ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔84 11/15 22–26ページ
  • 今は熱心に奉仕すべき時

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 今は熱心に奉仕すべき時
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 霊感によって記された模範
  • わたしたちが忍耐するための助け
  • 熱心な奉仕の模範
  • 一つの体制が終わる
  • 信仰において熱心
  • 非常に大勢の,雲のような証人たち
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
  • 「心を強固にしなさい」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
  • 魂を得るために信仰を保ちなさい
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
  • あなたは「魂を生きながらえさせる信仰」を持っていますか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
塔84 11/15 22–26ページ

今は熱心に奉仕すべき時

「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」― マルコ 13:13。

1,2 (イ)わたしたちがこの事物の体制の終わりに生きているということは,どんな状態から明らかですか。(ロ)どんな二つの反応の仕方がありますか。

わたしたちがこの現在の体制の終わりに生きているということに依然として疑いを抱く人々もいますが,どうしてその事実を疑えるのか,想像することさえ困難です。道徳は退廃し,経済状態は悪化し,暴力ははびこり,人口爆発が続き,公害や放射性廃棄物や核兵器が増加するのを見て,信者でない人々は地球上に生命が生き残れるかどうか,しばしば疑問に思います。

2 しかし,この古い体制の終わりはまだ来ていません。献身したクリスチャンの中には,王国奉仕を行なうのに疲れ果ててしまった人もいるかもしれません。自分の命を実際には神にではなくてある日付にささげていた人がいたとしたなら,その人はふるい分けられているかもしれません。しかし,自分の命をエホバ神にささげ,常に神のご意志を行なうため,また常に神の方法に従うためにその命をささげた人々は,これまで以上に強くなり,その数は増加し続けています。

3 (イ)義を愛する人々はなぜこの古い体制の終わりを見たいと切に願っていますか。(ロ)この体制が終わるまで,わたしたちは何をしているべきですか。

3 義を愛する人々はこの古い体制の終わりを見たいと切に願っています。地上の楽園,聖書の約束している義の新秩序がこの古い体制に取って代わることになるからです。(イザヤ 9:6,7。マタイ 6:9,10。ペテロ第二 3:13。啓示 21:1-4)もちろん,エホバの僕たちは,この変化が神のご意志の時に速やかに到来することを望んでいます。しかし,神に真に献身しているので,神の時を辛抱強く待つ一方,神から与えられた王国伝道という,胸の躍るような業を熱心に推し進めています。―マタイ 24:14。

霊感によって記された模範

4 古代の信仰の男女はどんなりっぱな模範を残しましたか。

4 手を引いてしまったり,手を緩めたり,休めたりする理由はだれにもありません。エホバ神とキリスト・イエスは働く方です。(ヨハネ 5:17)さらに聖書には勤勉で幸福な,信仰の男女に関する記述が満ちており,その人たちはわたしたちを奮い立たせ,鼓舞する模範となっています。しかしそれら忠実な男女の多くは,自分たちの待ち望んでいた約束がその生きているうちに成就することはないのを承知していました。それらの人々が待ち望んでいた事柄の起きるまでには,幾世代も,場合によっては幾千年もの時が経過しなければなりませんでした。それでも,彼らは決して活動の手を緩めることはありませんでした。非常に高齢になるまで喜びにあふれて奉仕し,信仰に堅く立ち,神への従順の点で熱心さを示し,神の目的が成し遂げられるのを辛抱強く待った人々は少なくありません。その上,神は幾世紀もにわたり漸進的に啓示を与えてこられたので,神が約束された事柄をどのように成し遂げられるかに関するそれら古代の信仰の人々の知識は,今日得られる知識に比べてはるかに少なかったのです。

5 アベルはどんな模範を残しましたか。

5 例えば,アベルが得ていた情報がどれほど少なかったかについて考えてみてください。神が「胤」の到来を約束し,将来のある時にその「胤」が蛇の頭を砕くということしか知らなかったのです。(創世記 3:15)それでもイエスはアベルを「義なる」人と呼び,パウロは際立った信仰の人々のリストの筆頭にアベルを挙げています。(マタイ 23:35。ヘブライ 11:4)あなたはアベルの時代に得られた限られた情報からそれだけの信仰を持つことができたと思いますか。

6,7 神から与えられた約束のあるものはアブラハムの時代に成就しなかったものの,アブラハムはわたしたちにどんなりっぱな模範を残しましたか。

6 ノアやアブラハム,イサク,ヤコブはいずれも,エホバがイスラエルの出エジプトの際にその驚くべき力を示される前に生きていた人たちでした。シナイで律法が与えられる際に起きた畏怖の念を引き起こす出来事については何一つ知りませんでした。それらの人たちが生きていた時には,聖書の最初の本さえまだ書かれていなかったのです。

