の救い』という言い方は,聖書の教えと調和しません。イエスは次のように警告しました。『鋤を手に握つてから,後ろを見る者は,神の御国に適さない。』(ルカ 9:62,新世)それからイエスはさらに訓しました。『その日に屋根の上にいる者は,持ち出す品物が家にあつても,これを取り出すために降りるな。また,野にいる人は,同じく後のものに戻るな。ロトの妻を思い出しなさい。』(ルカ 17:31,32,新世)この理由からして,取られている者たちは「その足のために真直ぐな道をつくり続け」そしてただ神の言葉によつて導かれねばなりません。(ヘブル 12:13。シンゲン 3:5,6)妥協の始まりは,背教の始まりです。それで彼らは,尤もらしく聞える人間の考えで傍に外らされるのを拒絶せねばならず,また拒絶しています。(コロサイ 2:8)イエスはこう言いました。『誰もあなた方を迷し導かないように注意しなさい。多くの者は,私の名前に基いて来て,「私はキリストである」と言い,多くの人を迷はし導くであろう。』(マタイ 24:4,5,新世)今日その恵まれた地位にいる者たちは,『忠実にして賢い奴隷』を通して啓示される神の言葉を注意深く,また敬虔の気持ちの中に学び続け,そして,彼ら各人は,ヱホバが取り扱われている制度の一部であると認識しています。ヱホバは彼自身の御意にしたがつてその制度を堂々たる勝利に導いています。

10 平衡を正しく守つている人たちは,どんな警告をうけ取りますか?

10 平衡を保つということは,神権政府と,それに対する私たちの関係について明白な幻を保つということを意味します。平衡のない人は,安定がなく,変り易く,そして信頼をすることができません。人はこの世の陰険な不義の餌食となつてしまい,自分の決定を作り初め,そして古い世の社会の『認められた』原則に従つて,行いの路を定め初めます。そのような路は,危険なものであり,それは痛みの充ちた多くの経験に導きます。(テモテ前 6:10)経験を積んだ多くの旅行家たちも,特に険しくて難しい迂回の道の時に,全く道に迷つてしまうということを常に思い出していなければなりません。それで,ヱホバと彼の新しい世の社会を誠実な気持ちで愛し,そしてまた真心から愛する者たちと,イエス・キリストの出現する時に彼の怒りに棄てられているような人々と重大な結びつきを持つなどと願つてはなりません。

11 (イ)第二次的な問題を重大なことがらにすると,私たちの平衡はどのように乱されますか?(ロ)人種問題において,このことはどのように説明されますか?

11 また正しい平衡を保ち守つている者たちは,なにか二次的なことがらで,平衡を破られてはなりませんし,そのことがらを生活の中で一番の主要なものとしてはなりません。例えば,初期クリスチャン達の時代のとき,多くの人々は割礼のことがらを大きな問題にしようと欲しました。そのために,伝道の仕事は妨害されてしまい,統治機関が必要な行為をとるまで,その質問は落着せず,紛争は静まりませんでした。(使行 15:1-29)今日,世界の多くの国々で人種問題は,御国の業のなかで大きな問題となつています。しかし,『忠実にして賢い奴隷』級の者たちは,そのような問題を最終的に決定するのが彼らの任務ではないということを認識しています。明白に述べられていますように,彼らの任務は伝道することです,そしてキリストの近づきつつある出現と裁きの執行についての現在ある徴に注意を向けさせることです。彼らはハルマゲドンでなくなつてしまう争いの不和や分裂に加りません。ある地方では皇帝の律法に従つて,別々の集会を開くのが必要であり,また便宜なことであるとしても,分裂とか階級差別などはヱホバの奉仕制度の中には存在しないということを彼らは知つています。しかし,共に集まることは,主として研究のためですが,私たちの一番の目的は野外で証言をするということを私たちは知つています。それで,誠実な目を持つ人々は,いかなる路を取ろうとも,あるいはその区域に住んでいる人々の偏見を打ち壊すためにどんな実際的で合法的な方法に従わおうと,完全な平衡を正しく保ち守ります。共に住んでいる人々にむかつて,私たちがすでに楽しみよろこんでいる真の自由への唯一の道をなぜ示さないのですか? すでに緊張している問題を無理に引き出して,なぜ証言の問題につけ加えるのですか? 隣人に対する愛は,ヱホバの正義の要求の一つです。全き平衡を保ち守つている人々は,彼らの愛が自分自身に対して表わされるようにせず,またある特別な群が人間の目の見えるところに高められないようにいたします。むしろ,他の羊を正しく指示して,真の援助と救のある神の愛へと導きます。

12 イエス・キリストの出現は,どんな正しい光りに照らして検討されるべきですか?

