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  • 『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』

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  • 『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
塔82 5/15 22–27ページ

『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』

「わたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」― テサロニケ第一 5:6。

1 聖書預言のどんな成就が間もなく見られると考えられますか。

イエスはご自分の世代のうちに臨むエルサレムの滅びについて予告した際,こう言われました。「これは処罰の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです」。(ルカ 21:22)西暦70年,神の義にかなった裁きの執行が,神のみ名を汚し,その律法を破り,その僕たちを迫害した人々の上に臨みました。同様に,現在の邪悪な事物の体制に対する神の義にかなった裁きの執行は間もなく到来し,聖書預言に記されている事柄はすべて確かに成就するということが再度示されます。しかもその裁きは,必要な準備のできていない人々にとっては驚くほど突然に生じます。聖書は「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが……彼らに突如として臨みます」と述べているのです。―テサロニケ第一 5:2,3。

2 わたしたちが近い将来に適用できるどんな諭しを,神の言葉聖書は示していますか。

2 今から,神の最終的な裁きが下されるまでの間,エホバの僕たちは目ざめていることと献身的に目的を果たすことに関して高い意識を保つように命じられています。テサロニケ第一 5章2,3節の霊感による預言を書き記した使徒パウロは,次のようにも述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」。(テサロニケ第一 5:6)イエスは,「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」と諭されました。(ルカ 21:36)使徒ペテロも同様の事柄を次のように記しています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」― ペテロ第二 3:11,12。

今エホバのもとに来る

3 生き残って神の新秩序に入るには,だれでも何をしなければなりませんか。

3 生き残って神の新秩序に入ることを願う人々はすべて,エホバとの,またその地上の組織との正しい関係を今緊急に築く必要があります。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」。(箴言 18:10,新)「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く立てられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう」。(イザヤ 2:2,新)どんな国の人々でも,パラダイスのような神の新秩序で生きることを願うなら今,エホバの山,その真の崇拝に流れてゆかなければなりません。その崇拝は堅く立てられ,他のどんな形の崇拝よりも高く上げられています。

4 イエスは,エホバのもとに来るのをひどく延ばすことは命取りになりかねないということをどのように示しておられますか。

4 エホバの真の崇拝のもとに今来ることがこれほど急を要するのはなぜでしょうか。誠実な人柄であれば,実際にエホバの裁きの執行が始まるのを見,それから直ちに神の側に付いてもよいのではありませんか。それは一部の人にとって良い考えに思えるかもしれませんが,その時にエホバとの正しい関係を築く十分の時間があるでしょうか。聖書の証拠から見るとその時間はありません。イエスはこう警告されました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです」。(ルカ 21:34,35)霊的に目ざめていない人が不意を襲われるということに注目しましょう。その「日」は,「平和だ,安全だ」と言っている人々に「突然の滅びが……突如として」臨むのと全く同じように,「突然」,「急に」臨むのです。

5 人々は滅びの前にエホバについて学ぶ必要があるということを示すどんな聖書的な例がありますか。

5 イエスはこうした人々を,知らずにわなにはまり込んでしまう動物になぞらえています。さらに『洪水が彼らすべてを流し去るまで注意しなかった』ノアの時代の,霊的に不注意な人々にもなぞらえています。大洪水が始まった後,その人々がエホバについて学び,その保護の下に来る時間は少しでもあったでしょうか。いいえ,ありませんでした。洪水が起きた時,それは『彼らすべてを流し去った』とイエスは明言しておられるからです。彼らはすでに,ノアやその家族と共に保護の箱船の中にいたわけではありません。同様に,ソドムとゴモラに対する神の裁きが臨んだ折,火による滅びが天から降り始めた後に逃れた人がだれかいたでしょうか。いませんでした。その地域からすでに出ていたロトとその娘たち以外の人はみな滅ぼされたからです。そこからいったん出かけてそれからためらったロトの妻も,破壊的な力によって打ち滅ぼされました。イエスは「ロトの妻のことを思い出しなさい」と言われましたが,それには十分の理由があったのです。―マタイ 24:37-39。ルカ 17:32。