7 アブラハムには,自分の生きているうちに地上に楽園が復興されるという希望は全くありませんでした。むしろ,自分の子孫が400年にわたって苦しめられることを告げられていました。遠い将来のある時期になって初めて,『アブラハムの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福する』という神の約束は成就することになっていました。(創世記 15:13; 22:18。ガラテア 3:8)アブラハムは「真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また造り主は神です」。(ヘブライ 11:10)アブラハムが自分の生きている時代にではなく,復活した時にそれを見るという事実も,アブラハムの信仰,従順そして神に仕える際の熱意を失わせることはありませんでした。こう自問してみることができるかもしれません。わたしはアブラハムの持っていたような信仰,従順そして熱心さを持っているだろうか。

8 辛抱強さと忍耐についてモーセからどんなことを学べますか。

8 モーセは,神から割り当てられた業はとても自分にはできないと考えました。モーセは自分が流ちょうに話せる者ではなく,自分の民もファラオもモーセの言葉に耳を傾けるとは思えない,と述べました。(出エジプト記 4:1,10; 6:12)それでもモーセは従ったのです。モーセはエホバから告げられた事を行ない,しかも非常に長い間それを行ないました。荒野にいたときモーセは,その民が約束の地に入るまでさらに40年かかることを知っていましたし,後に自ら犯した罪のためにその40年が経過してもモーセは約束の地に入れないであろうと告げられました。それでもなおモーセは来る年も来る年もエホバの道を歩み続けました。(民数記 14:33,34; 20:9-12。申命記 3:23-28; 34:1-6)神に対する自らの愛に促されて,あなたは神への奉仕においてそのような辛抱強さと勤勉さを示せたでしょうか。個人として自分には到達できないことが分かっている目標に向かって,他の人々を忠実に導いていたと思いますか。

9,10 イザヤとエレミヤは自分たちの望む報いを生きているうちに得る希望がなかったにもかかわらず,どのように忍耐を示しましたか。

9 だれがわたしのために行って語るかとエホバが尋ねた時,イザヤは,「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」と言いました。(イザヤ 6:8-11)40年以上にわたってイザヤはエホバの預言者として仕えました。イザヤはとりわけ,「新しい天と新しい地」に関する神の約束を伝達しました。自分の生きているうちに義の新体制が臨む希望が全くなかったにもかかわらず,そうしたのです。(イザヤ 65:17-25)忠実さを保つことが正しいことで,神に対する自分の深い愛に調和するというだけの理由で,あなたはそれほどの忠実さを示していたでしょうか。

10 エレミヤは不信仰な民に対して人気のない警告をふれ告げるために用いられました。その宣べ伝える業の終わりに,義の地上の楽園が待ち受けているわけではありませんでした。むしろエレミヤの深く愛したエルサレムは,その住民の信仰の欠如のために滅ぼされて,「荒れ廃れた所,驚きの的」になることになっていました。エレミヤは回復のあることを知っていましたが,それは70年が過ぎなければ起きないことになっていました。70年といえば,普通の人の一生にほぼ相当する期間がさらに経過しなければならないということです!(エレミヤ 25:8-11; 29:10)予告された回復を生きて見ることがないのは事実でしたが,エレミヤはそのために宣べ伝える業をやめるようなことはしませんでした。エレミヤがやめようとした時にも,エホバの言葉はその骨の中にあって「燃える火のよう」でした。エレミヤはどうしても語らざるを得ませんでした。そしてエホバはエレミヤと共にいて,「力ある恐るべき者のよう」でした。―エレミヤ 20:7-11。

わたしたちが忍耐するための助け

11,12 聖書の示すところによると,古代の信仰の模範はどんなことをするようわたしたちを促すはずですか。

11 使徒パウロはこれらの模範がわたしたちに及ぼすはずの影響を示し,こう書きました。「こうして,これほど大勢の,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪[信仰の欠如]とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか」― ヘブライ 12:1。

12 パウロはまた次のようにも書いています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです。それで,忍耐と慰めを与えてくださる神が,キリスト・イエスと同じ精神態度をあなた方互いの間に持たせてくださいますように。それは,あなた方が同じ思いになり,口をそろえて,わたしたちの主イエス・キリストの神また父の栄光をたたえるためです」。(ローマ 15:4-6)ですからわたしたちは,これら古代の信仰の模範により,忍耐するように,自分に割り当てられた宣べ伝え教える業をたゆむことなく行なうように,そしてそれによってわたしたちの主イエス・キリストの神また父であるエホバの栄光を熱心にたたえるよう鼓舞されるはずです。

