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  • 信仰の試練に面して忠節を保つ
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 6/15 364–369ページ

信仰の試練に面して忠節を保つ

『なんぢらさまざまの試錬に遭ふとき,ひたすらこれを歓喜とせよ。そは汝らの信仰の験は,忍耐を生ずるを知ればなり』― ヤコブ 1:2,3。

1 サタンは神の力を打ち破ることはできないので,おもに何をしようと努めますか。

サタンのねらいは相変わらず,人を出し抜いて神にそむかせることです。これはそもそもサタンが最初の忠実な人間をその弟カインに殺させたときに用いた計略です。この努力はまさしく今日まで続けられてきました。昔は神の恵みを受けた民イスラエルがその著しい目標にされました。

2 (イ)エホバはどんな使命をエレミヤに与えましたか。エレミヤの音信はどのように受け取られましたか。(ロ)エレミヤはどうなりましたか。だれがエレミヤを助けに来ましたか。

2 全能の神の導きに従ってエレミヤが受けた,長年月にわたる使命は,サタンの努力に屈したその民の不正な行為ゆえにエルサレムの破滅を宣明することでした。その宣明は当時のイスラエル人の祭司たちや一般人に受けませんでした。エレミヤは宣べ伝えるのをやめるよう命じられましたが,そうした圧力に屈しませんでした。彼はさらに徹底した方法による反対を受けました。しかし監禁されてさえも,エレミヤは,カルデヤ人に降伏して自分たちの命を救うよう人びとに勧告しました。その時,まぎれもなくサタンに動かされて,「彼らすなはちエレミヤを取て獄の庭にある……マルキヤの穽に投いる即ち索をもてエレミヤを縋下せしがその穽は水なくして汚泥のみなりければエレミヤは汚泥のなかに沈めり」。この時,エレミヤは絶望的な事態に陥ったかに見えましたが,依然として信仰を失ってはいませんでした。王の家のエチオピア人の官官エベデメレクが救援の手を差し伸べ,エレミヤのためにゼデキヤ王の前に出て,事情を説明しました。王の許可を得たエベデメレクは,エレミヤが傷つけられることのないよう非常な注意を払って彼を水ための中から救い出しました。(エレミヤ 38:6-16)これはエホバが,たとえきびしい試練や死の脅威に面しても忠誠を保つご自分のしもべたちをどのようにして助けてくださるかを示すものといえます。さて,ついにエルサレムそれ自体エレミヤの預言どおり攻略され,破壊されました。忠実なエレミヤとその仲間や友は死を免れました。

キリスト教時代以前の国家主義の力

3 諸政府はしばしばクリスチャンに何を要求しますか。どんな結果がしばしば生じますか。

3 官憲主義その他の形態を問わず,諸政府は国家に対する忠節を要求する独断的な法令を用いて,良心に基づく崇拝の自由という人権をしばしば蹂りんします。そのような要求のために激しい迫害や投獄そして死さえもたらされました。そうした策略は今世紀にも行使されてきましたが,その先例もたくさんあります。

4 (イ)ネブカデネザルはどんな官憲主義的な布告を発しましたか。(ロ)それら忠実なヘブル人はどんな道を取りましたか。(ハ)3人のヘブル人のためにだれが,どのように行動を起こしましたか。

4 その一例としてネブカデネザル王の時代に同様な事態の生じたことが記録に残されています。そこを読むと,王が高さ28㍍ものそびえ立つ金の像をドラの平野に建てたことが思い起こされます。それは献身と崇拝の対象物とされ,音楽の演奏と同時にすべての者はひれ伏してその像を崇拝せよとの布告が出されました。そうすることは,『天にあるもの,地にあるもの,ならびに地の下の水の中にあるものの何の』像あるいはそれに似た形もいっさい『拝んでは』ならないという神の命令にまっこうから反する行為です。もしそれを拝むなら,自分自身だけでなく,子孫が三,四代までエホバからの罰をこうむるでしょう。(出エジプト 20:4-6)音楽が演奏されたとき,異彩を放つ3人の忠実なユダヤ人シャデラク,メシャク,アベデネゴを除いて,居合わせた人びとはみなひれ伏しました。このことが伝えられると,王は怒りを発しました。次いで3人は拝む,つまり妥協するよう,もう一度機会が与えられました。再び音楽が演奏されると,すべての者が拝むよう命じられることになりました。この試みも最初の場合と全く同様失敗しました。なぜなら,それら3人の男子は,火の燃える炉に投げ込むとのおどしを受けてさえ,エホバおひとりだけに真の崇拝をささげるという点で忠実を破ろうとはしなかったからです。(ダニエル 3:1,5,6,16-19)3人は,火の燃える炉に投げ込まれるなら,自分たちの命は危いことを認めながらも,金の像を拝もうとは思わないと大胆に王に告げました。そして,自分たちの神はもし望まれるなら自分たちを救出できること,しかしたとえ救出してくださらなくても,自分たちはその像に礼をするつもりはないことを知らせました。記録によれば,火の燃える炉にそれら3人を投げ込んだ者たちさえ焼き殺されましたが,忠誠を守ったそれらヘブル人の男子には火のにおいさえついていませんでした。―ダニエル 3:27。

5 ダニエルはどんな忠節の試練に会いましたか。最後にはどうなりましたか。

5 預言者ダニエルも同様に試みに会いました。なぜなら,彼は日に3度窓を開けてエルサレムに向かって祈ることを習慣にしていたためです。ダリヨス配下の役人や地方総督の一部の者が,意地の悪いことに30日の間,ダリヨス王以外いかなる神にも崇拝したり祈ったりしてはならないという布告を出させました。その勅令には王の印が押されました。直ちにダニエルが告発の対象とされたことはいうまでもありません。彼は真の神エホバに祈りをささげる習慣を続けていたからです。その布告を破って祈っているところを見つけられた者はだれでもライオンの穴に投げ込まれて処罰されることになりました。記録によれば,ダニエルは忠節を保ったので,エホバは忠実にもライオンの口を閉してダニエルを救助されたことがわかります。もちろんこの場合も報復が行なわれ,ダニエルを告発してライオンの中に投げ込ませようとした張本人たちが逆にライオンのえじきにされました。―ダニエル 6:4-11,20-28。

6 ダニエルとその3人の仲間の前には,妥協を勧めるどんな機会がほかにありましたか。彼らはどのように振舞いましたか。

6 これはそれら忠実なしもべたちの面した最初の試みではありませんでした。なぜなら,彼らは以前,自分たちの配属された王宮の中にいる人びとの楽しんでいたぶどう酒や特別の食べ物を飲み食いしてぜいたくな生活をするよう勧められたからです。彼らはダニエル書 1章8節に次のようにしるされているとおり,断固とした立場を取りました。「ダニエルは王の用いる[イスラエルの律法では許されていなかった]饌と王の飲む酒とをもて己の身を汚すまじと心に思いさだめたれば己の身を汚さざらしめんことを寺人の長に求む」。ダニエルは,「我らには菜蔬を与へて食せ水を与へて飲せよ」と願い出ました。―ダニエル 1:12。

7 キリスト教時代以前の大勢の忠実なしもべたちは忠誠を保ったために,どんな扱いを受けましたか。

7 キリスト教時代以前の全能の神の他の大勢のしもべたちも同様に試みに会い,なかには殺されたり,たいへんな虐待を受けたりした人もいます。また,昔の多くの忠実な人たちは,「免さるることを願はずして極刑を甘んじ…その他の者は嘲笑と鞭と,また縲絏と牢獄との試錬を受け,或者は石にて撃たれ,試みられ,鉄鋸にて挽かれ,剣にて殺され……悩まされ,苦しめられ,世は彼らを置くに堪へ」ませんでした。―ヘブル 11:35-38。

初期クリスチャンの信仰は試みられた

8 キリスト・イエスが受けた主要な試練はなんでしたか。だれがキリストを助けに来ましたか。

8 エホバのみ子,キリスト・イエスの場合は,忠誠を保つ点でなんとすぐれた模範でしょう。当時のユダヤ人の宗教指導者は偽ってイエスを訴え,偽りの告発を行なって,無実の罪のためにイエスを殺させました。無実の罪で訴えられる場合,それは最もきびしい試練となりえます。ご存じのように,そのような試練に遭遇したイエスは,刑柱上の死をこうむったのです。しかしながら,エホバに見捨てられたのではありませんでした。なぜなら,イエスは三日目に復活させられ,天の高い王座につけられたからです。―使行 10:40。コリント前 15:4。

9 イエスはその忠実な追随者に向かって,彼らにはどんなことが起きると言われましたか。イエスの預言の正しさを確証するどんな証拠がありますか。

9 弟子はその師にまさらず,奴隷はその主人にまさらずといわれています。(マタイ 10:24)また,イエスは弟子たちに告げました。「人もし我を責めしならば,汝等をも責め,わが言を守りしならば,汝らの言をも守らん……汝らを殺す者みな自ら神に事ふと思ふとき来らん」。(ヨハネ 15:20; 16:2)このようなことばやイエスの述べた他の賢明な助言から,それら弟子たちは,神の王国にかんする音信を引き続き宣べ伝えるにつれて,自分たちの信仰も同様に試みられるであろうことを知りました。そして,同国人であるユダヤ人からだけでなく,ユダヤ人でない支配者たちからもそうした虐待をこうむりました。ヤコブは使徒の中でも最初に,ユダヤ人ではないヘロデ王の手で殺された人です。「[ヘロデ]剣をもてヨハネの兄弟ヤコブを殺せり」とあります。ヘロデは他の人たちをも虐待しました。「ヘロデ王,〔会衆〕のうちの或人どもを苦しめんとして手を下し」ました。ところが,「この事ユダヤ人の心に適ひたるを見てまたペテロをも捕ふ」と述べられているように,ユダヤ人はそれを喜んだのです。―使行 12:1-4〔新〕。

10 使徒たちのほかにだれが迫害されましたか。

10 使徒たちだけでなく,弟子たちの多くも迫害されました。そのひとりにステパノがいます。彼はイスラエル人がならわしにしてきた,また当時ならわしにしていた偽りの崇拝にかんする事実をきわめて率直に,ありのままに述べました。居合わせた人びとにこう語りました。「汝らの先祖たちは……義人の来るを預じめ告げし者を殺し,汝らは今この義人を売り,かつ殺す者となれり。……人々これらの言を聞きて心,怒りに満ち切歯しつつステパノに向ふ。……爰に彼ら大声に叫びつつ耳を掩ひ心を一つにして駆け寄り,ステパノを,……石にて撃てり。……[そして彼は]眠に就けり」― 使行 7:52,54,57-60。

11 パウロは投獄されたとき,宣べ伝えることをやめましたか。

11 使徒パウロは神への忠誠をしっかり保ったために投獄されましたが,宣べ伝えることはやめませんでした。ローマで最初に投獄されていたとき,パウロは「その許にきたる凡ての者を迎へて,更に臆せず,また妨げられずして神の〔王国〕をのべ,主イエス・キリストの事を教へ」ました。(使行 28:30,31〔新〕)ローマで二度目に投獄され,処刑されようとしていた時期にしるした最後の手紙の中で,パウロは,忠実であるようにと訓戒しました。

20世紀のクリスチャン

12,13 (イ)イエスは,20世紀に何が起こることを予告されましたか。(ロ)忠誠を守るクリスチャンには何が生じましたか。

12 イエスは「事物の体制」の終結にかんする良いたよりが20世紀の時代に宣べ伝えられるであろうことを予告されました。この「終わりの日」におけるその追随者に対する次のような訓戒のことばは,何を予期すべきかをさとしています。「汝等わが名の為に,もろもろの国人に憎まれん」。「然れど終まで耐へしのぶ者は救はるべし。〔王国〕のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝へられん,而して後,終は至るべし」― マタイ 24:9,13,14〔新〕。

13 忠誠を保ち,イエスへの忠節の点で妥協を拒む人たちがいる反面,国家主義的な要求に自ら服する,この事物の体制の人びとは憤り,クリスチャンをして全能の神との契約を破らせようと努めます。キリスト教世界は諸国民とともにそのような努力に加担してきました。最初の世界大戦のさい,エホバの証人(聖書研究生)の多くは国々の事態に加わらなかったため投獄されました。過去50年余にわたりエホバの証人は地上のいろいろの場所で,ほとんど絶え間なく迫害されてきました。二度目の世界大戦中,迫害は激しさをきわめました。何千人もの若い男子は,奉仕者であるゆえに,また神の律法に従って人を殺すことを断固として拒んだために投獄されました。

14 (イ)ヒトラーはエホバの証人について何と断言しましたか。(ロ)ナチの手で加えられた残忍な仕打ちに屈しなかったあるクリスチャンの奉仕者に生じたことを説明しなさい。

14 ナチ政体のもとでエホバの証人はヒトラーとその突撃隊の手で残忍このうえない迫害をこうむりました。事実,ヒトラーは,エホバの証人を根絶しなければならないと宣言しました。その結果,迫害は残忍をきわめたため,クリスチャンの奉仕者たちには確固たる信仰が要求されました。そうした奉仕者のひとり,すなわちロバート・A・ウィンクラーは逮捕後,強制収容所に護送されました。しばらくは注意人物としてですが釈放されました。というのは,ゲシュタポ(ナチドイツの秘密国家警察)はみな彼の写真を持っていたからです。後日,彼は捕えられたうえ,妻や会衆の指導者たちの居場所を教えてゲシュタポに協力するよう機会を与えられました。しかし質問には答え応じませんでした。それで彼は意識を失うまで容赦なく打たれました。その仕打ちは数回繰り返されました。そして,打たれて歯が抜けようが,見る影もないほど殴打されようが,その忠誠を破れないことを知った当局者は,彼を暗い独房に入れました。彼をゲシュタポに連行した私服刑事のひとりがやって来て,「おまえはウインクラーか」と尋ねました。彼は,「はい,そうです」と答えましたが,そのゲシュタポの手先は,あまりにも残忍な仕打ちが加えられたのを見てショックを受けました。その時,ある看守が少しかわいそうに思って,何かしてほしいことがないかと尋ねました。すると彼は,「どうか聖書を1冊いただけませんか」と頼みました。しばらくすると,聖書が1冊彼の独房に投げ込まれるや,直ちにドアに再び鍵がかけられました。彼は必要としていたもの,つまり神のみことば聖書を得たのです。エホバへの祈りによって彼は強さを与えられ,何がふりかかってこようともエホバに対する不動の立場を保つことができました。今日でも彼は依然として忠実に,また忠節にエホバに仕えており,その信仰の最もきびしい試練のもとで断固として耐ええたことを喜んでいます。

15 死の宣告を受けたあるクリスチャン奉仕者は,法廷を退場するさいに,他の人たちにどんな激励のことばをかけましたか。

15 別の事件では,エホバの証人のひとりが神に対する忠実さゆえに死刑の宣告を受けました。そして,看守に守られて法廷を退場するさい,彼は他の証人たちに,勇気を出してください,とことばをかけてゆきました。居合わせた他の人たちにとってそれはなんという励みだったでしょう。

16 ケベックのひとりのクリスチャンの奉仕者は,宣べ伝えるわざを続けたためにどうなりましたか。

16 カナダ,ケベック州のエホバの証人はきびしい迫害をこうむりました。ひとりの奉仕者は103回も逮捕され,殴打されたうえ,数回懲役刑に処せられましたが,それは彼が戸別訪問の奉仕をやめようとしなかった,ただそれだけの理由によるものでした。ほかにも多くの人たちが同様の苦しみに会いました。しかしながら,終始忠誠を保つことにより,カナダではやがて最高裁判所で勝利を得ました。25年ないし30年前,カナダには一握りの証人しかいませんでしたが,今では何千人もの証人がいます。

17 忠誠を守る証人たちは鉄のカーテンの背後でどんな残忍な仕打ちに苦しんできましたか。

17 エホバの証人はかつてナチ政体のもとで迫害されたと全く同様,鉄のカーテンの向こう側では今も苦しんでいます。そこでは共産主義者たちが証人たちの忠誠を破ろうとして激しい迫害を加えてきました。多くの場合,忠実を保とうと努める人たちは同僚の労働者で構成される法廷に引き出され,自分たちの宗教を公に放棄しないなら,仕事や配当,家や恩給その他を剥奪すると言って脅かされています。証人たちは自分たちの立場を弁護してきましたが,なかには強制労働収容所に送られた人たちもいます。一群の証人たちを収容している多くの収容所では,証人たちは苛酷に扱われ,動物よりもひどい仕打ちをさえ受けています。こうして投獄されている人たちの中には,すでにヒトラーの強制収容所で長年服役し,今または共産主義者の手でさらに何年も監禁されて苦しんでいる人たちもいます。しかし,信仰の強い彼らは神への忠誠の点で妥協しようとはしません。

18 アフリカのクリスチャンの奉仕者たちにはどんなことが生じましたか。

18 数年前,アフリカでは国家主義のためにエホバの証人は相当の迫害をこうむり,多数の証人がひどく殴打されました。もっと最近ではアフリカの幾つかの国でエホバの証人のわざは禁止されました。証人たちは政党に加入したり,党員カードを携帯しないとの理由でそのわざを禁止されただけではありません。暴徒は証人たちを殴打し,多くの女子を強姦したり,性的に辱しめたりしました。しかしここでもまた,指導者たちはそれら真のクリスチャンの忠誠を破ることはできませんでした。

忠誠を破ろうとする他の企て

19 他の人びとは信仰の試練にどのように直面してきましたか。

19 エホバの証人であることをやめさせようとする家族内の他の成員から嘲笑されたり笑いものにされたりして侮辱されるため,家庭内で非常に深刻な試練に会う場合もしばしばあります。

20 ドイツで迫害を受けたクリスチャンのある人たちは収容所から釈放されたのち,どうなりましたか。

20 多くのエホバの証人がナチ主義のもとで強制収容所に入れられて非常にきびしい迫害の試練を経ましたが,釈放後,あるいは郷里その他の場所に戻って仕事についてから,物質主義の誘惑に屈したり,そのわなに陥ったりした人がいることも知られています。これからもわかるように,悪魔は迫害によってクリスチャンをとりこにすることができなくても,巧かつな手段を講じて忠誠を破らせることに成功する場合があるのです。なかには凌辱の試練に耐えられたのに,自分自身の情欲の犠牲になって淫行や姦淫を犯し,そのためにエホバの組織から除かれなければならなくなった人もいるでしょう。

21 初期の教会には何が起きましたか。同様の事態が今起きても,わたしたちはなぜそのために信仰を動揺させるべきではありませんか。

21 実際,いろいろな理由で中途で脱落した人は少なくありません。このことは初期の教会の時代にも起こりました。パウロはテモテにあてた第二の手紙の中で次のように述べて,このことに注意を引いています。「デマスはこの世を愛し,我を棄て(たり)」。パウロはまた,彼を悩ました別の人について警告しました。「金細工人アレキサンデル大に我を悩せり。〔エホバ〕はその行為に随ひて彼に報いたまふべし。汝もまた彼に心せよ,かれは甚だしく我らの言に逆ひたり」。(テモテ後 4:10,14,15〔新〕)ゆえに,1,900年前,あるクリスチャンは忠実な歩みをやめました。ですから,今でもある人びとがそうするであろうことは予期できます。なぜなら,それは預言されているからです。その場合,わたしたちは信仰を動揺させるべきですか。そうではありません。なぜら,エホバは背く者を除かれるということをわたしたちは知っているからです。

22 (イ)きびしい試練は免れがたいという事実にわたしたちを警戒させずにはおかないどんなことが急に起こるのをこれまでに見てきましたか。(ロ)パウロはどんな点で模範といえますか。パウロの歩みはわたしたちにとってどのように助けとなりますか。

22 それに,わたしたちは,前途の試練を無傷で通過できるだろうと考えるべきではありません。これまでにもある人びとがこうむったように,かなりの人びとが不当な扱いや困難を甘受しなければならなくなるかもしれません。お気づきのように,多くの場合,国家主義が急に燃え上がり,その結果突如一夜にして激しい迫害が起こりました。しかし,霊的な武具である盾を身につけることによって,敵の放つ火矢に耐えられます。また,キリスト・イエスも述べられたように,あらゆる非難を予期しておくのはよいことです。「『なんぢを謗る者の謗は我に及べり』とあるが如し。…聖書の忍耐と慰安とによりて希望を保たせんとてなり。願くは忍耐と慰安との神,なんぢらをしてキリスト・イエスに効ひ,互に思を同じうせしめ給はん事を」とあります。(ロマ 15:3-5)また,コリントの人たちにあてた第二の手紙の中でパウロが,「凡ての事において神の役者のごとく己をあらはす,即ち患難にも,窮乏にも,苦難にも,打たるるにも,獄に入るにも,騒擾にも,労働にも,眠らぬにも,断食にも」としるして,忍耐について述べた明確な助言が思い出されます。(コリント後 6:4,5)忍耐する強さをわたしたちの思いの中に築き上げるには相当の勇気が必要です。

忠誠を保つ

23 わたしたちはエホバに対して行なった献身の誓いについてどう考えるべきですか。

23 なかにはエホバに対する献身の誓いを果たさなかった人がいます。エホバの意志を行なうべく献身した後は,あと戻りするわけにはゆきません。エホバは当然,わたしたちが『誓願をはたす』ことを期待されます。(伝道 5:4-6)エホバに対する誓約を故意に,またわざわざ裏切る人は死に値します。

24,25 (イ)わたしたちはどんな源からの攻撃を予期できますか。なぜですか。(ロ)わたしたちはたとえ自分の命が関係するような非常な試みに直面しようと,どのように行動すべきですか。

24 サタンは真のクリスチャンの大敵であるとともに,エホバに対する信仰を滅し尽くそうと腐心する強力な組織を持っていることを,わたしたちは思い起こさなければなりません。また,全世界は悪魔の力のもとにあり,彼はこの事物の体制の神であって,不信者の思いをくらましているという事実をも認識すべきです。―コリント後 4:4,新。

25 彼は全世界を配下に置いているのですから,自分の悪意と力のすべてを振るって配下の地上の勢力を動かしています。彼は獲物に近づくほえたけるライオンのようにこのことを行なっているのです。ペテロが,「汝らの仇なる悪魔,ほゆる獅子のごとく歴廻りて呑むべきものを尋ぬ」としるしたとおりです。エホバに献身した誠実なクリスチャンであるあなたが,その「呑むべきもの」のひとりになることだってありうるのです。ペテロはさらに忠告しています。「なんぢら信仰を竪うして彼を禦げ,なんぢらは世にある兄弟たちの同じ苦難に遭ふを知ればなり」。(ペテロ前 5:8,9)このことのために恐れたり,やめたりしてはなりません。そうするのはいくじのないこと,自殺行為とさえいえます。そうした行動を取る人は,神の王国で生きる資格を得られません。(黙示 21:8)それとは対照的に,黙示録 2章10節でイエスが次のように述べて示された考え方を持ってください。「なんぢ受けんとする苦難を懼るな,視よ,悪魔なんぢらを試みんとて,汝らの中の或者を獄に入れんとす。なんぢ死に至るまで忠実なれ,然らば我なんぢに生命の冠冕を与へん」。

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