6 聖書中の証拠はどんな考え方を支持していませんか。

6 では偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」が倒壊した後に,霊的に目ざめてエホバを尋ね求める機会を人々が持てるような時期があるでしょうか。聖書中の証拠はこの見解を支持しません。前述の例に加えて,西暦1世紀のユダヤ人国家の例もあります。宗教的なこれらのユダヤ人は,自分たちは神を申し分なく崇拝しており,イエスやその追随者たちの宣べ伝えることに耳を傾ける必要はないと考えました。ところがイエスはこう警告しておられたのです。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。町外れにいる者は都の中に入ってはなりません」。(ルカ 21:20-22)ところがエルサレムを包囲していたローマ軍が西暦66年に撤退した時,自信過剰のユダヤ人たちは『逃げはじめる』ことをしませんでした。撤退するローマ軍の後衛を攻撃して,同軍を敗走させたので,逃げる必要はないとユダヤ人は考えました。彼らは,神が自分たちと共におられると信じ,“聖なるエルサレム”という銘を彫り込んだ新しい銀貨を鋳造することさえしました。しかし霊感によるイエスの預言は,エルサレムがもはやエホバにとって神聖なものでないことを明らかにしていました。

7 イエスの諭しとは逆のことを行なったユダヤ人たちの上に,どんな運命が臨みましたか。

7 ユダヤ人は偽りの宗教に欺かれていたので,エルサレムやユダヤから出る機会があった時にも出ませんでした。それどころか,西暦70年の春には逆のことを行ないました。彼らは宗教上の祝祭のためエルサレムに集まりました。しかしちょうどその時,ティツス将軍の率いる強力なローマ軍が引き返してきてエルサレムを包囲し,その人々を全部閉じ込めてしまいました。彼らはさながらわなに掛かった動物でした。短期間の攻囲の後,エルサレムは滅びました。これらの出来事の目撃証人であった歴史家フラビウス・ヨセフスはこう記しています。「この戦争全体を通じ捕虜として連れ去られた人々の数は総計9万7,000人に達した。一方この攻囲の全期間中に命を失った人の数は110万人におよび,その大部分は[エルサレムの市民と]同国人であったが,その都市そのものの住人ではなかった。彼らは種入れぬパンの祭りを行なうために全国からやって来ていて,突如軍隊により閉じ込められたのである。……国民全体が今やろう獄にいるかのように運命に閉じ込められた。そしてローマ軍はその都市を取り巻いた」。「ユダヤ戦記」,第6巻,第9章,3,4節。ウィリアム・ウィストンの英訳による。

8 イエスに聞き従ったクリスチャンたちは,最後の瞬間に逃れようとした人々の結末と対照的に,どんな結果を迎えましたか。

8 しかし,目ざめていて冷静さを保っていたクリスチャンたちは,西暦66年後に逃げる機会が訪れた時に安全な場所へ逃れていたので,すでにエルサレムとユダヤ全土から出ていました。イエスの預言的な言葉を信じ,それに従って行動することにより,彼らは生き延びたのです。しかし,西暦70年にあの「大患難」がユダヤ人の上に到来した時,もはや彼らには逃れる時間は残されていませんでした。ローマ人の攻囲を突破してその都市から脱出しようとした数千の人々は兵士たちに捕らえられてしまいました。兵士たちはそれらのユダヤ人の多くが飲み込んでいた金を得ようとして幾人かのユダヤ人を切り裂くことさえしました。

より厳しい「患難」に生き残る

9,10 (イ)「大患難」はどれほど厳しいものとなりますか。(ロ)「大いなるバビロン」の滅びの後,平穏な時期が多少あると考えられないのはなぜですか。

9 それは確かに,イエスの予告された通りの,ユダヤ人に臨んだ厳しい「患難」でした。(ルカ 19:43,44)しかしながらイエスの言葉は,より大きな「患難」が現代のエホバの「復しゅうの日」の間に生ずることを指摘していました。ご自分の「臨在」の「しるし」についての質問に答えるに当たってキリストはこう明言されました。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」。(マタイ 24:3,21)この「患難」は「大いなるバビロン」だけではなく,政治・社会・経済制度を含むサタンの組織全体の上に臨みます。

10 この滅びはまず偽りの宗教から「突然に」始まりますが,容赦なくその終極へと進みます。(テサロニケ第一 5:3)聖書預言は,「大いなるバビロン」が覆された後に平穏な時期があるとの考えを退け,その世界帝国を滅ぼす神に反対する勢力は,献身したエホバの証人たちにも何ら好意を示さないということを明らかにしています。逆にこれら神に反対する勢力は神の民を憎み,今度は彼らに刃向かってきます。聖書の示すところによると,「大いなるバビロン」を荒廃させたこの同じ「十本の角がある……野獣」は,追随者たちを代理として地上に持っておられるイエス・キリスト,つまり「子羊と戦う」こともします。(啓示 13:1; 17:12-14,16; 19:19)偽りの宗教に勝利を得て意気盛んな征服者たちは,神の僕たちのことも似たりよったりの宗教で,自分たちが世界支配を行なう上で障害が残らないように取り除かなければならないものと考えるに違いありません。―エゼキエル 38:14-16。