13 古代の信仰の人々が学ぶ機会を一度も持たなかったどんな事柄をわたしたちは知っていますか。

13 わたしたちが知っている信仰を強める事柄で,古代の忠実な預言者たちが知ることができなかった事柄をちょっと考えてみてください。その預言者たちの生きていた時には,だれがメシアになるかを知っている人はまだ一人もいませんでした。ところがわたしたちはそのメシアがだれであるかを知っているだけでなく,その方,つまりイエス・キリストの誕生,教え,死そして復活について知っています。さらに,贖いや王国について,そしてそれらの人々が忠実に待ち望んでいた「胤」についても知っています。その上,わたしたちにはマタイから「啓示」までのクリスチャン・ギリシャ語聖書全巻があります。そして,現在成就しつつあり,さらにこれから成就しようとしている,信仰を強める預言を収めた驚くべき「啓示」の書を理解する機会があるのです。確かにわたしたちは胸の躍るような重大な時期,それら古代の人々が切に待ち望んでいた時に生きているのです。

熱心な奉仕の模範

14,15 王国が依然として将来のことであるという事実に1世紀のクリスチャンたちは落胆しましたか。説明してください。

14 イエスの初期の追随者たちは早く約束の王国を見たいと,うずうずしていました。彼らはイエスに,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」と尋ねました。それらの弟子たちは当時,王国が天的なものになることを悟っていませんでした。それは神の霊の影響のもとで後日理解することになっていたのです。しかしイエスは弟子たちに,なすべき大きな業があることを知らせました。イエスは彼らが「エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,[イエス]の証人となる」ことになっていると言われました。(使徒 1:6-8)その務めは大きすぎて引き受けられないものとは思えませんでした。西暦33年のペンテコステの日に,120人ほどの弟子たちは聖霊の導きのもとで良いたよりを宣べ伝える業に着手しました。その日に約3,000人がみ言葉を受け入れたのです。そして時を経ずして,ユダヤ人の大祭司は,『見よ,あなた方はエルサレムをあなた方の教えで満たしてしまった』と言うことになりました。―使徒 2:41; 5:28。

15 ヨーロッパやアジアやアフリカの各地からその時エルサレムに来ていた人々は,その良いたよりを自分たちの国に携えて行ったものと思われます。(使徒 2:5-11)ほどなくしてパウロは熱心に宣べ伝えており,ローマの州であるアジアの至る所およびギリシャでクリスチャン会衆を設立するのを助けていました。パウロはローマへ行き,さらにはスペインにまで行った可能性があります。ペテロは反対の方角に向かい,バビロンにまで行きました。これら最初のクリスチャンたちと彼らの教えた大勢の人々による活動が行なわれるようになってから30年を経ずして,良いたよりは「天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」とパウロは言うことができました。(コロサイ 1:23)それら弟子たちは,ほかの人々を教えるようにというイエスの命令に熱心な態度で従い,何とすばらしい業を成し遂げたのでしょう。―マタイ 28:19,20。テトス 2:13,14。

一つの体制が終わる

16 初期クリスチャンたちはどんな出来事に注意を払っていましたか。

16 しかし,1世紀のクリスチャンたちにとって特に重要な期間がありました。イエスは次のように宣べておられました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません。なぜなら,これは処断の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです」― ルカ 21:20-22。

17,18 (イ)クリスチャンはいつまたどのようにして,ルカ 21章20-22節に記されているイエスの言葉に従って行動しましたか。(ロ)彼らはさらにどんな試みに直面したと思われますか。

17 30年以上が経過しました。そして西暦66年に,ローマ軍がエルサレムを包囲したのです。勝利も間近という時になって,ローマ軍は退却しました。自分たちが勝ったと考えて意気の上がるユダヤの人々はローマ軍を追跡しました。a しかし,クリスチャンたちはどうするでしょうか。4世紀初頭に生きていたエウセビオスの伝えるところによると,「キリストを信じた人々はエルサレムから[ペレアにあるペラと呼ばれる都市へ]移住した」とされています。b

18 時は過ぎてゆきました。66年が終わり67年になりました。そして68年になりその年が過ぎ,69年も過ぎ去りました。それらのクリスチャンたちは時の経過によって試みられていたのでしょうか。ある人々は余りにも時間がかかり過ぎると思うようになりましたか。彼らは間違っていたのでしょうか。イエスはどれほどの期間待つべきか言われませんでした。しかしもしもエルサレムに戻った人がいたとしたなら,後悔したことでしょう。70年にローマ軍が戻って来て,同市を攻め落とし,その住民を大勢殺したからです。歴史家のヨセフスは110万人が死んだ,と述べています。エルサレムには過ぎ越しのために「全国から」エルサレムにやって来た群衆がおり,「住民で混雑していた」からです。c