12 憐れみの心を持たない者たちのみが,ハルマゲバンは,ただ神の怒りの時,そして悪い者たちに対する神の裁きの執行の時であると見做しています。パウロはこう言つています。『それであるから,あなたが誰であろうと,もし裁きをするならば,あなたは決して許されることはない。というのは,他の人を裁くことによつてあなたは自分自身を処罰しているのである。なぜならば,裁きをするあなた方が同じことをしているからである。神の裁きは,真理に従うものであり,そのようなことがらを行う者たちに対してなされるということを私たちは知つている。そのようなことを行う他人を裁きながら,自分自らこれらのことをする人よ,神の裁きを免れると思うか? 神の恵みの徳は,あなたを導いて悔改めに至らせるということを知らないからという理由で,あなたは神の親切,寛容そして忍耐の富を軽べつするか? あなたの頑くなさと悔改めない心のために,怒りの日と神の正義の裁きの表われに,あなた自身の怒りを貯えているのである。』(ロマ 2:1-5,新世)今日,批評したり,また欠点を見つけようとし勝ちな人々は,主との関係を危うくし,主の恵みと忍耐を殆ど極限にまで験しています。それで,ペテロは私たちにこの訓戒しているのです。『イエス・キリストの現われる時に,あなた方にもたらされる恵みのある御親切に希望を置きなさい。』(ペテロ前 1:13,新世)ヱホバは恵みの心から,サタンに対して示される怒りのこの日を短くされ,人間が安全に逃げられる時を許されているのですから,神と隣人の愛を持つ者たちは,最大限に急いでその時を利用し,神の言葉の正確な知識によつてその心をしつかりと安定させ,聞こうとするべての人々に良いたよりを活潑に宣べ伝えなければなりません。

その日を待つ

13 ペテロは忙しくしている重要さをどのように強調していますか?

13 ペテロはペテロ後書の中でその事柄をさらに説明しており,そして,忙しくしている重要さを再び強調しています。ペテロは多くの嘲笑者たちが来て,神は人間の状態を忘れていると言い張るであろうと,私たちの注意をうながし,こう言つています『ある人々は遅いと考えているが,ヱホバは彼の約束に関して遅いのではない。ヱホバはあなた方に忍耐されているのである。というのは,彼は一人でも亡びるのを望まれず,すべての者が悔い改めする様望まれているからである。しかし,ヱホバの日は盗人のように来るであろう,そのとき天は鳴り轟く音とともに過ぎ去り,非常に熱した諸要素は溶けさり,地とその中にある業は暴露されるであろう。このようにこれらのものはみな溶けるのであるから,あなた方は聖い振舞いと敬虔な行いをし,ヱホバの日の臨在を待ち望み,心にしつかりと憶えていなければならない。』― ペテロ後 3:9-12,新世。

14 キリスト再臨の初まりと表われは,どんな違つた方法のうちに,しるしづけられていますか?

14 その日は,盗人のように来るとペテロは言つていますが,そのことから別の質問が生じます。聖書を良く学んでいない人は,このことは聖書にある不一致の例であると指摘しています。その人たちの言うのに,『主は力と大いなる栄光をもつてくるというのと,また夜に盗人のようにして来るということは,どのように調和できますか?』 私たちの討議の中ですでに説明されたように,答えはもちろん簡単です。これらの嘲笑者たちは,キリストの臨在のいろいろな諸面や,また彼の降臨の各局面によつて何が達成されるかを認めることができません。の臨在の初まりに,彼が力と栄光のうちに来た時,それは世界的に広く宣べ伝えられました。しかし,彼の臨在の次の局面,すなわち裁きのために彼が宮に表われたことは,夜盗人が入つて来たのと同じように全く予期されなかつたものです。主を求めていた人たちであつても,それが初まつた後になるまでこの活動に気がつきませんでした。―マラキ 3:1,2。マタイ 25:1-13。

15 (イ)イエス・キリストの出現はどのような意味で,盗人のようですか?(ロ)この点からして,それはイエスの表れとはどのように異りますか?