11 どのように「大患難」はその頂点に達しますか。

11 しかし神の僕たちに対するこの攻撃は,神を攻撃するようなものです。神は,「あなた方に触れる者はわたしの目の玉に触れているのである」と語っておられます。(ゼカリヤ 2:8,新。エゼキエル 38:18,19)それは直ちに,エホバの反応を誘います。それは攻撃者たちの上にエホバのハルマゲドンの激怒を呼び起こします。(啓示 16:14,16)神はご自分の王なるみ子キリスト・イエスとその天の軍勢に,攻撃に出るよう命令されます。キリストとその天の軍勢は圧倒的な力をもって,地の王たち,この不敬虔な体制の残りの他のあらゆる分子,それを支持する人々すべてを打ち倒します。ひとりのみ使いは大声で叫び,天の鳥たちを招きます。「さあ来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである」。(啓示 19:17,18)こうして「大患難」はその頂点に達します。このサタン的な事物の体制に対する神の義にかなった「復しゅうの日」は,その終わりに至るのです。

12 誠実な人々が『エホバを尋ね求める』べきなのはいつですか。

12 「大いなるバビロン」の荒廃を皮切りに「突然の滅び」が始まった時から,諸国家によるエホバの僕たちの攻撃を経て神の戦争ハルマゲドンに至るまでの間,「大患難」にはどんな休止期間もないものと考えられます。したがって,偽りの宗教が滅んだ後に神に立ち返れる十分な時間があると結論づけてよい聖書的な理由は一つもありません。むしろ,生きて神の新秩序に逃れることを願う人々は,今エホバに立ち返るべきです。「あなたがたは見いだせるうちにエホバを尋ね求めよ。近くにおられるうちに呼びかけよ」。(イザヤ 55:6,新)今こそ,誠実な人々が,信仰,勇気,愛,奉仕の生活を始めるべき時なのです。今こそ,急速に近づきつつある「大患難」の際に神の民に加えられる圧力に耐えられるよう,備えをすべき時なのです。

13 神の忠実な僕たちは何になぞらえられていますか。どのようにですか。

13 神の言葉聖書は,神の忠実な僕たちを,訓練の行き届いた兵士になぞらえています。それは注意深く,防御用の武具を身に着けた,そして指導者から与えられるどんな命令にも従う準備のできている兵士たちです。彼らは,危険で緊急な時に兵舎で眠りこけている準備のできていない軍隊のようではありません。パウロはこう述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう。眠る者は夜眠るのが常であり,酔う者は夜酔うのが普通だからです。しかし昼に属するわたしたちは,冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう。神はわたしたちを,憤りにではなく,わたしたちの主イエス・キリストを通して救いを得ることに定めてくださったからです」― テサロニケ第一 5:6-9。

14 神の僕たちが神のご意志を行なえるよう,正しい情報が確かに与えられるということは何から分かりますか。

14 それに神の僕たちは,生き残るための適切な措置を講じることができるよう,神がその組織を情報に通じたものとされるということに一点の疑念も抱きません。わたしたちはこのことを確信できます。なぜなら霊感によって書かれた啓示 7章の預言には,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が……大患難から出て来(て)」,生きて神の新秩序に入ると述べられているからです。(啓示 7:9,14)ではなぜ「大群衆」は生き残るのでしょうか。『彼らは昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている』ので,神は『彼らの上にご自分の保護の天幕を広げられる』のです。(啓示 7:15)正しい情報を与えられているので,彼らは神に受け入れられる奉仕の仕方をわきまえています。受け身の姿勢で待ち,これから生ずることを見るのではありません。「神のご意志を行なう」者が「永久にとどまる」者であることを彼らは知っています。―ヨハネ第一 2:17。

