「彼らは……イエスに従った」
「イエスは彼らに言われた,『わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう』。すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従った」― マタイ 4:19,20。
1 マタイによる福音書 4章19,20節にあるとおり,イエスが声をかけた人々は直ちに網を捨てましたが,この事からどんな質問が当然に起きますか。
4人の勤勉な漁師が仕事をやめてその人に従ったのですから,ガリラヤの海辺を歩いていたその人は普通の人ではなかったに違いありません。これらの漁師はかつてこの人に会い,彼の話を聞いたことがありましたか。彼がどんな人であるかを知っていましたか。確かに知っていました!「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」との召しの声を聞いた時,彼らには答え応じる用意がありました。ではどうしてその用意ができていたのでしょうか。
2,3 (イ)浸礼者ヨハネは,イエスがだれであると語りましたか。ヨハネはそれが真実であることをどうして知りましたか。(ロ)ヨハネは二人の弟子にイエスのことをどのように明らかにしましたか。アンデレは自分の兄弟に向かって,どのようにイエスのことを明らかにしましたか。
2 このイエスはすでにその前年(西暦29年)浸礼者ヨハネより,浸礼を受けました。その時,天から聖霊が下って,イエスの上にとどまったのをヨハネは目撃しました。後日,彼は人々にこう語りました。「私は……このかたこそ神の子であると,あかしをしたのである」。(ヨハネ 1:34)ヨハネが語ったことの正しさは,次の記録からわかります。「イエスはバプテスマを受けるとすぐ,水から上がられた。すると,見よ,天が開け,神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを,ごらんになった。また天から声があって言った,『これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である』。さて,イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして,四十日四十夜,断食し,そののち空腹になられた」。(マタイ 3:16–4:2)イエス・キリストはここでサタンの巧妙な誘惑を3回受けますが,天の父への忠実を保ち,最後にこう言われました。「サタンよ退け。『あなたの神[エホバ]を拝し,ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」― マタイ 4:10,[新世訳]。
3 さて,こののち,イエスが浸礼者ヨハネのもとに来たとき,彼がイエスを指さして次のように語ったのは当然なことでした。「見よ,世の罪を取り除く神の小羊」。翌日,それらのガリラヤの漁師のうち二人がイエスに会いましたが,どのようにして会ったのでしょうか。その日,「ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが,イエスが歩いておられるのに目をとめて言った,『見よ,神の小羊』。その[ヨハネの]ふたりの弟子は,ヨハネがそう言うのを聞いて,イエスについて行った」。「ラビ,どこにおとまりなのですか」とイエスにたずねた二人のうち一人は漁師アンデレでした。「そして,その日はイエスのところに泊まった」。アンデレはまた,「自分の兄弟シモンに出会って言った,『わたしたちはメシヤ(訳せば,キリスト)にいま出会った』……イエスは彼に目をとめて言われた,『あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば,ペテロ)と呼ぶことにする』」。次の日,イエスはガリラヤに行こうとされましたが,「ピリポに出合」いました。彼は,アンデレおよびペテロと同じ町の人でした。―ヨハネ 1:29,35-44。
4 ヨハネの弟子たちは,だれと交わることを願っていましたか。なぜですか。
4 このことから,ヨハネの弟子はイエスと交わることを望み,また交わったことがわかります。後日イエスが,「あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」と告げた,漁師のうち少なくとも二人は,最初ヨルダン川で彼に会っていました。多くの人は,彼が神の御子またメシヤであると語ったヨハネの言葉を知っていたので,イエスの言葉を聞こうと願ったのは当然でした。ではこれから,イエスとともに旅をして,彼が最初にアンデレ,ペテロ,ピリポそして他の弟子を得たのち,何を行なったかを見ることにしましょう。