15 ペテロが前のところで述べているヱホバの日とは,イエス・キリストの出現の時に神の怒りが表わされる日であります。ここでもまた,その時は盗人のようであると語られています。それでは,悪い者は彼が臨在していることをどのように知りますか? その『日』の初まりは,予期しない仕方で来るのであり,人々が準備をしていない時に臨みます。しかし,その日が過ぎさるにつれて,組織制度の終りは来たということはすべての人にますます明瞭になつて来ます。(エゼキエル 7:6-9。ルカ 21:34-36)いま王を求めている人々は,1918年にキリストが表われたのとは異り,眠つている状態で取られることはありません。このことは,パウロの次の言葉から確かとされています。『あなた方自身も,ヱホバの日は,夜盗人がくるのと全く同じように来るということを良く知つている。人々が「平和と安全!」と言つている時に,妊婦に産みの苦しみが来るように,亡びが突然に彼らに襲いかかつてくる。そして彼らは決して逃れることはできない。しかし,兄弟たちよ,あなた方は暗やみの中にはいないが,それはその日が盗人たちを襲うように,あなた方を襲うためである。なぜならば,あなた方はみな光の子であり,昼の子であるからだ。』(テサロニケ前 5:2-5,新世)彼らは光りの中にいますので,キリストの臨在の初めと,彼の表われそして彼の出現を正確に区別するようになりました。それで,彼らは『真理の言葉を正しく扱つて』います。

16 イエス・キリストの出現の初まりは,どのように認められますか?

16 イエス・キリストの出現の時は何時来て,そして何時初まつたかは,どのようにして知りますか? 前の節に引用されていますか,テサロニケの人々に送つたパウロの手紙にある徴に注意しなさい。人々が『平和と安全!』という時,その時は来ます。神の恩恵に取られる人々への迫害は,神の臨在でうち捨てられた人々によつて,必らず続き,また増し加わります。(黙示 12:17; 13:7)これら棄てられた者たちは,サタンの煽動をうけてその全勢力を集め,ヱホバが御座につけた王に対して最後の戦争に全力をかけ,そして新しい世の一部としてキリストが建てている霊的イスラエルの新しい国民を亡しつくしてしまおうと努めています。彼らはその目的を達成したかのように見せかけ,このため『平和と安全!』と叫ぶようなことがあるでしよう。しかし,その時こそキリストは御自身を諸国民に出現されるのです。しかも,彼はその目に見えない大いなる臨在のあらゆる尊貴と力のうちに出現されるのです。―エゼキエル 38:18,19,21-23。

17,18 裁きの執行は何処で初まりますか? 誰だけが救助を受けますか?

17 『あなた方を苦しめる者たちに苦しみをもつて報い,そして苦しみをうけるあなた方に救助をもつて報われるのは神の正義であられる。そのときに,主イエスは燃える火の中に天から力ある天使たちをひきつれて表れ,神を知らず,また私たちの主イスエについての良いたよりに従わない者たちに当然の罰を加えられる。これらの者共は,主の御前から主の力の栄光から離れ,永遠の亡びという刑罰を支払うであろう。』(テサロニケ後 1:6-9,新世)斧は最初に背教のキリスト教国の根元に落ちます(エレミヤ 25:34,35。ルカ 3:9),そしてこれら金銭を目当てにする牧者たちが隠れ場を求めて逃げる時,その信仰が火によつて験されているクリスチャンのみが生き残り,異教国とサタンの制度のすべての残りに対して来る裁きを発表し続けます。

18 それで,ヱホバの忠実な奴隷たち,勇気を持ちなさい!『他の者たちは眠つているが,私たちは眠らないようにしよう。目を覚ましており,緊張していよう。』(テサロニケ前 5:6,新世)恩恵の地位を保ち守る道は,私たちの前に明白にしるしづけられており,勝利の御馳走は確実です。それでキリストが全く出現し,最後の完全な救助が達成されるまで,キリストの臨在の表われを照らし増加し続ける光りにあつて励み続けなさい!

[337ページの囲み記事]

汝知らざるか聞かざるか,ヱホバはとこしえの神地のはての創造者にしてうみ給うことなく,また疲れ給うことなく,その聴きことはかりがたし。疲れたるものには力を与え,勢力なきものには強きを増し加えたまう。然はあれどヱホバを待ち望むものは新なる力を得ん,また鷲のごとくつばさをはりてのぼらん,走れどもつかれず歩めどもうまざるべし。―イザヤ 40:28,29,31。

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