増し加わる活動

15 エホバの証人は,『神の王国の良いたよりを人の住む全地で宣べ伝えなさい』という命令にどのように従ってきましたか。

15 わたしたちの時代に関する神のご意志の一部には,次のイエスの預言の成就が含まれています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)真のクリスチャンにとってこの預言的な言葉は,つまるところ神の王国と来たるべき新秩序の良いたよりを他の人々に告げなさいという命令です。そしてエホバの証人は確かに,この「終わりの日」に,その命令を行なってきました。(テモテ第二 3:1。マタイ 28:19,20と比較してください。)彼らは,この地に対する神のすばらしい目的を他の人に教えるべく自分たちの時間や資産を利他的に用いてきました。こうして大いに労苦した結果,昨年の4月,全世界で500万を上回る人々がキリストの死の記念式を祝うために共に集まり,神の新秩序とイエス・キリストによる救いの備えに関心を持っていることを表わしました。

16,17 (イ)神がエリコを滅ぼす前に,イスラエル国民はどんな指示を与えられましたか。(ロ)これらの指示はどのように実行されましたか。

16 エホバの前進する組織が,この世に対する伝道活動の歳月の終わりに近づくにつれ,この業の規模が広がってゆくことは間違いないでしょう。神がエリコを滅ぼされる直前にイスラエル人がどんな指示を受けたか思い起こすとよいでしょう。まず彼らは,六日にわたり日に1度都市の周りを行進するよう命じられました。しかしその時にこう告げられました。「七日目にはその都市の周りを七回行進し祭司たちは角笛を吹く。そして彼らが雄羊の角笛を鳴らし,あなた方がその角笛の音を聞く時に,民全員は大きなときの声を上げるように。そうすれば,その都市の城壁は必ず崩れ落ちる」― ヨシュア 6:2-5,新。

17 最後の日である七日目には,イスラエル人はその活動を7倍に増やし,それから「大きなときの声を上げ」ることになっていました。指示されていた通りに彼らはこれを行ないました。「七日目になり,彼らは早く,夜が明けるとすぐに起き,これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。……そしてその七回目のこと,祭司たちが角笛を吹くと,ヨシュアは民に向かってこう言った。『叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ』。……そして民が角笛の音を聞き,民が大きなときの声を上げはじめるや,すぐに城壁は崩れ落ちていった」― ヨシュア 6:15,16,20,新。

18 この体制がその終わりに至る前の宣べ伝える活動の機会や方法に関し,わたしたちは何を予期しますか。

18 わたしたちは,時代の頂点となるこの時期に,宣べ伝える業が同じように拡大することを期待できます。明らかに,「大患難」が終わる前に,わたしたちは神のみ名とその王国に関する,この世の歴史上最大規模の証しが行なわれるのを見るでしょう。そして現在その証しにはまだ救いのためエホバの組織の下へ来るようにとの招待が含まれていますが,その音信が,「大きなときの声」のようなより厳しい調子を帯びる時が必ず来ます。啓示 16章21節には次のように記されています。「それぞれの重さが一タラント[約45㌔]ほどもある大きな雹が天から人びとの上に降り,人びとは雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである」。雹は水が凍って固まったものです。ですからこれは,不従順な人類に送られるエホバの裁きの音信が,最後にはどのように強力な雹の集中攻撃のようになるかを示すものです。雹の災いが「異常に大きい」と語られている事実は,最後の最後には,エホバの僕たちがエホバの「復しゅうの日」の厳しい宣明を行なうことを示唆しています。

19 間近い将来のことを考え,『わたしたちはどんな種類の人になるべきですか』。

19 そのわけで,その時わたしたちがペテロに倣って,「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」と言うのは良いことです。(ペテロ第二 3:11,12)確かにわたしたちは,「互いに慰め,互いに築き上げる」必要があります。「互いに対し,……常に善を追い求め」なければなりません。(テサロニケ第一 5:11,15)「ですから,時に恵まれているかぎり,すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」。(ガラテア 6:10)こうしたことを目標に,『目ざめており,冷静さを保つ』ようにしましょう。―テサロニケ第一 5:6。

[22ページの図版]

生きて神の新秩序に入ることを願う人は皆,今エホバの真の崇拝に流れてゆかなければならない

[24ページの図版]

イエスに従ったクリスチャンたちはちょうど良い時にエルサレムから逃げ,西暦70年の滅びを免れた

[25ページの図版]

神の言葉聖書は,神の目ざめている僕を,防御用の武具を身に着け,従う準備のできている,訓練のよく行き届いた兵士になぞらえている

[26,27ページの図版]

イスラエル人が「大きなときの声を上げ」始めた時,エリコの城壁は崩れ落ちた

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