5 イエスはガリラヤのカナで弟子たちにご自分の栄光をどのように表わされましたか。
5 ヨルダン川の上流の地方を去ったイエスは,ガリラヤの町カナに来ました。そこで婚礼が行なわれており,イエスの母親もいました。イエスと弟子も婚礼の席に招待されたのです。ところがたまたまぶどう酒がなくなったため,イエスは最初の奇跡を行ない,水をぶどう酒に変え,「最初のしるしをガリラヤのカナで行い,その栄光を現され……弟子たちはイエスを信じ」ました。(ヨハネ 2:1-11)これらは,イエスがヨルダン川で浸礼を受けてから6ヵ月以内に起きた事柄です。
6 聖書の記録によれば,西暦30年,過ぎ越しの祝いの時にイエスはエルサレムで何をしましたか。
6 さて西暦30年の春の過ぎ越しの時となり,イエスはエルサレムに行きます。聖都エルサレムでイエスは,神の家を商売の家に変えていた人々に怒りを表わされました。「牛,羊,はとを売る者や両替する者などが,宮にすわり込んでいるのをごらんになって,なわでむちを造り,羊も牛もみな宮から追いだし,両替人の金を散らし,その台をひっくりかえし,はとを売る人々には『これらのものを持って,ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな』と言われた。弟子たちは,『あなたの家を思う熱心が,わたしを食いつくすであろう』と書いてあることを思い出した」― ヨハネ 2:13-17。詩 69:9。
7 (イ)イエスはパリサイ人のニコデモにどんな興味深い事柄を述べましたか。(ロ)記録によれば,その後ユダヤでは何が起きましたか。
7 その後ある夜,神がつかわされたこの教師のことばを聞きたいと願っていた,パリサイ人ニコデモがイエスをたずねました。イエスはとりわけ次の点を指摘しました。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは……御子によって,この世が救われるためである」。(ヨハネ 3:16,17さらに,真の神に対する信仰が必要であり,「真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの,神にあってなされたということが,明らかにされるためである」と説明しました。(ヨハネ 3:1-21)その晩の大変興味深い集いののち,「イエスは弟子たちとユダヤの地に行き,彼らと一緒にそこに滞在して,バプテスマを授けておられた。ヨハネもサリムに近いアイノンで,バプテスマを授けていた」。「イエスが,ヨハネよりも多くの弟子をつくり,またバプテスマを授けておられるということを,パリサイ人が聞き,それを主が知られたとき,(しかし,イエスみずからが,バプテスマをお授けになったのではなく,その弟子たちであった)ユダヤを去って,またガリラヤへ行かれた」― ヨハネ 3:22,23; 4:1-3。
8,9 浸礼者ヨハネは,イエスの追随者が増加することをどのように証言しましたか。イエスはどんな重要な音信を宣明し始めましたか。
8 今や,イエスの弟子と浸礼者ヨハネがバプテスマを施しているので,一般の人々や宗教指導者は,その大々的な活動に注目するとともに,多くの人々がイエスに従ってゆくのを目撃しました。事実,ヨハネの弟子のある者は,「皆の者が,そのかたのところへ出かけています」と告げたほどです。ヨハネは,自分はキリストではなく,キリストに先がけて遣わされた者であると慎重に説明し,次のような重要なことばを述べて,イエスつまりキリストあるいは油そそがれた者に対する真の愛を表わしました。「花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き,その声を聞いて大いに喜ぶ。こうしてこの喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え,わたしは衰える」― ヨハネ 3:25-30。
9 確かにイエスの弟子の数はふえ,多くのユダヤ人が彼に従いました。「ヨハネが捕えられた後,イエスはガリラヤに行き,神の福音を宣べ伝えて言われた,『時は満ちた,神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」。(マルコ 1:14,15)マタイもこの事を認めてこう述べています。「『暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見,死の地,死の陰に住んでいる人々に,光がのぼった』。この時からイエスは教を宣べはじめて言われた,『悔い改めよ天国は近づいた』」― マタイ 4:16,17。