19 (イ)今日,献身したクリスチャンが答えるべき真に重要な質問は何ですか。(ロ)神聖な奉仕に携わるようわたしたちを動かすものは何であるはずですか。

19 この話を聞いて,今日の状況を思い浮かべますか。問題は,この古い体制がいつ終わるかではありません。それは神の定めの時に生じます。わたしたちが考えているべき事柄は,わたしたちが何をしているかということです。こう自問してみなければなりません。わたしは神の言葉を勤勉に研究し,神に自分の命を無条件でささげただろうか。自分はその献身に本当にふさわしく生きているだろうか。神聖な奉仕に携わるようわたしたちを動かすものは,時の流れの中で自分たちがどこにいるかということではありません。アベル,アブラハム,モーセ,イザヤその他の人々の場合と同じく,神聖な奉仕に携わるようわたしたちを動かすのはエホバ神に対する愛であるはずです。わたしたちは終わりがいつ来るかにかかわりなく,喜んでエホバに仕えなければなりません。しかし,わたしたちには今特別な動機づけがあります。わたしたちはこの現在の体制の「終わりの日」の最終部分に到達しているのです。(テモテ第二 3:1)その事実は,普通以上の奉仕を行なうようわたしたちを動かすはずです。

20 あなたがこれまでに見てきた出来事は,1世紀のクリスチャンが見た事柄とどのように比較されますか。

20 クリスチャンたちは,イエスの「しるし」の多くの面がその通りになるのを見たために,また軍隊が同市を包囲することに関するイエスの陳述が成就するのを見た後に,エルサレムから逃げました。多事多端な年であった1914年以来,終わりの時に関する数多くの預言の成就をわたしたちは観察しています。(マタイ 24,25章。啓示 6:1-8。テモテ第二 3:1-5)これら預言された出来事は70年ほど前に起こり始めました。しかし,イエスはそれらの預言すべてが一つの世代の生きているうちに生じると言われました。(マタイ 24:32-34)明らかに,その世代に入って既に長い時間がたっています。

信仰において熱心

21 神に対して熱心に奉仕することはなぜ緊急な問題なのでしょうか。

21 大抵の場合,救命作業は手早く行なわなければなりません。今は普通以上に活動すべき時,奉仕を増し加え,信仰と熱意をいよいよ深める時です。わたしたちにとってこの古い体制における最後の日が来るということを覚えていなければなりません。この体制の終わりまで生き延びるにしろ,その前にわたしたち自身の命が終わってしまうにしろ,その日は来ます。今の命は短く,つかの間のものです。自分が明日生きているかどうかさえだれにも分かりません。神に対する自らの忠実さと忠誠とを立証するための時間は限られています。(詩編 39:5。伝道の書 12:1。ルカ 12:18-21)ですから,わたしは自分が今日行なったことに満足しているだろうか,と自問してみるのはふさわしいことでしょう。

22 聖書は報いについてどんなことを述べていますか。

22 報いを忘れないようにするのは大切です。その賞から目を離してはなりません。イエスは,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と言われました。パウロは,「各々はその労苦に応じて報いを受けます」と書きました。そしてさらに次のようにも述べています。「あなた方には忍耐が必要なのです。それは,神のご意志を行なった後,約束の成就にあずかるためです」。―マルコ 13:13。コリント第一 3:8。ヘブライ 10:36。

23,24 ここに引用されている聖句の助言を考え,あなたは自分の信仰と王国奉仕についてどんなことをしようと決意していますか。

23 聖書はわたしたちにこう勧めています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか」。さらにこう告げられています。「兄弟たち,時と時期については,あなた方は何も書き送ってもらう必要がありません。エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。……ですからわたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう」。―ペテロ第二 3:11,12。テサロニケ第一 5:1-6。

24 ですから,堅い信仰を保ち,少しも疑うことなく,王国奉仕に熱心であり続けたいものです。そうするなら,わたしたちは使徒と共に次のように言うことができます。「わたしたちは,しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者です」― ヘブライ 10:39。

[脚注]

a ヨセフス,「ユダヤ戦記」,第2巻,19:5-7。

b エウセビオス,「教会史」,第3巻,5:3。

c ヨセフス,「ユダヤ戦記」,第6巻,9:3,4。

考えるべき事柄

□ アベル,アブラハム,モーセそしてエレミヤの模範は,今日のわたしたちにとってどのように大きな励みになりますか。

□ 王国がまだ来ていないという事実は,1世紀のクリスチャンにどんな影響を及ぼしましたか。

□ 初期クリスチャンはエルサレムから逃れた後にどんな試みに遭ったかもしれませんか。

□ 今わたしたちの主要な関心事は何であるべきですか。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする