-
神を喜ばせる行いの手本ものみの塔 1964 | 10月1日
-
-
の起きたときにはバビロニア(シナル)の王と戦ったからです。アブラハムは自分のためには何もとらず,神の祭司メルキゼデクにぶんどり品の10分の1を与えて,勝利を神に帰しました。
神に敵対し,バビロンの都をその歴史のはじめから終りまで神の敵にしたニムロデと異なり,アブラハムはメルキゼデクに祝福されました。創世記 12章1-3節に記録された神の約束と共にこの祝福は,女のすえがアブラハムから出ることを意味しました。アブラハムは子をもうけ,大いなる国民の先祖となるでしょう。この国民から神の女のすえが出ます。
女のすえを表わす者
99歳になっても子供のなかったアブラハムは神の天使の訪れを受け,1年後にはその妻サラから奇跡的に子供が生まれることを告げられました。その子は「笑い」を意味するイサクの名で呼ばれるでしょう。神の祝福の契約はこの者によって受け継がれます。―創世 17:19; 18:1-15。
あくる朝,神の天使は低地にあった四つの悪の町を滅ぼしました。ロトはエホバの天使に導かれ,妻および二人の娘と共にやっとのことでソドムから逃れました。ゾアルの町はロトがそこに避難したために,滅びを免れたのです。ロトの妻は途中で天使の命令に背いたため,滅びました。―創世 19:12-26。
アブラハムはその愛した息子イサクに関連して,非常に大きな信仰の試練を与えられました。神はアブラハムに対し,当時およそ25歳aのイサクをサレムのほうに連れてゆくことを命じました。それはメルキゼデクに会うためではありません。神から授けられたイサクを犠牲として神にささげるためでした。アブラハムは信仰を抱いて行動し,命ぜられるままにサレムの北にあるモリア山に行きました。そして愛する息子をささげ,まさにイサクを犠牲にしようとしました。アブラハムはその信仰のゆえに,神の命令をはたすことをためらわなかったのです。アブラハムはイサクから大きな国民が出ることを知っていました。そして必要ならば神はイサクを死からよみがえして,その約束を成就することを確信していました。アブラハムは,まさに刀を使おうとしたときに神の天使の声を聞き,見ると茂みの中に雄羊が捕えられていました。それがイサクのかわりにささげられる犠牲だったのです。
神を喜ばせることから得る比類のない祝福
祭壇のかたわらでエホバは,アブラハムに対する約束を確認し,アブラハムの妻サラの息子イサクが神の女のすえを表わすことを明らかにされました。神は天使によって次のことを言われたのです。「エホバさとしたまふ我己を指て誓ふ汝この事を為し汝の子即ち汝の独子を惜まざりしによりて我大に汝をめぐみ又おほいに汝の子孫を増して天の星の如く……ならしむべし……又汝の子孫によりて天下の民皆福祉を得べし汝わが言にしたがひたるによりてなりと」― 創世 22:15-18,文語。ヘブル 11:17-19。
アブラハムの知らなかったことですが,神はアブラハムによって一つの劇を行なわれました。それは私たちにとって非常に意義の深いことです。19世紀後のイエス・キリストのことばは,それを一言のもとに言い表わしています。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」。アブラハムの愛した子イサクと,イサクのかわりにささげられた雄羊は,神のみ子イエス・キリストをあらわしていました。神のみ子は人類を救うために,神の小羊となりました。―ヨハネ 3:16; 1:29,36。
エホバのことばに従ってバビロニアを出たアブラハムは,そのために大きな祝福を得ました。祝福を約束したエホバの契約はアブラハムに対して固くされました。アブラハムは175歳の高齢に達して死にました。そして女のすえイエス・キリストの治める御国の下で復活を受けることが保証されています。エホバご自身,イサクおよびその子ヤコブにこの契約を受けつがせました。またヤコブのもうけた12人の息子は,約束の「大いなる国民」の基礎となりました。―創世 26:1-5; 28:10-15; 29:1–30:26; 35:16-20。ヘブル 11:13-16。