10 ナザレの会堂でイエスは人々に対して,地上におけるご自分の仕事が何であるかをどのように示されましたか。
10 さてヨハネは公のわざを終え,必ず栄える方に関する知らせを宣明し終えました。それで,ヨハネが捕われた直後,イエスは神の国の音信を伝え始め,ナザレに行き,安息日に,集まったすべての人を前にして,イザヤ書 61章にあるご自分の使命に関することばを読み上げました。「すると預言者イザヤの書が手渡されたので,その書を開いて,こう書いてあるところを出された,『〔エホバ〕の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために,わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして,囚人が解放され,盲人の目が開かれることを告げ知らせ,打ちひしがれている者に自由を得させ,〔エホバ〕のめぐみの年を告げ知らせるのである』。イエスは聖書を巻いて係りの者に返し,席に着かれると,会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは,『この聖句は,あなたがたが耳にしたこの日に成就した』と説きはじめられた」― ルカ 4:17-21〔新世訳〕。
11 イエスが行なっていたわざに,この時までどれほど多くの人々が携わっていましたか。次にどんな事が行なわれようとしていましたか。
11 自分の郷里で受け入れられなかったイエスは,ガリラヤの町カペナウムに下ります。「そして安息日になると,人々をお教えになったが,その言葉に権威があったので,彼らはその教に驚いた」。(ルカ 4:31,32)イエス・キリストの宣教のこの時期までには,教えを聞く弟子つまり学ぶ者は非常に多くなっていたに違いありませんが,まだだれ一人として彼が行なっていたわざをするように招かれませんでした。イエスは,もっとも効果的な教えるわざを進めており,責任をになう者となるよう弟子を教えました。やがて,特定の弟子を選んで,将来のわざに備えて訓練する時が来ました。最初にだれを選びましたか。
イエスがだれであるかを知っていましたか
12 (イ)イエスがご自分に従うようある人々を招きましたが,マタイによる福音書 4章18-22節は何と述べていますか。(ロ)彼らはどう答えましたか。
12 さて,ペテロとアンデレおよび仲間の者たちは家に帰り,漁師の仕事にもどりました。西暦30年の過ぎ越しののち,カペナウムの近くのガリラヤの海辺をイエスが歩いていた時,「ふたりの兄弟,すなわち,ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが,海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた,『わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう』。すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従った。そこから進んでゆかれると,ほかのふたりの兄弟,すなわち,ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが,父ゼベダイと一緒に,舟の中で網を繕っているのをごらんになった。そこで彼らをお招きになると,すぐ舟と父とをおいて,イエスに従って行った」。(マタイ 4:18-22)4人の漁師はいささかも躊躇せず,幾世紀も昔の預言者イザヤと同様,心の中で,「われこゝにあり我をつかはしたまへ」と語りました。(イザヤ 6:8,文語)イエスがだれであるかを知っていたゆえに,出かける用意がありました。この時初めてイエスに会い,彼のことばを聞いたのではありません。
13 (イ)イエスがだれであるかをアンデレ,ペテロ,ヤコブ,ヨハネが,確かに知っていたのはどうしてですか。(ロ)今どんな大切な質問を考慮すべきですか。
13 ご存じのように,アンデレとその友はおよそ1年前のある晩,彼とともに泊ったことがあり,またペテロは兄弟アンデレから「わたしたちはメシヤにいま出会った」と教えられ,彼に会いました。彼らは,カナで催された婚礼に出席した弟子たちの中にいたかもしれません。そうでなかったにしても,次の過ぎ越し(西暦30年)の時,両替人を追い出してエルサレムの宮を清めたイエスのことは聞いていたに違いありません。つい最近,彼がナザレでイザヤの預言を読み,町から追い出されたことを彼らは確かに耳にしており,疑いもなく,カペナウムで権威をもって教えた彼のことばを聞きました。これら4人の漁師は,イエスがだれかを知っており,彼に従う心の用意もできていました。イエスが伝道していた事柄を理解せず,また近づいていた天国を信ずることなしに,神の奉仕者として新しい仕事に携わったのではありません。彼らには宣教を始める用意も意欲もありました。今日,神のみことばを学び,神の国を人類の唯一の希望と信ずる男女も同様でなければなりません。あなたは神のみことばの知識と信仰を持つ資格のある奉仕者ですか。奉仕への召しに答え応じましたか。もしあなたが,一年あるいはそれ以上の間,神のみことばを学び,エホバの証人と交わっているなら,あなたも答え応じなければなりません。
14 イエスの最初の弟子は,召しに答え応じてイエスに従うだけの備えをどのようにして得ましたか。
14 今日,多くの男女は神のみことばの光を認め,実際に自分たちの網を捨てて,イエスに従っています。ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネは,真理を愛し,イエスが行なわれたわざに携わることの重要さを認め,イエスのもとにとどまって全時間の宣教を行ないました。また,浸礼者ヨハネが彼らに向かって悔い改めるようにと告げた時,耳を傾け,メシヤの到来に備えましたが今やそのメシヤを知り,彼こそ神から遣わされた御子であることを信じ,時おり彼に伴われて各地をめぐりました。しかしここガリラヤの海辺で,彼らには大きな機会が開かれたのです。問題は,「われこゝにあり我をつかはしたまえ」と答えたイザヤのように,その召しに答え応じるかどうかでした。彼らは答え応じました。それは私たちが見習うべきりっぱな模範であり,彼らの手本に私たちは今も感謝しています。
15 イエスに従うように,さらにだれが召されましたか。彼の職業は何でしたか。
15 これら4人の漁師は確かに召しに応じてイエスの弟子になりましたが,イエスは誠実な人間をさらに求めていました。カペナウムにおられた時,イエスは「レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て,『わたしに従ってきなさい』と言われた。すると,彼はいっさいを捨てて立ちあがり,イエスに従ってきた」。(ルカ 5:27,28)後日,レビ(またはマタイ)がイエスのために盛んな宴を設けた時,多くの他の取税人も彼と一緒にその食卓につき,弟子たちも同席しました。イエスはこの機会をとらえて居合わせたすべての人々にりっぱな証言をして,こう言われました。「わたしがきたのは,義人を招くためではなく,罪人を招いて悔い改めさせるためである」― ルカ 5:32。
16 イエスが次に行なわねばならなかった,だれを選ぶかという重要な仕事について述べなさい。それが重大な事柄であるとどうして言えますか。
16 1年半伝道し,弟子を教え,浸礼後2度目の過ぎ越しを祝ったのち,今やイエスは多くの弟子の中から使徒を選ぶことになりました。その重要な立場につくべき人を選ぶにあたって,イエスは祈りました。ルカはこう述べています。「このころ,イエスは祈るために山へ行き,夜を徹して神に祈られた。夜が明けると,弟子たちを呼び寄せ,その中から12人を選び出し,これに使徒という名をお与えになった。すなわち,ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ,ヤコブとヨハネ,ピリポとバルトロマイ,マタイとトマス,アルパヨの子ヤコブと,熱心党と呼ばれたシモン,ヤコブの子ユダ,それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである」― ルカ 6:12-16。
17 12使徒を選ぶまでにどれほどの時間がかかりましたか。この事実は,これらの人々にとって何が必要だったことを示していますか。
17 これら,すべては何と興味深い事柄でしょう! 12人の使徒を選ぶのにイエスは優に1年半以上の時を費やしたのです。彼は多くの弟子を集め,多くの人はイエスに従い,彼を信じましたが,1年半の活動ののちに,ご自分が教え,特別のわざのために召し,また備えさせた12人をかれらの中から選んだのです。イエスは,ご自分に従うようにと人々を招待した最初の時には,彼らが漁師あるいは取税人の仕事を直ちに捨てて従ったにもかかわらず,彼らを使徒職に任命しませんでした。第一に知識を与えることが必要だったのです!