アブラハムは行いのともなう信仰 ― 信仰に従い,それに一致して行動したことの良い手本です。アブラハムは偶像の神々を拝んだ先祖の宗教に満足せず,偽りの宗教を避けて真の崇拝に固くつき従いました。そして文明の町カルデヤ人のウルに安住することを求めず,未知の土地に出て行って寄留者となり,天幕生活をしました。ウルで富を得て安楽に暮らす機会を捨てたのです。しかしアブラハムは幸福で意義のある生涯を送りました。そして将来には大きな報いが与えられようとしています。私たちも神の友になることを望むならば,忠実なアブラハムの手本にならわなければなりません。
-
-
読者よりの質問ものみの塔 1964 | 10月1日
-
-
読者よりの質問
● 新世界訳聖書が,イザヤ書 14章23節で,「さんかのごい」(bittern)など小鳥を表わす言葉のかわりに,「やまあらし」(porcupines)という言葉を使っているのはなぜですか。―アメリカの一読者より
イザヤ書 14章23節にあるヘブル語「キッポード」が何を表わすかについてはすでに多くの議論があり,「さんかのごい」などの小鳥であるとも,あるいは,獣,とくに,「やまあらし」,または,やまあらしに似た小動物「はりねずみ」であるとも言われています。イザヤ書 14章23節の預言は,神がバビロンにもたらそうとする全き荒廃について述べており,新世界訳聖書によると,その部分は次の通りです。「私は彼女をやまあらしの住みかとし,あしの茂る水の池とし,滅びのほうきをもって,彼女を払う」。欽定訳聖書は,「やまあらし」のかわりに「さんかのごい」を用いています。サンカノゴイは,沼地にすみ,首の長い,サギの仲間です。ジョージ・M・ラムサによる聖書翻訳で,この部分は「私はこれをふくろうの住みかとし」となっており,改訂標準訳,アメリカ訳,また,ローマカトリックの高位聖職者ロナルド・A・ノックスの翻訳などはみな,問題の言葉を「はりねずみ」としています。
聖書事典や注釈書にある,ヘブル語「キッポード」の説明も不確定なものが多いようです。たとえば,「ザ・インタープリーターズ・バイブル」は単にこう述べています。「〔キッポード〕がどんな動物をさすのかは不明である。この言葉はいつでも荒地に関連して出てくる」。「ハーパーの聖書辞典」は次の通りです。「明確に定めることはむずかしいが,おそらくヤマアラシかトカゲの一種であろう」。ウイリアム・スミス博士の「聖書辞典」(1888年版)は次のように述べています。「このヘブル語は従来色々な意味に解釈されてきた。昔の翻訳はおおむね,『はりねずみ』,または『やまあらし』としている。……『かめ』,『ビーバー』,『かわうそ』,『ふくろう』などとも推測されているが,いずれも確かな理由は示されていない」。ラテンバルゲイト訳,七十人訳などの,昔の翻訳は,「はりねずみ」,あるは,「やまあらし」を用いています。チャールス・トムソンの翻訳,C・A・ミューセズの改訂による「七十人訳聖書」はイザヤ書 14章23節を,「私はバビロンを荒れ地とし,やまあらしの住むところとする。そしてその地を荒野とする」としています。
最近のヘブル語 ― 英語辞典の多くは,ヘブル語「キッポード」の意味として,「やまあらし」か「はりねずみ」を上げています。その上,リー,パークハースト,ウイナー,ファーストゲセニウスなどの比較的古いヘブル語辞典のすべても,このヘブル語の表わすものとして,「はりねずみ」,あるいは,「やまあらし」を上げています。ゲセニウスはヘブル語「キッポード」と,「やまあらし」を意味するアラビア語「クンフド」とを結び付け,両者を同じ意味の言葉としています。
イザヤ書 14章23節で「さんかのごい」を採用する訳者たちは,その理由として次の三つを上げます。(1)やまあらしがあしの茂る水の池に出てくることはすくない。(2)ゼパニヤ書 2章14節から考察して,問題の動物は柱の頂きに上れるものと思われる。(3)また,同じ聖句から判断して,この動物はさえずる
-