18 現在,私たちが聖書を教えている人々に関して,どんな見方をすべきですか。
18 今日でも同様です。エホバの証人は家から家に伝道する際,神の国に関心を持つ大勢の人々を見いだし,聖書研究を始めます。研究は人々の家で司会され,時には1年あるいはそれ以上の期間続けられます。しかし,人々が短期間に,たとえば1年ほどでイエス・キリストの足跡に従って歩むことを決心しなくても,クリスチャンは教える者として落胆すべきではありません。あなたが熱心なクリスチャンなら,家から家を訪問する宣教への参加を決心するまでに,どれほどの時間がかかったかを考えてごらんなさい。熱心なクリスチャンでないなら,「私はクリスチャンだろうか」と自問してください。あるいは名前だけかもしれません。そうであれば,クリスチャンの名前にさえふさわしくはありません。
19 魚を取る仕事よりもさらに良いどんなわざを弟子たちに行なわせようとイエスは考えていましたか。
19 これら4人の漁師にはガリラヤの海で魚を取る職業がありました。彼らは相当の仕事をしていたことでしょう。ヤコブとヨハネは父ゼベダイとともに働き,雇い人もいました。人を雇っていたとすれば,仕事はかなり繁じょうしていたに違いありません。収入の多い良い職業があったにもかかわらず,ゼベダイの二人のむすこは父を残してキリストに従ったのです!(マルコ 1:19,20)魚を取る仕事は戸外で行なう健康的な職業です。美しい自然に恵まれたガリラヤの海に匹敵するところがほかにあるでしょうか。しかしイエスが考えていたのはさらに優れた仕事だったのです。それでイエスはペテロに,「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」と言われました。(ルカ 5:10)イエスは,ご自分の音信を,献身的に働く熱心な人々の手に委ねたいと願っていました。それらの人々は,イエスと同様に,天の父を本当に愛し,またイエスの弟子として互いに愛し合わねばなりません。―ヨハネ 13:34,35。
20,21 (イ)ここでイエスはご自分の追随者にどんな機会を開かれましたか。(ロ)彼らはこのすばらしい賜物についてどのように学ぶことができましたか。
20 イエス・キリストはクリスチャンのわざを行ない始めました。今度はこれら12人の弟子が,人々にキリストの言葉を教えて,彼らをイエス・キリストの弟子にしなければなりません。イエスは,すべての人のための永遠の命の唯一の道を開いたのです。ご自分の弟子とともに祝い,ご自分の死を記念する行事を始めた最後の過ぎ越しの際に,最後の祈りの中でイエスは言われました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)何という意味深い言葉でしょう! 永遠の命を得るには,知識を得,エホバ神と御子イエス・キリストの目的とわざを理解することが必要です。その知識はどこから得られますか。神のみことば聖書から得られます。聖書を読むには時間がかかりますが,研究するにはさらに多くの時間がいり,教える者となるにはそれ以上の時間を要します。ゆえにこれらの人々はすべてを捨ててイエスに従い,彼の全時間の弟子になり,神とイエス・キリストについて学び,よく教える者となりました。
21 さて,12使徒を選んだのち,イエスは神に関するさらに多くの知識を彼らに与え,永遠の命を欲する人すべてが忠実に従わねばならない生き方を教え続けました。12使徒およびイエスに従って来た大勢の群衆は,マタイによる福音書の5章から7章にある,山上でのイエスの健全な教えを聞きました。
福音宣明者として訓練を受ける
22 使徒たちはなぜイエスのそばにいつもとどまりましたか。イエスが選んだ使徒に関する限り,彼の最大の関心事は何でしたか。
22 今や使徒たちは学ぶ者としていつもイエスのそばにとどまり,知識を取り入れ,質問し,彼の行なう奇跡を見,一緒に町から町に旅をし,良い知らせを受け入れようと心を開いて彼のことばに耳を傾けたのです。使徒たちは将来のわざに備えて訓練を受ける必要があり,彼らを各地に遣わして話をさせるのが訓練のための最善の方法であることをイエスは知っていました。彼らが自分たちだけで各地に行って,良い知らせを伝道してから,「使徒たちはイエスのもとに集まってきて,自分たちがしたことや教えたことを,みな報告した。するとイエスは彼らに言われた,『さあ,あなたがたは,人を避けて寂しい所へ行って,しばらく休むがよい』」。(マルコ 6:30,31。ルカ 9:10)イエスは特に12使徒に関心を払われ,前途にある大きなわざに備えさせ,他方,さらに多くの人を弟子にするわざを成功裡に続けました。ひき続き大勢の群衆が彼のもとに集まって来ました。ある時,彼はガリラヤの海の北側の地で5000人に話をし,食事も与えました。―マタイ 14:14-24。マルコ 6:30-44。
23 (イ)イエスが語るのを聞いた人々はなぜ驚きましたか。(ロ)彼の話を聞いた人々は,何を行なわねばなりませんでしたか。この事は今日でも同じですか。
23 西暦32年,エルサレムで仮庵の祭りが祝われたころ,人々はイエスのことで大変驚きました。「祭も半ばになってから,イエスは宮に上って教え始められた。すると,ユダヤ人たちは驚いて言った,『この人は学問をしたこともないのに,どうして律法の知識をもっているのだろう』。そこでイエスは彼らに答えて言われた,『わたしの教はわたし自身の教ではなく,わたしをつかわされたかたの教である。神のみこころを行おうと思う者であれば,だれでも,わたしの語っているこの教が神からのものか,それとも,わたし自身から出たものか,わかるであろう』」。(ヨハネ 7:14-17)これを聞いた人々は,その知らせを神からのものとして受け入れるか,拒絶するかの決定を迫られました。今日も同様です。ある人々は,イエスのことばを聞いて信仰を働かせ,進歩し,当時と同じ「天国は近づいた」という音信を伝道する備えをしたり,神について聞いた事柄を,少なくとも日常の会話の中で他の人々に語ります。この程度の事ならだれでも行なえるでしょう。
24 (イ)2年後,イエスは何人の弟子たちを伝道に遣わすことができましたか。(ロ)西暦33年までには,どれほどの人々がキリストに深い信仰をいだいていましたか。(ハ)イエスは,さらに指示と導きを与えるというどんな約束を弟子たちに与えましたか。
24 イエスが伝道を開始されて2年後,さらに多くのユダヤ人が,家から家に行って伝道するだけの十分の知識を得ました。ルカはこう述べています。「主は別に〔70〕人を選び,行こうとしておられたすべての町や村へ,ふたりずつ先におつかわしになった。そのとき,彼らに言われた,『収穫は多いが,働き人が少ない。だから,収穫の主に願って,その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。さあ,行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは,小羊をおおかみの中に送るようなものである』」。(ルカ 10:1-3)12使徒と70人の弟子都合82人の伝道者は,教えられたとおりに伝道する時,問題,迫害,試練に直面することを覚悟していましたが,エホバと御子イエス・キリストに信仰をおいて前進したのです。伝道に遣わされたこれらの奉仕者には,イエスからさらに多くの事柄を学ぶ時間も機会もありました。キリストの死をポンテオ・ピラトに要求する叫び声が起きたのは,西暦33年の過ぎ越しの時だったからです。この時までに少なくとも120人の弟子がイエス・キリストに深い信仰を持っていました。復活の40日後,イエスは使徒を通して命じました。「エルサレムから離れないで,かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち,ヨハネは水でバプテスマを授けたが,あなたがたは間もなく聖霊によって,バプテスマを授けられるであろう」。(使行 1:4,5)イエスは刑柱の上で死に,死からよみがえり,天に上られたので,弟子たちが今後何を行なうべきかについてさらに指示を受けるのは確かなことでした。120人の弟子,つまり最初の使徒のうちの11人と他の109人の弟子は,エルサレムのある家の2階で,イエス・キリストからしるしが与えられるのを待ち望んでいました。しるしは遂に現われました!「一同は聖霊に満たされ,御霊が語らせるままに,いろいろの他国の言葉で語り出した」のです。(使行 2:4)彼らが,わずか一,二年の間に学んだ事を恐れずに語れたのは,イエスに従っていたためです。ペテロ自身については,彼は確かに人をすなどる漁師になりました。
25 五旬節の時,どれほどの人々がみことばを受け入れ,浸礼を受けましたか。
25 五旬節の日に,ペテロは立ち上がり,数千人の大群衆に声を上げて話しました。語り終えた時,そのうちの3000人はペテロのことばを心から受け入れ,浸礼を受けたのです。疑いもなく,これら3000人のうちの多くの人々はかつてイエスのことばを聞き,イエスから教えを受けていました。イエスは真理の偉大な伝道者だったのです。エルサレム,ユダヤ,ガリラヤを初めパレスチナ全土にわたってよく人々に知られていました。
26 今,時宜を得たどんな質問を考慮すべきですか。
26 キリストの生活は実を結び,その伝道は神の奉仕者を生み出しました。あなたの宣教は何を生み出しましたか。あなたは,みことばを学ぶ良い生徒で,聖書に耳を傾け,りっぱな教える者になるよう備えてきましたか。もしクリスチャンであると言われるなら,イエスが行ない,弟子たちも行なった事を,今行なっていなければなりません。初期クリスチャン会衆は,神と神の国に対する熱意を表わし,イエスの足跡に従いました。今日,カトリック,正教,新教の信仰を持つ男女のうちでどれほどの人がイエス・キリストの追随者と同じ信仰をいだいていますか。聞く耳を持っている人は何人いますか。どれほどの人が,天国の近づいたことを伝道していますか。
27 サウロが改宗した事情およびキリストの追随者になって何を行なったかを説明しなさい。
27 ユダヤ人でパリサイ人だったサウロはユダヤ教に熱心のあまり,「主の弟子たちに対する脅迫,殺害の息をはずませながら」,クリスチャンのわざに反対しました。ダマスコに向かう途中,サウロは,よみがえって霊者となられたイエス・キリストに盲目にされ,それ以上進めなくなりました。イエスは,クリスチャンに敵対したこの恐るべき迫害者を選ばれ,追随者にし,「異邦人たち,王たち,またイスラエルの子らにも,〔彼の〕名を伝える器として」用いられました。サウロが盲目になってとどまっていた所に,アナニヤというクリスチャンが遣わされ,彼はイエス・キリストに導かれるまま,「サウロよ……あなたが再び見えるようになるため,そして聖霊に満たされるために」と言って手をサウロの上においたとき,サウロは,「元どおり見えるようにな(り)……立ってバプテスマを受け」ました。彼はダマスコで弟子たちと数日を過ごし,真理を学び,どんなわざをなすべきかを理解した時,「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え,このイエスこそ神の子であると説きはじめた」のです。「われこゝにあり我をつかはしたまへ」と語った時,彼には預言者イザヤの霊がありました。―使行 9:1-22。
28 パウロと仲間の奉仕者を監視していた獄吏は,彼の助けでどのようにイエスの信者となりましたか。
28 ひとたび真理を理解したサウロは,伝道を始め,たゆまず伝道しました。それは一時的に熱を入れるような事柄ではありませんでした。仲間の宣教者シラスとともに旅行していたある日,サウロは悪鬼に向かって厄介な一人の女から出てゆくように命じました。そのために騒ぎが起こり,この二人のクリスチャンは捕えられ,打たれ,獄に投げ込まれました。その夜,二人は神に祈り,賛美の歌を歌い,他の囚人たちはその声を聞きました。その時,突然大地震が起きたのです。獄吏は囚人が逃亡したのではないかと恐れましたが,パウロは,心配はいらないと告げて獄吏を安心させ,救われるためには何をすべきかについて獄吏に告げました。その時の模様は次のとおりです。「彼とその家族一同とに,〔エホバ〕のことばを語って聞かせた。彼[獄吏]は真夜中にもかかわらず,ふたりを引き取って,その打ち傷を洗ってやった。そして,その場で自分も家族も,ひとり残らずバプテスマを受け(た)」。(使行 16:32-34,〔新世訳〕)パウロ(以前はサウロ)にとっては,いかなる境遇もエホバのことばを伝道する良い機会であり,彼は良い結果を得ました。
29 生命を欲する人には,初期キリスト教の時代と同様に,今日何が要求されていますか。
29 その獄吏と家族はエホバの言葉を聞いた時,「その場で」真理の側に立ったことに注目してください。クリスチャンになるということに関する限り,今日でもなすべき事柄は同じです。永遠の命を欲する人は,パウロやその獄吏と同様,エホバ神への奉仕に自分をささげ,浸礼を受け,クリスチャンのわざを行ない,イエス・キリストの足跡に従ったパウロやイエスが選んだ11人の使徒と同様,神の真の崇拝に忠実な者であることを証明しなければなりません。裏切り者となり,物質的な益を第一にしたイスカリオテのユダのようであってはなりません。私たちは,イエス・キリストの最初の弟子として宣教に携わったすべての忠実な人々のような者であることを証明しなければなりません。このようなクリスチャンがいなかったなら,御国のこの良いたよりは今日全世界に広められなかったでしょう。
[136ページの図版]
「わたしに従ってきなさい」